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きみは小さな居候  作者: むめみつき梅
きみは小さな居候
17/97

17話

「イッ……つぅぅ……」

 テーブルの脚に左足の小指をガツンとぶつけてしまい、あまりの激痛に真理はその場で蹲った。

 夕飯にから揚げ弁当を平らげて、さて、空き容器を片付けようか、というところだった。

「……くぅ~……」

 骨が粉々に砕けたのではないか。

 だが、恐る恐る小指を見てみれば、腫れてもいなければ、変色もしていない。

 それを確認した途端、痛みが和らぐから不思議だった。

「ふぅ~」

 ため息をついて、再び立ち上がろうとした視線の先、松子が薄ら笑いを浮かべているように見え、真理は口をへの字に曲げる。

「何、笑ってんだよ……」

 人形である松子が表情を変える筈もなく、これは八つ当たり以外のなにものでもない。

「なんだよ……、おまえなんか、わらしに置いて行かれたくせに」

 田舎の家に帰ることとなった、あの日、座敷わらしはクマゴロウを胸に抱き、真理の背中に飛び乗った。

 そのまま体を透明にしてしまったので、真理は座敷わらしが松子を持たずに行ったということに気づかずにいた。

 そのことに気がついたのは、帰宅して、部屋の真ん中でポツンと座る松子を目にしてからだ。

 最初は忘れて行ったのかとも思ったが、あれ程大切にしていた松子を座敷わらしが忘れたとは考えにくい。わざと置いて行ったというのが正解だろう。

 離れていたら自分のことなど忘れてしまうだろうと言っていた、座敷わらしのこと。自分の代わりに、と考えたのかもしれない。

 そんなことをしなくても、忘れるわけなどないというのに。

 それに、話しかけたところで返事もしない松子では、座敷わらしの代わりなど務まりっこないのだ。

「ふん。悔しかったら、反論のひとつでもしてみろ。それか、髪の毛を伸ばすとかさ。何か芸のひとつでもしてみせろってんだ」

 松子の髪が伸びたら伸びたで、腰を抜かしてしまうだろうに、真理はこんな悪態をついてしまう。

 でも、こんなことでも言っていないと、やってられないのだ。座敷わらしが田舎へ帰ってしまった日のことを考えてしまって……。



 北に向かう新幹線の中、姿を消した座敷わらしの重みだけはしっかりと、首と肩に感じていた。

 田舎の家の前に到着すると、その重みがスーッと消えた。

 それは、座敷わらしが屋敷の中に入ったことを意味していた。

『じゃあね』の一言もなかったのは、泣き顔を見せたくなかったからだろう。

 新幹線に乗車中から、ポタリポタリと落ちてくる水滴を、真理は手の甲に感じていた。

 日本が世界に誇る新幹線に、雨漏りなどあろう筈もない。

 膝に置いた真理の手の甲を濡らしていたのは、間違いない、座敷わらしの涙の雫だ。

 だけど、真理はそれに気づかない振りをしていた。

 下手に話しかけたら、つられて泣いてしまいそうだったのだ。

 道中ずっと黙っていた真理は、座敷わらしが屋敷に入ってしまってからも、しばらく無言で庭先に佇んでいた。

 庭からは見えない奥の間の辺りを、ただじっと眺めていた。

 百年の歴史を誇る、この大きな屋敷にとって、座敷わらしの夏の間の不在など、瞬きした一瞬くらいのものなのかもしれない。

 柳田の屋敷が、まるで何事もなかったかのように、悠然と構え、ごく自然に座敷わらしを受け入れたのを見届けて やはり座敷わらしはここにいるのが自然なのだ、と真理は改めて実感した。

 そう考えたら、真理の方が捨てられたような気分になった。帰れと言ったのは、自分なのに。

 そのとき、ちょうど健が学校から帰ってきたので、くれぐれもお供えを忘れないように、と言い置いて、真理は待たせていたタクシーに逃げるように乗り込んだのだった。



 あの日から、二ヵ月が経とうとしている。

 なのに、いまだに、ふとしたとき、真理はロフトを見上げてしまう。

 いる筈のない、座敷わらしを目が捜してしまうのだ。

 時折、ロフトの奥の暗がりが座敷わらしのシルエットに見えて、真理をドキリとさせる。

 でもすぐに、座敷わらしはいないのだと実感する破目になるのだ。

 座敷わらしがいなかった頃、真理はどうやって一人で暮らしていたのだろうか。

 遠い昔の話ではないのに、それがもう思い出せない。

 ただ、食事の面だけは、すっかり昔に逆戻りしてしまった。

 そう、自炊をやめてしまったのだ。

  自分のためだけになんて、ご飯を炊くのさえ面倒くさい。あれは、『美味しい、美味しい』と言ってくれる人がいるからできることなのだ。

 何もかもやる気が起きなくなってしまった真理は、大学もサボりがちになっていた。

 しかし、講義をサボる理由まで座敷わらしのせいにするのはいかがなものか、と自分でも思う。

 自堕落な生活を、松子にも無言で責められているような気がしていた。

 つい、松子に憎まれ口を叩いてしまうのは、自分の中に、やましい気持ちがあるからだろう。

 こんなことではいけないと、真理だってわかってはいるのだ。

「あ~あ、そろそろちゃんとしないとなあ。来週から講義に出るか」

 洗い物を始めた真理は、背中に松子からの厳しい視線を感じて、慌てて言い直した。

「いや、明日からだな、明日から」



 午前中にまともに外に出るのは、久し振りだった。

 そのせいか、人々にとっては心地良い秋晴れの日差しが、真理には少々眩しく感じてしまう。

 大学への道すがら、自然と真理の視線は下に、下に、下がってしまう。

 ちゃんと前を見て歩いてさえいれば、道端の『大安売り』ののぼりの支柱がぐにゃりと曲がっていて、路上に大きく突き出していることにも気づけただろう。

 そうすれば、おでこをゴチンと強打することもなかった筈だ。

「いっ……てぇ~……」

 おでこに突然、棒が当たる衝撃に、真理の目の奥で、星がチカチカと瞬いた。

「あっぶないなあ」

 誰に文句を言ったらいいのかわからないので、のぼりに文句を言っていると、背後からクスクスという笑い声が聞こえてくる。

 ひとの不幸を笑うとは、失礼な奴だ。

 ムッとしながら振り返ると、そこに立っていたのは――

「恵美ちゃん!?」

「背が高いと大変だね」

 トレードマークの頭の天辺の大きなお団子も、元気いっぱいの笑顔も健在。あの合コンの幹事、恵美がそこにいた。

「久し振り、真理くん。おでこ、大丈夫?」

 そう言って、おもむろに恵美は真理のおでこを撫でた。

「うん、たんこぶはできてないみたい」

 彼女にそうされると、子供にかえったような気分になる。恵美にはどこか母親の香りのする女の子だった。

 こういう世話焼きな体質だからこそ、合コンの幹事を任されたりもするのだろう。

 あれから、何度か飲みの誘いのメールがあったのに、適当に理由をつけて断っていた真理のことなど、普通だったらそのままフェードアウトだ。

 なのに、「なんか後ろから見てたら、暗いオーラが漂ってるから、心配だなあって思ってたんだ。そしたら、のぼりに向かって突進して行っちゃうし」などと言ってくれる。

 真理は申し訳ないなあと思う反面、でも、こんなに良くしてくれるのも、座敷わらしがもたらした幸運のうちのひとつなのだ、とも思ってしまう。

「今日、あの時の女子メンバーで飲みに行くんだあ。ねえ、真理くんも来ない? 元気づけにさ。真理くんを連れていったら、皆、きっと大喜びだよ」

 本来なら嬉しいこんな誘いも、今の真理には素直に受け取ることができなかった。

「多分……、皆が俺のことを良いって言ってくれたのは、あの日、俺の運勢がすごく良かったからで……、だから、今の俺を見たら、皆がっかりしちゃうんじゃないかと……」

 もごもごと言い募る真理を、恵美はポカンとした顔で見つめている。

「えっと、真理くんって、占いとか信じちゃう人?」

「占い……ではないんだけれど……」

 座敷わらしのことを上手く説明できないので、真理はやはりもごもごと口籠るしかない。

 それを難しい顔で見ていた恵美は、何を思ったか突然、真理の腕をグイと引っ張って歩き始めた。

「え……、ちょ、ちょっと、恵美ちゃん?」

 真理を無視して、恵美はぐんぐんと歩いて行く。そうして、コーヒーショップの店先の席に、少々強引に真理を座らせた。

「ここで待ってて」

 小さな子供にするように人差し指を立てて厳命すると、恵美はそのまま店内へと入って行く。

 戻ったときは、コーヒーを二つ、手にしていた。

「あ、お金……」

 慌てて財布を出そうとして、恵美に「まあまあ、とにかく飲んで。奢りだから」と、片手で制されてしまう。

 女の子に奢ってもらうなんて、初めての経験だ。

 いえいえ、ここは私が払うわよと、レジの前で揉めているおばさんたちがよくいるが、それはカッコ悪いので、ここは素直に恵美の好意に甘えることにした。

「ごめん、いただきます」

 恵美の奢りのコーヒーはひと口啜ると、真理をほっこり温めてくれた。

「で? 何をそんなにぐるぐる考え込んでるの?」

 恵美の顔は、さあ、私に相談なさい、とでも言いたげで、真理は思わず苦笑してしまう。

 しかし、ここまでお膳立てしてもらって、話さないわけにはいかないだろう。

 真理はポツリ、ポツリと話し始めた。

 とはいえ、座敷わらしのくだりは避けなければならないので、どうしてもたどたどしい説明になってしまうのだが。

「合コンのあった、あの日は、すごくツイていた時期で、何をやっても多分上手くいったと思うんだ。今までモテたことなんてなかったのに、急に皆がちやほやしてくれたのも、そのせいだし……。だいたい本当の俺はもっと情けない奴で……。女の子にモテたりするわけなんかないんだよ。現にさっきだって、恵美ちゃんにすごくカッコ悪いところを見られちゃったし」

 真理はそう言って、おでこを擦った。

「う~ん……。よくわからないけど……。合コンのとき、料理をさり気なく取り分けてくれたじゃない? 真理くんのそういう優しいところがいいなあって、私は思ったの。多分、他の皆もそうだと思うよ? あと、いつも背筋がしゃんと伸びてて、立ち姿が綺麗なところ。食事の時も所作がスマートなところも! そういう男の子って案外少ないんだよね。モテたことがないって言うけれど、今までだって陰で真理君のことを密かに好きだった子はいたと思うよ?」

「あっ、姿勢とか食事のマナーは祖父ちゃ……祖父が躾に厳しい人だったからで……」

「うん、だから、そういうこと。全部付け焼き刃でどうにかなるものじゃないでしょう? 子供の頃から培われてきたものでしょう? なにも魔法にかかったみたいに、合コンの日だけ真理くんがステキに見えたわけじゃないってことだよ」

「そう……なのかな……」

「そうだよ。いくら運勢が良くっても、その人が持ってる力ってものも必要なんじゃない?」

 恵美の力強い言葉に励まされて、俯きがちだった真理の顔が段々と上向いてくる。

 その真理の顔の前で、恵美はパチンと手を打った。

「よし。論より証拠。私が証明してあげる。今日は飲み会に参加すること。いい? わかった?」

「は、はい」

 ピシッと人差し指を立てられて、真理は条件反射で頷いていた。

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― 新着の感想 ―
わらしのご飯のお世話を信頼できるとは思えない従兄弟にチョロっと話した程度で引き上げたのはちょっと哀しかった
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