8話
「あー、いた! 柳田くん!」
真理は武田と連れ立って、学食に向かうところだった。
その途中、長い廊下を歩いていると、遥か前方から指を差された。
遠目からでも、よくわかる。
小太りのシルエットは、オカルト研究会の丸岡だ。
「見つけたよー、こっちこっち!」
丸岡がいて、他のオカ研メンバーがいないわけがない。
案の定、丸岡に手招きされて、曲がり角から例の二人が顔を出した。
会長の岡山田と、一年女子の向ヶ丘だ。
二人は真理の顔を見てとると、次の瞬間には弾かれたように駆け出していた。
遅れて丸岡も、雄叫びのようなものを上げながら、それに続く。
その必死な形相は、彼らの襲来には慣れっこになっていた武田が思わず怯んでしまうほど。
しかし、「なんだ、ありゃ?」と驚く武田の横で、真理は至って冷静だった。
そろそろ彼らが来る頃だという、予感があったからだ。
「ハア、ハア……、ファアッ……、……ッッ」
真っ黒な頭が三つ、真理の前で苦しげに揺れている。
全速力で走って来たはいいが、いざ真理を前にしたら、三人共ゼエゼエハアハア、息が上がって話せないのだ。
真理は、彼らが膝に手をついて、息を整えるのを待たなければならなかった。
しかし、可愛い女の子ならまだしも、むさっくるしい男が汗を掻き掻き、ハアハアしている姿というのは、見ていて楽しいものではない。
真理の口調も、ついつい冷たいものになる。
「運動不足なんじゃないですか?」
「だって、きみのこと、ずっと探してたんだよ! 朝、菅原先生に会ってから、ずっと!」
不満げに反論したのは、いち早く回復した丸岡だ。
丸岡の言葉で、真理は確信した。
やはり、彼らは聞いたのだ、と。
「びっくりしたよ。もう既に、菅原先生の家に行く算段ができてるって言うじゃないか。いつの間に、そんなに話が進んじゃったんだよ」
この話には、武田も「へえ?」と驚いた。
「へえ、結局、行くことにしたんだ?」
あんなに嫌がってたのに、と武田は言うが、さすがに座敷わらしがどうしても行きたいと言うからだ、とは言えなかった。
「そうなんだよ、武田くん。それで、『僕たちも行きたいです』って、菅原先生に直談判したんだけど、『柳田くんがいいって言ったら』の一点張りでさ」
それで、丸岡たちは、今度は真理に直談判に来たというわけだ。
その直談判に、ようやく呼吸が整った岡山田も早速加わった。
「柳田くん一人では、何かあったときに困るのではないかな?」
「ああ、それなんですけど、俺は武田と行こうと思ってるんで」
真理が宣言すると、オカ研の三人と武田は「ええっ!?」と、声を合わせた。
「武田くん、ズルい!」
丸岡に詰め寄られて、武田は「えー、俺、知らないぞ、初耳だよ」と、かぶりを振った。
知らないのも当然だ。
武田には、これから話そうと思っていたのだから。
そもそも真理にとって問題は、幽霊が出る、出ない、ではない。
さして親しくもない教員の家を訪問する、ということが問題なのだ。
はっきり言って、気が重い。
しかし、座敷わらしがどうしても行きたいと言うから、仕方なしに行くのだ。
ならば、せめて気心の知れた武田を連れて行こう、と考えたのだが、そこに武田の都合は加味されていなかった。
どうせ暇だろうと、高をくくっていたのだ。
ところが、武田は「いつ?」と、生意気にもスマホでスケジュールをチェックし始めた。
忙しい菅原の予定に合わせて、次の日曜日と決めたのだが……。
「あー、その日はバイトだわー。残念だなー」
武田は口では残念と言っているが、その実、少しも残念そうではなかった。
断る理由があってよかった、と思っているに違いない。
直接関わりのない教員から頼まれた用事なんて、面倒くさいだけだと思っているのだろう。
しかし、武田は日曜はバイトをいれないと言っていた筈。
真理がそれを問い質すと、武田は途端にデレデレとしまりのない顔になった。
「いやあ、最近は、恵美ちゃんのシフトに全部合わせてるんだよね、俺」
――はあ、恵美ちゃんね……。
武田の、この恵美に対する情熱には、真理も頭が下がる思いだった。
これだけ熱心にアプローチを続けていれば、そのうち恵美もほだされるのではないだろうか。
真理にとって、今や、二人はどちらもかけがえのない友人だ。
その二人がくっついてくれたら、こんなに嬉しいことはない。
だから、上手くいってほしいのだが……。
だが、しかし、今は友人の恋路を心配している場合ではなかった。
目の前では、オカ研の三人がじっと成り行きを見守っている。
その目は、自分たちの方に流れが向いて来たのでは、と期待に満ち満ちていた。
真理は「は~」とひとつ、ため息をついた。
できれば、気の合う友人と出かけたい、というのが本音だ。
しかし、その友人が都合がつかないと言うのだから、仕方がない。
――まあ、ひとりで菅原先生のお宅を訪問するよりはマシかな……。
真理がそう思いかけていた、正にそのとき、突然、岡山田が動いた。
「うわっ、ちょっ……、何で土下座!?」
あまり口数の多くない岡山田は、元から何を考えているのかよくわからないところがある。
しかし、まさかいきなり土下座をするなどという、エキセントリックな行動に出るとは思わなかった。
先程の真理のため息を、岡山田は否定的な意味に受け取ってしまったのかもしれない。
「頼む、我々オカルト研究会にチャンスをくれ!」
真剣な顔で、岡山田がガバリと頭を下げる。
真理はあまりのことに、ただ茫然とするしかない。
隣で武田は「俺、ナマ土下座って、初めて見た……」と、何故か感激の面持ちだ。
しかし、そんな呑気なことを言っている場合ではなかった。
廊下を歩いていた他の学生たちが、「なんだ、なんだ」とざわつき始めている。
今まで散々おかしな噂を立てられてきた、真理だ。
幽霊が出る部屋に住んでいて、その上、土下座を強要していた、なんてことが広まったら、大学に通えなくなってしまう。
焦る真理をよそに、岡山田は周りの目なんて、これっぽっちも気にしちゃいなかった。
「ほら、きみたちからもお願いするんだ」と、他の二人にも土下座をさせようとしている。
「わー、待て、待て!」
真理は、慌てふためいた。
信じられないことに、言われた二人は素直にそれに従おうとしている。
しかし、向ヶ丘は女の子だ。
女の子に土下座させるなんて、とんでもない!
膝を折ろうとする、向ヶ丘の両脇に、真理はとっさに腕を差し込んでいた。
「わかった、わかりましたよ! 一緒に行きますから! あー、もうっ、だから、土下座なんてやめてください!」
沈み込もうとする向ヶ丘の体を持ち上げながら、真理は、やけになって、怒鳴った。
本来、土下座というものは、する側に多大な屈辱を与えるものだ。
しかし、される側が真理のような小市民の場合、それは脅迫行為に他ならない。
もう何でも言うこと聞くから、やめてー、という気分にさせられてしまうのだ。
「おお、そうか。有難い」
驚くほど機敏に立ち上がった岡山田は、その辺のところをよく理解しているのだろう。
――なんて性質の悪い人だ……。
岡山田のケロリとした顔を、真理は苦々しく見つめた。
元々、絶対にオカ研の連中とは行きたくない、というわけではなかったのだ。
じゃあ、一緒に行きますか、と喉元まで出ていたのだから。
それが、こんな風に脅されるような形で約束を取りつけられて、真理はなんだか面白くない気分だった。
――まったく……、なんて日だ。今日は厄日かもしれない。
まだ今日という日が終わってないのに、そんなことを思ってしまった。
しかし、それがいけなかったのかもしれない。
「真理くん? 何してるの……?」
振り向けば、恵美と里奈が並んで立っていた。




