4話
人形遊びの経験なぞ、当然のことながら真理にはない。だから、座敷わらしが遊びの主導権を持つことに、なんら不服はなかった。
「はい、真理はこれを使って」
しかし、妙に張り切っている座敷わらしに手渡されたのは、白黒の毛がふさふさとした、犬のぬいぐるみで……。
「このちんちくりんな犬で、俺はいったい何すりゃいいんだ?」
「ちんちくりんじゃなくて、ただの狆だよ。名前はね、チン太くんっていうの」
狆という種類の犬だから『チン太くん』とは、随分と安直なネーミングだ。
「チン太くんねえ……」
潰れたまんじゅうのような顔で、赤い舌をペロッと出している。なんともしまらない顔で、ぬいぐるみが「どうぞよろしく」と言った気がした。
次に、座敷わらしが自分用に手に取ったのは何かというと……。
「わたちは、これ。松子ちゃん」
――出たーっ!!
真理が最も苦手とする、市松人形だった。
「松子ちゃんは看護士さんをやるから、チン太くんはお医者さん役ね」
――待て待て、なんだ、その設定は……?
真理の戸惑いをよそに、座敷わらしは設定説明をひと言で済まし、人形遊びをスタートさせてしまう。
「先生、奥さんのこと、どうなりました?」
どうやらチン太先生は妻帯者らしい。
「ど、どうって……」
「別れるって言ってくれたんですよね」
ずいと松子が――正確には、座敷わらしが動かしているのだが――迫ってくる。
座敷わらしの殆ど棒読みな、たどたどしい演技と、市松人形の薄っすら笑みを浮かべているのに何を考えているのかさっぱりわからない表情が相まって、不気味さが数倍増した感じだ。
――怖い、怖い、怖いって!
「離婚するって言ったのは嘘だったの」
「え、い、いや、嘘じゃないよ」
思わず答えてしまった真理だが、このドロドロ不倫ごっこにノリノリで参戦したわけでは断じてない。
離婚を確約しなければ、市松人形に本当に恨まれて、呪い殺されてしまう、そんな気になってしまったのだ。
「じゃあ、ここで誓って。患者さんの前で」
――患者がいる設定なのか? 仕事中に何やってんだ、この二人……いや、一人と一匹は。
「源吾さんは眠ってるけど、二人の愛の証人になってもらうから」
――……ん? 源吾さん?
とんでもないストーリー展開にもなんとか合わせていた真理だったが、さすがにこれには口を出さずにいられなかった。
「コラコラ。昼メロも真っ青のドロドロドラマに、勝手にうちの祖父ちゃんをキャスティングするんじゃないよ」
チン太くんの前足で、座敷わらしのおでこを小突くが、当の座敷わらしはきょとんとしている。自分が言ったセリフの意味を、正確には理解してないのだろう。
――まったく……。子供にこんなセリフを教えたのは、どこのどいつだ。
真理は大きくため息をついて、諭すように言った。
「ヤメだ、ヤメ。医者と看護師なんて、設定が良くない。もっと王道でいこう。ホームドラマとか、色々あるだろ。な?」
「ホームドラマ?」
「そう。テーマは家族の団欒だ」
「家族? うーん、じゃあ、お母さんと息子でもいいよ」
子供らしい遊びに戻ってくれて、これでひと安心だ、と真理は思った。
しかし……。
「健ちゃーん、ご飯よー」
――ん? 健ちゃん?
「うるせーババア、って言って」
「……は?」
「まあ、健ちゃん。ママのことをババアだなんて。どうしちゃったの、健ちゃん」
「ストップ、ストップ、ストップ!」
真理はチン太くんを放り投げた。つい間違えて松子の口を塞ごうとして、慌てて座敷わらしの口を塞ぐ。
ここまできたら、さすがにわかる。これは叔母とその息子の、ある日のやり取りの再現だ。
奥の間で守り神として祀られていた座敷わらしにとって、世界はこの屋敷の中とせいぜい庭先くらいで完結しているのだろう。
ごっこ遊びのネタが、この屋敷で見聞きしたことに限られるのは仕方ないことかもしれない。
でも、それならば、さっきの医者と看護師だって、祖父ちゃんの訪問診療の一場面ということとなる。
真理は頭を抱えた。
「うわー、知りたくない。知りたくないぞー! 俺は覗き趣味なんてないんだ!」
「ノゾキシュミ?」
「そんな言葉は覚えんでいい!」
このまま人形ごっこを続けていたら、次はどんな秘密が暴露されるのか、わかったもんじゃない。それを面白いと思う人もいるかもしれないが、真理は知りたくもないし、関わりたくもない。
家庭が上手く行ってると、取り繕っている叔母の話をどんな顔で聞けばいいか、わからないではないか。
何か他の遊びで、人形ごっこから座敷わらしの気を逸らさなければ。
真理が必死に頭を絞っていると、放り投げられたチン太くんが崩した、おもちゃの山の一角から何かがコロコロと転がってきた。真理の指先にコツンと当たったそれは、丸い、筒のようなものだった。
「ん? なんだ、これ?」
「あー! それ、万華鏡だよ! すごーくキレイなの!」
どうやらこれもお気に入りのおもちゃだったらしい。座敷わらしの意識は、市松人形から完全に万華鏡に移ったようだった。
「こうやって目に当てて回すと……ほらね、キレイでしょー」
真理だって万華鏡くらい知ってはいたが、実際に目にしたのはこれが初めてだった。
「……本当だ。すごく綺麗だなあ……」
「でしょ? じゃあ、次はわたちの番ね」
そう言って、座敷わらしが万華鏡を覗く。
これが初めてではないだろうに、「わー」、「すごーい」と、新鮮な驚きの声をあげる座敷わらしが微笑ましい。
なのに、「はい、真理の番」と、座敷わらしはすぐに万華鏡を戻してくる。
「いや、俺はいいから。ずっと見ていていいんだぞ」
真理が言っても、座敷わらしはきかなかった。
「ダメだよ。代り番こだよ。三回、回したら、交代だよ?」
そう言う座敷わらしの瞳は、万華鏡よりもキラキラしている。そんな目をされたら、「俺はもういいよ」とは言い出せなくなるではないか。
「よし、わかった。三回な?」
そうして、二人は「いーち、にーい、さーん」と言いながら、何度も何度も万華鏡を回し見た。
二人の間を何度も何度も行き交った万華鏡は、一度として同じ模様にはならなかった。
「……真理、真理」
誰かがどこかで呼んでいる。聞いたことのある声だ。
「……んん……? おふ、くろ……?」
重たい瞼を無理に開けると、真理を覗きこむ母親の顔がそこにあった。
「どこに行ったのかと思ったら……、あんた、こんな所で寝てたのね」
頭が少しずつ覚醒する。最初に、自分が寝ていたことを思い出し、次に、ここが奥の間の畳の上だと気づく、といった具合に。
「あ……、本当だ。いつの間に寝てたんだろう」
うーんと伸びをすると、肩と首の骨がゴキゴキ鳴る。と同時に、隣からも「ふぁーあ」と小さなあくびが聞こえてきた。どうやら、座敷わらしも一緒に眠ってしまっていたらしい。
「まったくもう、今、何時だと思ってるの」
母は怒っているというより、呆れているようだ。
しかし、日の差さないこの部屋では、時間なんてわかりようもない。どのくらい遊んでいたのか、どのくらい寝たのか、見当もつかない。
「何時だろう、二時か三時くらい?」
「何寝ぼけたことを言ってるの。もう夕飯よ」
母はとうとう心底呆れたという顔になった。
「ほら、あんたが言うから持って来たのよ、お供え」
母はお盆に、ご飯を盛った茶碗を載せていた。昼に真理が頼んだことを、覚えていてくれたのだ。
これに反応したのは、座敷わらしだ。
「うわー、ほかほかご飯だ!」
ご飯から立ち上る湯気の匂いで、パッチリ目が覚めたらしい。
「これは、この辺に置けばいいのかしら」
座敷わらしは余程嬉しいのだろう。きょろきょろ部屋を見回す母の周りを、ぴょんぴょんと飛び跳ねてついて歩いている。
「健ちゃんは今日、部屋で食べるんですって。あんたはちゃんと食卓に来なさいよ。ああ、全くもう。あんたは健ちゃんみたいな手間をかけさせないでちょうだいね」
母はぶつぶつ言いながら、お供えを置くと、忙しなく部屋を出て行ってしまった。
「ほっかほかご飯っ、ほっかほかご飯っ」
ご飯に大はしゃぎする座敷わらしの姿も声も、母は感じることすらできなかったのだ。
わかっていたことだったが、改めて実感した。座敷わらしは真理にしか見えないのだ。