6話
「この間、中庭できみの話を聞いてしまってね」
男は、岡山田と同じことを言った。
あの日、中庭で、一体どれだけの人間が、真理たちのくだらない幽霊話を聞いていたのか。
考えただけで、真理はげんなりしてしまった。
これから続々と、岡山田的な人間が集まって来ることを想像してしまったのだ。
そんな真理の心の内など知る由もなく、男は「ああ、自己紹介がまだだったね」と言って、自らを菅原惣一と名乗った。
彼はこの春、この大学に着任したばかりの新米講師なのだと言う。
てっきり学生だと思っていた真理は、思わず彼の天然もじゃもじゃ頭をまじまじと見つめ返してしまった。
――岡山田さんの方がよっぽど老けて見えるよなあ……。
岡山田が聞いたら気を悪くしそうな感想を抱きつつ、真理は岡山田と菅原をこっそり見比べた。
二人の共通点は、どちらもファッションに無頓着なところだろう。
今時それはないだろう、と言いたくなるような格好を平気でしているのだ。
どちらも研究――岡山田にとっては勉学ではなく、オカルトに関することだが――以外に興味が無い、といった感じだ。
しかし、受ける印象は正反対だ。
気難しげに腕を組んで、ずり下がってもないのに黒縁眼鏡の位置をひっきりなしに直している岡山田は、いかにも神経質そうで取っつき難い。
その点、菅原は天パの頭をポリポリと掻きながら、終始微笑みを絶やさない。
目が細いのは、いつもそうやって笑っていたからではないか、と思ってしまうくらいに柔和で、穏やかそうな人だった。
顔の印象だけでなく、柔らかい話し方にもまた人柄が表れていた。
彼はきっとギャアギャアと喚くことも、早口でまくし立てることもしないのだろう。
一定のトーン、一定のリズムで、菅原は話す。
講義を受ける学生が羨ましくなるくらい、彼の声は心地良かった。
その声が、「幽霊なんて、今まで信じてなかったんだけどねえ」と、呟いた。
そして、同じトーンで、さも重大秘密事項のように囁いてくる。
「でもね、僕の家にも出るみたいなんだよ。……幽霊が」と。
まるで、仲間でしょう? と言われているみたいで、真理は居心地が悪かった。
なんだか騙しているみたいで、申し訳なくなってくるのだ。
それは岡山田達に対しても、同じ気持ちなのだが、彼らには真理も迷惑を蒙っているのであまり罪悪感はない。
例えば、昨日の中庭でのことなんかがそうだ。
岡山田たちがUFOとの交信を試みているところに、たまたま通りかかってしまったのだ。
知らぬ顔でそそくさと通り過ぎようとしたのだけれど、まず最初に向ヶ丘に見つかってしまい……。
残りの二人に大声で名前を呼ばれ、手を振られ……。
周りから『やだ、あの人も仲間?』といったヒソヒソ声が聞こえてきて、真理は顔から火が出るくらい、恥ずかしかった。
このように、実害のある岡山田たちと菅原とでは、わけが違うのだ。
だから、ずっと探していたんだ、などと言われて、真理は申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまうのだ。
「中庭で、きみの話をもっと詳しく聞きたくて、呼び止めようとしたんだよ。でも、足がもつれて転んでしまってね」
ずっと座っていたせいで、足が痺れてしまったんだね、と菅原は笑った。
「その間に、きみたちはもうどこかに行ってしまって……、それで、『あの学生は誰だ?』と聞いて回ったのだけれど、女学生の名前しかわからなくてね」
女学生……。もしかして、里奈のことだろうかと思い、聞いてみれば、大当たり。
「ああ、そうそう、確か金沢里奈さんだった。彼女は有名人のようだ」
確かに、里奈はキャンパスでも人目を引く。
そして、なにより顔が広い。
ちょっと聞き込みをすれば、彼女が何という名で、何学部かなど簡単に分かってしまうだろう。
それどころか、今、何号棟を歩いていた、なんて情報まで集まってきてしまいそうだ。
そんな里奈を経由して、菅原は真理に辿り着いたというわけだ。
「彼女からきみの幽霊部屋の話を聞かせてもらったよ、柳田くん」
「は……はあ」
「きみは二年以上も幽霊と共に暮らしているそうだね」
「いや……あのですね」
「そこで、きみに相談なんだが。僕の家をきみに見てもらいたいんだ」
どうやら菅原は、岡山田たちのように真理の幽霊部屋を探検したいというわけではないらしい。
「最初に『幽霊が出るみたいだ』と僕は言ったよね? 言葉通り、実際に見たわけではないんだ。ただ足音がどこからともなく聞こえてくるだけでね。でも、きみならもしかして見えるんじゃないかと考えたんだ」
まるで真理が幽霊研究の権威か何かのような言い方だ。
実際には、幽霊なんて見たことがないというのに、だ。
どうしたものかと真理が考えこんでいると、隣でオッホン、と咳ばらいが聞こえてきた。
岡山田だった。
「そういった用向きでしたら、柳田くんよりも我々の方が適任ですな」
そう言って、岡山田は真理のときと同じように、菅原に名刺を差し出した。
横から覗いてみれば、お馴染みのオカルト研究会会長という肩書の横に、さっきまではなかった『ゴーストバスターズ』の文字があるではないか。
いかにも手書きなそれは、明らかに、今さっき、膝の上で書き足されたものだった。
「我々はオカルト研究――中でも幽霊研究に力を入れてましてね。ゴーストバスターズとしての実績も多々あるのですよ」
開いた口がふさがらない、とはこのことだ。
――おいおいおい、幽霊も見たことないくせに、幽霊退治だって?
菅原先生、騙されちゃいけません、こいつはインチキです、と喉元まで出かかっていた。
それを飲み込んだのは、それじゃあ、まるで菅原の依頼を引き受けたがっているみたいじゃないか、と思ったからだ。
しかし、真理の忠告は、元から菅原には不要なものだった。
「いや、僕は幽霊を退治したいわけじゃあないんだよ。害をなすような幽霊では困るけど、このまま穏便に一緒に暮らしていくのが理想なんだ」
「は? 一緒に? 暮らす?」
可哀想に、岡山田は頭の上にハテナマークを飛び交わせ、ポカンと口を開けてしまった。
自分の家に幽霊が出たら、なんとか成仏してもらいたいと思うのが普通だろう。
なのに、ゴーストバスターズは必要ないと、名刺もやんわりと突き返されて、岡山田は何が何だかわからない、という顔だ。
「……というのもね……」
岡山田からの申し出を拒否するからには理由を説明するのが筋だと思ったのか、菅原は静かに語り出した。
「今、僕が住んでる家というのは、元々は父の実家でね。祖父母亡きあと、叔父が一人で守っていたんだ。その叔父が今年の初めに病気で亡くなってしまってね……。生涯独身だった叔父は遺言書を残していてね。この家だけはどうしても僕に継いで欲しいと……、そう書かれてあったんだ」
それで、引っ越して来てみれば、誰もいない筈の家に人の気配を感じるわ、夜、寝ていると、ミシミシと畳を踏みしめる音がするわ、の幽霊屋敷だった、ということらしい。
「普通は不気味に感じるのだろうけれど、何故だか嫌な気がしないんだ。それは叔父の幽霊だからなんじゃないかと、思うようになってね」
そんなときだった。真理たちの話を小耳に挟んだのは。
「幽霊が出るという部屋に、平然と暮らしているというきみに興味を持ったんだ。そして、その力を貸してもらいたいと考えた、というわけなんだ」
「叔父様の幽霊が住む家ですか。素敵なお話ですね……」
それまで黙っていた向ヶ丘が、女の子らしい感受性を発揮して、眼鏡の奥の瞳を潤ませながら、うっとりと呟いた。
向ヶ丘だけではない。
真理も菅原の話を聞いているうちに、夕焼けに包まれたような、不思議な温かさを感じていた。
しかし、こういうとき、場の空気を一切読まないのが武田という男なのだった。
「ふぅ~ん、でも、それって、幽霊じゃなくって、泥棒が屋根裏に住みついてた、な~んてオチだったりしませんか?」
夕焼けは一瞬で掻き消え、その代わりに、新聞の三面記事を顔に張りつけられたような気分だ。
とはいえ、武田の言うことも、もっともなことだった。
「う~ん、でも、盗まれるようなものはないんだけどねえ」
首を捻る菅原に、武田が畳み掛ける。
「でも、夜な夜な天井裏から降りてきて、赤の他人が飯を食ってた、ってニュース、俺、聞いたことありますよ」
「う~ん、そういえば……。買っておいたカップラーメンがなくなってたことがあったような……」
菅原の返答はなんとも頼りないもので、真理は、大丈夫かなこの人、という気になっていた。
しかし、丸岡はここに勝機を見出したようだった。
「もしも泥棒だったら、柳田くん一人で行くよりも大勢で行った方がいいんじゃないですか?」
オカ研として、なんとしても幽霊屋敷探検ツアーに参加したいらしい。
「おおっ、そうだ、その通りだ」
最初のアプローチに失敗した、岡山田も必死に頷いている。
「そうだねえ……」
菅原は顎に手を当てた。
答えが出たのは、しばらく考え込んでからだった。
「柳田くんがいいならいいよ。でも、柳田くんが人が多いと気が散ってしまうと言うならダメだ」
菅原はこれだけ武田に言われても、家に泥棒がいるとは想定していないようだ。
それに、真理が霊視のようなことをするとでも思っているかのようだ。
ともかく、全ては真理次第ということらしい。
困ったなあと、真理は頭を掻いた。
三つの眼鏡が期待いっぱいの眼差しを、真理に向けている。
それがまた、真理を余計に困らせていた。
「ああ、もうこんな時間か」
菅原は壁掛け時計を確認して、立ち上がった。
「じゃあ、柳田くん、考えておいてくれないか」
そう言って、菅原は学食を出て行った。
途中、何度も人とぶつかって、そのたびに「おっと、失礼」と立ち止まるものだから、とても時間がかかったが……。
「な~んか、危なっかしい人だなあ」
武田の呟きに、向ヶ丘も深く頷き返す。
「そうですね。心配です。菅原先生はドジっ子属性のようですから」
この間まで高校生だった女の子にまで、菅原は心配される始末だ。
しかし、彼を放っておけない、という気持ちは真理にも理解できる。
ドジっ子かどうかは置いておくとして、自然と手を貸したくなるような人であることに変わりはない。
そもそも、彼には危機意識が無さ過ぎる。
幽霊にしろ、泥棒にしろ、そんなものが出てくる家で暮らすのは危険ではないか。
――ああ、でも、だからって、俺に何ができるだろう。
真理が見えるのは座敷わらしなのであって、幽霊ではない。
それに、泥棒だった場合、取り押さえる自信もない。、
真理はぐしゃぐしゃと頭を掻きむしった。
しかし、何ができるだろうと考えている時点で、もう何かするつもりでいる、ということに、真理はまだ気づいていなかった。
真理はもうすっかり、この騒動に巻き込まれていたのだ。




