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師父慕う少女、果てに至る物語  作者: 犬山
犬、猿、雉
8/64

07あかいつるぎ(中)


 少年の案内によって、ナタリアは彼の実家の宿屋に迷う事無く到着した。

 裏口から中に戻る彼と別れと再会の約束をしてから、注意深く宿の出入り口を観察してみる。


 ナタリアが張り込みを始めてから五分もしない内に、兵士と思わしき強面の男が宿の中に入っていった。

 私服だったので断定はできないが、その男が帝城の巡回をしているところを見たような記憶がある。衛兵長が少年の言う女騎士と同一人物である可能性がますます濃厚になってきたといえる。

 宿は二階建てで中々に立派な構えをしており、外観から推測する部屋数は二、三十は越えているだろう。家族経営の小さい宿を想像していたナタリアは、雇い人がパラパラと出入りを繰り返すのを見て考えを改めた。

 時刻は正午過ぎ。昼時からは微妙にズレた時間帯のせいか、宿に出入りする客らしき人は例の私服の軍人らしき男くらいしか見つからなかった。


 ナタリアは近くの建物の日陰に寄りかかる。

 普通に通りを通り過ぎるだけの人々からは死角になっているし、何より日陰だ。

 しばらくそのまま観察を続ける。暗がりから日の差す明るい世界をずっと見ていると変な気分になってくる。高揚しているような、けれども諦めているような。

 じっと佇んでいると、好奇心旺盛な通行人の視線が飛んでくることがある。しかし、子供だと分かると、ありふれた行動だと大概は興味を無くしてそのまま目を逸らしてくれる。実際は四重属性をその身に宿す二人と居ない魔術師なのだが、外見詐欺である。

 幾つもの好奇の視線をそうやってやり過ごす。

 

 路地に人工的に空属性のそよ風を起こし、涼を取る。じんわりと汗が乾いていき体温が下がっていく。

 ただしそよ風も万能ではなく、気温が高すぎると生温い風が吹き付けるだけになる。子供だから何をするでもなくぼんやりしていてもあまり疑われることはないだろうが、ずっと涼むのにも限界を感じてしまう。

 一度首肯をして、決意を固める。

 チリチリと肌を焦がすような熱線に体を晒しながら、宿の正面入口に足を向けた。

 これ以上観察していても偶然ヘイルダムが出歩く所を目撃するなんて幸運はありそうにないし、だったら動かなければ状況は変えられない。


「行ってみる」


 ”声”からの返答はない。どうやら常に意識があるわけではないようで、たまに返答がない時がある。基本的には守護霊のようナタリアの後方に付かず離れずで浮遊しているようだが、全てに口を挟んでくるわけでもない。

 少しだけ寂しく思いながら、ナタリアは宿の中に足を踏み入れた。

 

 一階部分は酒場を兼ねた大衆食堂になっているらしく、テーブルと椅子の組がいくつも並べられていた。

 見渡す限り人影は三つ。カウンター近くのテーブルで浴びるようにコップを飲み干している青年二人組と、二階への階段の手すりにもたれかかって店内を眺めている青年。三人ともかなり若く、同年代に見えた。パッと見た所、武装はしていなかったので、彼らが兵士かどうかは不明である。

 従業員のような宿側の人間はどうやら居ないようだ。ナタリアの視線が彼らの上で停止した時、テーブル席にいた二人組の一方が呂律の回らない口で突然叫んだ。


「うーい。てんちょー!ちっさな客だぞー。全く、店番も置かず店を留守にしちゃあだめじゃないかぁ。これは手間賃を貰わねばなりませんねぇ」


 何が可笑しいのか男はケタケタ笑いながら、右手のコップを頭上に掲げて呼び鈴のように振り鳴らす。

 底の方に残っていた麦酒がぴちゃぴちゃと跳ねて、相方の青年の顔に降りかかった。そのことで顔をしかめた透き通るような白い肌の青年は、ハンカチで付着した水滴を拭った。


「小遣いを強請る子供か、君は。はぁ、隊長殿に見つかってもいいのかい?」


 神経質そうに何度も顔の汚れを拭いている白皙の青年は、呆れた声で友を諌めた。


「昨晩夜勤だったし今頃ぐっすりだろー。一階の音なんて聞こえねーよぅ。――なぁ二人で寝込みを襲ってみねぇ?あの気取った顔を後ろから犯して、ヒンヒン言わせてやりてぇ。泣いてよがってくれたら、すげー萌える」


「……愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。既に一人ジムの野郎が医務室送りになったのをもう忘れたのか?せめて戦闘訓練であの人に勝てるようになってからそういうセリフを言うんだな」


「けっ。悪うござんしたぁ。おれは雑魚ですよーだ。……まったく興冷めだ、お前は酔わねぇなぁ」


「俺としては、こんな安酒で気持ちよくなれる君が羨ましい所ではあるがね。……さて、お嬢さん。見ての通り店の主人は留守のようだ。宿泊希望の客ならば出直したほうが良いだろうね」


 おそらくはぐてんぐてんの相棒と同程度の量を飲酒しているにもかかわらず、涼しい顔の青年がナタリアを見つめながら言う。とはいえナタリアは言われたとおりに大人しく引き返すたまでもない。せめて彼らの話す”隊長殿”について何らかの情報を得られなければ無駄足だ。


「いえ、単なる客と言うわけではないのです。私はヘイルダム・ダールクヴィスト様の知り合いで、面会に来たのですが」


 名前を出したのは賭けでもあった。

 迂闊すぎたかもしれない。

 しかし何らかの効果は見込めるだろう。プラスにせよマイナスにせよ、だ。

 女騎士、隊長殿がヘイルダムではないならば、「誰?」となるだけだろうし、ある程度知っていることを匂わせれば門前払いを食らう可能性も低くなる。

 夜の属性の特徴である高速思考がナタリアを助け、その結論を導き出した。


「……」


 何も起こっていないように見えた。表面上は。しかし確かに変わらぬ表面の下で空気が変わっていた。

 ナタリアが直接面対している色白の青年はもちろんのこと、二階への階段に陣取っていた室内で帽子を被った青年もこちらに視線を向けていた。

 最悪の場合、敵対されることさえ想定して油断なくナタリアは構える。肌白の青年はじっとナタリアを観察して、言葉の真偽を推し量っているようだった。しばしの沈黙の後、

「お名前は?」


「ナタリアです」


 胃が痛くなるような沈黙だった。変化を渇望して盲進してみたナタリアだったが、ここまで剣呑になるとは予想していない。単に敵意でもなく、好意でもない。ただただ見定められていた。真か偽か、敵か味方か、裏はあるのか。何者であるのか。


「ではナタリアちゃん。昼食がまだなら一緒に食べないかい?ヘイルダム殿は今寝てるから、すぐには面会できないと思うし。お嬢ちゃんのことは伝えておこう。それでいいかい?」


「は、はい」


 ぽんと気安くナタリアの肩に青年の手が置かれた。彼はそのまま腰をかがめてナタリアと目線を合わせてからふわりと微笑した。


「……っ!!」


『っん!?』


 唐突な変化にナタリアは身をすくませた。積もり積もった埃が、不用意な挙動で舞い上がってしまい咽込んだ時のような不快感が全身を襲う。

 魔術の発動によって周囲の魔力が消費され、バチバチと架空の放電音をかき鳴らす。

 

 夜属性の人間は先天的に知覚に優れ、頭の回転が速い。中でも魔術師になれるほどに適性のあるものは、魔力の流れすら限定的ながら視認するという。もちろん、人体の一感覚器官である眼球にそんな機能が備わっているはずがない。実際に視えているのではなく、異種の流れを、可能な限り近しい感覚に脳が自動的にコンバートして幻覚を見せているだけだ。

 脳科学の未発達なこの世界ではこんな理論は存在しない。実際の正しいプロセスを説明はできない。

 ただ一流の夜魔術師は魔力の消費を認識し、ひいては誰かが魔術を行使したのを理解できるということが分かっているのみである。

 

 ナタリアの才覚は確かな魔術の行使の痕跡を捉えていた。

 見れば、青年の黒い瞳はぼんやりと光を発しており、収束した光線がナタリアの目に飛び込んできている。意識しなければ気付けないほどの微量な光が一定の法則に従って明滅しながらナタリアの目へ入り込んでくる。

 視神経に伝えられた刺激はそのまま脳へと送り込まれ、ナタリアの脳は指定された脳内物質を分泌する準備を始めた。


 これは攻撃だ。静かなる侵略だ。

 この魔術は知っている。

 日属性<暗示>魔術。その射程の短さや、費用対効果の低さから戦闘魔術に数えられることはないが、存在を知らない無防備な一般人相手には恐るべき洗脳効果を発揮する。

 狙った相手を意のままに操る、なんて馬鹿げた事は不可能でも、印象を変えることくらいは訳ない。胡散臭い印象を、好意的なものにすり替えてしまったり、その逆も可能だ。たった一度の魔術行使ではなんてことない些事にしか干渉できないにせよ、繰り返し同じ相手に使用すればその蓄積によってマインドコントロール染みた真似もできるのだ。

 つまりこれは魔術師にとっての明確な精神攻撃(・・)魔術。なんの同意もなく先制使用されれば、それは脈絡なくナイフを突きつけられた事と同じくらいに非難されてしかるべき行為なのだ。武力による反撃を受けても文句が言えないほどに、<暗示>魔術は敵対意思を明確とするものである。


 ナタリアはその兆候を察知した瞬間、風の補助を受けながら大きく飛び退った。

 ヘイルダムの知人、という劇薬を投与した結果が敵意ある魔術攻撃だったのだ。もたもたしていては命の危険さえあった。


「ちぃ!魔術師か!」


 日属性の色白い青年は、怒りと悔しさに顔を歪めつつナタリアを睨みつけた。

 その隣の呑んだくれた男は、どうやらこの攻撃に無関係らしくボケッとした顔で事の推移を見ていたのだが、相方が肉きりナイフを抜いたのを見て一気に酔が冷めたらしく椅子から飛び上がった。


「は?え?何!?敵?その娘敵!?」


 言語機能さえ怪しくなっているような男だったが、酔っぱらいのくせ意外に足取りはしっかりしていて、距離をとったナタリアを警戒しながら、食事用の小さな刃物を隙なく構えた。


()ぇっっ!!」


 戦闘中であれば万金にも値する隙だった。

 ナタリアは狙い定めて用意していた五発の<風弾>を敵に向けて斉射した。見えざる魔弾が高速で飛翔し、色白の男に迫る。

 一発二発、三発。刃物持つ手と胸部と腹部に炸裂した魔弾の威力は暴力的で、痛みに悶絶した男は、テーブルの上のグラスの中身を空中にぶち撒けながらその場に倒れ込んだ。残る二発は、倒れた彼の上をすり抜けて行き、カウンターの天板を深く凹ませていた。

 実際に目に見える形で魔術が発動されたことを受けて、事態を静観していた階段脇の強面男がすばやく上階へ走った。

 仲間を呼ぶつもりか、上司に報告するつもりか。

 その意図を完全には見抜けないまま、視界の端で階段を駆け上がる男を、ナタリアは見過ごすことしかできなかった。目の前のもう一人の男が小型ナイフを投擲してきたからである。


『危ねぇぇっ!』


 ”声”の絶叫。

 胴体部目掛けて飛んでくる凶刃。

 たしかに危険だ。熟練者によって弾道を定められ投擲された刃物を、視認してから回避できるほどナタリアは人間を辞めていない。<風弾><風槌>より弾速は遅くても当たれば命にかかわる投射物を、緊張せずに鼻歌交じりに躱すことなど出来るはずもない。危機的状況に身は竦み、筋肉は縮み上がり、脳は考えることを放棄する。それが普通だ。

 ナタリアだってその普通から外れていない。戦闘訓練なんて受けたことがない。将来的には大賢者の弟子として、簡単な格闘術くらいは学んだかもしれない。けれど彼女はまだ幼すぎた。女でもあることだし、武術を本気で教えようと考える人は皆無だった。

 結果として魔術の圧倒的な素養を下地に、半人前の魔術師を名乗れるくらいには魔術の術式を知るナタリアだったが、それを戦いに活かすとなると素人以下だった。

 <超感覚>によって底上げされた視覚で、スローモーションで空中のナイフを認識できても、体が追いつかない。判断が間に合わない。適切な魔術を取捨選択できない。回避などできるはずもない。せいぜい腕で狙われた箇所を庇うくらい。

 

 けれど、たった一つ、幸運だったのは。

 投げられた刃物が、おもちゃみたいな刃先の鈍い軽量の刃物だったこと。その形状が流線型とはとてもいえない形状で、空気抵抗によって極めて減速し易かったこと。

 つまりは、風を少々操るだけではねのけられる程度の威力しか無かったということ。


「やめよッッ!!!」


 雷のように轟いた声と同時。ナタリアの周囲に発生した乱気流が、投擲されたナイフの軌道を捻り曲げてあらぬ方向に跳ね飛ばした。

 二階への階段の踊り場から、手すりを乗り越えて颯爽と飛び降りた”女性”がいた。

 夕焼けよりも茜色の、燃える赤髪。肩の辺りまで伸ばされたそれは、寝起きなのかまったく整えられずにてんでバラバラに癖っ毛のように跳ね回っていたが、それがかえって野趣的魅力を醸し出していた。太陽その物を背負ったような華々しい獅子。日に焼けて健康的な小麦色の肌を惜しげもなく晒す、室内着を着た”彼女”は間違いようもない。この雰囲気、声。彼女こそがナタリアの友人であった衛兵長であり、師父の遺体を引き渡す取引に加担した衛兵長だった。


『ハッ。なんとなく思ってたが半端ねー美人だな』


 ほとんど面識のないはずの”声”でさえ見抜いていたというのに。

 知人を名乗っておきながら、ナタリアは彼女の素顔を見たことがなかった。それどころか私服姿さえみたことがない。職場で話すくらいの仲だったから仕方ないのだが、それにしても性別すら知らなかったのはやり過ぎである。


「その娘は私の知り合いです。お前たち、一体何があったというのですか。こんな小さな子供に手を出して恥ずかしいとは思わないのですか」


 凛とした声で衛兵長がナイフを投げた酔いどれと、伸びていた色白に説教を始めた。

 こうやって顔を見ながら声を聞き直してみれば、男勝りの女丈夫なのだが、顔を隠すヘルメットの被った姿しか知らないナタリアからすれば礼儀正しく、規律に厳しい憧れの相手だったのだ。

 本人すら自覚しないほど仄かにだが、未熟な恋心すらあった。

 そのバイアスもあって、完全に眉目秀麗な男子(おのこ)だと思い込んでいた。

 しかし実際に顔を見てみれば、切れ長の瞳と高い鼻梁は貴公子然としてるものの、ふっくらとした唇は妖艶であり、明らかに女性である。胸もどうやら任務中は鎧の下に押さえつけていたらしく、二つの丘陵が激しく自己主張をしていた。同姓であるナタリアが羨むくらいには、女性らしい女性であった。


 衛兵長――ヘイルダムに説教されている酔っぱらいは、今や完全に顔の赤みも抜けてしまいペコペコと情けなく頭を下げている。ついさっきまで、犯そうとか管を巻いていたのが嘘のようだった。

 叱られているのが自分ではないとはいえ、誰かが説教されているというのは見ていて気分のよいものではない。手持ち無沙汰のナタリアは気まずさに負けて、店内をもう一度見渡した。

 倒れて泡を吹いている青年はそのままだったが、二階へと走っていた帽子の男は衛兵長の後から階段を降りてきていて、じっとナタリアを見つめていた。おそらくは、彼が衛兵長を呼んできたのだろう。そうなると彼が間接的にナタリアを救った事にもなる。

 一応軽くお辞儀だけはしておく。

 こちらに気づいていないのか、それとも気づいた上で無視を決め込んでいるのか。おそらくは後者であろうが、ただじっとナタリアを見つめ返してくる反応は、正直不気味ですらあった。

 意識的に視線をずらすと、ナタリアの空魔術によって貫通されたカウンターの無残な姿があった。穴自体は割りと小さいため、補填するのは容易なのだが、弁償しようにもナタリアにはお金はない。文字通りの一文無しだから、さてどうしたものかと頭を抱えてしまう。


『あー。相手から攻撃してきたんだろ?あのイケメンに肩代わりさせればいいんじゃねーの?』


 今回の騒動はナタリアが率先して起こしたものではなく、突然魔術による精神攻撃を受けたための正当防衛である。被害補償は彼が負うべき責のはずだ。


 事後処理のことを考えている内に、ようやく説教が終了したらしく衛兵長がナタリアに話しかけてきた。


「ということで、何があったかは知りませんが、私の部下が粗相をしてしまい面目次第もありません。ナタリア、言いたいことは沢山あるのでしょうが、ここではなんです。謝罪も兼ねて二階の私の部屋に招待させてもらえませんか?」


 柔らかな笑みを浮かべる衛兵長の真後ろには、頬をビンタされ真っ赤な紅葉が残る酔男がいた。男であろうが女であろうが、衛兵長は衛兵長でありその厳格さに変わりはない。

 ナタリアは少しだけ安心して、


「喜んで。わしのほうこそあなたを探しておったのだからのぅ」


 馴染みの相手なのに、口調がまるっきり変わっていることを冗談なのか素なのか区別がつかず曖昧に笑った衛兵長は、ナタリアに付いてくるように促すと二階へ戻っていく。その後ろをちょこちょことナタリアがついていく。


「ああ。当然分かっていると思いますが、<聞き耳>など立てないように、くれぐれもお願いしますね。……命令ではないので守らなくても不服従の懲罰はありませんが、個人的なお仕置きは覚悟していて下さい」


 ナタリアの頭上越しに振り返り、部下の兵に睨みをきかせる衛兵長。既に十分すぎるほどの負い目があった男は顔を真っ青にする。帽子の強面も顔に似合わずコクコクと首を上下に振っていた。

 直接声をかけられては居ないナタリアでさえもその威圧感を肌で感じ、戦慄したほどだ。直にその威を受けた連中の心中はいかようなものか。

 厳しい人でこそあれ、ナタリアにとっては優しい印象であった衛兵長は恐怖によって部下を抑えつけているようだった。

 階段を登り切ると、薄暗い二階の廊下につく。実際は窓もあり暗いというほどでもないのだが、一階の食堂の明るさに慣れた者は相対的な差で薄暗く感じるのだ。


「そこの手前の二部屋は夜勤した部下が眠っています。配慮してもらえるならば大きな音を立てないようお願いします」


 もしかしたら魔術まで持ちだした戦闘音でとっくに目覚めているのかもしれないが、根が真面目な衛兵長は声を潜めてナタリアに教えてくれる。当の本人の目の下には隈があり、手入れされていない頭髪の惨状は何よりも説得力があった。

 言われたと通り足音を忍ばせてそっと廊下を通り抜ける。衛兵長の部屋はその廊下の突き当りを曲がった奥まった場所にあった。


 招かれるままにナタリアは衛兵長に続く。

 もともと宿の一室なだけあって、無個性な部屋だった。小さな机と椅子二つ。それとベッドが置いてあるだけ。

 テーブルを挟んで向かい合い二人は相対する。

 ナタリアはまっすぐ衛兵長の目を見つめて。

 衛兵長はどこか所在無さげに視線を彷徨わせて。


「ナタリア……」


 衛兵長はたった一言名前を呼んだだけで、口を閉ざしてしまった。

 ぴくぴくと唇の端が動いていることから、何か言いたいことがあるのだが言い出せない、という様子だった。


『怒りを抑えろ。心を安らげて呼吸を繰り返せ。俺の言ったことは覚えているな』


 深呼吸一つ。

 わだかまりは正直、まだある。けれど、怒りはない。


「あの時のこと、じゃが――」


 ビクンと衛兵長の肩が跳ねた。

 ナタリアは相手の反応を注意深く観察しながら、言葉を選ぶ。


「あの後、再度連中に襲撃を受けた。師父様の遺産を根こそぎ掠め取られた上、わしも襲われた。浅く、じゃが傷つけられた」


 いっそ面白いくらいに衛兵長の表情は急変した。


「傷!?ど、どこなのですか、大丈夫なのですか!?」


 ポンポンとナタリアは患部である股の付け根あたりの腿部をたたいてみせた。痛みは無く既に傷は塞がっているが、腿の皮膚が全体的に引きつっていて違和感が残る。


「んなっ!!?――いえ、命が無事なだけでも良かったです……。それにしても、連中こんな小さな子相手に(むご)いことを。見逃した私の判断が誤っていたということですか」


 予想外に憤りを見せた衛兵長は、立ち上がりかけて、途中で動作を停止して肩を落とした。冷静で謹厳実直だった彼女がこれほど感情を露わにするのは珍しい。


「一体、ゼディアールヴ男爵とは何者なのじゃ?帝城であれほどの暴虐が許されるなど、ただの下級貴族ではあるまい」


 彼らの悪行は揉み消されていた。しかしそれは揉み消す側に権力がなければ成立しない。そうしてみるとゼディアールヴの肩書きは如何にも不自然だった。ただの男爵が、国家の重鎮の大賢者を害することが出来るとは思えない。


「……彼は単なる実行犯でしょう。もともとは王国の侯爵家だったと聞きます。彼は領地ごと帝国に帰順してきた亡命貴族です。立場が弱い分、便利に使われているらしく、きな臭い噂の絶えない男のようです。少し調べるだけで、ボロボロ埃が出て来ましたから」


「つまりあやつに命令できる立場の人間が絡んだ陰謀……?」


『まあそんな所だろうな。事件後の動きが迅速すぎるし、計画的な犯行だった可能性が高い』


「断定は敢えて避けておきます。ナタリア、大賢者様の無念は分かります。弟子であるあなたが復讐したいと思う気持ちも。ですが、深入りはやめなさい。相手の性質の悪さは良く分かったでしょう?あなたのように小さな子供相手であっても容赦なく襲ってくる危険な連中です。国民の安全を損ねる脅威に立ち向かうのは、我々兵士の仕事です。奴ら貴族の騎士団ともなれば、まさしく内部粛清を担う憲兵の管轄です。私も大賢者様と縁あるものとして彼らに協力するつもりです。犯人はきっと捕らえます。ですからどうかくれぐれも先走らぬよう」


「……守れなかった癖に」


『お、おい!やめろ』


 半ば無意識だった。あの時師父の遺体を守護しきれなかったのはナタリアも同じだ。けれども、戦う前から命を失う事を恐れた衛兵長と違い、ナタリアは動いた。”声”の説得に耳を傾けて、衛兵長にも理があったことは理解できているが、事情があったのだとしても、あの時衛兵長が動けなかった事実に変わりはない。

 彼女の言い分は、「子供は下がっていろ、あとは大人に任せろ」と言っているのだ。大人が経験を積んでいることは認める。きっとナタリアが知らない知識もたくさん蓄えているのだろう。判断力もナタリアを上回り、より正しい道を選べるのかもしれない。

 けれどそんな大人は、あの時にいったい何をしてくれたというのだ。

 それが今になって分別ぶって、賢しらに理を説いてみせる。


 澱のように沈殿していた大人に対する不信感が一気に噴出した。せっかく”声”が宥めてくれていた眠る子を、揺り起こしてしまったかのようだった。

 痛いところを突かれた、という風に衛兵長は顔をしかめた。


「……憎んでも恨んでも構いません。けれど、私はあの時の選択を後悔はしていません。部下や私の命と、大賢者様のご遺体を天秤にかけた罪は認めます。けれど何百回繰り返したとしても、きっと私は同じ選択をし続けると思います」


 しかしすぐさま立ち直り、最後は力強く言い切った。

 熱い思いのこもったその言葉は、大人というものに対して頑なになってしまったナタリアには逆効果だった。タイミングが悪かったとしか言いようがない。


 硬化してしまったナタリアの態度を見て、言葉が正しく伝わっていないことを察した衛兵長は、椅子の上で指を組みながら虚空を見つめた。


「昔話を、聞いてもらえますか――」


 予め用意していた言葉ではなく、記憶を探りながら一つ一つを思い出すようにゆっくりとした口調で衛兵長は語り始めた。

 聞く気のなかったナタリアだったが、衛兵長の語る故郷の地名に聞き覚えがあり、ついつい話に引き込まれてしまった。


「私の出身はここより遥か北西の小さな村、エルノーイル地方の寒村でした。村は決して豊かではありませんでしたが、私の家は村の有力者の家系だったため、相応に豊かさを享受していました。私の家は元は退役軍人の家系です。魔獣や盗賊の襲撃があれば、率先して村を守れるようにと、戦闘術を身に付けるのが代々の習いです。私も兄たちの訓練に混ざり、剣の扱いを学びました。その剣で畑を狙う動物を追い払ったり、村に出てくる可能性のあった魔獣を斬ったり、と自警団のような仕事をしていました。私は学問や人を使う事は得意でなかったので、自由に暴れられるその仕事はまさに天職でした。暇なときは刈り入れを手伝うこともありましたから、村の人とも仲良くやれていました。本当に満ち足りた幸福な日々でした」


「……では、どうして帝都に来たのじゃ?地方軍に入隊するならともかく、禁軍だなんて故郷に帰る時間を作ることさえ難しいではないか」


「友達がいたのです。唯一無二の友人。人口の少ない村でしたので、同じ年ころの者というのは全員が知り合いです。その友人、セレナは隣村の貧農の娘でした。苦しい暮らしの中でも決して笑顔を失わない、尊敬に値する誇れる友人です。その彼女を私は――殺しました」


「え……な、なぜじゃ!?」


 昔話を聞きながら、衛兵長と一緒に孤児院時代の友人ともいえる子供たちの顔を思い浮かべていたナタリアにとっては青天の霹靂ともいえる唐突すぎる展開だった。あっという間に話に引き込まれてゆく。


「村を守るため、私は殺しました。私は自分の仕事に誇りを持っています。誰よりも先頭に立ち、醜悪な欲望を滾らせた賊の前に立ちふさがり、一歩も通さぬと剣を振り回す仕事です。たとえ一人でも取り逃がせば、後方の畑は荒らされ、百姓の魂が注ぎ込まれた生きる糧の作物が奪われてしまうのです。絶対に負けられない。負けることは許されない。自分の命よりもはるかに重いものを背負い、立ち続けなければならない。苦しいことです。辛いことです。けれど誇りを持てる良い仕事でした。守る事と、親友を失う事を天秤にかけて、私は守ることを選ぶくらいには、私は自分の村とそこに住む人々を愛していました」


 悲しいぐらいに冷徹で。だからこそ非常時にそんな選択を下せる人間は貴重なのだ。

 若年ながら兵を任される立場に彼女がいるのには、その能力が買われているからなのかもしれない。

 少なくとも、村のために親友を斬る決断はナタリアにはできない。


「彼女は反乱を計画していました。税の低減を求めて、領主に直談判する計画を準備していました。隣村の事とはいえ、知らんぷりを決め込むことは許されませんでした。もし実際に反乱が起こってしまえば、領主の怒りを買い、その怒りは首謀者以外にも降り注ぐことでしょう。隣村だけでなく、私の愛する村に禍が降りかかるであろうことは火を見るより明らかでした。かといって反乱を止めるように言葉を尽くしたところで、聞いてくれる筈もありません。生活が苦しいほどに税が厳しいのなら、金銭的援助をしようとも申し出ましたが、断られました。……その時は知らなかったのですが、彼女は王国からの間諜に籠絡されていたのです。吟遊詩人として王国からやってきた工作員は、帝国の支配を弱めるために各地の植民地で叛乱の種を蒔いていました。思想的に王国色に染まり、恋人の睦言に惑わされた彼女が、親友とはいえ富める者でもある私の説得に耳を貸すはずもありませんでした」


 親友の変節を話すときだけ、衛兵長は見えない工作員に憎しみを向けるかのように眦を逆立てていた。


「……反乱が実際に起こってしまえば、流れる血の多さはとんでもないものになる。私は最少の血で物事を収めようとしました。すなわち、けじめです。反乱の首謀者たちを村側で纏めて始末して、その首を領主に捧げるのです。実際に私の村は反乱とも無関係でしたから、言い訳というほどのこともありません。私はそれを行い、そして成功しました。恩赦によってそれ以上のお咎めはないことになり、隣村の被害も最少で済んだのです。村には平穏が戻りました……隣村の数人の命と私の居場所を代償にして、手に入れた平穏です。私は確かに私心を交えずに純粋に村のためを思い、親友を殺しました。しかし仲の良かった村人や村を守護する立場である家族でさえも、私に冷たい目を向けました。表面上は、乱を未然に防いだ、と高く評価されましたがやはり感情では納得できなかったのでしょう。私が守った村には、私の居場所はなくなっていました」


「……だから、帝都に来たの?」


「えぇ。それとはまったく別件で義勇軍としての手柄があったもので。ちょうど良いかと禁軍入りを志願しました。結局私は守るために剣を振るうことくらいしか生きる術を知らないのですから」


 虚空を彷徨っていた衛兵長の双眸がゆっくりと降りてきた。

 ナタリアを見据えるその瞳には迷いがなかった。


「当時のことはあまりいい思い出ではありません。ですが、親友を斬った選択を後悔はしていません。きっと何度繰り返したとしても私は同じ選択をしていたはずだからです。ナタリア、私はこんな人間です。守るために平然と言葉交わした親しい人間さえも切り捨てる、そんな冷たい人です。だから大賢者様を引き渡した事も後悔はしていません。恨んでくれてかまいません。憎んでくれてかまいません。だからくれぐれも軽はずみな真似だけはしないでください。あなたが傷つけば悲しく思う人間がここに一人いるのですから」


『こいつの昔の選択が正しかったどうか、なんて馬鹿なことは考えるなよ。そいつはもう”終わったこと”だ。いくら思い悩んだところでなんも解決しねー。自分のことを考えろ。俺はこいつならば、お前を託してもいいと思った。けど、お前はどうなんだ?こいつを保護者だと認めてもいいのか?問いかけて、答えを出せ。冷静に、己の心に問え。何かのために、別のものを切り捨てられる人間について行ってもいいのかどうか、それを考えるんだ』


 汗ばんだ掌を服の裾で拭う。緊張で喉はカラカラだった。

 ”声”の言う事をゆっくりと反芻する。

 衛兵長の過去は衝撃的だった。けれども”声”のいうように、それは終わったことだ。考えても仕方がないし、今はその時ではない。


 頑なだったナタリアの心は、話を聞いているうちに解きほぐされてフラットな状態に戻っていた。今ならば冷静に物事を捉えられる、と訳のない自信があった。

 衛兵長は、きっと心配してくれているのだ。ナタリアの事を大切に思ってくれている。

 衛兵長が大切なものを切り捨てた苦い思い出を、わざわざ語った意味を理解できないほどナタリアの頭は愚鈍ではなかった。

 ”大人(わたし)に任せろ”というのは、立ち向かうべき相手が暴力すら辞さない危険な組織だから、ナタリアの身が危ないと判断しているのだろう。事実ナタリアは襲撃を受け、怪我も負った。これ以上厄介ごとに関われば、命の危険さえある。そういうことを忠告しているのだ、衛兵長は。その上で、守り切れずに切り捨てる可能性さえあると繰り返している。

 ナタリアは彼女の顔さえ知らなかった。性別も男だと勘違いしていた。その程度の付き合いなのに、親身になってくれている。辛い過去を語ってでも、真相を解明しようとするナタリアを諌めてくれる。

 どこか現実的で冷たい所もあるナタリアだが、恩人である大賢者ファーレーンを敬愛していたように人の情を知らないわけではない。


 衛兵長の考え方はナタリアのそれと大きく異なる。けれど同じ価値観を共有できないからといって絆を結べぬはずもない。


『答えは出たか……?』


「のぅ衛兵長殿、実は――」


 ”風”はまだ吹き続けていた。


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