18話
「はーい、お待たせ―。本日の女子会のスペシャルゲスト、柳田真理くんでーす」
恵美はそう言って、真理を宴の席に放り込んだ。
大学周辺に居酒屋は数あれど、正門から最も近いのと、座敷があるので大人数で行っても安心なのとで、学生に人気の店だった。
とはいえ、開店直後の夕方四時から一杯ひっかけよう、などという者はほとんどいない。
店員の「いらっしゃいませー」がこだまする、ガラガラの店内を恵美に引きずられるようにして、真理は一番奥の座敷席まで連れて来られたのだった。
そこで、真理を待ち構えていたのは八人の女の子たち。
「えっ!? これ、女子会? 聞いてないよ~」
男は真理、ただ一人。
飲み会とは聞いていたが、女子会なんて初耳だ。
「そりゃ、そうよ。言ったら、真理くん、絶対来ないでしょ」
しれっとした顔で言い放つ恵美に、真理はがっくりと項垂れるしかない。
「いいじゃない。こんなハーレム、そうそう体験できないよ?」
恵美にポンポンと肩を叩かれて、真理はぐるりと長テーブルに着席している面々を見回した。
前の合コンに来ていた顔、初めて見る顔。里奈がいないのだけが、唯一の救いか。
「……皆、美人過ぎてキンチョーするよ~」
真理は情けない声を上げた。
そんな真理に女の子たちは一瞬顔を見合わせて、直後、クラッカーが破裂するように、一斉に笑い声をあげた。
「やだ、もう、美人とか、何言ってるの?」
「ホント、ホント。褒めたって何も出ないからね」
近くにいた女の子たちから、真理はバシバシと叩かれてしまう。
しかし、口では「やだ、やだ」言ってる女の子たちも、案外、満更でもないようだ。
正直に思ったことを口にしただけ、という顔で真理がきょとんとしているから余計に、女の子たちの機嫌は良くなっていく。
「もうやだ。お酒が美味しくなっちゃって困る~」
そう言って、ひとりがビールをぐびっと呷った。
「待ってよ、乾杯がまだだよ」
「えー、じゃあ、早く乾杯しようよ」
「何に、乾杯する?」
女の子たちが口々に言い合う中、恵美がすっくと立ち上がり、ジョッキを高々と掲げた。
「私たちの女子会の、初の男子ゲストに!」
真理も他の女の子たちも、恵美に倣って目の前のジョッキを慌てて手に取った。
「カンパ~イ!」
気詰まりだろうと思っていた女子会も、始まってみれば、不思議なくらいにすんなりと溶け込めていた。
「ねえ、真理くん、ちょっと聞いてよ」
女の子たちは、こぞって真理に話を聞いてもらいたがった。
「うちの彼氏がね、浮気してるみたいなの! ねえ、なんで男って浮気するわけ?」
「私なんて、彼氏自体できないんだけど!」
そのほとんどが恋愛に関することだった。
その手のことに関しては、全く頼りにならない真理だというのに、だ。
「う~ん、俺に聞かれても……。ってゆーか、皆こんなに可愛いのに、浮気されるとか、彼氏できないとか、俺には信じられないんだけど……」
お世辞でも何でもない、これが掛け値なしの真理の本音だ。
だけど、言われた女の子たちは堪らない。
二人とも、目がすっかりハートマークになってしまった。
「えっと……、じゃあ、真理くん……、私と……」
二人の女の子が同時にもじもじと何か言いかけたところで、真理から最も離れた位置に座っていた女の子が、酔いに任せて唐突に自分語りを始めた。
「私なんて、遠距離恋愛だからさ……。頑張れるって思ってたんだけど、最近は不安になってきちゃって……」
「そんなに不安になるんなら、いっそ会いに行っちゃえばいいんじゃない?」
親身になってアドバイスをするのは、面倒見のいい恵美だ。
「うん、お正月休みに行こうとは思ってるんだけどね……」
「何言ってんの。夜行バスだってあるんだから、今からだって行けるじゃない」
その言葉にハッとしたのは、言われた彼女だけではない。
どうして、長期休暇まで待たなければいけないと思い込んでいたのか。
心配ならば、様子を見に行けばいいではないか。
地球の裏側にいるわけで無し。頑張れば、日帰りだってできる距離だ。
真理にとって、正に目から鱗だった。
「そうだよ! 思い立ったが吉日って言うじゃないか!」
真理は衝動的に叫んでいた。彼女にではなく、自分に向けて。
しかし、その勢いのまま立ち上がろうとして、膝を思いきりテーブルにぶつけてしまう。
真理は「くあっ」という変な声と共に、その場に崩れ落ちた。
「ちょっ……、大丈夫?」
皆が心配してくれる中、恵美だけは笑いを堪えきれない、といった様子だった。
「あー、おかしい。真理くんって、意外とドジっ子だよね。頭をぶつけたり、足ぶつけたり」
「もうっ、恵美! 笑ったらダメだよ」
そう言って、うずくまる真理の背中をさすってくれるのは、先程目をハートにしていた女の子たちだ。
「そうだよ、笑ったら悪いよ。真理くんは背が高くて足も長いから、ぶつかっちゃうんだよ」
「いや……。最近なんだよね、こんなにしょっちゅうぶつけるようになったのは」
生理的に滲んだ涙を拭いながら言い訳する真理に、「でも、背が高いと、鴨居に頭をぶつけそうだし、大変だよね」と言ってくれたのは誰だったか。うずくまっていた、真理にはわからなかった。
だが、その言葉は真理の脳の回路を直撃した。
『わたちが持ってくる不幸なんて、鴨居に頭をゴチンとぶつけることくらいだよ』
女の子の声が座敷わらしのそれに上書きされ、頭の中で鳴り響く。
足の指や、頭をぶつけるようになったのは、座敷わらしが田舎に帰った翌日からだっただろうか。
真理は必死で考えた。考えたけれど、明確に、いつからという答えは出せなかった。
ただ、ここ最近のことだということだけは、はっきりしている。
しかも、骨が折れたり、痣が残るような大怪我には決してならない。ただその瞬間、目の奥で星がチカチカするくらい痛いだけ。
これが全て座敷わらしがもたらした不幸だとしたら、あまりにも地味過ぎる。
だけど、なんとも座敷わらしらしいではないか。
『わたちは座敷わらしの中でも味噌っかすで、でっかい幸せなんてあげられないんだもん。けど、その分、でっかい不幸も持って来れない』
あのときは素直に聞けなかった言葉が、今はこんなにもすんなりと心に入ってくる。
座敷わらしが家に来てから、真理に訪れた最大級の幸運といえば、合コンで女の子にモテまくったことだろう。
しかし、座敷わらしがいない今だって、恵美の言っていた通り、女の子たちはこんなにも好意的だ。
座敷わらしの力が作用したのは、くじのつまらない当たりくらいだったのではないか。
真理が座敷わらしを思うとき、真っ先に頭に浮かぶのは、大好きなご飯をリスのように頬張る姿だ。
――人間の寿命まで自在に操れる、そんな恐ろしい存在なのか? アレが?
実際、『人間の寿命なんて、わたちにはどうすることもできないよ』と、座敷わらし自身が言っていたではないか。
冷静になって考えれば、じゃあ、何故、祖母は死んだんだ? という疑問にぶち当たった筈なのに。
熟考することを放棄して、真理は座敷わらしを追い出したのだ。
――あのちんちくりんに、スゴイ力なんて、あるもんか! 幸運も不運もどうせこの程度だ。こんなに地味で小っちゃいものしか、持ってこれないんだよ。
すると、想像の中の座敷わらしが『ちんちくりんじゃないよ! 座敷わらしだよ!』と、ぷりぷりと怒り始めたので、真理は思わず吹き出してしまった。
「ど、どうしたの、真理くん?」
ぷるぷると震えだした真理を、背中をさすってくれていた女の子は心配そうだ。 だが、真理はそれには答えずに、「恵美ちゃん!」とおもむろに立ち上がった。
今度は、どこにも足をぶつけなかった。
「恵美ちゃん、俺、目の前の霧がパーッと晴れたみたいだよ!」
突然、何を言い出すの? という顔をしていた恵美だったが、すぐに「うん、そんな顔してる」と言って笑ってくれたのだった。
もう一軒行こうという熱心な誘いを断って、真理は真っ直ぐ家に帰った。
今週末には田舎へ行こう。そのことで頭がいっぱいだったのだ。
もう祖父にも、叔母にも気兼ねせず、「うちに来い」と座敷わらしに言えるのだ。
そう考えるだけで、足取りは軽くなった。
「ただいまー」と言いながら、玄関を開けたのも、随分と久しぶりだった。
もちろん、真っ暗な部屋から返事はない。
最近、共に食事をとっている松子がテーブルの上で鎮座しているだけの部屋なのだから。
しかし、それを侘しいとはもう思わなかった。
真理は部屋の電気を点けると、鼻歌を歌いながら冷、蔵庫からペットボトルの水を取り出した。
ぐびぐびぐび、と飲み干して、ビールのようにプハーッと息をつく。
とてもいい気分だった。
そのとき、何か小さな音を耳が拾った。
カタカタカタという、何かが揺れているような、しかし、微かな物音だ。ちょうど震度一か二の地震くらいの。
しかし、キッチンの鍋もやかんも、何も揺れてない。
足元がぐらぐらしているようにも感じたが、それは多分、アルコールのせいだろう。
「……気のせいか?」
そう思ったのだが、カタカタは次第に大きくなっていく。
今ではもっと大きく、はっきりと、ガタガタガタと聞こえてくる。
「なんだ、なんだ、なんだ!」
真理はぐるりと部屋を見回して、目を見張った。
テーブルの上で松子が、壊れたロボットのように激しく揺れているではないか。
あまりの激しい振動に、真ん中に座っていた体が徐々にずれていき、とうとうテーブルから転がり落ちてしまう。
ゴトン、という鈍い音を立て、うつ伏せに倒れた松子を、真理は呼吸するのも忘れて凝視した。
「と、止ま……った?」
床に倒れた人形は、そこでピタリと動きを止め、部屋は一転、静まり返った。
しかし、真理は人形をすぐに拾い上げることができなかった。
何か得体のしれない恐怖が、足を竦ませていたのだ。
ギ、ギ、ギ
そんな真理の目の前で、人形が再び動き始めた。
ギ、ギギギギギ
倒れたまま、首だけが少しずつ、少しずつ動いていた。
古い、錆びついたネジが回るような音をたて、下を向いていた首が徐々に横を向き始める。
ギギギギギ、……ギ
やがて、首は真理の顔をピタリと見据える位置で止まった。
「ひぃっっ!」
薄っすら笑みを浮かべた松子の顔は、夜、一人きりの部屋で見るには不気味過ぎる。最近は、それをすっかり忘れていた。
しかし、怖ろしいのに、その顔から目を逸らすこともできない。
松子は視線だけで、真理を縛りつけてしまったのだ。
真理をしっかり捕縛したまま、松子は唇を微かに動かした。
「シ……ン……リ」
「……っ!?」
「シン……リ」
「しゃ、しゃ、しゃ、喋った……ぁっ!?」
真理は腰を抜かして、その場にへなへなと座り込んでしまった。




