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きみは小さな居候  作者: むめみつき梅
座敷わらしと春の庭
36/97

9話

 何してるの、と言われて、真理は我が身を振り返った。

 それで、ようやく自分が向ヶ丘の脇の下に両腕を差し込んだままだということに気がついた。

 恵美と里奈の視線は、さっきからそこに釘づけだ。

 岡山田の土下座からの一連の流れを見ていなければ、女の子の脇をモミモミしているようにしか見えない。

 これではただの変態だ。

「あっ、いや、これは……」

 真理は慌てて、腕を引き抜いたが、向ヶ丘が恥ずかしそうに顔を赤らめたりするものだから、なんだかおかしな空気になってしまう。

「ふぅ~ん、真理くんって、ストライクゾーンが広いんだね」

 里奈の言葉には、棘があった。

 それに、どこか非難がましい。

「いや、あの、違くて、彼女は高校の後輩で……」

 何が違うのか、実際のところ、真理もわかっていなかった。

 ただ何故か、言い訳しなくてはいけないような雰囲気だったのだ。

「へぇ~、後輩ね……」

 そう言って、里奈は向ヶ丘の全身に不躾な視線を這わせた。

「で、あなた、お名前は?」

 腕組みをした、里奈には妙な威圧感がある。

 向ヶ丘が震えあがったのが、傍目でもわかった。

「向ヶ丘……澄子です」

 すっかり萎縮してしまった、向ヶ丘は蚊の鳴くような小さな声になってしまう。

 しかし、決して聞き取れないほどではない。

 なのに、里奈は聞き違えた。多分、それはわざとだった。

「え? あなた、地味子って言うの? おもしろーい」

「ちょっと、里奈」

 恵美に肘で突かれても、里奈は止まらない。

「地味子ちゃん、よろしくね。あっ、地味子ちゃんって、呼んでいいよね?」

 そんな名前じゃありませんと、はっきり言えばいいのだが……。

 向ヶ丘は「いえ、あの……」と言ったきり、俯いてしまう。

 ――うわ、なに、この空気……。

 このところ、里奈は会えば、いつも不機嫌だ。

 そんなに嫌われてしまったのかと、真理は少々気に病んだりもしたのだが、毎度のことだと慣れてきてもいた。

 しかし、今日はその矛先が真理ではなく、向ヶ丘に向かっている。

 どうして、この状態をそのままにはしておけるだろう。

 真理は、この二人の唯一の接点なのだ。

 なんとかしなければ、という妙な使命感に突き動かされ、真理は二人の間に割って入った。

「彼女、高校の頃から『スーちゃん』って呼ばれてるんだよ。あだ名で呼ぶなら、『スーちゃん』って、呼んでやってよ。ね?」

 もちろん、こんなの口からの出まかせだ。

 そもそも向ヶ丘が高校の後輩だったことさえ、覚えていなかったのだから。

 その嘘を言うのに、真理はなるべく明るく、そして、何よりさりげなさを心掛けた。

 里奈に対して、真正面から「意地悪言うなよ」と言ってしまっては、角が立つと思ったからだ。

 そんな真理の意図を、恵美はとっさに汲み取ってくれたようだった。

「へぇ、スーちゃんって言うの? 高校の後輩なんだ? ねえ、高校時代の真理くんって、どんなだったの?」

 幼稚園の先生のような話し方は、向ヶ丘に気を遣ってのことだろう。

 優しく話しかけられて、向ヶ丘もようやく声を発せられるようになったようだった。

「先輩はすごく……優しい人でした……。えーと、あと、いつも居眠りしてました」

「えっ、俺の印象って、それだけ? 『いつも寝てる人』ってだけ!?」

 何かもっといいエピソードがあるだろう、と真理が憤慨していると、武田と恵美が「あー、なんかわかる」と声を揃える。

「わかるって……。なんだよ、それ。おまえらの中で俺って、いったいどういう人間?」

 不貞腐れる真理を、武田と恵美が笑う。

 つられるようにして、向ヶ丘が笑みを漏らしたことに、真理は内心、ホッとしていた。

 誰も嫌な思いをすることなく、穏便に、平和に、暮らすのが真理の理想なのだ。

 そんな和み始めた空気に、里奈はプイ、と背を向けた。

 その不機嫌な後ろ姿を見送りながら、恵美は困ったように笑った。

「悪気はないのよ?」

 え、あれで悪気ないの? と目で訴える真理たちに、恵美はポリポリと頭を掻いた。

「ただちょっと羨ましかったんだと思うよ、スーちゃんのことが」

 向ヶ丘に里奈が羨ましがられる要素なんてあるのだろうか。

 その場にいた全員が、首を傾げてしまう。

「あー、わかんないならいいのよ」

 恵美は笑って、「ほら、後輩ポジションって、おいしいじゃない?」と、また一段とわからないことを言った。

「それにさ、スーちゃんって、案外胸が大きいしね。私もちょっと羨ましいよ」

 えっ?

 男四人の視線が一斉に集まって、向ヶ丘は慌てて胸の前にバッテンを作った。

 首まできっちりボタンを留めた、長そでシャツに、床掃除できそうなくらいのマキシ丈のスカート。

 向ヶ丘のファッションは、布の分量がやたらと多い。

 手で胸を隠したところで、大量の布でくるまれた、その体が一体どんな肉づきなのか、全く想像がつかなかった。

 ところが、武田はさすがに目聡かった。、

「そうなんだよなー。さっき走って来るとき、胸がゆっさゆっさ揺れててさー。すげー、巨乳だなーって、思ってたんだよ、俺」

「それ、セクハラ」

 武田の額を、真理はパシリとはたいて、たしなめた。

「何だよー、言いだしっぺは恵美ちゃんだろー」

「女子同士なら、いいんだよ」

 真理はもう一度、武田をパシリ、とやった。

 そんな二人のやり取りをひとしきり笑ってから、恵美は「さ~てと」と、里奈が去って行った方に目を向けた。

「私はそろそろ里奈をフォローしに行かなきゃね。今頃、『なんですぐに追いかけてこないの!』って、イライラしてると思うから」

 そうして、恵美は「じゃあね」と手を振った。

 武田には「じゃあ、バイトでね」と、真理には「またね」と。

 そして、向ヶ丘にも。

「じゃあね、スーちゃん」

 そう言って、手を振り振り、恵美は去って行った。


「ふぅ~」

 これまで息を止めていたかのように、岡山田と丸岡は二人同時に息を吐いた。

「やっぱり可愛い子の前だと、緊張するなあ」

「うむ」

 武田が「恵美ちゃんは気さくないい子だよ」と反論すると、「でも、もう一人の子はすごく怖かったよ~」と、丸岡が情けない声を出す。

 岡山田はその意見にも「うむ」と同意しようとして、その目を大きく見開いた。

「ど、どうしたんだ、向ヶ丘くん!」

 岡山田の慌てように驚いて、向ヶ丘を見てみれば、赤いフレームの眼鏡の下、つぶらな瞳がポロポロと大粒の涙をこぼしていた。

「わあ、本当だ。どうしちゃったの、向ヶ丘くん。あの怖い女の人はもう行っちゃったから、大丈夫だよ~」

 丸岡の言う、怖い女の人とはもちろん、里奈のことだ。

 彼女がいなくなって、緊張の糸が切れたと思っているのだろう。

 しかし、向ヶ丘は「ちがっ、違うんです……」と、首を激しく横に振る。

 でも、それ以上は嗚咽になってしまって、言葉にならない。

 激しく泣きじゃくる女の子を前にして、男四人は慌てふためくばかりだった。

「ハンカチ、ハンカチ……」

 ポケットをごそごそ探っても、実際に持っていたのは真理と岡山田の二人だけ。

 しかし、岡山田のハンカチは、いつからそこに入っていたのか、というくらい、くしゃくしゃだ。

 仕方がないので、真理のハンカチを差し出すと、向ヶ丘はズビー、ズビーと思いっきり二回、鼻をかんだ。

 それで、ようやく落ち着いたようで、「違うんです……。私、嬉しくって……」と、つっかえつっかえ話し始めた。

「小学校のときは、澄子なんて名前はもったいないって……、おまえなんかドブ子だ、って、男子に言われて……。それで、あだ名はずっと『ドブ子』だったんです」

「う~ん、子供ってのは正直で残酷な生き物だからなあ」

 武田の少しもフォローになってないフォローに、向ヶ丘は深く頷いた。

「そうなんです。高校生くらいになると、思っていることをそのまま口に出さなくなっていくんです。そのうち、あだ名で呼ばれることもなくなって……。だから……、だから、すごく嬉しかったんです。あんなに可愛いあだ名で呼ばれたの、私、初めてだったから……」

「えっ、スーちゃんってあだ名、嘘だったの?」

 素っ頓狂な声を出した、武田に、真理は「嘘じゃないよ」ときっぱり言い切った。

「今日から皆で呼べば、嘘じゃなくなるだろ」と。

「えーっ、僕たちも?」

 真理の言う『皆』に自分たちも入っているのかと、丸岡が聞くから、真理は「もちろん」と大きく頷いた。

 すると、岡山田はコボンと一つ、咳払いして、「ス、ス、ス」と言い淀んだ末に、思い切ったように叫んだ。

「……スーくん!」

 岡山田にはこれが精いっぱいだったのだろう。

 その照れくさそうな顔がなんだか可笑しくて、真理は向ヶ丘と顔を見合わせて笑った。

「な、何が可笑しい。いつまでも笑ってないで、さっさと連絡先を交換しようじゃないか。今日だって、メールアドレスのひとつでも知っていたら、朝からきみを探して走り回る必要なんてなかったんだ。それに、菅原先生の家に行く前に、作戦会議をしておくべきだろう」

 岡山田の提案に、「それもそうですね」と丸岡が賛同する。

「でも、学食じゃあ落ち着かないし、かと言って、僕たちには部室というものがないし……。困りましたねえ、部長」

「それなら、柳田くんの部屋はどうだろうか。大学近くにあるそうじゃないか」

「わあ、部長、それはいい案ですね」

 岡山田と丸岡のわざとらしいやり取りに、武田も「何、この三文芝居」と呆れ顔だ。

 確かに、彼らのセリフはひどい棒読みで、大根役者もいいところだ。

 しかも、彼らは真理から一言を引き出すまでは、決してこの舞台から降りたりしないだろう。

 ということは、いつまでも、この下手くそな芝居を見せられる、ということだ。

「はいはい。わかりましたよ。うちで作戦会議でも何でも、どうぞ」

 うんざり顔の真理とは対照的に、岡山田と丸岡はパアッと顔を輝かせた。

 こうして真理は一歩譲歩したばっかりに、二歩も三歩も譲るハメになったのだった。

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