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きみは小さな居候  作者: むめみつき梅
わらしとカッパと夏の空
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6話

 バスタブにそっと男を下ろし、真理はシャワーに手をかけた。

 そこで暫しフリーズしてしまったのは、男の服を濡らしてしまっていいのだろうか、と今更なことを考えてしまったからだ。

 ――じゃあ、服を脱がすか? いやいや、そっちの方が抵抗あるって。

 悩んだ末に、シャワーをあてがったのは、男のくるぶし辺り。

 戯れ程度にピチャピチャと、骨ばったくるぶしを濡らすにとどめたのだが、それでも男の体には劇的な変化が表れた。

 萎れた菜っ葉が、みずみずしい新鮮野菜に早変わりしたかのような、それくらいの変化だった。

 彼が水をぐんぐんと吸収しているのが、ひと目でわかる。

 元々日焼けしない性質なのか、生っ白い顔に変わりはないが、肌がピッチピチになっていたのだ。

 正直に言えば、カア吉の言うことに、真理は半信半疑だった。

 しかし、現実を目の当たりにして、信じないわけにはもういかない。

 確かに、彼には水が必要だ。

 真理は、今度は思い切って男の肩口へとシャワーヘッドを持っていった。

 すると、男の薄い唇が微かに動き……。

 聞こえてきたのは、なんともいえない、気持ちよさそうな吐息だった。

「ふぃ~」

 瞼は閉じられたままだが、その口元には薄っすらと笑みが浮かんでいる。

 ――気持ち……いいのか?

 気持ちがいいのなら、もう遠慮はいらない。

 服が濡れても構わないだろう。

 真理はためらいを捨て、男の上半身に思いっきり水を浴びせ続けた。

 その間、男は心地よさそうにシャワーに打たれていた。


 ズリ、ズリと男が体を動かし始めたのは、それからしばらく経って、男のみぞおち辺りまで水が溜まり始めた頃だった。

 ズリズリと体をずらして、それから、尻を滑らせて、男は自分の体をシャワーヘッドの真下へと導いていく。

 どうやら、頭のてっぺんで水を受けたかったようだ。

 その姿は、さながら滝に打たれる修行僧。

 しかし、これが決して苦行でないことは、その表情が物語っている。

「ふぃ~、気持ちいい~、皿が潤う~、生き返る~」

 幸せそうに呟いて、男はパチリと目を開けた。

 部屋で呼びかけたときはまだ意識が薄ぼんやりとしていた彼が、今、初めてしっかりと目を見開いた。

 その証拠に、はしばみ色の瞳には真理の姿がくっきりと映りこんでいる。

「あ、どうも」

 他に何と声をかければいいのかわからなくて、真理はなんとも間抜けな挨拶をしてしまった。

 しかし、返ってきたのは――

「きゃーー!」

 耳をつんざくような悲鳴だった。

 いい年をした男が両手で顔を覆って、少女のように甲高い悲鳴を上げている。

 真理は思わずシャワーを取り落しそうになってしまった。

「あ、いや、あのぅ……?」

 まごつく真理に、二度、三度と悲鳴が浴びせかけられる。

 しかも……。

「きゃー、きゃー、死神ーっ!」

「え? 死神って……」

 さっき否定した筈なのに、男はまた真理を死神と間違えていた。

 というのも、本人的は、長い夢からたった今、覚醒したばかり、という気でいるからだった。

「夢だと思ってたのに~! 夢じゃなかった~! じゃあ、じゃあ、、座敷わらしを見たと思ったのは? 座敷わらしを見たのに幸せになるどころか、死んでしまうなんて……。そんな話、聞いたことがない! じゃあ、じゃあ、座敷わらしを見たと思ったのは夢? 死神は夢じゃないのに? そんな~!」

 死神などという不吉なものと間違えられるのは、あまりいい気分ではない。

「いや、だから、それは違うって、さっき……」

 真理がいくら否定しようにも、男は顔を手で覆ったまま、泣いて嘆いて、聞く耳を持たない。

「カッパの魂を奪って楽しいですか~! 絶滅危惧種なんですよ~! ああ、こんなことになるなんて~! それもこれも全部あの迷惑な隣人のせいだ~!」

 彼には、自分がカッパだとカミングアウトした自覚はなさそうだった。

 真理も真理で、そんなことよりも、矛先が自分に向けられたことの方に、衝撃を受けていた。

「ああ、もう! あの迷惑な隣人が朝早くからベランダにカラスを集めたりするからですよ~! あんまりうるさいから窓を閉め切りにしなくてはならなくなったんですよ! 昨日からエアコンが壊れてたっていうのに……」

 閉めきりの部屋の中、温度がグングンと上昇した。

 次第に頭がクラクラしてきて、そのうち体が動かせなくなってしまった、ということのようだった。

「私はこのまま死ぬんですね! ああ、修理の人が明日にならないと来れないなんて、むごいことを言わなければ……。いいえ、いいえ、やっぱり隣が悪いんですよ。きっとベランダにゴミを溜め込んでるんですよ! だから、カラスが集まってくるんですよ! ああ、こんなことになるんだったら、管理会社に言って、注意しておいてもらえばよかった!」

 ――うわ……。そんな風に思われてたんだ……。

 普段から、目も合わさないような間柄だ。

 よく思われてないとは思っていたが、ここまで迷惑がられていたとは……。

 誰とでも、そこそこ上手くやっていけると自負していた真理としては、かなりショックだった。

 とは言え、いつまでも打ちのめされてはいられない。

 男がひとしきり喚きちらし、肩で息を吐いた隙を見計らい、真理は自分の正体を明かした。

「あのう……、俺、死神なんかじゃないですよ。隣の柳田です……」

「え? ……トナリノヤナダ?」

 指と指の隙間から、はしばみ色の瞳が覗く。

 その瞳が一回、パチクリと瞬きをした。

「はい。あなたが倒れてたから心配で……、勝手に入って来ちゃったんですけど……」

「あ……、本当だ! 死神……じゃない!」

 真理の顔をまじまじと見て、男はようやく真理を隣人と認識してくれたようだった。

 しかし、新たな疑問が湧いたようで、「でも、どうしてここに? どこから入ってきたんですか?」と聞かれてしまう。

 ――そうか、やっぱりそこに疑問を持つか。

 真理は出しっ放しにしていたシャワーの水を止めながら、内心で頭を抱えた。

 できれば、その部分はサラッと聞き流してほしかった。

 カラスのことや、座敷わらしのことなど、一から話すのは骨が折れる。

「えーと、あのう、そのう、ベランダから……っていうか、カラスがですね……」

 もごもごと答える真理を遮るように、男は「ああ、カラス!」と、パチンと手を打った。

「カラスがうるさくて、それで心配になって、ベランダを乗り越えて様子を見に来てくれたということですか? もしかして、カラスが集まってたのは私が死にかけていたからだったんでしょうか。奴らは、死肉に群がりますからね。昨日、エアコンが壊れた時点で、私には死相が出ていたのかもしれません。あなたのせいだなんて言って、申し訳ない!」

 男はそう言うと、顔が水につか部のもいとわず、深々と頭を下げた。

「うわ、どうか顔を上げてください!」

 真理が言わなければ、いつまでも水の中でゴボゴボしていたに違いない。

 カッパなら平気なもかもしれないが、真理としては気が気ではなかった。

 それに、カラスが集まっていた理由はやはり真理にあるので、「申し訳ない」なんて言われると、かえって恐縮してしまう。

「俺は別に大したことしてませんから!」

「そんなことないですよ!」

 水しぶきを真理に撒き散らしながら、男は勢いよく顔を上げた。 

「全部あなたのおかげです。おかげで皿も潤いました。あのまま部屋で倒れていたら、皿がカッピカピに干からびてしまうところでしたよ~」

 男は「いやあ、参った、参った」と、頭のてっぺんを濡れた手でペチペチと叩いた。

 そして、もう一回、ペチ、と叩いてから、そこでピキーンと固まった。

 真理が「え?」と思う間もなく、男は再び女の子のような悲鳴を上げた。

「きゃーー!」

 今度は両手で頭のてっぺんを覆いながら、ブクブクブクとバスタブの中に沈んでいく。

「ちょっ……、どうしたんですか」

 真理の呼びかけにも、男はワニのように目までしか出さない。

 しかも、頭は両手で隠したままだ。

「ちょっと、ほんと、どうしたんですか、急に」

 男の返事は水の中で、ブクブクボコボコと泡となって消えていってしまう。

「いや、だから、何言ってるかわかんないですって」

 すると、ようやく男はザッバーンと水から出てきた。

 ただし、頭を両手で隠したままだ。

 それを見て、真理はハッとした。

 すっかり忘れていた。

 部屋に置き去りにしてきた、黒い、フサフサの塊のことを。

「あっ! えーと、あの……、頭頂部にあった、あの、あれはですね」

 はっきりカツラと言いづらくて、真理はごにょごにょと言葉を濁した。

「あれは偶然取れてしまって……。あなたを風呂場に運ぼうとして、手がこう、ズルッと……。決してわざとやったわけではなく……」

 言葉をいくら費やしても、気まずさは拭えない。

 しかし、男が血相を変えていたのは、またちょっと違う理由だった。

「あなた! この皿を見たでしょう? わ、私がカッパだって、もうわかってるんでしょう? 私をどうする気ですか! 見世物小屋にでも売る気ですかっ!」

 頭のてっぺんに毛がないことが、カッパであることの決定的証拠だとでもいうような口ぶりだ。

 パッと見、ちょっと頭髪の薄い、普通の人間にしか見えないのだから、黙っていれば正体がバレなかったということには気づいていないようだった。

「見世物小屋って……。そんなもの、今どきありませんよ」

 別にあったとしても、そんなところに売っ払う気など、もちろんない。

「じゃあ、じゃあ、研究所で解剖するつもりですかっ!」

「俺、文系なんで」

 もちろん、理系だったとしても解剖なんてしたいとも思わなかったろう。

「倒れてたあなたを助けようと思って来ただけですよ」

「本当に……?」

 真意を窺うような上目づかいに、真理は笑って頷いた。

「そんなに元気になったのなら、もう大丈夫ですね。俺、帰りますよ」

 追いすがるような視線を感じて、真理は脱衣所に出る前に振り返った。

「あなたがカッパだってこと、言いふらすつもりはありませんから、どうぞご心配なく」

 そう言い置いて、真理はそそくさと風呂場を後にした。

 そうしなければ、風呂場に響く「あなたは命の恩人です~! このご恩は一生忘れません!」などという大袈裟で気恥ずかしい感謝の言葉をずっと聞かされることになるからだ。

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