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きみは小さな居候  作者: むめみつき梅
座敷わらしと春の庭
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14話

 庭もひどかったが、家の中も相当なものだった。

 まず驚かされたのは、居間の隅に引っ越しの際の段ボールが置かれたままになっていたことだ。

 荷解きしていないのかと思ったら、いくつかの段ボールは、口がだらしなく開いている。

 使うものをその都度、引っ張りだり出しているからだろう。

 家に入って、真理は再び同じ質問をしなければならなかった。

「先生……、もう一度聞きますけど、この状態はいつから?」

「いやあ、ハハハハ……」

 誤魔化すような笑いは、菅原も自覚しているという証拠だ。

「片付けなくちゃとは思ってるんだけどねえ。叔父の荷物もそのままで……、どこから手をつけていいのやら」

「どこからって……。引っ越してから何カ月もの間、そうして、悩んでたっていうんですか?」

 真理が厳しく責め立てるものだから、菅原は防戦一方だ。

「引っ越したばかりで慌ただしい最中に、突然、講師の口があるという話が舞い込んできてね。それで、面接の準備やら何やらで、忙しくなってしまったんだよ」

「そんなの言い訳です」

 真理がバッサリ切り捨てると、菅原は尚も言い募った。

「いや、でもね、講師の空きなんて、滅多にないんだよ? 本当に僕はツイていたんだ。この家に越してから、運が向いて来たっていうのかなあ……。とにかく、巡ってきた幸運を掴むために、僕にしては必死に頑張ったんだよ。引っ越しの片づけまで、とても手が回らなかったんだ」

 菅原の言いたいことは、よくわかる。

 今のご時世、教員になるのがどれほど大変か。 

 引っ越しの片づけどころではなかったというのは、本当の話なのだろう。

 しかし、だ。

「先生……、折角舞い込んだ幸運だって、こうも部屋が汚ければ逃げていってしまいますよ?」

 真理に諭すように言われてて、素直に「……はい」と頷く菅原に、教員としての威厳はない。

 そんな二人を見て、「どっちが先生かわかりませんね」 と向ヶ丘が笑っている。

 真理が先生のように見えるのだとしたら、それは、座敷わらしと暮らしているせいだろう。

 毎日毎日、座敷わらしを叱ったり、注意したりしているうちに、普段でもその口調が抜けなくなってしまったのだ。

「よ~し、じゃあ、とりあえずこの部屋から掃除しちゃうか」

 真理は皆に発破をかけるように、手をパンパンと打ち鳴らした。

 その姿は、まさしく小学校の教師そのものだった。

 座敷わらしだったら、口を尖らせながらも「は~い」と素直にいうことをきくだろう。

 しかし、岡山田たちは可愛い生徒とは程遠い存在だ。

 彼らから返ってきたのは、盛大なブーイングだった。

「ちょっと待ってよ、柳田くん。今日は幽霊を見に来たんだよ? 掃除に来たんじゃないよ?」

 丸岡の抗議に、菅原までもが同調する。

「僕の方も、掃除は困るなあ。いくら直接の担当教官じゃなくたって、学生に自宅の掃除をさせたりしたら、大学側から叱られてしまうよ」

「え……、この状態を放っておけって言うんですか……」

 皆が掃除したくないというのなら、一人でやったって構わないのに、それさえも許してもらえないという。

 愕然としていると、岡山田にポンポンと肩を叩かれた。

「柳田くんは潔癖症だからなあ」

「へ? 潔癖症? 俺が? 普通じゃないですか、これくらい」

 潔癖症とは、聞こえが悪い。

 せめて綺麗好きと言ってほしかった。

 それだって、掃除が大好きというわけではないのだから、真理にとっては不本意なのだ。

 子供の頃、祖父から『背筋を伸ばせ』と共によく言われたのが『身の回りの物は自分で整理整頓しろ』だった。

 ことあるごとに言われた、それが、真理の体に自然と体に染みついてしまったのかもしれない。

 とにかく、部屋の中を綺麗にしておくというのは、真理からしたらごくごく普通のことだった。

 しかし、岡山田に「いやいやいや」とあっさり却下されてしまう。

「男の部屋は、これくらい散らかってて当たり前ではないかな。きみの部屋が綺麗過ぎるんだ。脱ぎ散らかしの服もない。流しには、食べ終えたカップ麺のカラもない。とても男の一人暮らしには思えなかった」

 これではまるで真理が男らしくないみたいではないか。

 心外だという顔をしていると、「あー、僕も、それは思った」と、丸岡までが同意だと言う。

 更には、向ヶ丘までもが……。

「私も……、実はちょっと思ってました。彼女になったら、大変だなあって……。だって、あんなに綺麗な部屋じゃ、彼の部屋を掃除しに行くっていうイベントが、そもそも発生しないじゃないですか。これ、大問題ですよ。じゃあ、どこで女子力をアピールしろって言うんですか。料理だって、あんなに上手だし……。反則ですよ。あんなになんでもできるんじゃ、結婚したって大変ですよ。……ああ、でも、会社に旦那様お手製のお弁当を持って行くっていうのも素敵だなあとは思いますけど……。子供ができたら、イクメンになりそうですしね……って、やだ、わたしったら、何言ってるんだろう。先輩との結婚生活を妄想してるわけじゃないですよ。違いますよ。全然違いますからっ!」

 普段はおとなしいのだが、何かスイッチが入ると、向ヶ丘はマシンガンのように喋りまくる。

「……いや、別に何も思ってないから」

 真理は彼女を落ち着かせなければならなかった。

「はいはい、そこまでそこまで。時間がもったいないよ。そろそろ幽霊探しに出発しようよ」

 真理と向ヶ丘の間に割って入り、丸岡が「はい、これ持って。はい、これね」と、次々と荷物を手渡していく。

 岡山田には、暗視スコープ。

 望遠鏡のように覗き込むタイプのもので、そんなもので本当に幽霊が見えるのかどうか。

 向ヶ丘には、カップ酒とビニール袋。

 袋の中身の白い粉が何やら怪しげだが、どうやらただの食塩らしい。

 酒と塩で、お浄めセットといったところか。

 そして、真理にはL字に曲がった棒が二本。

「え……、これ、何?」

「ダウジングのロッドだよ。知らないの?」

「ダウジングって、水脈を探したりするアレ?」

「そう! 霊的なものに反応するから、ちゃんと持っててよ」

 そんなものを持たされても困るというものだ。

「やだよ。自分で持てばいいじゃないか」

「僕は撮影しないといけないから」

 そう言って、丸岡はビデオカメラを構えた。

「それじゃあ、菅原先生に聞きます。幽霊はどの部屋に出るんです?」

 レンズを向けられて、菅原はほんの少し背筋を伸ばし、よそ行きの声を作った。

「あー、コホン。そうだね……、実際に見たわけではないんだけれど、台所の棚からカップ麺がなくなっていたりするんだよね」

「よし、じゃあ、まずは台所からだ! ほら、柳田くんも、行くよ!」

 丸岡に急き立てられて、真理は渋々台所に向かったのだった。



「へぇ~、台所は意外と綺麗じゃないですか」

 台所の隅々まで、ぐるりとレンズを巡らせながら、丸岡は感心したように呟いた。

 居間の様子からして、台所もひどい惨状なのではないかと思っていたのは、丸岡だけでなかった。

 意外や意外、台所は綺麗に片付いていていて、皆一様に驚いていた。

 そのカラクリは、しかし、簡単なことだった。

「いやあ、殆ど自炊をしないからね。使わないから、綺麗なままなんだよ」

 そういうことらしい……。

「家で何か食べるとしても、カップ麺くらいのものでね。ほら、いつもここにストックを置いているんだよ」

 菅原は、そう言って、流しの上の棚を開けた。

「一、二、三……。あれ? やっぱりなくなってる。きみたちが来るっていうんで、今朝、何個あるか数えておいたんだ。いつも数が足りなくなるといっても、僕の気のせいかもしれないし、言い切れるほどの自信がなかったからね。でも、ほら、やっぱり一個、足りないよ。今朝は、ちゃんと四個あったんだ」

 菅原が興奮気味にまくしたてると、オカ研のメンバーも色めき立った。

「会長っ、こ、これはかなり本格的なオカルト現象ではないでしょうか」

「うむ……うむ」

 まだ実際に幽霊を見たわけではないのに、丸岡も岡山田も感極まって泣き出しそうだ。

 隣で向ヶ丘も、いつでも酒と塩を撒けるように、臨戦態勢を取っている。

 しかし、真理はというと……。

 ――ちゃんと数えたって言ってるけど、どうだかなあ……。この先生、ちょっと抜けたところがあるしなあ。

 と、疑いの眼差しを向けていたのだった。

 ――でも、まあ、幽霊はいてくれた方がいいけどね。わらしがあんなに見たがってるんだから。

 真理は、庭で待っている座敷わらしのことを思い浮かべた。

 ――今頃、退屈してるんじゃないかな。

 そのとき、ふと、庭に木が一本、植わっていたことを思い出した。

 退屈になった座敷わらしが、木登りするのは目に見えている。

 しかし、あれは長いこと剪定もしていないような木だ。

 陽の当たらない内側の枝の殆どが細く、座敷わらしの重みで簡単に折れてしまうだろう。

 ――木登りはダメだって、ひと言、注意しておけばよかった……。

 悪いことばかりが、次から次へと頭に浮かぶ。

 真理はとうとう我慢できなくなった。

「先生……、ちょっとトイレをお借りしていいですか?」

「ああ、どうぞ。庭側の廊下の突き当たりだから」

「ありがとうございます。あと、これ、お願いします」

 真理はそう言って、菅原に二本のロッドを押しつけた。

「え……! こんな物、持たされても困るなあ。使い方も知らないのに……。あっ、きみ! 柳田くん! ちょっと待ってくれ!」

 菅原が喚いていたが、そんなことはもうどうでもよかった。

 とにかく、座敷わらしの安全を確認して安心したい。

 真理は、その一心だった。

 


 細く長い廊下は、庭側の全面をガラス戸で仕切られていた。

 ガラス戸のサッシはリフォームしたに違いないが、それもかなり昔のことだろう。

 しかし、たとえ古くとも、降り注ぐ陽の光に変わりはない。

 そこは、ポカポカと温かい、気持ちのいい空間だった。

 ――ああ、これで、庭がサッパリと片付いていたらなあ……。

 そんなことを考えながら、眺めた庭に、座敷わらし以外の人間がいるなんて、真理は想像もしていなかった。

 年の頃は、十代後半といったところか。

 真理程ではないが、スラリとした、背の高い男が、座敷わらしの前に見下ろすようにして立っている。

 肩まで伸びた黒髪がだらしなく見えないのは、着流し姿だからだろう。

 彼は紺地の着物に、淡い辛子色の帯を締めていた。

 切れ長の瞳は元々、冷たい印象を人に与えるが、眉間にくっきり皺を寄せている今は、更に険のある顔つきになっている。

 彼が誰かと訝しむ前に、真理がとっさに思ったのは、座敷わらしが何か、やらかしたのか、だった。

 しかし、次の瞬間、骨ばった男の手が座敷わらしの小さな体を締め上げるように、胸ぐらを掴むのを見て、真理は思いっきりガラス戸を開け放った。

「おい! 何してる! その手を離せ!」

 真理は裸足で庭に飛び出していた。

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