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きみは小さな居候  作者: むめみつき梅
きみは小さな居候
15/97

15話

 滅多にかかってこない相手から電話がかかってくると、真理はいつも緊張してしまう。

 その相手が母親ともなると、尚のこと。

 くだらない用件で電話をかけてくるような人ではないので、何か余程のことがあったのだろうと、つい身構えてしまうのだ。

 だから、たいてい真理の第一声は『なに、おふくろ、なんかあった?』だ。何かあったことが大前提なのだ。

 それに対して、母親が『あのね……』とか、『それがね…』と切り出してきたら、要注意ということになる。

 この日、電話口の母は、真理の知る限り最も重苦しい口調で話を切り出してきた。


『それがね、真理……、お祖父ちゃんがね……、入院しちゃったのよ』

 ちょうど大学を出ようとしていた真理は、急遽、キャンパスへと引き返し、手頃なベンチに腰を下ろした。とても歩きながらできる話ではないと思ったからだ。

『それでね、入院が長引くようなら、また真理にお見舞いに行ってもらいたいのよ……いいかしら?』

 母は真理がまた嫌がると思っているようだが、真理の中の祖父への苦手意識は、もうとっくに薄れていていた。

「見舞いぐらい、頼まれなくても行くよ。俺だって、祖父ちゃんが心配だし」

『そう言ってもらえると助かるわあ』

 あからさまに安堵した母に、一体自分はどれほど薄情な人間だと思われているのかと、ため息をつきたくなった。

 痩せ細った祖父を目の当たりにしたら、おじいちゃん孝行のひとつやふたつ、しようと思うのが人情だろうに。

「で、いつ、行ったらいい?」

『今すぐじゃなくていいのよ。長引いたら、の話だから。ちょっと風邪を引いたみたいでね、大事を取っての入院なのよ』

 母は軽く言うが、祖父は大の病院嫌いだ。入院するだけで、相当なストレスに違いないのだ。

「入院なんかしたら、余計具合悪くなりそうなのになあ……」

『あら、入院してかえって良かったのよ』

 心配する真理とは対照的に、母はあっけらかんとしていた。

『というのもね、一昨日、直美さんが腕を骨折しちゃってね。腕が使えないんじゃ、介護なんてできないでしょう。かと言って、私も毎日は行けないからねえ』

 そういうことなら、二十四時間看護してもらえる病院の方が確かに安心だ。

『それで、その直美さんの骨折なんだけどね……』

 電話口だというのに、母はとっておきの内緒話をするように声を潜めた。どうやら、ここからが離したいことの本番のようだ。

『どうも健ちゃんにやられたみたいなのよ。家庭内暴力、って言うの?』

「家庭内暴力!?」

 思わず大声を出してしまって、真理は慌てて口を塞いだ。

 爽やかな秋空の下に全く不釣り合いな物騒な言葉は、周りにいた学生の耳目をひいてしまう。真理も母にならって、声を落とした。

「なんだってそんなことに……?」

『最近、成績が落ちてきて、それで喧嘩になったみたいよ』

 田舎の家の廊下ですれ違った時の、健の姿を真理は思い浮かべてみた。

 前髪で目を隠していたのは、心を閉ざしていたからだろうか。

 丸まった背中には、悩みや不安がたくさんのしかかっていたのだろうか。

 そんな時期には、親からの小言ひとつにも、イライラしてしまうものだ。それが正論であればあるほど。

 だからと言って、あの健が暴力を振るう姿は想像もつかない。

 直美叔母が怪我をして、一番驚いているのは健なのではないか。

 そんなことをつらつらと考えていた真理は、スマホの向こうで夢中になって喋り続けている母の話など、ほとんど聞いていなかった。

 しかし、母の口から唐突に飛び出した「わらし様」という単語だけは、真理の耳が聞き逃さなかった。

「……え、何? わらし様がなんだって?」

『だからあ、柳田の家に悪いことが続いているでしょう? それもこれも、わらし様を大事にしてこなかった、バチが当たったんじゃないかって話よ』

 ――バチって……。バチってどういうことだ?

 いつもにこにこ笑っている、あの小さな座敷わらしに『バチ』という言葉は、どうにも釣り合わない。

『わらし様がいる家は繁栄するって言うけれど、気に入らないとすぐに出て行っちゃうんでしょう? それで、出て行かれた家は、一転、不幸が続いて没落するっていうじゃない? もしかしたら、あの家にはわらし様がもういないんじゃないかって、思えて仕方ないのよ』

「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれよ、おふくろ。没落とか、一体何の話だよ?」

『あら、やだ。あんたがわらし様のことを言い出したんでしょうに。うちのおとうさんは柳田家の長男だけど、迷信みたいなものを嫌う人だから、私も気にしないようにしてたのよ。でも、これだけ悪いことが続くと、なんだか心配になってきちゃって。あんたがお供えしろって言い出したのだって、わらし様の言い伝えを信じてるからなんでしょう?』

 信じるも何も、現実に座敷わらしは存在するのだ。

 そして、実際に田舎の家をとうに出ているのだ。

 心臓が、バクン、とひとつ、嫌な音を立てた。

 それから、どうやって電話を切ったのか、真理は覚えてない。

 すぐにでも母の話を確かめたい、それだけで頭の中がいっぱいだった。

 しかし、気ばかりが急いて、スマホのチマチマした操作が上手くできない。真理は大学の中にある、PCルームへとよろけるように歩いて行った。



 パソコンで『座敷わらし』を検索してみれば、出るわ、出るわ。

 座敷わらしのことを知らなかったのは、真理ただ一人だったのかもしれない。それくらい、『家に棲みつく、子供の姿をした守り神』の伝説を扱うサイトは、数多あった。

 そんな中で、真理の目を強烈に惹きつけたのは、ある個人のサイトだった。

 そこの管理人は、座敷わらしにまつわる土地を訪ね歩いているらしかった。

 座敷わらしが出ると言われている旅館にも泊まったらしく、旅館の部屋の写真が大量に貼られている。

 写真の中の、部屋の片隅に積み上げられた、おもちゃの山は、どこかで見た光景だった。

 ――うわ……、この部屋、田舎の奥の間とそっくりだ。

 座敷わらしがいる家では、どこもこうしておもちゃをお供えするらしい。

 感心しながら更に読み進めていくと、一枚の写真に行き当たった。スクロールする手が思わず止まる。

 その写真には、『東北某県、Y田邸』というキャプションがつけられていた。『個人宅なので、詳しい住所は載せられません』という注意書きも。

 写っていたのは高台に建つ、大きな屋敷だ。公道から見上げるようなアングルで写し出された、その屋敷は、どこからどう見ても真理の父の生家だった。

 続けて、『座敷わらしのいる家として有名で、駅前のタクシーでも、座敷わらしの家まで、で通じてしまうので住所がわからなくても行けますよ』とある。

 確かに、そうだった。

 東京から田舎に行く際、電車を降りて乗り込むタクシーには「柳田家まで」と告げればいい。それだけで、タクシーが勝手にあの屋敷まで運んでくれるのだ。

 真理はそれを、田舎だから全員知り合いなんだろ、ぐらいにしか考えていなかった。が、柳田の家は、あの地域の、いわばランドマークだったのだ。

『Y田家は地域で有数の豪農の家だったが、戦後、農地改革で多くの田畑を失ってしまった』

 まるで歴史の教科書の中の話のようだった。

 そのサイトによると、没落寸前だったY田家が、再興できたのは小豆相場で大儲けしたからだという。

 それもこれも、座敷わらしの御加護だと、そのサイトは結んでいた。

 ひと通り目を通し、真理は大きく息を吐いた。

 どれもこれも、初めて聞く話ばかりだった。

 確かに、父の実家は裕福だ。

 それは、座敷わらしに守られていたからなのか?

 じゃあ、現在、座敷わらしと暮らす真理にも、何か御利益があるのだろうか。

 そう考えたとき、頭に浮かんだのは、いつかの武田の言葉だった。

『おまえ、最近、ツイてるんじゃね?』

 真理はとっさに、手で口を覆った。そうしなければ、大声を上げてしまっていただろう。

 そうしている間にも、頭の中では今まで遮断されていた回路が自動的につながっていく。

 やたらと缶コーヒーが当たった。

 大した景品ではなかったが、くじ引きが当たり、やはり大した額ではないが、宝くじも当たった。

 それから……。

 ――そうだ、合コンでやたらとモテたっけ。

 全部座敷わらしのおかげだったのか?

 よくわからない。わからないけれど、毎日が楽しいのは事実だった。

 家に帰るのが楽しい。ご飯を作って、食べるのも楽しい。後片付けでさえ、鼻歌まじりだ。

 座敷わらしが幸せを運んできたことは、もはや疑いようがない。

 だとしたら、座敷わらしに去られた祖父の家で、次々と起こる不幸な出来事は……。

 真理が座敷わらしと楽しく愉快に過ごせば過ごすほど、あの屋敷の上空に黒い厚い雲が垂れこめることになるというのか。

 自分の幸せが誰かの不幸の上に成り立っていたとは……。

「だって……、知らなかったんだ」

 誰にでもなく言い訳した真理の脳裏に、座敷わらしのセリフが甦る。

『真理は、なーんにも知らないね』

 初めて会ったとき、奥の間で言われたセリフだ。

 真理は頭をガツンと殴られたような衝撃を受けた

 ――本当に俺は何にも知らなかったんだな……。

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