7話
自身の変化に無頓着な真理は、周囲の変化にも鈍感なところがある。それがとても小さな変化なら、なおの事、気がつかない。
真理のアパートの近くに一台だけある当たり付き自動販売機。お金を入れるとピコピコとルーレットが回るそれが、最近やたらと当たるのだが、特に不思議だとは思ってもいなかった。
この日も、大学に行く前に一本買ったら、当たりが出たのでもう一本選べと機械が言う。
自分が飲みたいものはもう既に買っているので、「もう一本」と言われても、ちょっと有難迷惑だったりする。
こんなとき、当たりのもう一本は武田にあげることにしている。
だから、この日も真理は、午前中、いつも眠そうにしている武田のために、缶コーヒーのボタンを押したのだった。
大学に着くと案の定、武田は朝から大あくびで、今にも机に突っ伏しそうだ。
ゆらゆらと揺れる、不安定な頭の上に真理は缶コーヒーを乗せた。
「ほらよ、眠気覚ましだ」
「……え!? わっわっわっ」
慌てて缶をキャッチした武田は、目をしばたたかせてしばらく何がなんだかわからないようだった。ようやく掌の中の物を缶コーヒーだと認識すると、少し驚いたような顔になった。
「なんだ、また当たったのか。最近、多くないか?」
武田に言われて、真理はようやく「言われてみればそうだな」と思う程度だ。
「おまえ、最近、ツイてるんじゃね?」
「ツイてるかな?」
「ツイてるだろう。普通はこんなに当らないって。運が向いてるときは、宝くじを買っとくといいぞ」
したり顔でアドバイスをして、武田は礼も言わずに缶コーヒーをごくごくと飲み干した。
武田の言うことを真に受けたわけではない。だけど、スーパーの入口の脇にある宝くじ売り場が、今日はやけに気になって仕方がない。
普段は気にも留めないのだが……。
――宝くじか……。買ってみるか。
真理は数字を選べるタイプのくじを、一口買った。面倒くさいので、数字はコンピューターに選んでもらう。
――ま、そんな簡単に当たるわけないけどな。
『一等賞金、四億円!』、でかでかと書かれたのぼりを見て、真理は自嘲気味に笑った。
もともと射幸心のない方だ。自分にとって、多分これが人生最初で最後の宝くじとなるだろう、と真理は思っていた。
しかし、この日は余程くじに縁があったらしい。
真理は再び、くじに挑もうとしていた。
真理の通うスーパーが創業祭だとかで、『レシートの金額に応じて福引きが引けますキャンペーン』をやっていたのだ。
スーパーの一角の福引き会場は、買い物を終えた客で大いに賑わっている。その中に、買い物を終えた真理も交じっていた。
くじは昔懐かしい、ガラガラポンのタイプだ。
真理の前に並んでいた主婦が、ガラガラガラと五回ハンドルを回す。コロコロコロと白い玉が五つ、転がった。
「あー、残念。全部、参加賞のポケットティッシュです」
主婦は不満顔だったが、後ろに並んでいた真理の感想は「まあ、そんなもんだろう」だ。でかでかと『一等賞品、箱根高級温泉旅館 ペア宿泊券』と貼り出してあるが、そう簡単に一等など出るわけがない。
「はい、お次の方、どうぞ」
真理の番となり、レシートを渡す。派手なはっぴを着た店員に「一回分ですね」と言われ、真理はハンドルを一回、回した。
ガラガラガラ。
コロリと転がり落ちた小さな玉は、ブロンズ色に輝いている。
一同、一瞬、それを凝視した。
「大当たり~! 三等賞で~す!」
横にいた若い店員が、一拍遅れて、勢いよく鐘を鳴らす。それが店中に響き渡って「なんだ、なんだ」と、あっという間に人だかりができた。
真理は突然のことに何が何やらわからないまま、人だかりの中心地点にされてしまった。
「お兄さん、何が当たったの?」
お婆さんに聞かれるが、「さあ、なんでしょう」と言うよりほかにない。
「何が当たったんだって?」
「まだわからないらしいわよ」
伝言ゲームのように伝わっていくにつれ、期待値ばかりが上がっていく。
今や大勢の人間が、固唾を飲んで見守っていた。真理が当てた商品は何なのか、と。
そんな中、しばらくごそごそとテーブルの下を漁っていた店員が、茶色の物体を手に立ち上がった。
「おめでとうございま~す。三等商品、くまのぬいぐるみで~す」
店員の間抜けな声が響き渡った瞬間、真理だけでなく、そこにいた客全員が「はあ?」と声を揃えていた。
「えっと……、ぬいぐるみですか? くまの?」
「はい、そうですよ。そこに書いてあるでしょう?」
店員の言った通り、確かに貼り紙には書いてあった。
一等は箱根、二等はこのスーパーの三万円分の買物券。その下に小さく、『三等商品、くまのぬいぐるみ』と。
「二等と三等に差をつけ過ぎだろ」
スーパーからの帰り道、真理の愚痴は止まらない。
「しかも、袋にも入れてくれないで。いい年をした男が、何が悲しくてぬいぐるみなんか持って歩かなきゃなんないんだ」
くまのぬいぐるみはビニールにも入っていない、むき出しの状態だ。それを小脇に抱えて歩くのは、ちょっとした羞恥プレイだった。
先程からすれ違う人が、チラチラと真理を見て行く。その視線が痛い。
「それに、なんだよ、この安っぽさ」
ぬいぐるみは凹凸の無い丸い顔にフエルトの目、鼻、口がついてるだけの簡素さで、まるでお母さんの手作りのような出来だった。
「まったくこんなもん、押しつけられていい迷惑だ」
ぶつぶつ言ってる間に、真理は部屋に辿り着いていた。
「ただいまー」
この時点ではまだ不機嫌さが残っていたが、中から聞こえるトテトテトテという足音に気持ちが凪いでいくのが自分でもわかった。
自然と顔は綻ぶし、あの小さな体を受け止めるために自然と足を踏ん張っている。これは、もはや習慣だった。
しかし、座敷わらしはいつものように飛びついてはこなかった。直前で急ブレーキをかけて、真理の脇を、いや、くまのぬいぐるみをじっと見つめている。
「ん? これか? スーパーの福引きでさ――」
こんなものが当たっちゃって困ったよ、と言おうとして、真理は言葉に詰まってしまった。
座敷わらしの瞳の中に、星が三つも四つも瞬いている。
ぬいぐるみをひょいと持ち上げると、その瞳がつられてついてくる。右に動かしたら右に、左にやったら左に。
真理はポリポリと顎を掻いた。
「えーと……、もしかして、これ、欲しいのか?」
「くれるの? いいの?」
「こんなものでいいなら――」
「わーい、わーい」
座敷わらしは真理からぬいぐるみを奪い取ると、ぎゅうぎゅうと抱きしめた。
「ありがと、真理。すごーくすごーくすごーくうれしい」
――本当にこんなものをもらって、嬉しいのか……?
座敷わらしのほっぺに押しつけられて、潰れかかったくまの顔は益々不細工になっている。
――こんな、可愛くもなんともない、くまなのに?
真理には不思議で仕方ない。
しかし、座敷わらしの喜びようは相当なもので、今にも踊りだしそうなくらいだ。
これはただの景品で、プレゼントとして用意したものでもなんでもないのに。
そう考えると、真理の心がちょっぴり痛む。
こんなに喜ぶのなら、もっと早くに何か買ってやればよかったと、後悔の念が押し寄せてくる。
考えてみれば、田舎にいた頃はおもちゃの山に囲まれて暮らしていた座敷わらしだ。
真理のワンルームでは、昼間、寂しい思いをしていたのかもしれない。
「なあ、わらし、だったら俺がもっといいものを――」
買って来てやるよ、と言い終える前に、座敷わらしはトテトテトテと再び部屋に戻って行ってしまう。
「松子ちゃんと対面させてあげなくちゃ」
市松人形を引っ張り出して、座敷わらしはまるでお見合いでもさせるかのようにくまのぬいぐるみと正対させる。
「松子ちゃん、こちらクマゴロウさんです。クマゴロウさん、こちら松子ちゃんです。どうぞ、よろしく。こちらこそ、よろしく」
くまのぬいぐるみの名前は、クマゴロウに決定らしい。
一人で全役こなす座敷わらしは、ことのほか楽しそだった。
その姿を見ていたら、真理まで楽しくなってくる。
――まあ、いっか。わらしが気に入ったのなら、それで。
真理は自分がまだ玄関先で突っ立ったままだということに気付き、靴を脱いだ。
松子とクマゴロウはまだ「いえ、いえ、こちらこそ」と、ペコペコ頭を下げあっている。
「どうだ? 二人は仲良くやれそうか?」
座敷わらしはにっこり笑った。
「うん、だいじょぶ。松子ちゃんは新人いびりをしないから」
「まーたおまえは、どこでそんな言葉を覚えるんだか……」
真理は呆れながらも、笑ってしまう。
そして、一等でも二等でもなく、三等賞をもらって良かったなと心の中で思ったのだった。