22話
普段は村の集会所として使われている、プレハブ小屋の畳の上に、布団がうず高く積み上げられていく。
敷布団に掛布団、それに毛布が何枚も。
これらは全てご近所さんたちが、焼け出された真理と叔母親子のために持ち寄ってきてくれたものだ。
数時間にも及ぶ、必死の消火活動も空しく、柳田の家は全焼してしまった。
財産だけではない。家が持つ歴史も想い出も、全てが灰になってしまった。
今、真理たちは誰かの好意なくして、体を暖めることもできないのだ。
「すみません、ありがとうございます」
部屋の隅に座り込んだまま、放心状態の叔母と健に代わって、真理は、入れ替わり立ち替わりやって来る、近隣住民の一人一人に頭を下げた。
「困ったときはお互い様よ。あとで、ご飯をおにぎりにして持ってきてあげるから、今はゆっくり休みなさいな」
そう言って労わってくれたのは、隣の家の奥さんだ。
隣と言っても、畑と農道を挟んだ、その先にある家で、真理の感覚ではお隣さんとはとても呼べないほど離れている。
しかし、家々が隣接していたら、被害を柳田家の全焼だけで食い止めることはできなかっただろう。
そうなったら、隣家でケガ人が出たかもしれない。いや、最悪の場合、人が死んだかもしれないのだ。
何くれとなく世話を焼いてくれる、近所の人たち、一人一人の顔を見つめながら、彼らに今以上の迷惑をかけなかったことに、真理は心から安堵した。
夕飯時にまた来ると言い置いて、近所の人たちは帰っていった。
彼らを見送った真理は、その途端、猛烈な疲労感に襲われた。
張りつめていた糸が、ぷつりと切れてしまったかのかもしれない。
見れば、叔母親子も部屋の隅っこで座布団を枕にして、うとうとと眠っている。
先程まで警察やら消防やらに話を聞かれ、二人も疲れたのだろう。
そんな二人にそっと毛布を掛けてやり、さて、自分も少し仮眠を取ろうかと思っていたところ、真理は背中で身じろぐ気配を感じた。
それまで忙しなく動いていた真理は、自分が座敷わらしを背負ったままだということをようやく思い出した。
バッテリーが切れたかのようにピクリともせずに眠ってしまった、座敷わらし。その体が随分と軽くなっていたために、背負っていることすら忘れてしまったのだ。
「……んん……」
もじもじと動き出した座敷わらしに、真理は小さく声をかけた。
「どうした、目が覚めたか? お腹空いたのか? でも、ご飯はもう少し待ってくれな?」
「……んー、真理、ここ、どこぉ?」
まだ半分寝ぼけているような声で聞かれ、真理は「集会所だよ」と教えてやる。
「覚えてるか? 柳田の家は焼けちゃったんだよ。でも、心配することなんかないぞ。俺たちは東京に帰るんだ。あそこが俺たちの家だもんな?」
「……んーむにゃむにゃ……、ここ、真理のおうちなのぉ? ……でも、なんか違う匂いがするよ……?」
「おまえ、ひとの話、聞いてないな。ここは村の集会所だって言っただろ。今日はここで一泊するんだよ」
真理が答えた途端、座敷わらしは目をパチクリと見開いた。
「わたち、この家、イヤだ!」
「は? 嫌だって言ったって、おまえ……」
「イヤったら、イヤ!」
「何か勘違いしてないか? ここにずっと住めって言ってるわけじゃないんだぞ。明日になったら東京に帰れるんだから、今晩一晩の我慢だろうが」
真理が噛んで含めるように説明しても、座敷わらしは癇癪を起こした子供のようで、まるで手がつけられない。手足をバタバタさせて、「イヤなもんはイヤ」の一点張りだ。
「おい、こら、耳元で大声出すな、そんでもって、暴れるな!」
座敷わらしにつられるように、真理の声もだんだんと大きくなっていってしまう。
その声は夢の中にまで届いたようで、叔母が「う~ん」と唸り声を上げた。
目が覚めたのではないかとヒヤリとしたが、叔母は寝返りを打っただけだった。
真理は寝ている人間を起こさないよう、座敷わらしを背負ったまま、そろりと部屋を抜け出した。
「こら、あんまり無茶なこと言うなよ」
外でなら、声を潜める必要もない。聞き分けのない座敷わらしを、懇々と説教することだってできる。
しかし、座敷わらしから「無茶なこと言ってるのは、真理の方だよ!」と即座に反論をくらってしまった。
「座敷わらしはね、簡単によそのおうちに上がったり、泊まったりしないの! よ~く吟味して、住むおうちを決めるんだから! おうちを変えるときだって、よ~くよ~く考えて、それで引っ越しするんだから!」
「え、そういうもんなのか……?」
「そういうもんなの!」
真理は、ふむ、と腕組みをした。
座敷わらしには座敷わらしなりに、住まいへのこだわりがあるのだろう。
真理の部屋に初めて来たとき、確かにあちこち見て回っていたな、と思い出す。
狭苦しいあの部屋の、どこが気に入ったのかはわからないが、真理のあの部屋は良くて、この集会所が嫌だと言うからには、座敷わらしの中に何かものさしがあるのだろう。
しかし、「でもなあ……」なのである。
「ここで寝たくないってのは、わかったけど……、でも、他に寝るところなんてないんだぞ?」
東京まで帰ろうと思えば、まだ帰れる時間だ。
だけど、明日には真理の両親もかけつける。ここで、落ち合うことになっているのだ。
すると、真理の背中から座敷わらしは、ひょいと飛び降りた。
トコトコと歩いて行く、その先にあるのは一本の大きな木。
「この木の上で寝ることにした!」
座敷わらしの宣言に真理がリアクションをする間もなく、座敷わらしはするすると猿のように木を登りはじめてしまう。
「ちょ、ちょっと待てって! 危ないって!」
「あ、ここ、ちょうどいいから、ここにする!」
真理の心配をよそに、座敷わらしは枝の股に体を沿わせて、さっさと寝床と決めてしまった。
寝返りを打てば真っ逆さまな、そんな場所で寝るなんて、とんでもない。
「おい、ここにするっておまえ……!」
真理は慌てて後を追った。
木登りなんて、久し振りだったが、体はちゃんと覚えていた。
――そういや、昔もこうして、座敷わらしを追いかけて、木を登ったことがあったなあ。
子供時代を懐かしく思い出しながら、真理は座敷わらしの枝まで、よいしょよいしょとよじ登った。
「なあ、わらし、ここは危ないから……」
一旦、下りよう、と続く筈だった言葉は、だがしかし、声にはならなかった。
木の上から見える光景に、真理は思わず絶句してしまったのだ。
そこからは、焼け落ちた柳田の屋敷の無残な姿がよく見えた。
歴史を感じさせる佇まいは来客に威圧感を与えるほどだった、あの大きくて立派な屋敷が今や、瓦礫の山と化している。
ひどい惨状を呈していた。なのに、夕日に照らされて、言いようもないほど美しく、それがまた哀しかった。
息苦しさを覚えて、真理が縋るような思いで座敷わらしを見ると、座敷わらしもまた真理と同じように、かつて屋敷だった場所を見つめていた。
その小さな胸に去来するのは、どんな感情か。
途方もなく長い時間を、あの屋敷と共に生きてきたのだ。あの屋敷への思いは、真理とは比べ物にならないだろう。
そんな座敷わらしにかける言葉も見つからず、真理は黙ってそのまま木から降りた。
今夜は一人、この場所で弔いたかろうと思ったのだ。
真理が木から降りると、ちょど田んぼのあぜ道を女性たちが一列になって歩いてくるところだった。
エプロンを着けた彼女たちは、手に手にお盆を持っている。
大きなおにぎりが整然と並べられたお盆。
これでもかというくらい、丼にこんもりと盛られているのは漬物か。
他にも、常備菜が詰まったタッパーやら、急須と湯呑のお茶のセットやら。
彼女たちは地域の婦人部の女性で、夕飯を届けにきてくれたのだ。
真理は急いで駆け寄った。
「すみません、何から何まで……」
恐縮する真理に、女性たちは朗らかに笑った。
「大したことじゃないわよ、気にしない、気にしない」
そう言ってくれるのはありがたいが、申し訳ないという気持ちはなかなか消えるものではない。
せめて運ぶくらいは手伝おうと、真理はポットを受け取った。
熱いお湯がたっぷり入っているのか、そのポットは、ずしりと重い。
だが、その重みが、妙に心地いい。
ポットを提げた右手から、じわじわと温かさが伝わってくるような気がした。
人の善意というものを具現すると、案外、温かいお湯となるのかもしれない。
そんなことを考えていると、しんみりと沈みこんでいた気持ちが次第にしだいに向上していくのがわかった。
――そういや、腹が空いたな。
空腹を覚えるのは、元気になった証しだろう。
――俺がこんなに腹を空かせてるんだ。わらしなんか、きっとペコペコだろうな。早くわらしにご飯を食べさせてやらないとな。
しかし、叔母たちに気づかれずに、おにぎりを持ち出すのはなかなかの難題だ。
シャツの中に隠そうか、それとも、叔母たちが眠るのを待とうか。
そのとき、ふと、畳の隅に放り出したままのくまのぬいぐるみのことを思い出した。
――あ、そうだ。クマゴロウを忘れてた。後で、おにぎりと一緒に、わらしに持って行ってやろう。
あれこれと算段を巡らせる真理は、自分が疲れていたことも、少ししんみりしていたことも、すっかり忘れているのだった。




