11話
久し振りの合コンで心身共に疲れたのか、真理は翌日の昼でもまだベッドの中だった。このまま夕方くらいまでは、余裕で爆睡できる。そのくらい眠かったのだが……。
「……ん~、う~ん……、う~、うっるさ~い!」
どこかで誰かが、わあわあ、ぎゃあぎゃあと騒ぎたてていて、とてもじゃないが寝れいられない。
「……ああ、くそっ、誰だ、俺の安眠を妨害する奴は」
もともと寝起きは悪くない方なのだが、無理矢理起こされたとなれば話は別だ。
安眠妨害犯を捕まえて、取っちめてやる。そんな気分で起き上がった真理は、てっきり外で誰かがケンカしているのだと思っていた。まさか騒音源が、自分の部屋のベランダだとは思ってもいなかったのだ。
「カア、カア」
「わたち、バカじゃないもん!」
「カア、カア、カア」
「あ、またバカって言った! バカって言う方がバカなんだからね!」
ぴょこん、ぴょこんと跳ねながら、座敷わらしがベランダで腕を振り回している。その程度のことで、頭上でバッサバッサと羽ばたくカラスを、どうにかできると本気で思っているらしい。
しかも、喚いている内容は、小学生の口喧嘩レベルだ。
――なんなんだ、この低次元な争いは……。こんなくだらないことのせいで、俺の貴重な睡眠時間は奪われたのか。
真理はがっくりと肩を落とした。
しかし、カラスは鋭い爪とくちばしを持つ動物だ。万が一、座敷わらしが怪我をしないとも限らない。
「仕方ないなあ」
真理はのっそり起き上がった。もちろん、座敷わらしに加勢するためだ。
「コラー、あっち行け! しっしっ」
真理はベランダに出て、追い払うように大きく手を振った。
「あ、真理」
友軍の到着に、座敷わらしの意気も揚がる。
「そうだ、そうだ! あっち行け-!」
賢いカラスは数的不利になったとみるや、空高く舞い上がり、「カア」と捨て台詞を残して逃げて行った。
これで一段落、と思いきや、そうではなかった。空が片付いたら、次は地上だ。
「ちょっと、お兄さん」
下の道路から声がかかる。
手すりから身を乗り出して見てみれば、下に近所の住民らしき人達が集まっていた。
「この騒ぎは一体何なの?」
「ベランダにゴミを溜めてるんじゃないでしょうね?」
「まさかとは思うけど、カラスに餌をやったりしてないわよね?」
座敷わらしが見えない彼らには、何故カラスがベランダで騒いでいたのか、わからないのだろう。
しかし、ごみはちゃんと分別し、決められた曜日にきちんと出している。まるでゴミ屋敷のような言われようは、心外だ。
「ゴミなんて、置いてません。なんだったら、上がって来て確かめてもらってもいいですよ」
住民達はまだ何か言いたげだったが、それ以上何も言い返せずに、すごすごと帰って行った。
「はあ~……」
寝起きの数分間で、色々なことが起こり過ぎだ。脱力し、しゃがみ込んだ真理は、ベランダの有様を見て、ぎょっとした。
カラスの羽が散乱して、まるで何か怪しい儀式でもした後のようだ。
この薄気味悪い羽を片付けなくてはならないのかと思うと、沸々と怒りが湧いてくる。当事者がケロリとした顔で部屋の中に戻っていたりするから、尚更に。
「わらし、おまえってやつは! 朝っぱらから騒動起こしやがって!」
説教の一つでもしてやろうと思ったのだ。なのに、「もう朝じゃないよ」と切り返されて、思わず「ぐぬぬ」と言葉に詰まってしまう。
「う~……、あ、朝かどうかなんてのはな、問題じゃないんだ。近所迷惑だろうが! それに、カラスとケンカなんかして、大怪我したらどうするんだ」
そうなのだ。腹が立つのは心配しているからでもある。
しかし、座敷わらしは、それを聞くと、ぷぅっと頬を膨らませた。
「わたち、負けないもん」
「はあ? いやいや、どう見たってお前の方が負けるだろ。見ただろ? あのカラス、翼を広げたらあんなに大きいんだぞ。お前なんかくちばしで咥えて、ポイでお終いだよ」
「むうっ、まーけーなーいもーん!」
あくまでも勝てると言い張る座敷わらしは、シュッシュッとパンチを繰り出してみせる。
本人はボクサーか何かのような気でいるのかもしれないが、どこからどう見ても猫パンチだ。猫のような爪を持たない分、猫パンチ程度の威力も無いと断言できる。
真理は、やれやれと呆れて首を振った。
「そもそもどうしたら、カラスとケンカになるんだよ。『バカ』って言われるって、前も言ってたけど、あれはただの鳴き声で――」
カラスは「カア」と鳴いているのであって、決して「バカー」と言って、からかってるわけではないのだと教えようとしたのだが、座敷わらしはこれっぽちも聞いてない。
「あのね、ひなたぼっこしてたらね、カラスが飛んで来たの。わたちの宝物を狙って来たの。いっつもそうなの。カラスはキラキラしたものが好きだから」
ほら、と言って、座敷わらしが見せてくれたのは、ビーズのバレッタだった。
「キレイでしょー」
陽にかざすと、ビーズがキラキラ輝いて確かにとても綺麗だったが、真理はその形の方が気になってしまう。
――無限大? それとも、数字の八かな?
女の子の髪の毛を飾るのに、何故、そんな形を象っているのか、真理にはさっぱり理解できなかった。
しかし、そんなことはどうでもいいことだ。
「こんなもの、どこで、どうしたんだ?」
「朝、起きたらね、ここに落ちてたの。だから、拾って、わたちの宝物にしたの」
真理には全く見覚えのない代物だ。
しかし、床に落ちていたとなると……。
「……それ、昨夜、里奈ちゃんが落としていったものじゃないのか?」
正直に言えば、彼女の髪型どころか、どんな服装だったかさえ定かでない。
しかし、何かの弾みで、彼女が落としていったとしか考えられない状況だ。
「だったら、里奈ちゃんに返さなきゃいけないな」
昨夜、無事に帰れたかも心配だった。午後から大学に行って、様子を見るついでにこの髪留めを返そう、そう思ったのだが……。
「やだっ!」
それは、座敷わらしにしては珍しい、激しい拒絶だった。
「嫌だって言っても、それはおまえのものじゃないだろう?」
「わたちが拾ったんだもん。わたちのだもん」
こんな所は、まるっきり子供だ。
子を持つ親は、こんなとき、どう対処するのだろう。二十歳の大学生には、見当もつかない。
――困ったな……。
座敷わらしにしてみれば、カラスから死守した大事なお宝だ。みすみす手離したくないのだろう。
気持ちはわかるが、他人のものは他人のもの。それをちゃんと教えなくては。
「あのな、わらし……」
プイ、と横を向いてしまった座敷わらしの、正面に回り込む。
「落ちてたものは拾った人のものじゃないんだ。落とした人のものなんだ。わかるな?」
真理はそう言って、座敷わらしの前に掌を差し出した。奪い取るのは簡単だが、座敷わらしには自発的に返してほしかった。
真理が根気強く待っていると、しばらくして、座敷わらしの腕が少しずつ少しずつ動き始めた。まるで錆びついたブリキのおもちゃのように。今にもギギギと音が聞こえてきそうなほど、ゆっくりと、ゆっくりと。
真理に言われたから返さなくちゃ、でも、返したくない、本当は嫌で嫌でしょうがない、そんな内心の葛藤が伝わってくる。
――頑張れ、頑張れ。
真理にも思わず力が入る。
だから、掌にポトリとそれが落とされたときには、感極まって泣きそうになってしまった。
「エライ、エライぞ、わらし!」
髪留めを握る反対の手で、おかっぱ頭をわしゃわしゃとかき回す。
座敷わらしはボサボサ頭のまま、ツンと澄ました。
「だって、落ちてたものは落とした人のものだもん」




