7話
真理の部屋のベランダには、カラスがしょっちゅうやって来る。
それが毎回、同じカラスなのか、それとも、違うカラスなのか。真理には見分けがつかないので、わからない。
ただ違うカラスなのだとしても、こうして毎日、入れ替り立ち代りやって来るのだから、それだけ座敷わらしが愛されているということだろう。
帰り際には大抵ケンカになるのだけれど、そこはそれ、ケンカするほど仲が良いというやつだ。
そうは言っても、ケンカとなると、カアカアと喧しく、迷惑なこと、この上ない。
それでも、手摺りに止まって、座敷わらしの自慢話を飽きもせず聞いてくれる、彼らの存在を真理は有難く思っていた。
カラスがいなければ、座敷わらしはこの狭いワンルームで一人、真理の帰りを待つことになるからだ。
座敷わらしからしたら、真理という人間の話し相手がいるだけで充分幸せなのだが……。
この日も、夕方になると、どこからともなく一羽のカラスが飛んできて、ベランダの手摺りに止まった。
ねぐらに帰る前に立ち寄ったのだろう。
座敷わらしの自慢話に、つき合わされるだけだというのに。
「いいでしょう、これ。昨日、真理がくれたの」
座敷わらしが得意げに見せびらかしているのは、ただのタンポポだ。
昨日の帰り道、街路樹の根っこに寄り添うように咲いていたもので、そんな大層なものではない。
ただ座敷わらしに、この可憐な野の花を見せてやりたくて、真理は摘んで帰ったのだ。
正直、花を摘んでる姿を大学の友人に見られたら……と思わないでもなかった。
そこは大学と駅とをつなぐ大通りで、友人の誰かが、いつ、通りかからないとも限らない道だ。
少女のようにせっせと花を摘む姿を、もしも、大学の友人――特に武田なんかに見られでもしたら、卒業するまでずっとからかわれること間違いなしだ。
それでも、真理は座敷わらしにタンポポを届けたかった。
田舎の家のように広い庭があるわけでもない、都会のワンルームマンション暮らしでは、季節の移ろいを感じることが難しい。
小さなベランダから外を覗いたところで、青々とした木々も、金色に実る田んぼも、冬枯れの山も、どこにもないのだから。
暑さ、寒さを感じないという、座敷わらしならば尚のこと。
毎日の献立を決める際、少しでも季節感のあるものを、と考えるようになったのは、そんな座敷わらしのためだった。
そうして、昨日、タンポポを手に帰ったのだが、そのときの座敷わらしの喜びようといったらなかった。
真理がトマトの水煮の空き缶に活けてやると、ご飯のときも寝るときも、手元に置きたがるほど。
その様子から、明日になったらきっとカラスに見せびらかすだろうなと、真理は思っていたら、案の定だ。
心配だったのは、カラスにはタンポポなんて珍しくもなんともないということ。
それでまたケンカになるのではと、真理は部屋の中からハラハラと見守っていたのだが、カラスは今のところ、黙って話を聞いてくれているようだった。
「ほら、キレイでしょー。田舎の家でもね、庭の松の木に登るとね、あぜ道にいっぱい咲いてるのが見えたんだよ。タンポポの他に、つくしんぼもいっぱい
いっぱい生えてたの。……けど、ここには、つくしんぼは無いみたい……」
話しているうちに郷愁にかられたのか、座敷わらしの語尾はどんどん小さくなっていく。
カラスが「カア」と鳴いたのは、そんな座敷わらしを元気づけようとしてのことだろう。
真理にはカラスの言葉はわからない。
しかし、何か上手いことを言ったのだろう。
座敷わらしの機嫌が急上昇した。
「うん、うん。そうなの。つくしんぼにはお花がないの。タンポポの方がキレイなの!」
座敷わらしはタンポポを頭に掲げて、踊るようにくるりと一回転した。
「キレイな花が枯れちゃう前に、押し花にしなくちゃ」
押し花なんて言葉が、座敷わらしの口から出るとは思わなかった。
それはカラスも同じだったらしく、「カア?」と首を傾げている。
「作り方くらい、知ってるもん。トキが押し花するところ、いつも見てたんだから!」
座敷わらしは、できないと思われたことに余程腹が立ったようで、唇を尖らせ、猛反論した。
――そういや、祖母ちゃんの手紙にはよく押し花が入ってたなあ。
料理も裁縫も上手だった祖母のトキは、達筆で筆まめな人でもあった。
ことあるごとに送られてきた、美しい毛筆の手紙には必ず押し花があしらわれていた。
――ああ、懐かしいなあ。
今は亡き祖母に思いを馳せていた真理は、しかし、すぐに現実に引き戻された。
ベランダが随分と険悪なムードになっていたからだ。
「できるって言ったら、できるんだもん! カラスなんか、花を見つけたらすぐ食べちゃうくせに! ……え? カラスは花を食べないの? ……え? わたち? わたちは……食べたこと……あるよ。トキがおひたしにしてくれたの……」
さっきまで、あんなに和やかに語らっていたのに……。
これだから、座敷わらしとカラスは困るのだ。
寄れば触ればケンカして、そのくせ、すぐにまた寄って行きたがる。
しかも、今はどうやら座敷わらしが劣勢のようだ。
こんなとき、座敷わらしは、大抵の場合、逆ギレするのだ。
「季節の変わり目になると、白いご飯以外にその季節のものをトキがお供えしてくれてたんだもん。春は美味しいお花がいっぱいなんだから! 菜の花だって、酢味噌で和えると美味しいんだから!」
もはや何でケンカになったのかもわからない。
ただもうベランダはワアワア、カアカア、大変な近所迷惑だ。
「まったく、なんだよ、本当は仲が良いくせに。おーい、その辺でやめとけよー」
真理は重い腰をあげて、一人と一羽の間に割って入った。
大抵、これがお開きの合図となる。
カラスが「カアカア」鳴きながら飛んで行き、座敷わらしは「バカじゃないもん」と届かない腕を振り回す。
これもまたいつもの通りだ。
そのとき、下の道路から無邪気な子供の声が聞こえてきた。
「ママ、ほら、カラスアパートにまたカラスがいたよ。呪われてるね」
以前、カラスのフン害がヒドイと近所からクレームが入ったことがあった。
そのときは、真理が直接カラスに、ここでフンをするなと注意することで収まったのだが、まさか『カラスアパート』などと呼ばれていたとは思わなかった。
――でも、そうだよなあ……。座敷わらしが見えない人たちには、カラスが集まって来る理由がわからないんだから、そりゃあ、不気味だよなあ。
真理は納得しつつも、ここで今更な疑問にぶち当たった。
「なんで、俺には見えるんだろうなあ。今まで幽霊だって、見たことないのになあ」
思わず声に出して呟くと、既に部屋に戻っていた、座敷わらしがくるりと振り向いた。
「わたちも幽霊、見たことないよ」
「見たことないって、おまえ……。幽霊が何か知ってるのか?」
真理には、座敷わらしを何も知らない小さな子供のように扱ってしまう癖がある。
見た目が子供だから仕方がないのだが、生きている年数から言えば、真理なんかよりもずっと年上なのだ。
もちろん、屋敷の中だけで培った、知識と経験なのだが……。
座敷わらしは唇を尖らせて、盛大に不満を表明した。
「それくらい知ってるもん。幽霊でしょ? 死んだ人間のことだよ。ご飯食べられないで死んじゃったから、『うらめしや』って言うんだよ」
それはちょっと違うと思うぞ……という真理の言葉なんて、座敷わらしは聞いちゃいない。
「それからね、幽霊はね、白い着物を着てて、おでこに白い三角をつけてるの。あっ、あとね、足が無いの!」
自分が知り得る限りの幽霊の知識を、披露しなければ気が済まないようだった。
しかし、座敷わらしが想像する幽霊は、随分とオールドスタイルだ。
「うーん、うちの大学の菅原先生の家に出る幽霊には、足があるみたいだぞ。夜な夜な歩き回って、足音がうるさいって言ってたからな」
真理が菅原の話を持ち出すと、座敷わらしはパチリと目を見開いた。
「幽霊が出る家!?」
「ああ、出るらしいぞ」と、真理が言うと、ものすごい勢いで座敷わらしが飛びついてきた。
「見たい! わたちも幽霊、見たい!」
「見たいって、おまえ……」
「やだやだ、見る、見る!」
座敷わらしは床にぺたんと座り込み、足をバタバタさせて、駄々をこね始めた。
「おまえなあ……。わかってんのか? 幽霊を見に行くってことは、外に出るってことだぞ? 散歩にも行かない奴が、どうやって菅原先生の家まで行く気だ?」
真理が呆れたように言うと、座敷わらしは「ハッ」と息を飲んだ。
「おまえ……、今、ハッとなっただろ。今気づきましたって、顔だぞ。何も考えずに言ってたな?」
真理が指摘すると、座敷わらしは「イマキヅキマシタ」と、意外や素直にそれを認めた。
それから、しばらく黙っていたのは、頭の中でぐるぐると考えていたからに違いない。
きっと頭の中にはシーソーがあって、外に出たくないという気持ちと、幽霊を見たいという気持ちがギッタンバッコン、せめぎ合っているのだろう。
しかし、やがて座敷わらしは結論を出した。
「見に行きたい。わたち、幽霊、見たい」
「靴を履いて、出かけるってことだぞ?」
確認を取ると、座敷わらしは力強く頷いた。
「うん、出かける」
今度は、真理が考え込む番だ。
今まで散歩に連れ出そうと、色々趣向を変えて頑張ってきたのに、幽霊をエサにしたら、こんなにあっさりと座敷わらしがOKしてしまうとは……。
真理は複雑な気分だった。
一方で、これがいいきっかけとなるかもしれないという、淡い期待もある。
でも、ピクニック気分で菅原の家に行っていいのだろうかという、ためらいもあった。
ぐるぐるぐるぐる考えてはみたが、真理は結局、座敷わらしの気持ちを優先させてしまうのだ。
「よ~し、じゃあ、幽霊を見に行くか」
「わーい、わーい」
はしゃぐ座敷わらしを見つめながら、まあ、いっか、と真理は思った。
、真理が幽霊を見れなくても、座敷わらしなら見えるかもしれないのだから、菅原にとっても悪い話じゃないだろう、と。




