19話
「なんだ、遊びに来てたのか」
予期せぬ来客にも、真理は落ち着いたものだった。
わらしにカラス以外の遊び相手ができるのは、歓迎すべきことだからだ。
それがたとえ生意気な男わらしであったとしても、だ。
彼がベランダにいる分には、何の問題もないのだから。
「よかったな、わらし。遊び相手ができて」
しかし、真理の言葉を、男わらしは真っ赤な顔で否定する。
「遊びに来たわけじゃないぞ。な、な、なんで、俺様がこんなチビ助と遊ばなきゃならないんだ!」
男わらしが憤慨するのは、自分の方が年長者だと考えているからだ。
確かに、身長では開きがあるが、中身は大して変わらないと、真理は思うのだが……。
冗談じゃない、と男わらしは鼻息を荒くするが、じゃあ、何しに来たのかと問われると、途端に歯切れが悪くなる。
「お供えをだな、されるようになったから……その報告と、あと、あんたには……、その、なんだ……世話になったっていうか……、お節介を焼かれたっていうか……、だから、その……感謝っていうか……」
最後の方は、ごにょごにょ、もごもご。
ほとんど聞き取れなかった。
それでも、男わらしの気持ちは真理に充分に伝わった。
伝わったのに……。
「真理、聞こえたあ? 『感謝してる』って言ってたんだよ。その後にね、『ありがとー』って言ったの。『どうしても伝えたかった』んだって」
真理が聞こえなかったと思って、大きな声で、わざわざ伝えてくれるのは、きっとわらしの親切心だ。
だけど、人一倍照れ屋で恥ずかしがり屋な男わらしからしたら、堪ったものではない。
「俺様はそんなこと、言ってないぞ!」
素直じゃない男わらしは悪あがきをするが、それでは、わらしが嘘を言っていることになってしまう。
わらしも、自分は間違ってないと、一歩も引かなかった。
「言ったよ。わたち、ちゃんと聞いたもん」
「言ってない!」
「言ったもん!」
放っておいたら、この不毛な論争を一生やってそうな勢いだ。
冷蔵庫に買ってきた食材を詰めこみながら、真理は仕方なく、口を挟んだ。
「はいはい、わかった、わかった」
何も無理矢理お礼の言葉を言わせる必要などない。
もう充分、男わらしの気持ちは伝わっている。
「まあ、なんにせよ、お供えされるようになって良かったじゃないか。これで、食事の心配をしなくて済むもんな。ああ、でも、今夜は菅原先生、いないんだっけ?」
朝、出がけにパンを置いて来たと、菅原は言っていた。
けれど、それではあまりにも味気ない。
「そうだ。うちで晩メシ、食べてくか?」
単なる思いつきだったのだが、考えてみるに、なかなかいいアイデアに思えた。
テーブルをベランダとの境に置けば、男わらしが部屋に入ることなく、食事ができる。
多少窮屈だが、それなら問題ないと、真理は頭の中で算段していた。
しかし、男わらしは一瞬、嬉しそうな顔をしたくせに、それを隠すように、俯いてしまう。
「ま、前にも言ったように、俺様に親切にしたところで、あんたにはなんの利益もないんだからな!」
まだそんなことを気にするのか、と真理は驚いたが、すぐに「ああ、そうか」と思い直した。
――こいつは、ずっとこうして見返りを求められてきたんだな。
だから、何も返さなくていい、なんて言われると、どうしていいかわからなくなってしまうのだ。
「俺も前に言った筈だぞ。見返りなんて、求めてない、って。子供はそんなこと、気にしなくていいんだよ」
しかし、考え方を急に変えるのは難しいだろう。
それならそれで、繰り返し説いてやればいいだけのこと。
少なくとも真理に対しては、何かを返すなんてことを考えなくていいのだ、と。
「よし、じゃあ、決まりだな。今日の献立はロールキャベツだ。楽しみにしてろよ」
真理はこっそりと、ハンバーグの予定を変更した。
特売の合い挽き肉のパックは、二人前にしては多めだったが、三人前には少し足りない。
そこで、冷蔵庫の野菜室で見つけたキャベツで、ロールキャベツにすることを考えたのだ。
ロールキャベツなら、かさが増すし、レシピもハンバーグとほぼ一緒だ。
とはいえ、実はまだ一度も作ったことがない。
「えーと、レシピ、レシピ……」
まずは、スマホでレシピを検索するところから始めなければならなかった。
夕飯の献立に出たことがないということは、わらしも食べたことがないということだ。
「ロールキャベツ? なんだ、それは?」
だから、男わらしに聞かれても、わらしには答えることができない。
しかし、「知らない」とは言いたくなかったのかもしれない。
わらしは、ケロッとした顔で答えた。
「ロメインレタスの仲間だよ」
これにはさすがの真理も、全力でつっこみを入れざるを得ない。
「違うだろ! 最初の『ロ』しか合ってないだろ! つーか、おまえは……、そんな言葉をどこで覚えてくるんだ……」
呆れが半分、感心が半分。
しかし、わらしが意外なボキャブラリーの豊富さを見せつけるのは、これが初めてではない。
「まあ、いっか」
真理は笑った。
どんな料理かは、出来上がってからのお楽しみとすればいいのだ。
「出来上がるまで、遊んで待ってな」
真理はそう言って、クッションをひとつ、男わらしに向かって放り投げた。
「ほら。ベランダで使っていいぞ。今日からこれは、おまえ専用だ」
男わらしは、ふかふかのそれをキャッチすると、やはり一瞬、何か言いたそうな顔をした。
しかし、ただぎゅっと抱きしめただけで、今度は何も言わなかった。
その表情に隠された、男わらしの心の機微などというものが、わらしにわかる筈もなく……。
「ねえ、ねえ、何して遊ぶ?」
男わらしの着物の袖を、わらしは無邪気な顔で引っ張っている。
「じゃあ、お人形遊びする?」
何が『じゃあ』なのか。
男わらしが黙っているのをいいことに、わらしは勝手に話を進めてしまう。
「お、おい、ちょっと待て。なんだって俺様が人形遊びなんかしなけりゃならないんだ。それは女の子の遊びだろ!」
我に返った男わらしが、慌てて抗議しても、もう遅い。
そもそもわらしは、ひとの話など、これっぽっちも聞いちゃいないのだ。
「じゃあ、松子ちゃんを貸してあげるね。はい」
「おい、聞けよ! っていうか、どっちかって言ったら、男の俺様がそっちの熊を使う方が自然だろう。それに、なんだよ、この人形。薄気味悪いな!」
遊ぶ前から揉めだした二人に、真理はガス台の前から声をかけた。
「おーい、松子の悪口言っちゃダメだぞー。松子はちゃーんと聞いてるぞー」
「な、なんだよ。そんなこと言われたら、益々気味悪くなるじゃないか」
思わずパッと手を離してしまった男わらしに、わらしはもう一度、松子を押しつけた。
「クマゴロウはダメ。これは真理がわたちにくれたものなんだから、貸してあげられないよ。松子ちゃんだって、わたちの大事な宝物なんだからね? 特別に貸してあげてるんだからね?」
男わらしの口が、への字に曲がった。
「自慢かよ……」
すっかり拗ねてしまった男わらしは、やけになったように、松子を使って、人形遊びを始めた。
男の子らしい、少し乱暴なやり方で。
「よし、じゃあ、松子と熊で相撲の勝負だ」
はっけよーい、の声を合図に、松子をクマゴロウにグイグイ押しつけてきたと思ったら、おもむろにクマゴロウをむんずと掴み、そのままポーイと投げ捨ててしまった。
「すくい投げで、松子の勝ち!」
哀れなクマゴロウは、放物線を描いて、玄関前まで飛んで行ってしまった。
「あー、もー、何すんのー!」
慌てて、わらしが拾いに行くが、男わらしに反省の色は見えない。
「ふん。家に帰れば、俺様にだって、宝物くらいあるんだからな。ぬいぐるみみたいなつまらないものじゃあ、ないぞ」
男わらしは、エッヘンと、ひとつ、もったいつけるように咳払いした。
「俺様の宝物はな、なんと、けん玉だ」
どうだ、スゴイだろう、と言わんばかり。
なのに、わらしときたら、「けん玉なら、田舎の家にいたときに、わたちも持ってたよ。燃えちゃったけど」と、全く羨ましがらないのだ。
それが、男わらしを益々ムキにさせてしまう。
「その辺のけん玉と一緒にするなよ。俺様のけん玉はな、特別なんだ。惣一がくれた、特別なけん玉なんだからな」
それまで、台所で聞くとはなしに聞いていた真理の、玉ねぎをみじん切りにする手が思わず止まった。
「菅原先生がけん玉をくれたのか? いつ?」
最近は、夜にカップ麺を供えているとは聞いていたが、おもちゃまでとは聞いてなかった。
座敷わらしは、おもちゃで遊ぶのが大好きだ。
なのに、菅原の家には遊び道具がひとつもない。
真理には、それが気になっていた。
遊び道具をお供えしてあげてほしいと、言いたかったが、最初から、あれやれこれやれとうるさいと、面倒くさいと思われるかもしれない。
真理は、切り出す頃合いをはかっていた。
まさか菅原がそんなに気が回るとは、思ってもいなかったのだ。
いつの間に、そんな気の利いたことをしたのだろう。
純粋な興味から聞いてみたのだが、男わらしは何とも言えない寂しげな顔になってしまった。
「あの家が、もっと賑やかだった頃の話だ」
今は菅原しか住んでいない、あの家にもっとたくさん人が住んでいた頃……。
「……それって、菅原先生が子供だった頃ってことか? 先生は子供の頃、おまえと会ってるのか?」
身を乗り出してきた真理の目を見つめて、男わらしはしっかりと頷いた。




