8話
朝いちの講義が無い日、真理はゆっくりめに部屋を出る。時間に余裕のある、こんな日だからこそ、財布の中に入れっぱなしの宝くじが一枚あることを思い出せたのだろう。
「そういや、この宝くじ、当選発表日はもうとっくに過ぎてるよな」
この間の福引きのこともあり、期待はしていない。してないけれど、結果はやはり気になるものだ。
真理は窓口に寄って、当選確認をしてもらうことにした。
「おめでとうございます」
「……えっ!?」
「六等です、千円の当たりです」
「……あー、はいはい、またこのパターンね」
当たりは当たりでも、千円とは……。
六等でも当たらない人がいるのだから、贅沢を言うなと言われればそれまでだが、この間の福引きと同様で、嬉しくないものは嬉しくない。
「何が『ツいてる』だ」
千円札を財布にしまいながら、真理は、フンと鼻を鳴らす。
武田が悪いわけでもなんでもない。だけど、いい加減なことを言って、その気にさせた罪はある。
「武田の奴、見かけたら絶対、文句言ってやる!」
「おぉ~、来た来た! 待ってたぞー!」
食堂で武田を探す筈が、武田の方でも真理を探していたらしい。武田は真理を見つけると、猛烈な勢いで駆け寄ってきた。
「なあ、柳田、今日、暇か? 暇だな? 暇に決まってるよな?」
「何だよ、いきなり」
「今日、合コンなんだよ。おまえも誘ってやろうと思ってさ」
武田は、どうだ、嬉しいだろうと言わんばかりだ。
「……恩着せがましい言い方してるけど、今日、突然言ってくるってことは、誰かがドタキャンして、その代理で俺、ってことなんだろ?」
「うっ……。すごいな、おまえ、名探偵だな」
「バカなこと言ってないで、ちゃんと説明しろよ」
問い詰めると、武田は正直に白状した。
本当は佐藤という別の友人を誘っていたこと。その佐藤が今朝になって、来れないと言ってきたこと。
「最初に誘わなかったのは悪いと思ってるけど……、でもさ、おまえ、最近、つき合い悪かったじゃん?」
それを言われると、真理は何も言い返せない。
「なあ、頼むよ~。女子の幹事は恵美ちゃんなんだよ~」
恵美ちゃんというのは、武田と同じドーナツ屋でバイトしている女の子だ。
学部は違うが、同じ大学ということで、意気投合したらしい。というか、武田はこのまま、お付き合いまで持って行きたいようなのだ。二人で合コンの幹事をやって、新密度を増す作戦らしい。
「恵美ちゃんに『男の数を揃えられませんでした』なんて、言えないよ~。友達が少ないとか思われたくないよ~」
真理は、泣き落としにはとても弱い。
「わかった、わかった。行きゃあいいんだろ。ああ、もうっ、一旦、家に帰らなきゃいけないじゃないか」
「サンキュ……って、えぇ~、おまえ、お洒落してくる気かぁ!?」
「バーカ、違うよ。色々事情ってもんがあるんだよ」
喚く武田を置き去りにして、真理は今来た道を引き返した。
トンボ返りしてきた真理に、座敷わらしは目を丸くして驚いている。
「どしたの、真理?」
真理の様子がいつもと微妙に違うと、敏感に察知したらしい。真理がミニテーブルの前に座ると、座敷わらしも神妙な顔で、それにならった。
「あー、あのな……、今日は帰りが遅くなりそうなんだ。だから、これ」
そう言って、真理が買い物袋からガサゴソと取り出したのは弁当だ。
合コンに出るとなると、いつものように夕飯を作れない。それで、弁当を買ってきたのだ。
「晩飯、一人で食べられるな?」
座敷わらしはじっと弁当を見つめていたが、やがてコクンと頷いた。
「松子もクマゴロウもいるもんな?」
座敷わらしが再びコクンと頷く。
「ほ、ほら、ご飯大盛りだぞ。米はコシヒカリ使ってるんだってさ。美味そうだろう?」
再びコクン。
座敷わらしがあんまり素直で、真理は逆に落ち着かない。だから、ペラペラと余計なことまで喋ってしまう。
「いや~、実はあんまり行きたくなかったんだけどさ、武田の奴がうるさくて……。あ、武田って言うのは、大学に入ってからできた友達なんだけど、こいつがいい加減な奴でさ――」
詰られたわけでもないのに、どんどん言い訳じみてくる。
真理の中の疚しさが、唇を勝手に動かしているのだ。真理は座敷わらしを置いて遊びに行くのが、心苦しいのだ。
「……なあ、本当に一人で大丈夫か?」
もう一度、確認するように真理が聞くと、座敷わらしはにっこり笑った。
「大丈夫だよ。真理に会うまでは、ずっと一人で食べてたんだもん」
――そうだった……。わらしは田舎のあの薄暗い部屋で、ずっと一人ぼっちだったんだ……。
その姿を想像したら、なんだか堪らなくなり、つい、できもしない約束をしてしまった。
「なるべく早く帰るから……」
「カンパ~イ」
四対四の合コンの会場となったのは、男同士なら多分使わないであろう、小洒落た店だった。
しかし、この店で正解だったと、男性陣は総じて思っていた。
とにかく、女子のレベルが高いのだ。
幹事の恵美からして、武田が一目惚れしたと言うのも頷ける、可愛い女の子で、その友達なのだから、可愛い子揃いなのも当然と言えば当然だ。
真理の向かいに座ったのは、里奈ちゃんという子だった。栗色の髪を綺麗に巻いた、いかにも女の子らしい女の子だ。
受話器のコードをいじるのが好きな真理は、彼女のような髪を見ると無性に指を絡ませたくなる。つい、じっと見つめてしまっていたら、彼女が「ん?」と小首を傾げた。
上目遣いで見つめられて、ああ可愛いな、と真理は素直に思った。
小柄で、ふわふわしていて、真理でなくとも男なら誰もが好きになるだろう。
その上、気の利くタイプなようで、真理が目の前の大皿から帆立のカルパッチョを取り分けようとしていると、「私がやるよ」と言ってくる。
自分の目の前に置かれた料理を、わざわざ取り分けてもらうのは気が引ける。真理は「いいよ、いいよ」とその申し出を断った。
バランス良く、見栄え良く。小皿に美しく盛り付けるのは、結構楽しい。最初の一皿は、里奈の分とした。
「はい、召し上がれ」
一瞬、里奈がきょとんとした。
次の瞬間、隣の武田がブハッと吹き出して「おまえ、どこの母ちゃんだよ」などと言うものだから、皆に一斉に笑われてしまう。
――うわあ、やっちまった。
最近の食事は殆ど座敷わらしと一緒で、世話を焼くのが癖になっていたのだ。
「ち、ちがう、間違えた」
真理は汗をかきかき、言い訳するが、里奈は違った感想を持ったらしい。
「今、里奈、きゅんときた~」
マシュマロみたいな甘い声に、男共は一斉に「はあ?」となった。
しかし、女の子たちから上がったのは賛同の声だった。
「わかる、わかる」
「私もきゅんとなった」
「ねえ、私にも取り分けて~」
私も、私も、とねだられて、真理は全員の分をサーブすることになってしまった。
「はい、どうぞ召し上がれ」
取り皿を渡すたびに、きゃあきゃあ言われる。
一体、これはどうしたことだ。真理にはさっぱりわからない。
しかし、一番わからないという顔をしていたのは、武田だろう。
「なんなんだ、これは何の現象なんだ……」
呆然とした顔で呟いている。
その膝は、さっき零したビールで濡れている。
「まったく、しょうの無い奴だな」
見かねて、真理がおしぼりで拭いてやると、
「なんだなんだ、俺のこともきゅんきゅんさせる気かーっ!」
とうとう武田が喚きだし、一方、女の子たちは再びきゃあと歓声を上げる。
久し振りの合コンは、真理を戸惑わせるばかりだった。
賑やかなノリは久し振りで、確かに楽しい。だけど、座敷わらしとのゆったりのんびりした生活に慣れてしまったのか、真理は疲れてしょうがない。
途中、トイレに避難したのは、ひと息入れたくなったためだ。
しかし、あんまり長い時間、席を外すわけにもいかない。
さて、戻るかと、真理は洗面所のドアを開けた。
そんな真理を待ち構えるように、狭い廊下に里奈が立っていた。




