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師父慕う少女、果てに至る物語  作者: 犬山
犬、猿、雉
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06あかいつるぎ(上)


 風が吹いて埃が舞った。家具が減って寒々しくなった室内はしくしくと心を苛む。


 取り敢えず室内の片付けの目処はついた。

 賊に散らかされた部屋もどうにか落ち着きを取り戻していた。

 物という物が強奪された分、整理すべき物が殆ど存在しなかったのを喜ぶべきか、嘆くべきか。日中いっぱいを使って、ナタリアの小さな二本の腕は過酷とも言える仕事を終了させていた。


 やろうと思えば、城を出るのはいつでもできる。

 手荷物など殆ど無い。ナタリアの予備の肌着の類も師父の遺産と共に盗み取られたままだから、いっそ清々しい。当然小銭さえ残っているはずもなく、ナタリア個人には財産といえるようなものは存在しない。

 ナタリアは奇跡的に無事だった魔法陣の描かれた木版を、寝台下の隠し場所から取り出した。

 彼女自身の血液によって刻まれた奇妙な紋様は既にその働きを終えて、赤黒く乾ききっている。もはや何の魔力も残っていはいまい。けれども魔力をプールできる新術式の情報はそれだけで価値がある。


『魔術師ギルドに接触するのは避けたほうがいいんだが、背に腹は代えられねぇ。当座の資金には使えるだろうさ』


「だったら、今からでも帝都支部に行くかの」


 自由に動かせる資金が喉から手が出るほど欲しいナタリアは、すぐさま行動に移したくてうずうずしてた。彼女は基本的に現実主義者である。自分から動かなければ状況が改善することが無いという世の真理をよく理解していた。大賢者の弟子として培った思慮深さや慎重さはあくまで後天的なものであり、全てを失い捨て鉢になった少女は、じっとしていることこそが罪に感じられていた。


『気が早い。今の段階で一定以上の規模の勢力に接触するのは危険だ。先が読めなくなるくらいに事態が混沌とすること請け合いだ。少なくとも帝国にジジイの弟子ここにあり、と宣言できるようなお前の望む状況にはなりはしない。最悪の場合自由意志さえ奪われるかもしれん』


「そ、そうか」


 窘める”声”は妙に真剣で、ナタリアも勢い頷いてしまった。

 それにそもそも、魔術師ギルドは政治的には王国に近い組織である。仮にも帝都に支部を持てているのだから、完全なクロではないにせよ一応敵国組織である。不用意に干渉を持つのは、避けたほうがいいとは師父に伝えられていた。ナタリアの師父も魔術師ギルドには所属していなかったし、帝国に住む魔術師はギルドに加入してないものが多い。


「その意見も一理あるのぅ。じゃが、だとすればどうすれば良い?金がなければ住む場所も探せんぞ。取り敢えず、装備さえ準備できる事ができればわしは野宿でも構わんが」


 帝都に住み始めてからは、屋根のある場所でしか眠っていないが、孤児院から大賢者と一緒に旅路を歩んだ経験がナタリアにはある。野で夜を越すためのノウハウは既にナタリアの中にあった。

 もっともいくら屋根壁の無い野宿に耐えられても、狩りや採取の素人では、一人旅は苦しいものになるだろうが。


『いや、宿も立場も一挙に解決する手がある。要は保護者を見つければ、衣食住の問題はクリアされんだ。言ったろ?最初の仲間集めだよ。候補はいる』


「……わしは孤児院で育った何処の生まれともしれん小娘じゃ。血がつながった人間もおらん。天涯孤独の身の上で、赤の他人を助けてくれるようなお人好しが見つかるとも思えんな」


 うつむいて痛みに耐えるようにナタリアは言った。

 裏切りの痛みはまだ残っていた。心の傷は治りにくく、後に引く。味方など居ない、と思いつめたナタリアは他人を信じられなくなっていた。

 ”声”はその痛みを笑い飛ばすようにあっさりと、予想外の名前を出してみせた。


『あの衛兵長だよ』


「は?」


 呆気にとられたナタリアはあんぐりと口を開いたままで硬直した。

 それも仕方のないことかも知れない。あの裏切りの光景はまだ脳裏に焼き付いたままだ。たった一日でそのわだかまりを捨てろ、というのは不可能に近い要求だ。

 脅されたとはいえゼディアールヴの傲慢な要求に屈服し、悪を見逃したあの姿はナタリアの中の衛兵長への感情を真っ黒に染めて余りあった。


「……どうして。あ奴は裏切り者じゃ、もっと他に――」


『俺だってあの場所に居たんだ。お前と同じ光景を見て、でも同じ感情は抱かなかった。……当たり前だな、俺とお前じゃジジイに対する思い入れが違う。お前が感情的になって正しく物事を捉えられなくなっても、俺はあくまで部外者だ。どこまでも冷静で客観的に物事を見れる』


「なんじゃ、それは……。まるで、わしが馬鹿な子供じゃと言っておるようではないか……。お主までわしを裏切るのか……?」


『ハッ!嫌われてなんぼだぜ。俺は悪魔だっつたろ。ガキのわがままなんざ聞いてやる義理はないね。確かにお前とは契約を交わした。けれど、それはジジイの弟子であるお前であって、怒りに目が曇って現実も認識できない糞馬鹿ガキじゃあないぜ』


 挑発されているのは、ナタリアも薄々感づいていた。しかし冷静な判断とやらはできなかった。それだけ拾ってくれた師父への思いは強かったし、捨てられなかった。


「なんじゃと!」


『冷静になれ。心を研ぎ澄ませろ。口から熱の息を吐いて、頭を冷やせ。俺は裏切らないし、裏切れない。なにせお前以外、誰とも会話できないんだからな。だが、だからこそ阿諛追従はできねぇ。お前の望みを叶えるための協力はしてやるが、お前の望むとおりの答えだけを返す人形にはなれん。俺が俺であるために、今後も俺は俺の思う通りの事を言葉にする。自分の感情に、悪魔が肯定だけを返してくれると思うなよ』


「う……」


 振り上げかけた拳が力なく下がっていく。火が付きかけた感情も、熱源が逃げていきほそぼそと燻るばかり。

 少なくとも、目を曇らせるほどの怒りは去っていた。ナタリアは努めて客観的にあの出来事を思い出してみる。


 衛兵長は脅しに屈した。

 ――事実だ。


 衛兵長は後ろ暗い取引を悪党と交わした。

 ――事実だ。


 衛兵長はナタリアを裏切った。

 ――そう自分が感じただけだ。裏切られた、信頼を踏みにじられた、と。


 衛兵長はナタリアの味方ではない。

 ――昔は違った。名前で呼び合うくらいには仲が良かった。今は少し拗れているかもしれない。でも、関係改善の望みが皆無だとは思わない。


「……すまぬ。頭ごなしに否定する事ではなかったかも知れぬ」


『ま、少しは冷静になれたようでなによりだ。あの時の状況を思い出せたか?お前は実質的な人質だったんだぞ?衛兵長は天秤にかけただけだ。あいつにとっては、ジジイの死体を守ることよりもお前と部下を含めた全員の命の方が重かっただけだ。客観的に見ても合理的な判断だと、俺は思うぜ?死者よりも生者ってのはとても分かりやすい論理だからな』


「……」


 裏切られたと思っていた。でも、違った。

 もちろん衛兵長のやった行為が褒められるものではなかったことは変わらない。けれどそのことは裏切りとはイコールでは直結しない。そんな簡単なことさえ見えなくなっていた。頑なになりすぎて目が曇っていた。


『分かり合えるはずなのに、行き違うのは悲しいもんだ。頼るにせよ頼らないにせよ、別れの挨拶は最低限必要だろ』


 何度考えなおしても”声”の提案は理性的で的確だった。片意地を張っているのが馬鹿らしくなったナタリアは、一旦衛兵長への怒りを収めることにした。






 帝城の見回りや雑務をこなす衛兵は、帝国禁軍部隊の持ち回り制で行われている。師父の事をナタリアに伝えてくれたあの衛兵長――ヘイルダム・ダールクヴィストは昨日までの当番だったはずだ。

 帝城内の勤務についていない時のヘイルダムが何処で何をしているのか。非番なのか、それとも市外の警邏の手伝いでもしているのか。はたまた訓練を積んで有事に備えているのやら。ナタリアにはそこまでは分からなかったので、唯一知っている禁軍の兵舎の場所を目指すつもりだった。

 禁軍の中でも指揮官という立場にしては年若いヘイルダムは、そこそこ名の通った人物だから行き先の情報収集も楽なはず、という思惑があった。


 部屋の掃除は済ませた。現状唯一の換金可能物になりうる魔法陣の木版の現物も念の為に携帯して、ナタリアは自室を出た。

 背の低いナタリアは街の雑踏には紛れやすいが、大勢の大人が働いている城内では逆に目立つ。奴隷らしい格好でもなく、かといって貴族の子弟にも見えない。普段出歩いている区画を離れれば、ナタリアの存在を知る人間の数はぐっと減少して、「何処の商人の見習いが紛れ込んだ」という咎めるような視線が増えてくる。

 敵愾心に満ちた空気に身をすくませながら、足早に城内を進むナタリアはふと見知った顔を発見した。

 よく公衆井戸で挨拶する下働きの奴隷女だった。垂れた目元はいつも優しげに微笑んでいるようで、ついついナタリアも気を許してしまうような人懐っこさが彼女にはあった。大量の洗濯物を洗う重労働をいつも愚痴っているくせに、何故かずっと聞いていても不快感を覚えないのだ。特に身の上話をした記憶もないが、深い関係でもない分だけ気楽に接することの出来る相手だった。

 彼女と目があった。

 慌てたようについ、と目を逸らされた。

 そして後ろめたそうに、奴隷女は早足で駆け去っていく。


「あっ……」


 引き止めるように伸びかけた右手を左手で押さえつけた。

 そのまま迷いを振り切るためにも、振り返らずその場を後にした。

 もうナタリアの痛みを感じる感性は麻痺を通り越して摩耗している。この程度のことで足踏みはしていられなかった。

 

 何度か通ったことのある市街地へと続く使用人用の裏門を通過した。

 城を囲むようにして掘られた水堀はパッと見て、底が見通せるほど浅く、ただの飾りになっている。門番の検査もおざなりで、顔見知りのナタリアを何も言わずに通してくれた。

 用向きだけを帳面に書き記して、ナタリアは城壁の外に出た。


 体裁を整えるためだけの城壁の外側は、軍人や政府高官の邸宅がぐるりと取り囲んでいる。有事の際の身軽さを優先した配置である。外側に行けば行くほど下位の政府関係者の家々の割合が増す。最初のエリアを一級区画とするならば、こちらは二級区画。禁軍の兵舎があるのもこの区画だ。

 平屋が連続しているせいで空が比較的広く見える広大なエリアに向かってナタリアは歩みを進めた。

 

 ナタリアは宮中の事情に詳しくない。

 祖父の言いつけを守って軍にも近づいたことがない。

 

 だから、現在のパワーバランスなど知ったことではないし、帝国軍の中心とも言える皇帝直属の近衛である禁軍の派閥を知る由もなかった。

 ヘイルダムが隊長を務める上十二衛紅雀隊は上十二衛の中でも最も新しく、権威を持たず、立場の弱い、新兵ばかりを集めた冷や飯食いの部署だ。政治的な足場を持たない平民出身のヘイルダムは、お荷物とも言える申し訳程度の部下を与えられ肩身の狭い思いをさせられていた。

 城内の見回りの回数は意図的に増やされ、ひと月に一日しか非番の日が無い時もあった。練度の足りない部下たちを劣悪な環境下で働かせることは、戦地にも勝る困難だったがそんな悪状況下でもきちんと職務を全うしていたヘイルダムは指揮官としても優秀な部類だった。

 そんな過剰な労働のお陰で、皮肉にもナタリアと顔を合わせる機会が多かったのだが、そんなことさえナタリアは知らない。

 

「あの、紅雀隊の兵舎の場所をご存知でしょうか?」


「ん?紅雀隊だと?」


 幾つもの隊の兵舎の集まっている区域の門番の当直は、じろりとナタリアを睨みつけた。禁軍兵士にも既婚者がいる。その兵士の妻子供が訪問してくることも多いから、彼が子供相手と適当な対応をしたわけではない。むしろ彼の子供への対応は慣れている方だった。


「紅雀隊に何の用事だい?」


 紅雀隊は無頼な若者を集めた愚連隊紛いの小隊である。既婚者も皆無であり、仮に私生児でナタリアぐらいの年頃の子供がいるとすれば、その兵は相当に爛れた性生活の持ち主だろう。

 それにそもそも、その成立の原因からして紅雀隊はあまり他の上十二衛に好かれていない。むしろ、各隊の爪弾きもので構成されているようなフシがある。門番が紅雀隊の関係者と見たナタリアの心証はそもそも悪かった。


「小隊長のヘイルダム・ダールクヴィスト殿にお会いしたいのですが」


 ナタリアにはそんな内情は分からない。ただ漠然と自分の訪問が疎まれている事だけが分かるから、丁寧な応対で舐められないようにと気を張ることしかできない。


炎剣(レーヴァテイン)殿に……ね。お使いかな。書状があれば見せてくれるかい?封蝋の紋だけでも見せてくれればいい」


「それは……。面会の約束は無いのですが、どうしても急用がありお目通りしたいのです。兵舎の場所さえ教えていただければ、あとはこちらで探しますので」


「……なんの用事か教えてもらわねば、軽々しく禁軍小隊長の宿舎の場所を教えることはできない。せめて何か証拠を見せてくれんことにはな」


 初めから険しかった門番の顔が更にしかめっ面に変わる。腐っても禁軍、貴族の子弟の使いを門前払いしたとなれば問題行動になる可能性があった。いかに気に食わない同僚相手でもそれはまずい。けれど、今は大義名分があった。ナタリアは使いにしても幼すぎるし、言動も妙に怪しい。これだけ有利な証拠があれば、罪に問われることはないだろう、という打算が彼の中で働いていた。


「主人からきっちり書状を預り直して来なさい」


 きっぱりと拒絶する門番。押し返す動作は少し乱暴だったが、普通であったらなんの問題も無い程度だった。相手の体重があまりにも軽すぎたのが双方にとっての不幸だった。

「きゃっ!」


 右肩を押されてバランスを崩したナタリアの姿勢が傾く。咄嗟に立て直そうとするが、そもそも頭身の低い子供の体は頭部に重さが集中しているために、転びやすい。

 堪らずナタリアはその場に尻餅をついてしまった。幸いにして怪我は無い。しかし大勢の軍兵が行き交う兵舎の門前は清潔とは言いがたい。ナタリアの衣服は土で汚れてしまった。唾や痰が吐き捨てられているような不衛生な路面状況だったので、一瞬しか接触していないにもかかわらず、汚れは酷かった。

 その光景を遠目で見ていた事情の分からない雑兵が、げらげらと下品に笑っていた。


「おうおう、ガキはけーれけーれ」


 昼間から赤ら顔で千鳥足のその雑兵は、何が可笑しいのか大声で笑いながら門番とナタリアの諍いを見物していた。

 ナタリアの手の平には、転倒した時咄嗟に地面についたせいで擦り傷が出来ていた。当然傷口は泥と砂にまみれている。

 心の痛みと、傷の痛みが相まって、ナタリアをたまらなく惨めな気持ちにさせる。

 顔を顰めつつゆっくりと立ち上がり、魔術を発動させる。微かな魔力が消費されて、そよ風が服の裾をはためかせた。パラパラと風にのって埃が飛ばされていく。

 空属性の人間ならば、そよ風を吹かせる程度は造作もなくできる。これくらいならば術式を組み上げずとも、手で埃を払うのと同じくらいの気安さで風を生み出せる。

 門前払いを食らったナタリアは、仕方なく踵を返した。このまま押し問答を繰り広げても、騒動を呼ぶばかりで欲しい情報からは遠ざかるばかりだと判断したのだ。


『よく、我慢したな。けど怪我したとこは水で洗っておけよ?』


 未練はない。誰に突き飛ばされても嘲笑われても、本当の自分を知っていてくれる”声”がいるから。

 

 兵舎への侵入を一旦諦めたナタリアは、二つほど通りを抜けた所にあった公衆井戸で、怪我の箇所を洗った。もともと大した怪我でもない。滲んだ血と泥を流せば、薄くなった皮膚がほんのりと桃色に染まっていた。

 ついでに手ぬぐいなども水洗いを済ませておく。帝都では公衆向けの水道が備えられているとはいえ、常に十分な量の水が補給出来るとは限らない。路上生活さえ目線に入れているナタリアは抜け目がなかった。

 そのまま飲料水を補給していると、ナタリアと同じくらいの少年がちょこちょこと駆けてきた。小さめの水瓶を持たされている様子からして、水を汲みに来たのだろう。収まりの悪い焦げ茶色の髪の少年は見慣れないナタリアを発見して陽気に声をかけてきた。


「誰ー、初めて見るけど。次いい?」


「うむ。わしはもう汲み終わったからの」


「どうもー」


 ナタリアの口調に特に突っ込むこともなく快活に礼を述べた少年は、なかなかにたくましい両腕で井戸水を汲み出した。

 ナタリアはその作業をぼんやりと眺めていた。衛兵長に面会しようと折角決意できたのに、ままならない。居場所を探す手がかりが見当たらないのだ。最悪の場合、一週間後の見回り当番の時を狙うしか無いのだろうか。


「あ、しまった……」


 駄目だ。期限がある。ナタリアが城内を出て行くように言われているのが三日後。それまでになんとかしなければならないというのに、一週間後では話にならない。やはりどうにかして衛兵長を探し出すしか無い。

 頼みの綱の”声”でさえも、さすがに土地勘のない場所で人探しが困難なのは変わらない。聞き込みとか情報屋とか、いろいろ方法を考えてみてもナタリアが子供だというのがネックになる。この外見で相手を信用させるには色々と小細工が必要になる。簡単に解決できる楽な道というものは見つかりそうになかった。


「あのさ、何かあった?」


 ナタリアの視線に何を勘違いしたのか、顔を赤らめた少年がおずおずと切り出した。

 独言を聴きとっていたらしい。悩みがあることは確かだ。ダメ元でも構わない。


「実は――」


 市内の警邏にも時たま駆り出される禁軍ならば、この少年が見知っていてもおかしくない。事情はぼかしながらも、ヘイルダムという衛兵長を捜索していることを伝えた。

 もちろん一般人の彼が、少ないとはいえ兵を率いる立場にいる人間の名前を知っているはずがない。外見的特徴を教えて少しでも何か得られないかと思っただけだ。


「ヘイルダム・ダールクヴィストという禁軍の小隊長じゃ。燃えるような赤髪じゃが、普段はフルフェイスの兜をつけておるからあまり目立たん。身の丈六尺。紅玉で修飾された宝剣を腰に提げておる。言動は地味だが、隠しきれぬ華やかに満ちた人じゃ」


「あ、おれ知ってるかも」


 だからこの返答は予想外だった。


「なぬ!?」


「おれの家、旅人を泊める宿やってんだけどさ。一ヶ月前くらいからお上の兵隊さんたちが宿営するようになったんだ。その兵隊さんたちのリーダーの人が確かそんな人だったと思う。目立つ人だったからよく覚えてる。何しろ女の騎士なんて凄く珍しいから」


「……は?いやいや、わしの探しているのは紅雀隊の隊長殿じゃぞ?どうして女騎士が出てくる」


「あっれ?違うの。赤い髪もそうだし、きらきらした鞘いつも持ち歩いているし。背は高い。条件は満たしてるけど」


「んな……」


 冷静になって考えてみる。

 そこまでヘイルダムに似通った特徴を持った女騎士が禁軍にいるというのか。そんな荒唐無稽な想像よりも、ヘイルダムの性別が女性だったという方がまだ信じられる。

 今にして思えば。若いことは若いのだろうが、二十歳を超えた成人男性の声が少年のような美しいソプラノボイスであるはずがあるだろうか。

 体格の良さと兵士であるという先入観に騙されていたのではなかろうか。


『俺はむしろ、今までお前が気づいていなかったことに驚くぜ。普通女同士、なんとなく感じ取れるものじゃないのか、そーいう同族の臭いみたいな?』


 ”声”は本気で呆れているようだった。ナタリアとしてもそれが事実ならば立つ瀬がない。


「名前!名前はわかるかの?わしの探し人はヘイルダム・ダールクヴィストというのじゃが」


「しらないなあ。おれたまに手伝いするくらいだし。危ないから兵隊さんに近づいたらダメって親に言われてるし」


「むぅ……」


 しかし、もし彼がヘイルダムの宿泊する宿の息子だというのならば好都合。この機会を逃さず接触してみるというのは、何の手がかりもなく帝都を彷徨うよりも余程賢い選択だ。

 ナタリアはこの降って湧いた幸運に縋ってみることにした。失敗してもそれほど痛くない上に、もし女騎士とヘイルダムが同一人物ならば一気に目標を達成できる。リスクよりもリターンの方が圧倒的に大きい。

 ナタリアは少年に交渉する。


「もし、その御方がわしの探しているヘイルダム殿だったのならば、どうしても会って話したいことがある。なんとかとりなしを頼めぬか?」


「へ?むちゃいうなよ。だから見たことあるだけだって。話とか絶対無理だし、お客さんにそんなことしたら父さんに叱られる。兵隊さんと話したら更に母さんの説教もあるだろうし、絶対無理」


 叱責される光景を想像したのか、顔を青くした少年はブンブンと首を左右にした。言っていることはよく分かる。ナタリアも彼のこの反応は予想していた。だから次なる一手を素早く畳み掛ける。


「ならば何も伝えずとも良い。わしをそなたの宿屋に案内してはくれぬか?もちろん礼はしよう。今は持ち合わせがないので、金銭関係は無理じゃが、これでもわしは魔術師じゃ。何か頼み事があれば受け付けようぞ」


 ナタリアは魔術師としてはまだまだ半人前である。けれど、それだけでも生きていくには十分なのだ。なにせ世の中には魔術の修練を中途で投げ出した半端者が数多い。そんな連中でも身に付けた魔術の技を切り売りすることで飯の種にできるのだ。無論、一人前であることに越したことはないのだが、半人前だとしても辺境での魔術師の需要は高い。

 魔術師の供給が勝る帝都だとしても、こんな一般市民の子供が魔術師に何か依頼できるはずもない。ナタリアがちょっとした手品を見せるだけでもこの少年は喜んでくれるはずだ。


「なんでも望みを言うが良い。わしが出来る範囲でならばその依頼を受け付けるぞ」


 ナタリアの求めはたった一つ。相手の家の場所を尋ねているだけである。極論すればこの水汲みのお使いに来た少年に気づかれぬように尾行すれば、それだけで事足りるのだ。それなのに律儀に交渉するあたりが、ナタリアの良心だった。断られた場合の第二案として、追跡尾行を選択肢に用意しているにせよ、である。


「な、なんでもいいの?」


「うむ。叶えようぞ」


 何をさせられるのだろう。失せ物探し?家事代行?どういった要望が来るにせよ、空と日夜の三属性の魔術を操るナタリアならば大抵のことに対応可能だ。条件考慮の段階まで持ち込んだ時点で、この交渉はナタリアの勝ちだ。


「い、一日一緒に遊ばない?」


「なんだ。それっぽっちでいいのか。良かろう、約束する。とはいえ、今日は言ったようにヘイルダム殿に用事がある。先に案内を頼む」


 何も魔術師に頼むことではないが、子供らしい願いである。大度を見せようとナタリアは一も二も無く了承した。


「わかった!!」


 ナタリアの快諾を聞いて満面の笑顔になった少年は、スキップしそうな勢いで自分の家に戻ろとする。


「お、おい。瓶を忘れておるぞ!」


 そのまま家に帰ろうとする少年を慌ててナタリアは引き止めた。

 水汲みに来ていたはずなのに、肝心要の物を忘れてはどうしようもない。

 井戸のそばに持ってきた水瓶を放置するくらいに浮かれていた少年は、頭を掻きながら戻ってきた。照れ笑いでごまかしつつ少年は、水で満杯になった重い水瓶を両手で持ち上げた。おそらくナタリアの力では動かすこともできないであろう。

 力仕事よりも文書と向かい合っている時間のほうが長いのだから仕方がない。それでも同年代でありながら、自分よりも勝った一面を持つ少年のことをナタリアは素直に称賛の目で見つめていた。

 改めてナタリアたちは歩調を揃えて、女騎士の宿泊するという少年の実家の宿に向かった。

 その女騎士が、ヘイルダム自身であることを祈りながら。


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