13話
大学の正門を出て、駅とは反対方向へと歩いていくと、賑やかな学生街はやがて閑静な住宅街へと、その姿を変える。
この街に住んで三年になるが、真理は今日、初めてそれを知った。
――そういや、こっちの方には来たことがなかったな。
目印になりそうな商業施設もない中で、菅原の家に辿り着くには住所を頼るよりほかにない。
無事に辿り着けるだろうかと不安に思った矢先、真理たちはそれを見つけた。
昭和の時代にタイムスリップしたかのような、板塀に囲まれた木造二階建ての住宅だ。
真理たちは表札を確認する前から、ここが菅原の家だと、何故か、わかっていた。
「なんかさ~、雰囲気たっぷりだよね~」
丸岡がこの家の感想を述べるのは、これで三度目となる。
菅原宅の門の前まで辿り着いたはいいが、誰もが臆してしまって、呼び鈴を鳴らせずにいる、という状況だった。
というのも、菅原の家が想像以上に古くて、まるで本物の幽霊屋敷のようだったからだ。
誰も口には出さないが、誰もが「なんか出そう」だと思っていた。
幽霊話については話半分に聞いていた真理でさえ、同様に。
「あの……、そろそろ呼び鈴を押しませんか?」
そんな中で、おずおずと切り出したのは、一番年下の向ヶ丘だった。
確かに、いつまでも往来で、ぐたぐたしているわけにはいかない。
「そうだな」
岡山田が重々しく頷いたのは、会長らしいところを少しは見せたかったのだろう。
しかし、続く言葉が情けなかった。
「じゃあ、じゃんけんで決めようじゃないか」
真理はズコーッとずっこけそうになるのを、懸命に堪えなければならなかった。
ところが、他の二人は案外とじゃんけんにノリ気のようで……。
「三回勝負にしますか、会長? 『最初はグー』は言いますか、どうしますか?」
丸岡は真剣な顔でルールを確認し、その横で向ヶ丘は、左手の甲に右手人差し指で皺を作り、グーチョキパーの何を出すかを占っていたりする。
真理は、ひっそりとため息を吐いた。
しかし、それに構わず、「よ~し、じゃ~んけ~ん」と三人が声を合わせた、そのとき、呼び鈴が勝手にピンポ~ンと鳴って、全員その場で飛び上がるほど驚いた。
いや、勝手に、ではない。
真理の体に「よいしょ、よいしょ」とコアラのようによじ登った、座敷わらしの仕業だった。
もう一回、押そうと座敷わらしが指を伸ばすのを見て、真理は慌てて押さえつけた。
「ごめん、ごめん。手が滑って押しちゃったよ」
真理は、濡れ衣に自ら袖を通すハメになった。
「もう、なんだよ~。まだ心の準備ができてないのに~」
丸岡がブチブチ文句を言うが、そんな準備、できていようが、いまいが、関係ない。
「やあ、どうぞ、中に入って」
門の中から、菅原に呼ばれてしまったからには、もう入るしかないのだ。
真理は思い切って、木の引き戸に手をかけた。
引き戸をくぐった、真理たち一行は、暫し呆然と立ち尽くしていた。
外観からして、かなり年季の入った家だとは思っていたが、内に入ってみたら、それ以上だったからだ。
特に、前庭の荒れようは、ひどいなんてもんじゃなかった。
きちんと手入れさえしていれば、こじんまりとした、いい庭だろうに、雑草は生え放題、一本だけ植えられた、木は枝を伸ばし放題、葉は茂り放題という有様だ。
いかにも手作りといった感じの少々歪な犬小屋も、草で殆ど覆われているような状態だ。
辛うじて、玄関まで点々と続く飛び石だけが、雑草の浸食を免れていた。
雑草越しに見る家は、まるで廃墟のようだった。
「やあ、よく来たね」
庭に面した廊下のガラス戸を開けて、にこやかな顔で客人を迎え入れようとしている、その人を、真理は信じられない思いで見つめた。
「先生、いつからここに住んでるんですか?」
「ん? ああ、叔父が亡くなってからだから、一月だったか、二月だったか……」
菅原はいつものすっとぼけた顔で、とんでもないことをサラッと言う。
――ってことは、何カ月だ!? この人は何カ月の間、この状態を放置してるんだ!?
「信じられない……。どうしたら、こんな廃墟みたいなところに平気で住めるんだ……?」
心の声の最後の方をうっかり声に出してしまったが、これが真理の本音なのだから仕方がない。
菅原自身も自覚があるのか、真理の失礼な言い草に、さして気にしてない様子でハハハと笑った。
「廃墟とは、ひどいなあ」
ポリポリと掻いている頭は、相変わらず天パのくせっ毛で、毛先があちこちにはねている。
手入れをされてないという意味では、菅原の髪は庭と同様だった。
「真理、ここは、きゅーこーでんなの?」
クイクイと、座敷わらしに袖を引っ張られて、真理は小さく首を捻った。
休耕田と言ったのだと理解するのに、要した時間は数秒間。
座敷わらしは、たまにこうして、ボキャブラリーの豊かさを披露して、そのたびに真理を驚かせる。
真理は座敷わらしにだけ聞こえるように、「いいや、違うよ」と囁いた。
「こういうのは、だらしない人間用の庭って言うんだ」
「だらしない人間よーの庭……ふむふむ……」
真理のいい加減な返答をも、座敷わらしは吸収してしまいそうだったが、真理は今、それどころではなかった。
子供の頃、厳しく躾けられたせいで、掃除や片付けがなされていないと、気持ち悪くて仕方がないのだ。
荒れ放題の庭を前にして、草むしりをしたくて、真理は体がムズムズしていた。
と言っても、草むしりなんて生まれてこのかた、やったことがないのだが。
「こんなところで立ち話もナンだね。そこの玄関から入っておいで」
菅原に促されて、オカ研のメンバーは玄関引き戸をガタピシさせながら、ぞろぞろと中に入っていく。
真理も庭掃除のことは頭から一旦、追い出して、後に続こうとした。
その袖を、またしても、座敷わらしに引っ張られた。
「ねえ、ねえ、わたち、お庭で待ってる」
「へ? なんで?」
ここまで来るのにも散々ゴネた座敷わらしが、ここに来てまたしてもゴネ始めたのだ。
「だって、わたち、よその家には入らないから」
――そういや、田舎の家が火事になって、焼け出されたときも、集会所に入らなかったな。
それで、あのときも、座敷わらしは庭で一夜を過ごしたのだった。
「ああ、そうか。家に入った時点で、引っ越したことになるんだっけ?」
座敷わらしは家に幸運を呼び込むが、引っ越せば、その運も移動してしまう。
しかも、出て行かれた家は、代わりに不幸に見舞われるのだ。
座敷わらしが色んな家を気安く出たり入ったりしだしたら、大変なことになるだろう。
しかし、門をくぐっておいて、今更ではないのか。
真理が問うと、座敷わらしは「真理はなーんにもわかってない」と首を振った。
「お庭はセーフなの!」
「は? セーフ、なんだそれ? お菓子を床に落としても三秒以内なら大丈夫、みたいなもんか?」
「真理……、何言ってるのか、わからないよ」
「それはこっちのセリフだよ!」
座敷わらしの話をよくよく聞けば、彼らは普通、庭から覗いて、気に入った家に住みつくのだという。
お互い、しばらくハテナマークを飛ばし合った末、とにかく庭までならOKなのだということを真理が確認することで、この話は決着した。
と言っても、まだ納得したわけではない。
「でもさ、おまえ、すごい力なんて持ってないじゃん。色んな家に出入りしたところで、大して影響ないだろうが」
この小さな座敷わらしは、座敷わらし界の中でもかなりイレギュラーな存在だ。
真理が受けた恩恵は宝くじで千円当たった程度のものだったし、座敷わらしが一時的に田舎へ帰ったことで見舞われた不幸も、タンスの角に小指を当てる程度のことだった。
この座敷わらしがもたらす幸せや不幸せは、本当にちっぽけで、でも、そんなところが自分の性分に合っていると、真理は考えていた。
しかし、座敷わらしは侮辱と受け取ったようで、足を踏み鳴らし、プンスカ、プンスカ腹を立て始めた。
「むぅっ! そういう問題じゃないもん! 座敷わらしはめったやたらに引っ越したりしないんだもん! 座敷わらしが引っ越すときは、そのおうちがすごーく嫌になったときか、すごーく行きたいおうちがあったときだけなんだもん!」
「へ、へぇ~……、ってことは、俺のところにすごーく来たかったってことか」
なんだかこそばゆいが、言われて悪い気はしない。
それに、たとえ小さいとはいえ、菅原に不幸が舞い込むことになるかと思うと心配でもあった。
菅原は元からドジで、しょっちゅう人にぶつかって歩いているような、どこか抜けたところのある人だ。
小さな不幸が重なって、思いがけなく大きな不幸にならないとも限らない。
「そ、そっか。うん、まあ、それなら仕方ないよな。けどなぁ……」
一応、納得はしたものの、荒れ放題の庭を見るにつけ、ここに座敷わらしを一人、置いて行くのは、真理としてはやはり気が引ける。
「だいじょぶだもん。わたち、一人で遊んで、待ってられるもん」
「そうは言ってもなあ……」
真理は、ふと思い立って、家の中に入って行こうとする菅原を大きな声で呼び止めた。
「先生、庭に犬小屋があるけど、まさか犬がいたりしないですよね」
ボロボロの犬小屋に、犬がいると本気で思っていたわけではない。
念のためだ。
座敷わらしを遊ばせるのに、万が一でも危険がないようにしておきたかった。
「ああ、チロの小屋のことかい? 叔父が飼っていたんだけど、何年か前に死んでしまったんだよ。白っぽい毛並みの雑種の犬でね。捨てられていたのを、叔父が引き取ったんだと言ってたなあ。だからなのか、叔父以外には誰にも懐かなくてね。郵便配達にも新聞配達にも、ワンワン吠えて大変だったみたいだよ。でも、叔父は随分と可愛がっていてね、雷を怖がるから、雨の日には家の中に入れたりしていたんだよ。そのチロが死んだときは、叔父は、それはもう……落ち込んでねえ……。
うちの母親が新しく犬を飼ったらどうかと勧めても、チロの代わりはいないと言ってきかなかったんだよ。だから、あの犬小屋はそれ以来、ずっと空き家なんだ」
「そうですか」
ホッとするのと同時に、真理は犬小屋に対する印象を大きく改めた。
――ボロボロだなんて思って、悪かった……。
この不格好な小屋は、犬を引き取るにあたって、菅原の叔父が不器用ながらも一生懸命作ったのだろう。
人に懐かなかったということは、犬は人間不信に陥っていたのかもしれない。
犬と主人は、どうやって心を通わせていったのだろうか。
真理は青い空の、そのまた向こうに思いを馳せた。
天国で犬と再会した主人が、そこでまた不格好な小屋を建てている光景が目に浮かんだ。
彼らは今頃、きっと向こうで楽しく過ごしていることだろう。
そう思ったら、空いた、この土地で、座敷わらしを遊ばせても怒られないような気がした。
「犬はいないってさ。この庭の中なら安心だ。わらし、ここで待っていられるか?」
真理が訊くと、座敷わらしは元気いっぱい「うん」と返事した。
「うん。わたちはここで遊んでる! 真理は幽霊を捕まえたら、連れて来てね!」
「いや……、それはちょっと約束できないけど……」
真理の返事も聞かずに、座敷わらしは「わあーっ」と雑草の海へと駆け出してしまった。
「あっ、ちょっと待て! 危ないっ、汚れるっ……、ああ、もうっ!」
真理は引き止めようと手を伸ばし、しかし、すぐにその手を引っこめた。
雑草の中を駆けまわる、座敷わらしの顔があんまり楽しそうだったからだ。
何百年生きていようが、座敷わらしは子供なのだ。
子供は野原を駆けずりまわるものなのだ。
狭いワンルームで、じっとしているときよりも、座敷わらしは今、ずっといい顔をしている。
この顔を見れただけで、外に連れ出した甲斐があったと、真理は今、とても満足していた。




