18話
「やーなーだーく~ん」
前方から腕を振り振り、駆け寄って来る人がいる。
それ程混み合っているわけでもない大学の構内で、すれ違う学生と軽く肩をぶつけながら。
そのたびに、もじゃもじゃ頭がぺこりと下げられる。
再び「やーなーだーく~ん」と走り出すが、また誰かとぶつかって、ぺこり……。
真理の前に到着するのは、一体いつになることやら。
見かねて、真理はツカツカツカと自ら進んで歩み寄った。
「菅原先生、何やってるんですか」
詰問口調になったつもりはなかったが、言われた側の菅原は、困ったような顔で首をすくめた。
「いやあ……、この何日間か、きみのことをずっと探していたんだよ。ここのキャンパスは広過ぎるね。偶然バッタリ出会う確率なんて、ほぼないんだものなあ。連絡先を聞いておけばよかったと思っていた矢先に、きみを見つけたものだから、少々慌ててしまったよ」
菅原が鈍くさいのは生まれつきのような気もするが、そんなことより今は、彼が自分を探していたという事実の方が引っかかった。
「俺のことを探してた……? ずっと? ……まさか、何かあったんですか?」
真理の脳裏にとっさに浮かんだのは、男わらしの顔だった。
そもそも菅原と真理の間には、他になんの接点もないのだから、当然のことだろう。
「そう、そう、そうなんだよ!」
興奮気味の菅原に肘を引っ張られ、真理は空いていたベンチに座らされた。
面食らうばかりの真理にお構いなしに、菅原が一気にまくしたててくる。
「きみに言われたとおり、カップ麺をお供えしてみたんだよ。そうしたらね、次の日には、綺麗に中身がなくなっていたんだ! 食べたんだよ! 座敷わらしが! カップ麺を!」
――なんだ、何か問題が起きたわけじゃないんだな。
真理は、ひとまずそのことに安堵した。
それから、あつあつの麺を啜る、男わらしの姿を想像して、体の中からじわじわと暖かくなってくるような感覚に襲われた。
――そっかあ……、あいつ、喜んだだろうなあ。
意地っ張りで、素直じゃない男わらしのことだから、「ふん、別に」とそっぽを向くだろう。
しかし、それこそが彼流の喜びの表現なのだと、真理は既に知っている。
――そっか、そっか。
真理まで、なんだか嬉しくなってくる。
嬉しいのは、菅原も同じなようだった。
「空の容器を見て、実感がわいたよ。ああ、本当にいるんだなあって。……あっ、あの日、きみの話を信じると言った僕の言葉に嘘はないよ? 確かに、突拍子もない話だったけれど、本当にストンと納得できたんだ。だけど、想像するのと、実際に食べた形跡を見るのとでは全然違うんだよね。本当に、本当に、本当なんだ、と
そこで初めてわかったような気がするよ」
菅原の話を聞いて、真理が思い出したのは田舎の祖母のことだった。
祖母も、毎朝、いそいそとお供え物を運んでいたものだった。
彼女は真理のように『見えていた』わけではない。
それでも、お供えを欠かしたことはなかった筈だ。
面倒くさらがずに。
毎朝、毎朝。
祖母のモチベーションとなったのは、翌朝に返される、空の食器だったのではないだろうか。
菅原に、在りし日の祖母の姿を、真理は重ねていた。
「わかりますよ」
真理は頷いた。
「そうかい、わかってくれるかい? 嬉しいなあ。ずっと誰かに話したかったんだけど、こんな話ができるのはきみしかいないからね」
そう言うと、菅原は堪りに堪っていたらしい、座敷わらし話を一気に開放した。
菅原は朝は食べない派なので、夜にお供えしているということ。
翌朝には、それがどれほど綺麗に平らげられているか。
それから――
夜中になると、相変わらず聞こえてくる、ドタドタという足音のこと。
「えっ、足音がまだ聞こえるんですか?」
真理は、思わず聞き返してしまった。
足音がするという話は、初めから聞かされていた。
そもそも菅原の家を訪ねた理由が、それだったのだ。
そうして、男わらしと出会い、話を聞く中で、夜な夜な食料を探して歩き回っているのだと、真理は考えていた。
お供えをもらっている今も静かにならないなんて、思ってもみなかったのだ。
菅原はクスクス笑っているが、真理は、あいつ、何やってんだ、と眉根を寄せてしまう。
「それって、迷惑じゃないですか?」
男わらしに注意しなくては、と思って聞けば、菅原は「そんなことないよ」と、鷹揚だ。
「何しているのかな、遊んでるのかなと想像するのも楽しいものだよ。それに、子供は大抵うるさいものだろう?」
あれを子供と呼べるだろうか。
真理は益々眉根を寄せた。
「でも、夜、寝られないじゃないですか」
夜中に家の中でドタバタされたら、真理だったら、とてもじゃないが寝られない。
しかし、菅原は、ハハハと軽く笑い飛ばした。
「大丈夫だよ。毎晩ぐっすり眠れているよ。夢も見ないくらいにね」
「えっ、先生は全然夢を見ないんですか?」
「そうだね、見ないね。本当は見ていて、朝、起きたらただ忘れているだけなのかもしれないけどね」
「そうなんですか……」
男わらしは、人間とのコミュニケーションに夢を使うと言っていた。
真理のように『見える』人間は稀なのだ。
直接話ができない分、夢の中で会話をするのだ。
座敷わらしが要望し、そこに住む人間の願いを聞く。
そうして、座敷わらしは幸せに暮らし、その家は富んでいくのだ。
――そういや、菅原は朝になると夢をすっかり忘れてしまうから困るって、男わらしがこぼしていたっけ。
ふむ……、と真理は顎に手をやった。
どうやら二人が意思疎通をするには、今後も真理が必要らしい。
真理は使命感のようなものを、体中にピリピリ感じた。
――そうだよ! 橋渡しをできるのは、俺しかいないんだ!
「先生、俺、また遊びに行きます!」
菅原はまだ「レム睡眠が~」、「ノンレム睡眠が~」と、夢の話をしていたが、そんな話の流れをぶった切るように、真理は突然、宣言した。
菅原は一瞬、面食らったようだったが、すぐにいつもの穏やかな笑みを浮かべた。
「ああ、いつでもどうぞ。大歓迎だよ」
そう言ってから、何か思い出したように「あっ」と声をあげた。
「……と言っても、今日はダメだけどね。夜には、実家に帰らないといけないんだよ。呼び出しが、かかっていてね。仕事がうまくいってるか、報告しろ、とかなんとか言ってたけれど、多分、結婚の話だろうなあ。仕事が軌道に乗ったと聞いたら、嫁さんをもらえという話になるに決まってる。うるさいんだ。主に、母がね。今晩は泊まりを覚悟しなけりゃならない。……ああ、お供えのことは心配ないよ。
朝、パンを置いて出てきたからね」
菅原はのほほんとして見えるので、周囲の人間はやきもきしてしまうのだろう。
その気持ちは、真理にもわかる。
初対面から、なんとなく放っておかない人だと思ったくらいなのたから。
だからと言って、結婚の世話まで焼かれるのは、本人も迷惑なのだろう。
「先生も大変なんですね……」
菅原に、ちょっぴり同情してしまう真理なのだった。
帰り道、真理はいつものようにスーパーに立ち寄った。
合い挽き肉が特売の日は、自ずと献立は決まってしまう。
今夜は、ハンバーグだ。
―献立に迷いのない日は、買い物が手早く済むからいい。
家路を急ぎながら、真理はふと、菅原の話を思い返していた。
――結婚かあ……。
真理にはまだまだ先の話としか、思えなかった。
――でも、俺、もう既に主夫っぽくないか……?
右手には、食材でパンパンになったエコバッグ。
財布の中には、このスーパーで作ったポイントカード。
こんな所帯じみた男子大学生が、他にいるだろうか。
――結婚云々より、恋愛から遠ざかってるけどな。
真理は自嘲気味に笑った。
しかし、家で腹を空かせて待っている存在が、真理を「まあいいか」と思わせてしまうのだ。
「ただいまー」
玄関を開けると、返ってくる「おかえりー」の声。
それは、何もかもを帳消ししてしまう、癒しの魔法だ。
しかし、この日はいつもと違った。
「ん……?」
「おかえりー」の声が、ハモっている。
玄関から真正面にある、ベランダの窓が開いていて、そこから顔が二つ、ひょっこり覗いていた。
「真理が帰ってくるの、ここから見えてたよー」
わらしがベランダで、手を振っている。
その横に、着流し姿の男わらしが立っていた。
「あんた、歩くの、遅いのな」
その顔は、相も変わらず生意気そうだった。




