2話
つけっ放しのテレビから聞こえてくるのは、真理をげんなりさせるニュースばかり。
熱中症で何人が救急車で運ばれたとか、今日で何日連続の真夏日だとか。
今年の夏がどれほど暑いかなんて、アナウンサーに教えてもらうまでもない。
真理は寝転がったまま、リモコンでテレビをオフにした。
今日から夏休みで良かった。
家庭教師のアルバイトも、明後日からにしておいて正解だった。
真理はつくづくそう思った。
とにかく暑くて、だるくて、敵わない。
子供が地面に落っことした、棒アイスにでもなったような気分だった。
それというのも窓が全開で、せっかくのクーラーの冷気が全部外に漏れてしまっているせいだ。
真理は寝そべったまま反転し、ベランダに向かって文句を言った。
「わらしー、ベランダに出るなら窓をちゃんと閉めとけよー」
座敷わらしという生き物は便利なもので、暑さ寒さを感じないのだという。
そのため、冬用のモコモコカーディガンを脱がすのに、春先、真理は大層苦労した。
お気に入りの服を脱ぎたくないという気持ちはよくわかるが、見てるだけで暑苦しい。
真理がなだめすかして、ようやく半袖の赤いワンピース姿になったのだった。
そんなわらしには、窓を開けたら閉めるという概念がそもそもないのだろう。
「でも、真理、カラスが待ってるよ?」
全くわかってない顔で、わらしは、おいでおいでと手招きをしている。
わらしの背後では、セミと競い合うかのようにカラスがやかましく鳴いている。
この騒々しさもまた、真理の体感温度を上げるのに一役買っているのだった。
「今日は帰ってもらってくれ」
とてもじゃないが、今日はカラスにつき合う気力がない。
真理が断ると、「旦那、それはないですよ」と、わらしの後ろからカラスのカア吉が顔をひょっこり覗かせた。
「みんな、こうして待ってるんですから。ベランダに出てきてくださいよう」
彼は真理と唯一、言葉が通じるカラスだ。
それがカラスの間で知れ渡り、自分の言葉もわかってもらえるのではないかと期待したカラスたちが、我も我もと押しかけてくるようになったのだ。
しかし、他のカラスの言葉は何故か、聞き取ることができなかった。
顔を認識できるのも、このカア吉だけだ。
何度もそう言っているのだが、試すだけでも試してほしいと、真理のベランダを訪れるカラスは後を絶えない。
仕方がないので、一日五羽ずつならという条件で、カラスがベランダに集うのを許したのだが……。
いつもは黙って手摺りにとまり、大人しく順番を待っているカラスたちが、今日はやけに騒がしい。
鳴くな、騒ぐな、フンするな、というルールが、引率役のカア吉によって徹底されている筈なのに。
「今日はやけにうるさいじゃないか。近所迷惑になるなら、帰ってもらうルールだったよな」
本当は暑くてだるいからなのに、騒々しいカラスたちのせいにして、真理はごろりとベランダに背を向けた。
「ああっ、旦那!」
カア吉の情けない声にも真理は知らん顔で、寝たふりを決めこんだ。
カア吉は暫くの間、「旦那、旦那」と呼びかけていたが、いつまで経っても起き上がらない真理に諦めたのか、今度は他のカラスたちの方へ向き直った。
「ほら、見なさい。あなた方がルールを守らないから。旦那が不機嫌になってしまったじゃないですカア。大体あなた方、隣の隣の駅のカラスは自分勝手過ぎますよ!」
カア吉のお小言を背中越しに聞いていた真理は「むむ?」と片眉をはね上げた。
――隣の隣の駅のカラスだって!?
この街のカラスとは、ひと通り面通しをしただろうと思っても、翌日にはまたベランダに順番待ちのカラスがいる。
この街には一体何羽のカラスがいるのかと、少々不審に思っていたところだった。
まさかそんな遠方まで真理の噂が広がっていたとは、思いもよらないことだった。
そして、どうやらその遠方のカラスたちに、カア吉はかなり手を焼いているようだった。
「ルールを守ってくださいと、私、言いましたよね。……は? そんなルール、誰が決めた、ですって? もちろん、私ですよ」
真理にはカア吉の言葉しか聞き取れないが、カア吉が猛反論を食らっているくらいのことはわかる。
カアカアと一斉砲火を浴びているが、それくらいで怯むカア吉ではない。
「私は旦那に『おまえは俺の右腕だ』と言われたカラスですよ」
――いや、言ってない、言ってない。
「旦那はこのベランダの治安を、この黒い翼に託されたのですよ」
カア
「今、『仕切りたがり屋』と言ったのは誰です?」
カア、カア、カア
「は? 『おまえだって、カアカアうるさいぞ』ですって?」
――確かにな。こうして怒鳴り散らしている時点で、カア吉も立派に近所迷惑だ。
カラスたちのやり取りに耳を澄ましていた真理は、思わず苦笑してしまった。
しかし、余裕でいられたのもここまでだった。
「私が近所迷惑ですって? 一日に五羽までというルールを無視して、10羽で押しかけてきた、あなた方こそ、近所迷惑です!」
――なにっ!? 十羽!?
真理は、ぎょっとして飛び起きた。
「それに、隣のベランダにまではみ出したらダメだと、私、言いましたよね。お隣から苦情が来たら、困るのは旦那なんですよ」
――おいおいおいおい。
ゴロ寝などしている場合ではなかった。
「は? 何が『大丈夫』なんですか。え? 『隣の住人は』、『ぐっすり寝てる』ですって? どうしてそんなことがわかるんです? 窓は閉まってるけど、カーテンが空いてるから部屋の中が見えると、そういうわけですカア?」
カア吉はそう言って、慌ててベランダに出てきた真理に「だそうですよ?」と付け足した。
「いやいや、そういう問題じゃないんだって!」
真理はかぶりを振った。
ほとんど挨拶もしたことがない隣人は、見たところ、二十代か三十代。
痩せぎすの、いかにも神経質そうで、いかにも気難しそうな風貌の男だ。
ご近所で一番気を遣わなければならない人物なのだ。
「この境界線からそっちには入ったら、ダメだって!」
慌てる真理とは裏腹に、カラスたちはどこ吹く風だ。
「でも、床でうつ伏せで寝て、ピクリともしない、と言ってますよ?」
代弁するカア吉にも、あまり切迫感はない。
しかし、それも、わらしが口を挟むまでのこと。
「ふうん、死んじゃってるみたいだね」
わらしはいつだって、深く考えずにものを言う。
だから、真理はいつものように笑い飛ばした。
「ははは、そんなバカな」
カア吉も一緒になってカカカと笑い……、次の瞬間、真理とカア吉は顔を見合わせ、同時に叫んだ。
「死んでる、だって!? そんなまさか!?」




