11話
オカ研のメンバーは、それからしばらく夢中で真理の部屋を見て回った。
部屋の隅の影になっている部分をレンズに納めたり、壁や天井の染みを数えたり。
座敷わらしにシャツの裾を引っ張られているのも知らないで、彼らは幽霊屋敷探検ごっこを心から楽しんでいるようだった。
自分の部屋を好き勝手に撮影されるのはあまりいい気分ではなかったが、今更そんなことを言ってもどうしようもないので、真理は彼らの好きにさせていた。
思う存分撮らせて、満足させ、とっとと帰ってもらおうという算段だった。
しかし、その作戦も丸岡の腹の音によって、あっさりと頓挫してしまった。
ぐうううぅ……。
狭いワンルームに響き渡った、その物悲しい響きは、そこにいる全員に、まだ昼ご飯を食べてないという現実を思い出させた。
「おっと、もうこんな時間か」
ビデオカメラをオフにして、岡山田が驚いたように言う。
時計の針は、一時を指していた。
「コンビニに買い出しにでも行くか。明日の段取りを決めるのは、その後だな」
明日、菅原邸を訪問することになっている。
そもそも真理の部屋に集まったのは、その打ち合わせをするため、というのが第一義だった。
にもかかわらず、明日の時間も待ち合わせ場所も、まだなんにも決まってない。
それはまた、昼を食べてからにしようと、岡山田は言っているのだ。
「俺が何か、作りましょうか?」
真理がこんなことを言い出したのは、彼らに早く帰ってもらいたい一心からだった。
その方が、時間の短縮になると思ったのだ。
「えっ、柳田くんって、自炊派?」
丸岡に大袈裟に驚かれて、真理は慌てて「簡単なものだけだよ」と謙遜した。
料理の腕を、あんまり期待されても困る。
何しろ真理が料理を作ってやったことがあるのは、座敷わらしと武田にだけだ。
その二人は何でも、美味しい、美味しいと平らげてしまうので、批評家として、あまり当てにはできない。
他人に料理の腕前を披露するのは、実質、今日が初めてのようなものなのだ。
「自炊してるってだけでも、スゴイよ。ね、スーちゃん?」
「はい。柳田先輩、スゴイです」
丸岡と向ヶ丘に、スゴイ、スゴイ、と褒めそやされ、岡山田からは「昼食を用意してもらえるなら、助かるな」と、期待の眼差しで見つめられ、真理は自分が言い出しっぺにもかかわらず、困り果ててしまった。
「真理のごはんは、おいしいよ。びっくりしちゃうよ」
何故か、得意げに胸を反らしている、座敷わらしを含めて、五人分の料理を用意しなければいけない。
なのに、食材の買い置きはほとんどないし、今からご飯を炊くには時間もない。
「すぐできるものと言ったら……、パスタくらいしかないんだけど、それでもいいですか?」
「おおっ、パスタか!」
「僕、パスタ、大好きだよ」
「……私もです」
パスタでいいと言われて、真理も少し気が楽になった。
冷凍庫には、この間、大量に作り置きしておいた、トマトソースが保存してある。
それに、シーフードミックスを和えれば、あっという間に出来上がりだ。
「えっ、ソースも手づくりなの?」
キッチンを覗きに来た、丸岡の低次元の驚きがまた更に真理の気持ちを楽にさせた。
武田に食べさせるつもりで作ればいいのだな、と。
大人数の来客を想定せずに買った、ミニテーブルは、皿を四枚も乗せれば、もういっぱいだった。
しかも、皿は半分浮いている状態だ。
「さあ、召し上がれ」
真理が声をかけると同時に、ガツガツと食べ始めた彼らの、黒い頭が今にもゴツンとぶつかりそうだ。
「これ、すごく美味しいよ」
皿から顔を上げた丸岡は、ほっぺにトマトソースをつけて、まるで子供のようだった。
真理はというと、パスタ皿を片手に、丁度ロフトの梯子を上るところだった。
「あれ? それ、どうするの?」
丸岡に聞かれて、真理は「えーと…」と頭を巡らせた。
「これは、その……、こっちに仏壇があって、お供え……的な?」
しどろもどろな言い訳だったが、向ヶ丘が「おばあ様のですか?」と、勝手に意図を汲んでくれたので助かった。
「そう! そうなんだ!」
真理は向ヶ丘に頷きを返しつつ、小声で座敷わらしを呼んだ。
「(わらし、悪いけど、今日はこっちで食べてくれな?)」
ロフトに呼び寄せようと、座敷わらしを目で探した、真理は思わずパスタ皿を落としそうになってしまった。
部屋の隅っこで、座敷わらしが向ヶ丘の持参した風呂敷包みを勝手に開けているではないか。
包みの中身は、機材でも何でもない。
ただの重箱だった。
蓋を開ければ、中にはぎゅうぎゅう詰めのおにぎり。
全部可愛らしい俵型だ。
座敷わらしはおもむろに、それを一つ、頬張った。
「(おいっ、何してるんだ、おまえはあ~!)」
幸い、オカ研の三人はまだ気づいてない。
真理は梯子を駆け下りるようにして、重箱に飛びついた。
「わー、こんなところにおにぎりが! 美味そうだなあ」
ぎこちないセリフ回しと共に、真理は左右の手で、むんずとおにぎりを掴んだ。
こうすれば、既に一個、おにぎりが減っていることの不自然さに誰も気がつかないだろう。
折角「なんだ、この部屋、幽霊なんて出なかったね」と、落ち着いたところなのだ。
知らぬ間に、おにぎりが一つ、また一つ、なくなっていく、などというオカルトネタを提供して、寝た子を起こすこともあるまい。
真理は食いしん坊キャラになりきって、右と左のおにぎりに交互にかぶりついた。
それを見て、「きゃあ」と悲鳴をあげたのは向ヶ丘だ。
「きゃあっ、そ、それ……私が持って来た、おにぎり……!」
「なんだ、お昼を用意してくれてたんじゃないか。先に言ってくれたらよかったのに」
言ってしまってから、気がついた。
彼女は言い出したくとも、言い出せなかったのだということを。
「私……、先輩がこんなに料理がお上手だなんて、知らなくて……。出過ぎた真似をして、恥ずかしいです……」
「そんなことないって! このおにぎり、すごく美味いよ!」
真理の力説は、すぐに横からまぜっ返された。
「でも、これ味しないよ」
真理は反射的に「あぁ!?」と声を荒らげてしまった。
オカ研のメンバーの前だということを忘れ、座敷わらしの言葉に、思わず反応してしまったのだ。
「だって、このおにぎり、何にも入ってないよ。こういうの、何おにぎりって言うの? 塩の味もしないよ?」
言われて、真理は両手に持った、食べかけのおにぎりをまじまじと見つめた。
確かに、どちらにも具がない。
さっきは夢中でかぶりついてしまったので気がつかなかったが、もう一口、食べてみれば、海苔と米の味がするばかりで、塩っ気も全くなかった。
「……んん? うん、このおにぎり、具がないな……。塩も振ってないかな?」
目の前に向ヶ丘がいることも忘れ、真理はつい、声に出して呟いてしまった。
「ええっ!? 具がないなんて、そんな筈は……!」
向ヶ丘は気色ばんだ。
しかし、手に取ったおにぎりを片っ端から割ってみれば、実際、どれも具無しで、向ヶ丘はがっくりと肩を落としてしまった。
「そんな……! 鮭とか、たらことか、色んな具をたくさん用意したのに……。早起きだってして、でも、時間に全然間に合わなくって……。慌てて握ったから、忘れてしまったのかも……」
どうやら大幅な遅刻の原因は、彼女にあったらしい。
しかし、今更それを責めるつもりは、真理には毛頭なかった。
そんなことよりも、彼女の落ち込みようがあまりにもひどくて、そっちの方が心配だった。
「ほら、でもさ、すごく綺麗な俵型に握れてるよ。俺なんて、三角のおにぎりしか作れないから、感心するよ」
だから、必死でこのおにぎりのいいところを探したのだが……。
「そんなもの……。型で抜いただけですから」と、向ヶ丘は、にべもない。
「あーでもさ、このお米、すごくいい米なんじゃないのか? こういう米は味なんてなくても、それだけで充分美味いんだよ」
そう言って、バクバク食べて見せると、向ヶ丘はようやくほんの少し、気分が上昇したようだった。
「あ、わかりますか? お米は新潟産なんです。……あの、それじゃあ、せめて、おかずと一緒に召し上がってください」
向ヶ丘はそう言って、お重の上の段を横にずらした。
下の段にも同じように、ぎっしりとおにぎりが詰まっていた。
その段も持ち上げて……、向ヶ丘は暫し固まってしまった。
「ああっ!ない、ない! もう一段がない! 本当は三段重ねだったんです! 一番下の段には、おかずが詰まっていたんです! 信じてください! ああっ、あんなに早起きして頑張ったのに……!」
実際に見てはいなくとも、彼女の頑張りは目に浮かぶ。
きっと本当に早起きしたのだろう。
それでも、時間が足りなくなって、約束の時間もとっくに過ぎてゆき、慌てれば慌てるほど時間がかかり……。
最終的に、後片づけもままならない状態で家を飛び出したのだろう。
流しには、山積みの洗い物。
テーブルの上には、使われなかった、おにぎりの具と、おかずの詰まった重箱がポツンと取り残されている筈だ。
向ヶ丘が落ち込むのも無理はない。
真理は目だけで、岡山田と丸岡に助けを求めた。
しかし、二人はパスタを啜るばかりで、こちらを見ようともしない。
「このパスタ、美味しいですね」
「うむ」
二人の会話は真理には「面倒事に巻き込むな」と言っているように聞こえた。
向ヶ丘はそれを、嫌味に取ったようだった。
向ヶ丘の心はすっかりささくれてしまったのか、「もうそんなもの、捨ててしまってください。どうぞ、美味しいパスタの方を召し上がってください」などと言い出した。
「いやいや、捨てるなんて、もったいない。俺はこっちをいただくよ」
真理が必死に取り成したが、向ヶ丘はとうとう泣き出してしまった。
「うぅっ……、こんなっ、こんな出来損ないを持って来た私に……、そんな優しい言葉をかけるなんて……、先輩はひどいです~!」
「えぇぇ、どういう理屈!?」
わんわんと泣く彼女を前にして、真理は急いで手許に置いてあった、包みを破いた。
先程、玄関先で向ヶ丘からもらったものだ。
それはシンプルだけど品の良い、水色のハンカチだった。
真理がそのハンカチを差し出すと、向ヶ丘はこの前の時と同じように躊躇なく、びーんと鼻をかんだ。
それで少し落ち着いたかに思えたが、はたとハンカチを見つめた、彼女の顔が見る見るうちに険しくなっていく。
「これ……、私がさっきあげたハンカチじゃないですかーっ!」
――しまった……!
ここは、真理の部屋ではないか。
引き出しを開けさえすれば、ハンカチでもタオルでもいくらでもある。
何も折角もらったプレゼントを、使う必要などなかったのだ。
これは、向ヶ丘の涙に慌てた、真理のミスだ。
しかも、再びワンワンと号泣し始めた向ヶ丘につられるようにして、座敷わらしまで「うわーん、うわーん」と泣き始める始末。
――何で、おまえまで泣いてんだよ……。
聞いたところで、座敷わらし本人にもわからないだろう。
泣いている人を見ていたら、なんとなく悲しくなってきてしまっただけなのだから。
とにかく、目の前で二人の女の子に号泣されて、真理はお手上げ状態だ。
救いを求めるように見上げた天井には、岡山田たちが騒いでいたとおり、確かにいくつか染みがあった。
じっと見ていると、それが次第に顔に見えてくるから不思議だ。
真理には更に、その顔が「バカだねえ」と笑っているように見えるのだった。




