10話
ピンポン、ピンポン、ピンポーン。
真理の部屋のインターホンが連打されたのは、昼の十二時になろうかという頃だった。
今日は土曜日。
菅原の家を訪問する前に、一度、作戦会議をしたいという、オカルト研究会の面々のたっての希望で、この日、真理の部屋に集まることになっていた。
しかし、約束の時間は、朝の十時だった筈。
二時間の遅刻に、真理は苛立ちを隠せないでいた。
そもそも朝早い時間に約束したのは、丸岡が『あんまり遅い時間だと、帰り道、一人になったときが怖い』などと言い出したからだ。
オカルトを研究している者とは、とても思えない発言だ。
「だから、朝の十時なんて早過ぎる、って言ったのに」
ぶつぶつ文句を言いながら、真理は足音荒く、玄関に向かった。
遅いじゃないか、とひと言文句言ってやらなけりゃ、気が済まない。
勢い込んで玄関ドアを開けたのだが、真っ先に目に飛び込んできたのはカメラのレンズで、真理は思わず飛び退いてしまった。
「やあ」
レンズが……、いや、ビデオカメラを手にした丸岡が、玄関先でニコニコしながら立っていた。
「何、勝手に撮影してんの?」
脱力感に襲われながら真理が訊ねれば、「肉眼で見えないものでも、映像には映るかもしれないじゃないか」と、丸岡は当たり前のことを聞かないでくれと言わんばかりだ。
とても遅刻をした人間の態度ではない。
隣で「うんうん」と頷いている、岡山田にも、少しも悪びれた様子はなかった。
辛うじて、控えめに一歩下がっている、向ヶ丘だけが、申し訳なさそうに肩をすぼめているだけだ。
「肉眼でもカメラでも、何にも映らないと思うけどね」
真理は、はあ、と大きくため息をついた。
すると、「ニクガンって、なあに?」と、下の方から声がする。
今日は人が来るからロフトの奥でおとなしくしていてくれ、とあれ程言っておいたのに、真理の腿の辺りから、座敷わらしが小さなおかっぱ頭をひょっこり覗かせているではないか。
「ねえ、ニクガンって、なあに? おいしいの?」
座敷わらしは、どうやらじっとしていられなかったようだ。
それもそうだろう。
座敷わらしとの同居を始めてから、この部屋を訪ねて来たのは、里奈が一回と、あとは武田くらいのもの。
それが、今、玄関先に三人もの客人が来ているのだ。
はしゃぐなと言う方が無理な話だ。
「ねえ、ねえ、おいしいの?」
キラキラした目が、見上げてくる。
真理はとっさに、その小さい体を背中に隠した。
座敷わらしがカメラに映らないことは実証済みだ。
しかし、いざ他人にレンズを向けられると、もしかしたら……と不安になってしまったのだ。
そんな真理の気持ちもつゆ知らず、丸岡はいつものように軽口をたたいている。
「けどさ、案外新しくて綺麗な建物なんだね。蔦がびっしり絡みついた、いかにも幽霊屋敷って感じの洋館を想像してたんだけなあ。それで、建物全体から禍々しいオーラが出ててさ、出迎えてくれる柳田くんの背後にも白いモヤみたいなのがまとわりついてたりするの!」
丸岡のこんなくだらない妄想も、いつもなら一笑に付すことができるのだが……。
「え……、今、俺の……たとえば右の脚辺りに何か……映ってたりする?」
恐る恐る聞けば、「残念ながら、なーんにも」との返答。
――そりゃ、そうだよな。映ってるわけないよな。
それでようやく安心して、真理はいつもの調子を取り戻した。
「そ、そうだろ? 映ってるわけないよなあ。だから、ここはまだ築三年だ、って言ったじゃないか。それに、そんな気味悪いところだったら、最初から入居しないから」
「そうだけどさあ」
共有スペースにカメラを巡らせながら、丸岡はまだ不満げだ。
「廊下の電球が切れかかってて、チカチカしてる、とかさ。そういうのを期待してたんだよね。それなのに、こんなに明るくて、綺麗でさ……。これじゃあ、幽霊だって、妖怪だって、住み心地が悪くて、出て行っちゃうよ」
――いやいや、居心地良さそうだぞ。
真理は背中に隠した、小さな背中をそっと撫でた。
もちろん、そんなことは口には出さない。いや、出せないでいるところに、ちょうど隣の住人が帰って来た。
丸岡は彼を撮影しようなんて、これっぽっちも思っていなかったのだが、隣人はカメラに気づくと、とっさに顔を伏せ、そそくさと自分の部屋へと入ってしまった。
真理は一応、「こんにちは」と挨拶したのだが、まるっきり無視された格好だ。
この隣人が素っ気ないのはいつものことだが、あまり人から嫌われたことのない真理は、毎度毎度少しばかりへこんでしまう。
でも、彼の態度も仕方のないことかもしれない。
以前、彼には里奈が転がるように逃げ帰る場面も見られている。
今回、また廊下で騒がしくしているところを見られてしまったことで、彼の中で、真理は『迷惑な隣人』と認識されてしまったのかもしれない。
しかし、それもこれも、オカ研のメンバーをいつまでも玄関先に留めおいた、真理のミスだ。
「ああ、もう、とにかく中に入って」
これ以上、近所迷惑になられては堪らない。
真理は客人を、部屋の中にさっさと引き入れることにした。
ところが、何故か、向ヶ丘だけはもじもじするばかりで、なかなか部屋に上がろうとしない。
彼女の片手には、風呂敷包みがぶら下げられている。
幽霊を見るための何か機材を持って来たのだろう、というのが真理の予想だ。
彼女もオカ研の端くれだ。
今日の日の幽霊見学会を楽しみにして来たに違いないのだ。
それなのに……。
「ん? どうぞ。狭っ苦しいところだけど」
真理が声をかけると、向ヶ丘はポケットからおずおずと小さな包みを差し出した。
「あ、あのっ、これ……。この間、お借りしたハンカチの代わりと言っては何ですが……。先輩のハンカチは一応洗濯してみたんですけど、やっぱり、その……、
私が鼻をかんでしまったので……」
「えっ、もしかして、わざわざ買って来たの? 別によかったのに……」
「いえ、あの、私が選んだので、お気に召しますかどうか……」
ハンカチは、この間、号泣した彼女にあげたつもりだった。
そのまま捨ててもらっても構わなかったのだ。
まさか、買って返すなんてことをされるとは。
たかがハンカチ一枚で、随分大袈裟なことになってしまったと、真理は困惑してしまう。
しかし、真っ赤な顔で、目をぎゅっと固く瞑っている、向ヶ丘を前にしたら、そんなことは言えなくなってしまった。
真理は素直にハンカチを受け取ることにした。
「ありがとう。使わせてもらうよ。でも、気を遣わせちゃってごめんね」
そう言って、真理がにっこり笑うと、向ヶ丘は「いえ、あの、はぅあっ」と、全く言葉にならない様子。
このままだといつまでも玄関先で、ペコペコ頭を下げ合うことになってしまいそうだったので、真理は強引に彼女を中に引き入れた。
そうして、慎み深い向ヶ丘がようやく靴を脱いだとき、部屋の中で叫び声が上がった。
「うわああああっ!!」
なんだ、どうした、と振り向いてみれば、部屋の真ん中で丸岡が腰を抜かして、足をバタバタもがいているではないか。
「こ、こ、こ、こんなところに人形が……っ!」
丸岡の指差す先には、棚の上に鎮座する、市松人形の松子の姿。
――ああ、なんだ、松子か。
丸岡のリアクションには覚えがある。
最初の頃、真理もそうだったからだ。
あの頃はこの人形が不気味に見えて、仕方がなかった。
初めて見た人は、このくらい驚くのが普通だろう。
どちらかというと、「何事かと思ったら、ただの人形じゃないか」と、全く関心を示さない岡山田の方がどうかしているのだ。
「だって、だって、この人形、呪われてそうじゃないですかっ!」
丸岡が涙目で訴えても、岡山田は「髪でも伸びてきたら、教えてくれ」と、にべもない。
丸岡が放り出してしまったビデオカメラを拾い上げ、岡山田はそのまま代わりに部屋の撮影を始めていた。
「髪が伸びてきたら、って! そんなの怖いじゃないですかー!」
ワアワア喚く丸岡に、聞かれてもいないのに説明しているのは、座敷わらしだ。
「この子の名前はね、松子ちゃんって言うんだよ。松子ちゃんはおままごと遊びが大好きなの。ねえ、一緒におままごとする?」
聞かれていないというか、聞こえてもいないのだが……。
このとき、座敷わらしは丸岡を見ていて、丸岡は岡山田の方を向いていて、向ヶ丘はまだ恥ずかしそうに下を向いてもじもじしていて、真理以外、誰も松子を見ていなかった。
それを見計らったかのように、松子がパチクリと一つ、瞬きをした。
――わぁっ!! 松子、おまえ、何してんだ!
真理は飛びつくようにして、松子を胸に抱き抱えた。
誰にも見られないように、人形の顔をむぎゅっと胸に押しつける。
それをどう勘違いしたのか、向ヶ丘は普段の大人しさをかなぐり捨てて、丸岡に食ってかかった。
「丸岡先輩、呪いの人形なんて、失礼です。柳田先輩にとっては大事なお人形なんですよ」
彼女には、真理が松子を愛おしそうに抱きしめているように見えたのだろう。
いや、そういうわけじゃ……と、訂正しようとして、真理は、ぐっと思いとどまった。
座敷わらしが不在のときの寂しさを紛らわせてくれたのも、座敷わらしのピンチを知らせてくれたのも、全部、松子だったではないか。
元々は座敷わらしのお人形だが、真理にとっても、今やかけがえのない存在となっているのは確かだった。
「うん。呪いの人形なんかじゃないよ。俺はこの人形に、何度も救われてるんだよ」
抱きしめる力を強くすると、松子が身じろいだような気がした。
「ご、ごめん。呪われてるとか、変なこと言って……」
丸岡は元々素直な性格で、自分が悪いと思えばすぐに反省する。
こういうところが、彼の憎めないところなのだ。
「いや、いいんだよ。俺も最初は怖かったからさ」
夜になると、松子に布をかけていた頃を、真理は懐かしく思い出していた。
これで、松子に対してオカルト的な興味を持たれることはなくなっただろう。
とはいえ、イタズラ好きな松子のこと。
また何をしでかすとも限らない。
松子にはロフトの奥で、静かにしていてもらうことにした。
できれば、座敷わらしも一緒に奥で大人しくしていてほしいのだが……。
「ふむ。人の顔が浮き出ているというのは、これのことか……」
壁のシミの前でカメラ片手に、うーんうーんと岡山田が唸っている。
学食で武田が言ったことを、彼は真に受けているようだ。
その横で、「えー、壁から顔が出てくるの?」と、座敷わらしもびっくり眼だ。
おままごとをしてもらえないとわかると、座敷わらしの関心はあっさり丸岡から岡山田に移行した。
岡山田に、というよりは、彼が持っているカメラが珍しくて仕方がないのかもしれないが、さっきからずっとついて回っている。
「これが目で……、これが口か……」
「えー、どこどこ? 目玉なんて、どこにもないよ?」
岡山田が「うーむ」と顎をポリポリ掻くと、座敷わらしも一緒になって、「うーむ」と同じポーズを決める。
シミを無理矢理顔に見立てている岡山田は、すぐ横に座敷わらしがいることに気がつかない。
それがなんだか可笑しくて、真理は忍び笑いを漏らした。
しかし、真理に気の休まる暇はない。
「きゃああああ」
――今度はなんだ?
先程「いい天気ですね」とベランダに出た、向ヶ丘が、ものすごい勢いで部屋の中に駆け込んできたのだ。
「なに、どうしたの?」
真理がベランダに出てみると、なんのことはない。
カラスの羽が数本、散乱しているだけのことだった。
真理はほうきとちり取りで、これをササッと片付けた。
「いい? 今から叫ぶの絶対禁止ね。これ以上、近所迷惑なことしたら、帰ってもらうからね」
玄関ドアに向かって、ビシッと人差し指を立てると、コクコクと頷くオカ研の面々もさすがに神妙な顔になった。
彼らが来てから、まだ数分。
なのに、真理はもうぐったりと疲れていた。




