16話
真理がどれほど優しい眼差しを向けているかなんて、小さな背中はこれっぽちも気づいていない。
大きな包みを開けるのに悪戦苦闘中で、他のことに意識が回らないのだろう。
でも、それでいい。
玄関を開ける前に、なるべくいつも通りでいようと言い聞かせたのは、他でもない、真理自身なのだから。
今日、真理は大きな包みを持って帰った。
座敷わらしにせがまれていた、ペンを拾ったことへのご褒美だ。
当の座敷わらしはそんなことはすっかり忘れていたらしく、目を真ん丸にして驚いてから、「忘れた頃にご褒美が来るって、ほんとーだったあ!」と飛び跳ねて喜んだ。
そんな座敷わらしの表情やしぐさの一つ一つに、ややもすると真理は感傷的になってしまう。
昨日までの日常が、実は一日一日、かけがえのないものだったのだと、知ってしまったからだ。
――ああ、ダメだな。もっと普通にしてなくちゃな。
真理は自分を戒めてから、座敷わらしにそっと手を差し出した。
「ほら、貸してみな。ここのセロテープを剥がさないとダメだろ」
しかし、自分でもびっくりするくらいの優しい声しか出せなくて……、そんな自分に真理はひっそりとため息をつくしかなかった。
「ほわぁぁぁ~」
包みから顔を出した、ピンクのもっこもこのカーディガンを見た座敷わらしは、半分吐息、半分歓声という、奇妙な声をあげた。
「サイズ、合うと思うけど……、ちょっと袖通してみ?」
大体このくらい、と腿の辺りを指差して、店員にサイズを選んでもらったのだが、やはり袖がやや長かったようだ。
しかし、一折りしたら、ちょうどいいサイズだ。
「ほら、こっちも」
まだあるぞ、と真理は更に靴下を取り出した。こちらもピンクで、もっこもこだ。
「靴下、一人で履けるか?」
「履けるもーん」
真理にからかうように言われて、唇を尖らせた座敷わらしだったが、片足立ちが覚束ない。
てん、てん、てん、と片足でよろけたかとおもったら、そのままコテンとひっくり返ってしまった。
「ははっ、なーにやってんだ。靴下っていうのはな、こうして履くんだよ」
「ほぉぉ~」
靴下をくしゅくしゅに丸めた真理に、素直に足を差し出しながら、座敷わらしは感心の眼差しだ。
本当は初めて靴下を履いたのだろう。真理が靴下を履かせ終わると、何度もしきりに自分の足を触って、その感触を確かめているようだった。
「どうだ? 着心地、履き心地は?」
「うん、もこもこしてて気持ちいい―!」
暖かいという感想ではないのは、暑さも寒さも感じないからだろう。
でも、肌触りを気に入ってくれたのなら、真理も買ってきた甲斐があるというものだ。
それに、何よりとてもよく似合っていた。
座敷わらしの好きな赤のカーディガンにしようか迷ったのだが、上から下まで真っ赤っ赤ではあんまりだと思い、ピンクにしたのだ。
それで正解だったな、と真理は一人、満足げに頷いたのだった。
それにしても……、上から下までもっこもこで、まるで……。
「なーんか、クマゴロウなんかよりずっとぬいぐるみっぽくなっちゃったなあ。クマゴロウはくったくたのヨレヨレだもんなあ」
「むぅ、クマゴロウはヨレヨレじゃあないもんっ」
「ははっ、怒るのはそっちか」
「わたちだって、ぬいぐるみじゃないよっ!」
ぽかぽかぽか、と殴ってくる座敷わらしのパンチを手の平で受け止めながら、真理は笑った。
笑って、笑って……、笑い過ぎて、パンチが止んだことにすぐには気づかなかった。
「……真理、どしたの?」
気がつけば、座敷わらしが気遣わしげに真理の顔を覗き込んでいた。
「何が? どうもしないよ」
「だって、悲しそうだよ?」
「悲しいわけないじゃないか。こんなに笑ってるのに」
「うん、でもすごく悲しそうだよ」
悲しくないといくら言っても、座敷わらしは納得してくれない。
こんなときばかり、やたら頑固なのだ。
どうして気づかない振りをしてくれないのか。
真理はイライラしそうになる自分を、大きく息を吐いて宥めた。
だって、本当は座敷わらしは悪くない。
言わなければいけない言葉があるのに、先延ばししようとしている真理が悪いのだ。
覚悟を決めなければいけないときが来たのだ。
「あのな……、明日、おまえは田舎の家に帰るんだよ。あっちの冬は寒いだろう? それで今、こうして冬支度してるんだよ」
東京はまだ残暑が続いている。この厚手のカーディガンを着るには、まだ早い。
これは、寒い北の土地に行くための準備なのだ。
「真理、引っ越しするの?」
座敷わらしの無邪気な問いに、真理は黙って首を横に振り、行くのはおまえだけだと教えてやる。
「じゃあ、わたちも行かないよ。ずっとここにいる」
「でも、元々おまえの家はあっちだろう?」
「やだ! ここがいい!」
「ご飯のことなら心配ない。ちゃんとお供えをしてくれるよう、叔母さんによく頼んでおくから」
「やだ! 真理と一緒がいい!」
「これで永遠にさよならってわけじゃないだろう? ちょくちょく遊びに行くから」
「ウソだもん! 離れてたら、わたちのことなんか忘れちゃうもん。真理がまだ小さいとき、『また遊ぼうね』って言って帰ったのに、次に来たときはわたちのことを忘れてた! 来るたんびに、『君、どこの子?』って、真理は言ってた。それで、そのうち夏にもお正月にも来なくなっちゃった。真理が来ないって泣いてたら、カラスに言われたの。人間には楽しいことがいっぱいあるから、約束なんか覚えていられないんだ、って。きっとまたわたちのことを忘れちゃうよ」
確かに、子供の頃の真理にとって、一番大事なのは学校の友達だった。夏休みに田舎の家で過ごしたことなんて、二学期が始まれば、あっという間に忘却の彼方だ。
実際に、二十歳になって再会したときも、座敷わらしのことを言われるまで思い出せなかった、真理だ。
だけど、一緒に暮らした、この楽しかった日々を、本当に忘れてしまえるのだろうか。
「そんなことない。絶対会いに行く」
「ウソだもーん! ウソだ、ウソだ、ウソだ!」
座敷わらしは、とうとう利かん気の子供のようになってしまった。
まるっきり聞く耳を持たない態度に、真理もつい、カッとなる。
「分からず屋を言うなよ! おまえ、座敷わらしだろう? おまえがいなくなったせいで、祖父ちゃん、入院してるんだぞ」
「知らない! そんなの知らない!」
――ああ、最後の夜は穏やかに過ごしたかったのに……。こんな怒鳴り合いで台無しにしたくなかったのに……。
気持ちとは裏腹に、売り言葉に買い言葉、真理はひどい言葉を投げつけてしまう。
「知らないわけないだろ! 座敷わらしがいなくなった家は不幸になるって言うじゃないか!」
その瞬間、座敷わらしの顔が歪んだ。泣き出す直前のような顔だ。
「わたちは座敷わらしの中でも味噌っかすで、でっかい幸せなんてあげられないんだもん。けど、その分、でっかい不幸ももたらさないよ。ホントだよ!」
「でも、田舎の家を金持ちにしたのはおまえだろう?」
「そんなの、人間が勝手に言ってるだけだもん! わたちがあげられる幸せはきれいな石ころを見つけたりとか、けん玉が上手にできるようになったりとか、そんなことだけだもん」
確かに、こんな小さな体で何ができるだろう、と真理も思う。
真理が享受した幸せだって、せいぜい缶コーヒー一本程度のものだ。
別に、このままここで暮らしたって、何の問題もないのではないか。
座敷わらしを田舎の家に帰そう、とあれ程固く決意したのに、真理の心は簡単に揺れ動いてしまう。
だけど、やっぱりそういうわけにはいかないのだ。
「……けど、現に、祖父ちゃんは入院中で、叔母さんも怪我してる。このままいけば、健ちゃんだって、受験を失敗するかもしれない。……なあ、頼むよ。不幸は全部俺が引き受けるから、だから、あの家の人たちを救ってくれよ……」
次第に弱弱しくなっていく真理の声は、最後は懇願にしか聞こえなくなっていた。
つられたように、座敷わらしの声も細く、小さくなっていく。
「人間の寿命なんて、わたちにはどうすることもできないよ。わたちがもたらす不幸なんて、鴨居に頭をゴチンとぶつけやすくなるとか、そんなことくらいだよ?」
本当にそうだったら、どれほどいいだろう、と思う。
崇め奉る存在でも、恐れを抱く存在でもなく、座敷わらしをただの小さな居候と思っていられたら……。
「知らん顔して、このままお前と一緒に暮らすこともできるだろう。けど、それで、祖父ちゃんが死ぬようなことになったら……、それがお前のせいでなかったとしても、俺はやっぱり自分を責めてしまうよ……」
真理が項垂れていると、座敷わらしは「そっか……」と言って、ぺたんと床に座り込んだ。
お互い、がなり合うのをやめたら、いつしか静かで穏やかな空気が部屋を包み込んでいた。
「真理は苦しいんだね?」
「わらし……」
「わたちが源吾の家に帰ったら、真理は苦しみから解放されるんだね? わたちは何の力もない座敷わらしで、真理を幸せにしたくても何にもできないや、って思ってたけど……。そっか、わたちが帰ればいいのか。そんな簡単なことだったら、わたちにもできるよ!」
座敷わらしはそう言って、ニッと笑った。




