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きみは小さな居候  作者: むめみつき梅
きみは小さな居候
10/97

10話

「おじゃましまーす」

「うわー、里奈ちゃん、ちょっと待っててって、言ったのに!」

 あたふたする真理に、里奈は「もう充分待ったよ」と、にべも無い。そして、そのままずかずかと部屋に上り込んでしまう。

 そんな里奈の目を真っ先に引いたのは、やはり……。

「へぇ~、ロフト付き? お洒落だね」

 ロフトを見て、目を輝かせた里奈は 今にも梯子を上がっていきそうな勢いだ。

 真理は慌てて、だが、さり気なく、ロフトを上へと押しやった。

「あー、そこは物置にしちゃってるんだよね。だから、ごちゃごちゃなんだ」

 里奈の目に、座敷わらしは映らない。そうとわかっていても、里奈を座敷わらしに近づけるのは不安だった。

 といっても、座敷わらしを潰すわけにはいかないので、ほんの少し押し上げるに留めただけなのだが。

 当然、ロフトの奥からは「わあ、なに、真理?」と、小さく悲鳴が上がるが、我慢してもらうより他にない。とにかく、この場をうまく乗り切ることが先決なのだ。

 しかし、真理の心配は杞憂だったようだ。

「なんで隠すの? 怪し~い。何かイケナイものでも隠してるんじゃないの? ……あっ、ロフトの下がベッドになってるんだ」

 里奈の関心は、あちこち飛ぶようにできているらしい。案外あっさりとロフトへの興味は薄れてしまったようだった。

「そ、そうそう! そうなんだよ。でも、ついついソファとしても使っちゃうんだよね、便利だから」

 上手く誤魔化せた、とホッと息をついたのも束の間、次の瞬間、真理はピキーンと固まってしまった。

「ホントだ、快適! テレビもちゃんと見えるように置いてあるんだね」

 里奈が何の躊躇いもなく、ベッドに腰掛けたのだ。

 ――わぁっ、俺のベッドにっ……、女の子がっ……!

 何しろ、この部屋に女の子を呼んだのは初めてなのだ。

 ――いやいや、落ち着け、俺。

 真理はこっそり深呼吸した。

 彼女は決して誘っているわけでも、真理を試しているわけでもないのだ……多分。

 さっきまでは、なるべく穏便に帰ってもらおうと、そればかり考えていたのに、今はその逆だ。座敷わらしのことは、頭からすっぽり抜け落ちてしまっていた。

 そんな真理の心の内を知ってか知らずか、里奈は白い生足をプラプラさせている。

「でも、安心した。ちゃんと男の子の一人暮らしっぽい所があって。里奈の部屋よりずっと綺麗にしてるんだもん。これじゃあ、どっちが女の子かわかんない~って思ってたんだ」

 そう言って、里奈が指差した先は、ミニテーブルの上の弁当の空容器。

「わあ、昼に食べてそのままだった」

 それは座敷わらしが食べた弁当だったが、真理は自分のせいにして、空の弁当を流しに持って行く。里奈の白い生足は目の毒で、少しインターバルを置く意味もあった。

 おかげで、人心地つけたのかもしれない。真理は里奈に水の一杯も出してないとか、そういったことに気が回るようになっていた。

「あ、そうだ、何か飲むよね? 酔い覚ましに」

 そうは言ったものの、あるのは缶ビールとペットボトルの水だけ。冷蔵庫を開けて、真理は思わず「う~ん」と唸ってしまう。

 すると、背中に温かく、柔らかい感触が……。

「何があるの?」

 里奈が後ろから抱きつくようにして、冷蔵庫の中を覗き込んできたのだ。

「あっ、お水がある。里奈、お水がいいなあ」

 真理の脇の下から、腕がにょっきり伸びてくる。密着度が更に増したが、里奈はあくまで水を取ろうとしているだけなのだ。

 ペットボトルを手に取ると、里奈は涼しい顔でベッドに戻っていく。

「里奈、のどが渇いてたんだぁ。いただきまーす」

 白く、細い首が、水を嚥下していく。

 それが妙になまめかしくて、真理はふらふらと吸い寄せられてしまう。

「真理くんも飲む?」

 無邪気に思えた里奈の笑顔も、今は妖艶に見える。

 真理はペットボトルを受け取ると、そのままミニテーブルの上に置いた。喉はカラカラに渇いていたが、欲しているのは水ではない。

「里奈ちゃんっ……」

 真理は隣に腰を掛け、里奈の肩を抱いた。

「真理くん……」

 ――大丈夫。拒絶されてない。

 至近距離で見つめ合ったからこその確信だ。

 いや、拒絶どころか、里奈は後ろに後ろに重心を傾けている。自然と押し倒される格好になるように、と。


 そのときだった。

「松子ちゃ~ん、髪の毛サラサラ~、松子ちゃ~ん、髪の毛サラサラ~」

 上から何とも能天気な鼻歌が聞こえてきて、真理は一気に現実へと引き戻された。

 ――そうだった。わらしがいるんだった……。何やってるんだ、俺は……。

 何故、このタイミングなんだと恨めしく思うが、退屈になる頃合いだったのだろう。それで人形遊びを始めたとして、何が悪いのか。

 それに、降りてくるなとは言ったが、歌を歌うなとは言ってない。言いつけたことは、きちんと守っているのだ。

 真理は、がっくりと肩を落とした。盛り上がっていた気持ちが、しおしおと萎んでいく。

 それを誤魔化すように、喉が渇いたふりをした。

「あー……、やっぱり水飲もうかなー。のど渇いちゃったなー」

 しかし、言い終える前に、里奈に「しっ!」と制されてしまった。

 見ると、里奈は眉間にしわを寄せ、ひどく難しい顔をしている。

 腰の引けた真理に対して怒っているのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。

「……今、何か聞こえた」

 里奈は耳をそばだてていたのだ。

「真理くんも聞こえない? 微かに……子供のすすり泣く声が」

 座敷わらしの鼻歌を、はっきり聞き取っているわけではないらしい。

 だからと言って、この能天気な鼻歌がすすり泣きに聞こえるとは……。

「はぁ? すすり泣き?」

 真理はぶんぶんと首を横に振った。

「聞こえるんだってば! ほら、また!」

『松子ちゃ~ん』

「お母さーん、って」

『髪の毛つやつや~』

「え? いっしょう……うら、むわ……? やだ、一生恨むわって言ってる!?」

 ――いやいやいや、そんなこと言うような奴じゃないって!

 と、思うままを口にすることができないのがもどかしい。

「う~ん。気のせいじゃないかな」

 だから、当たり障りのない言い方で否定するしかない。

 しかし、里奈は怯えてしまって、聞く耳を持たない。

「真理くんにはわからないだろうけど、里奈は霊感強いから感じちゃうの。この部屋、絶対何かいるよ」

 ――いや、いるには、いるけど……。全く害のない奴でして……。あ~、困ったな。

 途方に暮れる真理の横で、里奈はすっかり固まってしまい、目だけをおどおど、きょろきょろさせている。そんな中、全ての元凶である座敷わらしだけが、のん気に鼻歌を歌っているという状況だ。

「松子ちゃ~ん、髪の毛サラサラ~、松子ちゃ~ん、髪の毛、あっ!」

 しかし、唐突に歌が途切れた。

 真理が「どうしたんだ?」と思う間もなく、視界を掠めるようにして、上から何かが降ってくる。

 降ってきたのは何か黒っぽい、小さな塊だ。

 その塊が小さくバウンドする様子を、真理と里奈は自然と目で追いかけていた。

 それは丁度二人の真ん前で、コロンと止まり……。

 次の瞬間、どこからそんな声が出るのかというほどの、里奈の絶叫が響き渡った。

「ぎゃああああああーっ!!」

 それは、小さな少女の首だった。黒い髪が床の上に扇状に広がり、まるでさらし首のようだ。

 しかも、顔がこちら向きで、バッチリ目が合ってしまう状態だ。その表情は薄っすら笑みを浮かべていて、それがまた不気味だった。

 真理も思わず「ひぃっ!」と息を飲んだが、よくよく見れば、その顔は馴染みのもので……。

 ――わっ、松子! わらしの奴、何やってんだ。

 真理がとっさに思ったのは、ふてくされた座敷わらしが投げつけたのか、ということだった。が、あれほど大事にしている人形を、座敷わらしが投げたりするわけがない、と思い直す。

 それに、そんなことよりも里奈をどうにかする方が先だった。ホラー映画のヒロインのように、ずっと叫び続けているのだ。近所迷惑も甚だしい。

「ぎゃあああああ!!」

「人形だから。ね、大丈夫だから」

「きゃあああああ!!」

 何とか宥めようとするが、パニック状態でどうにもならない。肩に置いた、真理の手にさえ怖がる始末だ。

 里奈は転がるようにベッドから下りると、自分のバッグをひったくった。そして、そのまま尻餅をつきつつ、玄関へと逃げていく。

「帰る、帰る、もう帰る!」

 呪文のように唱えているが、どうやら上手く靴が履けないようだ。

 真理は松子を拾うと、玄関でいまだジタバタしている里奈を追いかけた。

「里奈ちゃん、落ち着いて。ほら、ただの人形だよ」

 松子を見せて安心させようと思ったのだが、これは全くの逆効果だった。

「きゃああああっ!!」

 里奈はとうとう靴を履くのを諦めてしまった。胸に靴を抱きしめるようにして、裸足で外へと飛び出していく。

「里奈ちゃん、ちょっと待って! じゃあ、そこまで送るからさ」

 終電には間に合う時間だ。せめて駅まで送ろうと思ったのだが……。

「いやあーっ!! 来ないでーっ!!」

 絶叫と共に、里奈は走って逃げて行ってしまった。

 彼女の後姿を、真理は呆然と見送るしかない。

 そうして、しばし里奈の去って行った方を見つめていた真理は、ふと気配を感じて視線を巡らせると、なんと隣の部屋の玄関ドアが薄く開いているではないか。その細い隙間から目玉が二つ、覗いている。

 これだけの大騒ぎだ。隣人が何事かと思って出て来たとして、何ら不思議ではない。

「いや、参りましたよ……」

 とっさに言い訳をしようとしたのだが、途中でバタンとドアを閉められてしまう。

「あ~ぁ、俺、どんな奴だと思われただろう」

 隣人とは全く付き合いがない。誤解をされたら、最後、それを訂正する術がないのだ。

「まったく……。松子、おまえのせいだぞ」

 真理は掌の中の松子を恨めし気に睨んだ。

 松子はいつもと変わらぬ笑みを浮かべ、泰然としている。

 しかし、その笑顔は心なしか、してやったりといった表情にも見えた。

「はぁ~、まあいいや。もう今日は疲れたよ」

 がっくりと肩を落として、部屋に戻ると、ロフトから座敷わらしが身を乗り出していた。

「松子ちゃんの髪を櫛でとかしてたら、首がもげちゃったあ。真理、取って~」

「自分で取りに来い」

 真理はフンと鼻を鳴らして、松子の首をミニテーブルの上に置いた。

「えー、だって、下りちゃダメって真理に言われたんだもん」

 素直な座敷わらしは、言いつけを守り続けているのだ。

 しかし、座敷わらしが素直であればあるほど、真理は自己嫌悪に陥ってしまう。

 真理は項垂れたまま、座敷わらしを手招きした。

「ごめん、悪かった。もう下りてきていいぞ」 

 許可を得て、座敷わらしが梯子を下りてくるが、いつもと様子の違う真理に戸惑いを隠せない。

「どしたの、真理? どっか痛いの? 誰かに叱られたの?」

「大丈夫だよ。なんでもないよ。……いや、誰にも叱られないから、胸が痛いのかもしれないな。わらし、俺を叱ってくれよ」

 座敷わらしがすぐ上にいるというのに、女の子を押し倒そうとしたなんて、自分でもどうかしてたとしか思えない。

 何考えてるんだ、と誰かに思いっきり詰られたかった。

 しかし、座敷わらしには思いっきり嫌な顔をされてしまった。

「えーっ! イヤだよ。叱ることないのに、叱れないよ」

「何だよ、叱ってくれって言ってんだ。叱ってくれよ。ケチだな」

「むぅっ! わたち、ケチじゃないよ!」

「ケチじゃないか」

「ケチじゃないもんっ!」

 この夜、二人は何で揉めていたのか忘れるまで、こうして言い合っていた。

 そんな二人をミニテーブルの上の松子は、首だけの状態で微笑ましく見守っていたのだった。

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