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きみは小さな居候  作者: むめみつき梅
わらしとカッパと夏の空
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11話

 その日、真理はいつものように武田家に行き、いつものように朱鷺也に勉強を教えた。

 しかし、武田家の様子は明らかにいつもと違っていた。

 家全体がそわそわしていて、バタバタしていて、そして……。


「なあ……、なんで今日は誰も部屋に押しかけてこないんだ?」

 この家の下の子たちにはプライバシーという概念がないのか、兄の部屋でもお構いなしにズカズカと上がりこんでくる。

 それが、この日に限っては、いつになっても現れないのだ。

 父親と長男の不在は、いつものこと。

 末っ子の折鶴は真理と入れ替わりに友達の家に遊びに行ってしまったので、それはいい。

 しかし、双子が朝から顔も見せないのはどうしたことか。

 双子の部屋からは、ドッタンバッタンとなにやら騒がしい音が聞こえてくるというのに。

 真理は気になって、気になって仕方がなかった。

 邪魔が入らない分、朱鷺也は真面目に勉強に取り組んでくれている。

 家庭教師としては喜ぶべきことなのだろうが、真理の方の集中力が切れてしまっているのでどうしようもない。

 それで、思い切って双子たちの兄である朱鷺也に「彼らは何をしているのか」と訊ねてみたのだが……。

「ああ、なんかね、ひたきの男友達が家に来るとかで、今、家中が大騒ぎなんスよ」

 ノートから顔も上げずに答える朱鷺也は、ただただ面倒くさいと言わんばかりだった。

 

 まだこの家族と知り合って日は浅いが、それでも、ひたきがどんな少年か、真理はよくわかっているつもりだ。

 いつも双子の姉のつぐみの後ろをついて歩いて、遊びに行くのも、つぐみとその女友達とがほとんだという。

 いじめられていないのは、つぐみの強力なガードがあればこそだ。

 そのひたきに、男の友達ができたというのだ。

「ああ、それって、この前の昼飯のときに問題になった、柴山って子のことか? いじめられてるんじゃないかって、つぐみちゃんが心配してたよなあ。なあ、大丈夫なのか? なあ、なあ」

 遺伝的なつながりはないが、真理は半分兄のような気分になっているのかもしれない。

 ひたきのことが心配で、朱鷺也のペンを持つ手をゆさゆさと揺すってしまう。

 アルファベットの小文字のnがぐにゃりと曲がったところで、朱鷺也はようやく顔を上げた。

「先生もうちの連中と同じだな。皆、大袈裟なんスよ。ひたきの友達が来るー、大変だーって。それで今はおふくろの命令で大掃除中。朝からドタバタやったところで、今更無駄だっつーのに」

 朱鷺也はそう言うが、真理にはお母さんの気持ちもよくわかる。

「そうは言うけどさ、ひたきくんははこれまで一度も男友達を家に連れて来たことがないんだろう? だったら、この記念すべき日を万全の体制で迎えてやりたいって思うのが親心じゃないか」

「ひたきのためを思うなら、普通にしてやった方がいいんだって」

 ひたきのためだ、いや、それはかえってためにならない。

 何故、こんなことで二人が言い争わなければならないのか。

 エキサイトしてきた本人たちには、わからない。

 そこへ、ドスドスドスという足音と共に、文字通り水を差しに来たのは武田家の母だった。

「ごめんなさいねえ、冷たいものも出さずに」

 ノックがないのは相変わらず。

 ただいつもと違ったのは、お盆の上のグラスの中身が麦茶ではなく、炭酸のジュースだったこと。

 ――あっ、氷も入ってる。

 しゅわしゅわと弾ける炭酸の中で、氷がカランと涼しげな音を立てた。

 このサービスは、ひたきの友達のために用意されたものだろう。

 ――母の愛ってやつだよなあ。

 真理はひっそりと笑みを浮かべた。

 この家ではおよそ見たことがない、ストローが添えられているのがまた微笑ましかった。

 しかし、このジュースが真理の喉を潤すことはなかった。

 続いて、ドタバタと部屋に入ってきた、つぐみが「あー、あっちぃ、あっちぃ」と手でパタパタ仰ぎながら、真理のジュースをひと息に飲み干してしまったからだ。

「ぷはー、生き返るー」

 彼女はストローも使わずに、ぐびぐびと喉を鳴らした。

 飲み屋に立ち寄った仕事帰りのサラリーマンのような我が娘に、母も呆れ顔だ。

「あんた、掃除はもう終わったんでしょうね」

 部屋掃除の厳命は、この母親から出されたものだ。

 当然、ひと仕事終わったから休憩してるんでしょうね、と念を押す母に、つぐみが「終わったよ」とぶっきらぼうに答える。

「部屋は片づいたから、もう出てって欲しいって、ひたきに言われた」

 つぐみは母と違って、ひたきの友達を歓迎してない。

 ひたきが独り立ちしそうで、焦っているのかもしれない。

 大事な弟が取られてしまうと嫉妬しているのかもしれない。

 はたまた弟に変な輩が近づいて来たのではないかという、純粋な警戒心なのかもしれない。

 つぐみ自身、よくわかっていない感情を持て余し、不安で、イライラが募っていた。

「今日一日は我慢して、お兄ちゃんの部屋にいなさい。ひたきが折角お友達を連れて来るんだから、ちょっとは協力しなさい」

 だから、母に諌められても、つぐみの態度は不貞腐れたまま。

 その唇からは、八つ当たりの言葉しか出てこない。

「ふん、部屋は綺麗になったんだから、あとはお母さんだけじゃない? お母さんもお化粧くらいしなよ。よその家のお母さんは普段からお化粧してるよ」

「そう? ……そうね、お化粧くらいした方がいいわね」

 来たときと同じようにドスドスと音を立てて、母は階段を下りていってしまった。

「お母さーん、厚化粧はダメだよー、ナチュラルメイクだよー!」

 つぐみの最後の一言は、母に届いたかどうかはわからないが、とにかく、口やかましい母親がいなくなって、静けさを取り戻した部屋に、朱鷺也のため息がやけに大きく響いた。

「おまえなあ……おふくろに変なこと言うなよ」

 兄は母のことをよく知っている。

 こんなときは張り切り過ぎて、とんでもない厚化粧になるということを。

 しかし、つぐみは兄のことなど完全に無視していた。

「先生!」

 まるでこの部屋には真理と自分しかいないかのような顔で、彼女は真理の手を握る。

「は、はいっ!」

 真理は反射的に、背筋をしゃんと伸ばした。

 つぐみの真剣な面持ちに、気圧されたような格好だ。

「鷹にぃはバイトでいないし、朱鷺にぃは当てになんないし。頼れるのは先生しかいないの!」

「え……、頼るって……」

「今日、ひたきのところに柴山っていう奴が来るから、そいつにちょっと睨みをきかせるだけでいいの。簡単でしょ?」

「睨みって……?」

「ひたきのバックには怖い大人がついてるんだって、思わせたいの」

 どこからどう見ても優男の真理に、そんな役回りをこなせるのか、という疑問がまず浮かぶ。

 しかし、それ以前に、ひたきに折角友達ができたというのに、それをぶち壊すようなことをするのは、まずいのではないかと思うのだ。

 真理が難色を示すと、つぐみはピシリと人差し指を突き立てた。

「いい、先生? 柴山ってサッカー部の人気者なの。クラスの中心。女子からもモテモテ。そんな奴がひたきと友達になるなんて、絶対おかしいの! 裏があるに決まってるの!」

 話を聞いているうちに、真理の中で柴山のイメージが形を成していく。

 まず、茶髪でチャラチャラしているに違いない。

 スポーツをやっているだけあって、体つきはがっしりしていて……。

 その点、ひたきは小柄で痩せていて……。 

 休み時間、教室の後ろで彼に小突き回される、ひたきの姿が目に浮かぶ。

 自分の想像に、自分で腹を立て、不快になった。

「そんなに悪い奴なのか……、その柴山ってのは」

 真理が握り拳を作って聞けば、「うーん……」と、つぐみの歯切れが悪い。

「周りの評判は……いいんだよねえ。優しいとか、面倒見がいいとか、いい話しか聞かないし……」

「えー、それじゃあ、心配することなんてないじゃないか」

 先程作ったばかりの真理の中の柴山像が、音を立てて崩れていく。

「でもでもっ、そんなの表の顔かもしれないじゃん。だいたい、夏休みに入って急に家に遊びに来るって不自然だよ。夏休みの宿題をどっさり持って来て、『これ全部やっとけよ』って言いに来るとしか思えないよ」

 すっかり瓦礫と化した柴山像を、つぐみはせっせと組み立て直す。

「そうだなあ……、宿題やっとけとか言われたら、ひたきくん、断れなさそうだよなあ……」

「でしょ、でしょ。心配でしょ?」

「う~ん……、一応、どんな子なのか、確認はしておきたいよなあ」

「わあっ! 先生、やっぱり頼りになるう!」

 ぎゅうっと抱きつかれて、あれ? 上手い具合に丸め込まれたかな? と思わないでもない。

 つぐみを首にぶら下げながら、そっと朱鷺也の方を窺えば、彼はやれやれ、とため息を吐いただけだった。


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