2話
ポカポカ陽気のこんな日に、学食でくすぶってるなんてもったいないと、言い出したのは武田だった。
真理は「嫌だ、面倒くさい」と抵抗したのだが、結局はこの強引な友人に、キャンパス中央に広がる芝生敷きの中庭へと連れ出されてしまったのだった。
家では座敷わらし、大学では武田と、真理はいつも誰かに振り回されている。
しかし、それが悪いとは一概に言えなかったりもする。
振り回されてみて、初めて見える景色というものがあるからだ。
現に今だって、「ひなたぼっこも良いもんだなあ」なんて呟いていたりする。
さっきまでぶつぶつ文句を言っていたことなど、忘れたかのように。
それくらい春の暖かな日差しは心地良かった。
青々と茂った芝生の上、「このままここで寝てしまおうか」と、真理は猫のように喉を鳴らす。
他にも、そんな学生は大勢いて、中庭は大いに賑わっていた。
芝生のあちこちで思い思いの格好で寛ぐ彼らもまた、半分猫化しているようだった。
なんとも長閑な春の光景だ。
しかし、武田はというと、どうも純粋にひなたぼっこを楽しんでいるわけではないようで……。
「おっ、あの子も、あっちのあの子も可愛いな。やっぱ、一年生は初々しくていいね~」
キャンパスをきょろきょろとまだ不慣れな様子で歩いている女の子たちを目で追いかけては、武田はずっとこの調子だ。
広いキャンパスの中、どこに何があるか、まだ把握しきれてないのだろう。
その物馴れない仕草と、どこか高校生っぽさが残るあどけなさで、新一年生はひと目で見分けがつく。
しかし、それを見て、「初々しいねえ」、「若いねえ」と鼻の下を伸ばすなんて、オヤジのすることだ。
真理がこれ見よがしにため息をつくと、武田は片眉を上げて異議を唱えた。
「何だよ、その何か言いたそうな顔は。俺が入学したての頃も、あんなだったな~って、ノスタルジーに浸ってるだけだろ」
「な~にがノスタルジーだよ。……ああ、でも、そういや、俺も……」
武田のそれは言い訳に過ぎないとわかっているのに、真理はついついのせられてしまう。
俺もあんなふうだったなあ、と昔の自分に思いを馳せてしまうのだった。
右も左もわからなくて、迷子の子供のように心細かった自分。
やがてそのイメージが、従弟の健と重なった。
――健の奴、今頃どうしてるかなあ。
つい最近まであまり接点のなかった、父方の従弟。
去年の冬、受験生だった彼は、不注意で田舎の家を全焼させてしまった。
それもこれも、色々と鬱屈が溜まっていたためだった。
年の近い先輩として、もっと早く親身になってあげればよかったと真理は少々後悔していた。
その後、祖父が亡くなり、慌ただしい中、冬が過ぎた。
受験生にとっては、決していい環境とは言えなかった筈だ。
そんな状況で、健は見事、東京の大学に合格したのだ。
柳田家にとって、それは久しぶりの明るいニュースだった。
そんな彼は、現在、母親と共に東京に出てきているという。
今、真理の目の前をきょろきょろしながら歩いて行く彼らのように、覚束ない足取りで大学生活の第一歩を踏み出しているところだろうか。
そんなことをつらつらと考えている真理の横で、武田のお喋りは続く。
「でもさ、女子が初々しいのなんて、今だけだもんな」
真理が聞いていようが、いまいが、お構いなしだ。
「男と違って、女は順応が速いじゃん? 化粧の仕方もファッションも、あっちゅう間に女子大生風になるもんなあ。……あっ、でも、ありゃあ、ダメだな」
スマホを片手にうろうろとしている女の子。彼女を見て、武田は「あれはダメ」と切り捨てる。
黒っぽい長いスカートに、同じく黒っぽいシャツ。黒く長い髪は、無造作に一つに束ねただけ。化粧っ気のない顔に、眼鏡の縁だけが赤く、それが却って野暮ったい。
こんな青空の下にいて、彼女の周りだけがどんよりと曇っている。
「ああいう子は、あのまんまだね。垢抜けずに終わっちゃうパターン」
聞こえないことをいいことに、武田は言いたい放題だ。
「おいっ!」
真理は慌てて、この友人を肘で小突いた。彼女が真っ直ぐこちらにやって来たからだ。
まさか聞こえたわけではないだろう。
だけど、目が合っているような気がしてならない。
「なんだ、なんだ?」と思ってるうちに、彼女はすぐそこまで近づいて来ていて、真理に向かってぺこりと頭を下げた。
「え、え、え?」
どこかで会ったか?
知り合いだったか?
記憶の引き出しに手を突っ込んでみるが、全く身に覚えがない。
すると、真理の背後から「やあ、こっちこっち」と声がした。
少し離れた芝生の上に、黒ずくめに眼鏡という、彼女によく似た雰囲気の二人組が胡坐をかいて、手を振っていた。
彼女は真理を通り過ぎ、二人に向かって歩いて行く。
――なんだ、あっちに挨拶したのか。勘違いして、挨拶し返しちゃうとこだったよ……。
真理はホッと一息ついた。それは、隣の武田とほぼ同じタイミングだった。
「びびった~。彼女、おまえにお辞儀したのかと思った。おまえの知り合いの悪口言ってたとしたら、俺、最悪じゃん?」
「いや、全然知らない子だってば」
真理が否定すると、
「うん、そうかなとは思ったけど、おまえの交友関係って意外に広いからさ、ああいう知り合いもいるかなあ、って」
などと武田は言う。
これには、真理も首を捻るばかりだ。
なぜなら、交友関係に関して言えば、武田の方が圧倒的に広いからだ。
なのに、武田は「いやいや、おまえの人脈には意外性があるから」と言ってきかない。
「例えば、ほら、あそこ」
武田の視線の先にいたのは、一際華やかな女の子の二人組。
同じような明るさの髪は、どちらも綺麗に巻かれ、着ているワンピースは違うもののようでいて、とてもよく似ている。
仲のいい友達同士は、双子のように似てくると言うが、その典型のような二人だった。
武田はその片方を、指差して言った。
「あれ、里奈ちゃんだろ? やっぱ可愛いよなあ。あんな子とお知り合いなんて、羨ましいよなあ。俺なんて今、声かけたってきっと『あんた誰?』扱いだぜ」
「いや、俺だって、あれっきりだよ。向こうは俺のことなんて、忘れてるんじゃないかな」
それが証拠に、今、確実に目が合ったのに、里奈は知らんぷりで歩き過ぎようとしている。
足を止めたのは、隣の女の子の方だった。
「あれ? 真理くん?」
彼女は真理を見てとると、弾けるような笑顔になった。
「わあ、やっぱり真理くんだ。久し振り、元気だった?」
「知り合い?」
武田と里奈、二人の驚きの声が重なった。
「えっと……、いや、その……」
口籠る真理にではなく、里奈は彼女の方を問い詰める。
「でも、梓、あのときの合コンには来てなかったよね? どこで知り合ったの?」
「うん、冬にね、恵美主宰の女子会があって、そのとき、スペシャルゲストで真理くんが来たの」
ケロリとした顔で答える梓に、再び武田と里奈が声を揃える。
「何それ、聞いてないんだけど!」
特に武田の方は恵美の名前が出たことで、血相を変えている。
「おいっ! 何だよ、その楽しそうなイベント! そういう時には俺も呼べよ~!」
武田に胸ぐらを掴まれて、真理の首がガクガク揺れる。
「すまん、忘れてた」
下手な鉄砲数撃ちゃ当たる方式で、女の子とみれば見境なく声をかける武田だが、実は恵美に一途に片思いをしていることを真理は知っている。
恵美に誘われたときに、武田のことを思い出すべきだったと、今更ながら後悔した。
しかし、ちょうど座敷わらしが田舎に帰っていて真理が落ち込んでいた時期だったのだ。
誰かを思いやる余裕など、なかったのだから仕方がない。
しかし、そういったことを武田に説明するのは難しい。
だから、真理にはただ謝るしかなかった。
「わ、わ、わ、悪かったって!」
「ハーレムかよ、ちくしょー。羨ましいぞー、ちくしょー」
「お、落ちつけ、武田」
一層激しく揺すられながら、真理は必死に武田をなだめた。
しかし、こうしてぎゃあぎゃあ、うるさく詰ってくる方が可愛げがある。
里奈のように、静かに怒っている方が余程怖いのだ。
「ふ~ん、随分恵美と仲良くなったんだね」
言われた瞬間、首筋がヒヤっとした気がした。
そのくらい、里奈の声は冷たかった。
真理はとっさに返答できなかったが、何故だか代わりに梓が隣から口を挟んだ。
「恵美だけじゃないよ。皆、真理くんのこと、いいねって言ってるよ。優しいし、どことなく品があるし、私も真理くん、大好き。里奈がお持ち帰り失敗してよかったよ~。あ、これは私だけじゃなくて、皆が言ってることだからね?」
にこにこと無邪気な顔で、梓という女の子は意外と毒を吐く。
里奈の額に青筋が立った。
「やだ、梓ったら、『お持ち帰り』なんて。ちょっと下品過ぎじゃない?」
「えー、里奈が普段から使ってる言葉だよね?」
「何言ってるのかしら?」
「えー、里奈こそ、何言ってるの? 医学部ゲットだぜーとかも、よく言ってるよね?」
女子の迫力に、男共はただただ気圧されるばかりだ。
「俺、今、火花が見えた気がした……」
武田の呟きに、真理がコクンと頷く。
すると、里奈が突然、こちらを向いた。
「失敗? 冗談じゃない!」
里奈は誰にともなく呟くと、挑むように真理を見つめた。
「真理くん!」
「は、はいっ!」
「あの夜は私、酔ってたから、幽霊が出たとか変なこと言って帰っちゃったけど、今は昼だし、もう全然大丈夫よ」
「へ?」
「だーかーらー、今から部屋に遊びに行ってあげてもいいよ、って言ってるの!」
何故か半分キレ気味に言われ、それに対して、何故か武田が隣でごくりと唾を飲んで呟いた。
「おお……何だ、このおいしい展開は……」
おいしい展開、と言われれば、そうなのだろう。
しかし、正直なところ、真理はあまり嬉しくなかった。
確かに、里奈は可愛い。
合コンの日、その可愛さにクラリともきた。
だけど、真理の今の正直な感想は、「参ったな、面倒なことになったな」だ。
以前、彼女が部屋に来たとき、薄っすらとだが、座敷わらしの存在を感じ取っていた。
武田のように頭の上によじ登られても、な~んとも感じない人間とは違うのだ。
霊感が強いというのは、本当なのだろう。
彼女は危険だ。これ以上、彼女を座敷わらしに近づけてはいけない、と真理の中で、警戒信号が点滅する。
しかも、彼女は真理を好きなわけではないのだ。
いらないからと捨てたものを、誰かが拾おうとするのを見て、惜しくなっただけ。
真理には、そう見えている。
ならば、簡単だ。お断りすればいい。
だけど、真理にはそれができない。
それでは友人の前で彼女が恥をかいてしまう、と真理は考えてしまうのだ。
プライドの高い彼女を傷つけずに、上手く断る方法はないものか。
必死にうまい逃げ口上を考えて……、とっさに出たのが……。
「いや、あの、それが……まずいんだ。なんか、うち、やっぱり出る……みたいなんだよね。その……幽霊が」
一瞬、その場にいた全員がきょとんとなった。
――しまった、これはいくら何でも突拍子なさすぎか。
何か他に言い訳を、と頭を巡らす真理の横で「えー、マジか!」、武田が良い具合に食いついてくれた。
――この線で、このままいけるか?
真理は深刻な顔で頷いてみせた。
「そ、そうなんだよ! 後で調べたら、あの土地は色々と曰くがあるらしくってさ」
「でもさあ、俺、何度も遊びに行ってるけど、なんともないけどなあ」
思わぬ切り返しに、言葉が詰まったのは一瞬。自分でも驚くほど、真理の口は滑らかにまわった。
「女の幽霊だから、女の子が来ると排除しようとして、出て来るみたいなんだよね」
「マジか!」
絶妙なタイミングで入る、武田の合いの手の効果もあってか、女の子二人も今や固唾を飲んで聞き入っている。
特に、普段から霊感があると言っているだけあって、幽霊といった類のものを元々信じている里奈は顔を青くしていた。
「そ、そうなんだ。じゃあ、今日はやめとく……」
そう言って、里奈はそそくさとその場を立ち去ってしまう。
「あ、里奈! 待ってよ! ……じゃあね、真理くん。今度、飲みに行こうね? 家がダメでも、外でならいいでしょ?」
ちゃっかり真理に粉をかけてから、梓も里奈を追って行ってしまった。
嵐のように、女の子二人は去って行った。
隣ではまだ武田が「女の幽霊かあ、えろいなあ」などとバカなことを言っている。
真理はそんな武田を尻目に、うまくこの場を切り抜けられたぞ、とただただ安堵していた。
自分たちが、どれほど耳目を集めていたかも知らずに……。




