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きみは小さな居候  作者: むめみつき梅
きみは小さな居候
19/97

19話

座敷わらしがいない寂しさに、「少しは喋れよ」と憎まれ口を叩いたこともあった。

 だけど、それは人形が喋るわけがないと、高をくくってのことだ。

 まさか、まさか、松子が本当に喋るなんて、真理は夢にも思っていなかったのだ。

「あわわわ……」

 尻餅をつきながらじりじりと後退りするが、狭いワンルームに逃げ場はない。

 何度もフローリングの床を足が掻くが、その度に流しに背中がぶつかってしまう。

「うわああ、俺が悪かった! 調子に乗って色々と言い過ぎた! だから、ごめんなさいっ!」

 拝むように手を合わせる、真理の目の前で、再び松子の首が動き出す。

 ギ、ギ、ギ……ギ

 首はとうとう百八十度、回転してしまった。

「ひぃぃっ!」

 人形の首と胴体が逆さまに。ただそれだけのことが、真理を震え上がらせる。

 でも、まだ目が合わないだけマシか。

 そう思うそばから、今度は黒髪を振り乱し、ぐるん、と勢いよく、こちら側に首が向く。

「……っっ!」

 真理はもう悲鳴をあげることさえできない。ただ口をパクパクさせるのみだ。

 そんな真理をしっかりと見つめながら、松子の唇がまた微かに動いた。

「シン……リ……、オ、ナ、カ、スイタ……」

 真理はパニックになりながらも、必死に松子の言葉を咀嚼した。

「……腹、空いた? ……そうか! おまえの分を用意してなかったからな」

 一人の食事は寂しいからと、松子をテーブルの隅に置いていた、真理だった。

 食事の席に着いた松子は、自分の分が用意されないことに不満を溜めていたのかもしれない。

「悪かった、俺が悪かった」

 人形のくせに。食事を出したところで、どうせ食べられないくせに。

 そう思わないでもないが、こんなことで恨まれて、怨霊化されたらたまったものではない。

 特に、市松人形は、怨念が籠ったら、とんでもないことになりそうだ。

 そんなことを考える心理の脳裏に浮かぶのは、メデューサのように髪を絡みつかせてくる松子の姿だ。

「ま、待ってろよ……。今、ご飯を用意……」

 真理はご飯の支度をしようと、流し台に手をかけ、立ち上がろうとした。

 が、力を入れようにも、足がわなないて上手くいかないのだ。まるで産まれたての子鹿のように、ぷるぷると腰を浮かせては、ぺしゃんと潰れてしまうといった具合に。

「ま、待ってくれよ……、すぐ、すぐ、支度するからな……」

「オナカ、スイタ」

「わ、わかってる。今っ、今やるから……」

「アイタイ……ヨ」

「ああ、わかってる。会いたいんだよな? ……ん?」

 松子が「会いたい」と言っている。食事以外にも要望があるらしい。

「……誰か、会いたい人がいるのか?」

「シンリ、ニ、アイタイ……アイタイヨ」

「え……だって、俺とは今こうして……」

「サミシイヨ……、カエリタイヨ……、シンリノ、オウチニ、カエリタイ……ヨ」

 真理は思わず息を飲んだ。

 もしかして、これは松子の声ではなく……。

 真理は床に転がる松子の元へと、這い寄った。

「松子、おまえ……。わらしの声を俺に……伝えてるのか……?」

 田舎の家の、あの暗い奥の間で、座敷わらしが真理の名を呼んでいるのか?

 寂しい、と。

 迎えに来て、と。

 お腹を空かせているということは、誰もお供えをしていないということだ。

 誰も大事にしてくれない、あんな家に、真理は座敷わらしを帰してしまったのだ。

「松子……、俺は……すごく酷なことを、わらしに頼んでしまったのか……?」

 真理は縋るように松子を見つめた。

 そこにはもう、怖ろしい呪いの人形の顔はない。座敷わらしの一番のお友達の松子ちゃんがいるだけだ。

 ふっくらした頬、淡い笑みを浮かべる唇。そして、黒いつぶらな瞳には、透明な涙がひとしずく。

 真理は壊れ物にでも触れるように、そっと指をのばした。

「この涙は、わらしの涙なのか……?」

 座敷わらしを田舎に送る、新幹線の中、頭上から降る涙の粒を真理は手の甲で受けるしかなかった。

 だから、せめて今、この涙だけは、真理の手で拭いてやりたかった。

 瞳の上でふるふると震えていた涙の粒が、ぽろりと頬に零れるのを、真理は親指の腹で拭った。

「ごめんな、わらし……」

 後悔の念が沸き上がる。

「こんな俺のところに、わらしは帰って来たいって言ってくれてるのか……。すぐに! すぐに迎えに行くからな!」

 それから、真理は座敷わらしがよくそうしていたように、松子の体をぎゅっと抱きしめた。

「松子、ありがとうな、教えてくれて……。絶対連れ帰って来るからな」

 しかし、松子はそれきり、何も言わなかった。

 


 ひとしきり松子を抱きしめて、たっぷりと自分を責めた後、真理を襲ったのは猛烈な怒りだった。

 その矛先は、母へと向かった。

「おふくろ! お供えしてくれって、あれ程頼んだのに!」

 電話の向こうで母親の、一瞬たじろいだ気配がする。

 何のことか、すぐにはわからなかったのだろう。

 しかし、すぐに「もしもし」の一言もない、一人息子の無礼な電話に、母は怒りを爆発させた。

『何なの、珍しく電話して来たかと思ったら、挨拶も無しに。今時、おれおれ詐欺だってね、母さん、俺だよ、くらいのことは言うらしいわよ!』

「そんなことより、お供えだよ、お供え!」

『えー、お供え? ああ、わらし様のね。そんなの、母さん、知らないわよ。お祖父ちゃんはまだ病院だもの。母さんが介護に行く必要なんて無いじゃない』

「あ……、そうか」

『そうよ。あ、でも、来週退院できそうだって話だから、そのときは行かなきゃいけないけどね』

 母を責めようと放った矢も、結局は真理に戻ってきてしまった。

 ――ああ、やっぱり俺が全部悪いんだよな……。

『でも、あんた、本当にわらし様が好きねえ。この間っから、わらし様、わらし様って、ずっと言ってるものね。でも、お父さんの前では言わないでね。あの人、迷信を全く信じない人だから。というのもね、子供の頃、何を頑張ってもみんな、わらし様のおかげって言われて、随分嫌な思いをしたらしいのよ。……って、聞いてる、真理?』

 長くなってきた母の話もそこそこに、真理は電話を切ってしまった。

 真理の心は、既に遥か東北の地へと飛んでいたのだ。

 今週末にでも、迎えに行こうと思っていたが、この二カ月、座敷わらしが何も食べていないと知ったからには、悠長にしていられない。

 ――明日の朝一番で、迎えに行こう。

 真理はこの日、まんじりともせず夜を明かしたのだった。

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