56模擬戦
”声”が居なくなってしまったこと。
発覚までにはしばらくの時間がかかった。
彼の姿は誰にも見ることが出来ない。その上、ナタリアに無断でふらふらと偵察に行ってしまう悪癖があった。それらの行動は全てナタリアを思ってのもの。咎めることはせず、むしろ推奨していたのが仇になったようだ。
いつの間にか、”声”がいることを当たり前だと思っていた。居なくなってみて、それがよく分かった。
”声”が聞こえなくなって、既に二週間が過ぎていた。最初はどこかを調査しているだけだと思っていた。だから、あまり心配もしていなかった。彼を害することが出来るものはこの世界には存在しない。
事故や事件に遭う可能性がない以上、心配する方がおかしいのだ。
何しろ実体がない。気配がない。生命すらあるのかどうか定かではない。
ある意味で、無敵だ。文字通りの意味で、彼に敵はいない。そもそも戦うことが出来ないのだから。
だがこうも連絡の取れない時期が長くなってくると不安が湧いてくる。
彼はナタリアにしか見えない。だから、ナタリアの周りを離れすぎることはなかった。けれど、今彼は居ない。どこに行ったのかも分からない。
不安だった。
行方が分からないことが不安だ。
居場所が分からないことが不安だ。
”声”を聞けないことが不安だ。
そして何より――
ナタリアは自分自身の頬を叩いて、気合を入れ直した。ぱちん、と可愛らしい音が高く響いた。
”声”が居なくても、世界は進み続けている。何時までも不安がっても仕方ない。不安を押し隠しつつ、前に進むしかなかった。
レヴィの計画は思った以上にうまくいっていた。元々レヴィの活躍は群を抜いていた。皇帝不在のせいで、特に表彰されたこともないが、事実上の大手柄だということは誰もが認識していた。
太陽の使徒組織の壊滅、捕縛。第二魔術師団暗殺未遂事件解決への貢献。
レヴィの部下の紅雀隊の顔つきも変わってきていた。
前にナタリアが見たのは、乱暴者で粗忽者の集団だった。不平不満を垂れ流し、周囲を毒するゴロツキだった。そんなもの、周りから差別されて当たり前だ。
だが最近の彼らは違う。変わってきていた。自分たちは見られている、期待されている、そういう自覚が芽生え始めたのだ。
隊長のレヴィの躍進に引っ張られるようにして、部下の質も向上していた。
今もナタリアの周囲を固める兵士たちに、以前の怠慢は見られない。キビキビと動き、ハキハキと喋る。身なりは清潔で、昼間から酒気を漂わせることもない。
軍のことはよく分からないナタリアには、彼らが精兵なのかどうかまでは分からない。だが、ロクデナシがマトモになりつつあるということくらいは、分かるのだ。
「隊長!」
戻ってきたレヴィに対して、紅雀隊は敬礼で迎え入れた。レヴィは満足そうな顔で頷いた。
「やめ。……よし、以前話したが、三隊合同訓練が行われることになった。日取りと場所は追って知らせる。鍛錬を怠るな。特に空属性の者は、魔術の鍛錬に精を出せ!」
「はっ!」
紅雀隊と青龍隊、麒麟隊の関係性も変化していた。見下されていた紅雀隊だが、今や対等以上の位置に立っている。もはや表立って唾をはかれるようなゴミ溜めではないのだ。彼らの顔には希望と誇りがあった。
散会となり、レヴィとナタリアだけが残った。
「さて。貴女の存在は、我が隊の中で十分に認知されてきたと思います」
レヴィが言う。我が隊という言葉一つとっても、彼女が今の紅雀隊を誇らしく、好ましく思っていることが分かる。
「青龍隊と麒麟隊への顔見せも、だんだんと始めていきましょう」
レヴィの強い意志によって、帝都居残り組の上十二衛の連携は高まりつつあった。
まだまだ第二魔術師団と抗しうるとはとても言えない。だが、進歩はしている。それは素直に喜ぶべきだった。
インペリアルガードと第二魔術師団という組織の誘いを断ってまで立ち上げた派閥だ。レヴィの力を借りることが出来れば、この先もなんとかやっていくことが出来るはず。たとえ”彼”がいなくなったのだとしても――
レヴィ率いる紅雀隊では<循環盾>が軍用魔術として採用されていた。その有用性は、他の隊と模擬戦をしてみてすぐに理解された。
帝都郊外の野原。上十二衛の調練で、裏方含め百名近い人間が動いていた。
向かい合うのは昇り龍の勢いを持つ紅雀隊と、青の隊長率いる青龍隊である。人数は同数になるように調整されていて、それぞれ十六名が選出されていた。
西に陣取る紅雀隊は魚鱗の陣を組み、対する青龍隊は方陣を組んでいた。人数こそ少なくとも、彼らは誰もが魔術戦闘を修めた優秀な戦士である。開幕の鐘は派手なものだった。
空に魔術の火が打ち上げられる。まだ明るい昼間だから余程注意していなければ、遠くからは見えないであろう合図だった。
一斉に紅雀隊の魔術が起動する。周囲のエーテルが狂った様に暴れだす。魔術を交えた戦では、こういうことがしばしば起こる。
審判役を買って出た黄の隊長が、ほう、と呟きを漏らした。しばしばあることではあるが、これだけの小規模戦闘で発生するのは珍しい現象だからだ。術式発動のタイミングを同時に合わせていかなければ、こうはならない。
先手を取られた形の青の隊長は、冷静に何の術式なのか見極めようとしていた。術による射撃であれば、盾を前面に押し出して逸らせば良い。そういう考えのもと、後の先を取るつもりなのだろう。
だが紅雀隊の展開した術式は攻撃魔術ではなかった。
常時発動型という極めて特異な性質を持つ<循環盾>である。この魔術だけは先出し有利の術式、戦法であり、一手目を様子見に使った青の隊長は、してやられたのだ。
「反則だよなぁ、やっぱ」
彼は身をもってあの術式の強みを知っている。魔術というのは基本的に一過性のものだ。
物体を変質させる。
流れを操る。
思考を加速させる。
火と光を放つ。
地属性による変質は、永続的なものだから持続していると言えるのかもしれない。だが、違う。魔力を使うのは<変形>魔術を使う瞬間だけ。持続しているわけではないから、別の性質に変化させようと思えば、再度魔術を発動する必要がある。
<循環盾>はそこが違う。魔力を消費し続け、流れを操り続ける。常人の精神では一時間も保たずに摩耗してしまうであろう作業。それを万人が扱える術式に形に落としこむために、円環の――循環の概念が利用されているのだ。
展開し続ける盾は、それ単体で有用だ。だが、その隠れた効果も黄の隊長は知っていた。
彼の障壁破りは、純粋な体術によって為されたものだった。
絶技、である。だが、武術や兵法の基本と言ってもいい技術だ。
すなわち――敵の弱きを突く。
魔術による障壁というものは、常にフルパワーで展開されている訳ではない。
剣と剣がぶつかる時、拳と拳が交わる時。その一瞬に力が込められる。あるいは、力を逃している。
刹那の見切りが必要になるが、黄の隊長にとっては造作も無いことだった。ジンという剣士に敗北してから、彼は武術を磨き続けた。辛くはなかったが、楽な鍛錬でもなかった。執念という強い感情に後押しされて、鍛錬を続けたのだ。
その修練の到達点が、この障壁破りの体術だった。
殴りかかる寸前で、拳の速度を変化させる。激突のタイミングをずらす。
たったそれだけで、面白いように障壁が壊れていく。無論、彼の人並み外れた膂力がなければそもそも成立しない体術である。誰にも彼の真似事は出来なかった。
物理的なものでなければ、あらゆる障壁を貫通する究極の矛。
魔術戦において、絶大なるアドバンテージを彼は保有していた。
だが、例外があった。彼にも破れない盾が存在したのだ。それが<循環盾>。
砕けない。その盾には出力のピークというものがない。隙というものが見当たらず、多少衝突のタイミングを前後させた所で、容易に崩せぬ堅牢さがある。
結果。黄の隊長の拳は砕かれ、障壁破りの体術は通用しなかった。敵に使われれば、随分恐ろしい術だと黄の隊長は思っていた。
永続的に展開する障壁に守られて、紅雀隊がじわじわと戦線を押し上げる。まだ互いに距離がある。遠距離攻撃の出来る空属性と日属性の術者は、見せ場とばかりに魔術を連打する。
瀬踏みである。だが、隊長の属性を反映したかのように、双方の射撃は対照的だった。
紅雀隊の<風弾>は牽制とは思えないほどの乱れ打ちである。火を吹くような激しい銃撃で、土煙がもうもうと立ち上る。
青龍隊は精密射撃。自陣に打ち込まれたものだけを的確に判別し、撃ち落とす。技量の差が如実に出ていた。
だが、所詮は様子見。この射撃戦だけで決着が着くわけがない。
青龍隊の両翼が前進を始めた。そのまま食らいつくように進軍する。包囲を嫌い、紅雀隊が下がろうとすると、すかさず青龍の爪牙が紅雀隊の陣を引き裂いた。
兵士の波が割れる。炎剣は断ち切られた軍を必死で元に戻そうとする。
暴風が吹き荒れる。炎剣の繰り出した大魔術の威力は凄まじく、青の隊長は舌打ちしながら後退した。
その隙に紅雀隊も隊列を整えなおす。仕切り直し。そういう形になった。
「兵の質、全体の動き、指揮。全部まだ青のが上手か。赤の優っていることと言えば、個人の武勇と魔術の破壊力。総合して互角……いや、青のが有利か?」
ここからではよく見えないが、炎剣のきびきびした動作に精彩が欠いている気がした。大魔術の行使と軍の指揮。疲労が蓄積しない方がおかしい。
青の隊長は涼しい顔で、まだまだ余裕がありそうだ。彼は最前線に出ることはなく、後ろで状況の把握と指揮に徹している。炎剣の方が早く疲労するのは、当然だった。
青龍隊が再び両翼を前に進ませる。前回と全く変わらぬ仕掛けは挑発だった。
両翼を伸ばした分、中央は手薄になる。わざと晒された隙である。軽々には踏み込めない。だが、踏み込まなければ、先ほどの二の舞である。
炎剣が密集陣形での中央突破を狙ったのは、必然の流れだった。お互いにそうする、と理解した上で敢えて相手の思惑に乗っていた。
中央突破が失敗すれば、青龍の両翼はそのまま包囲殲滅のための牙へと変じるだろう。
反対に、中央突破が成功すれば分断された龍は散発的な抵抗しか出来なくなるだろう。模擬戦としての勝敗は決まったようなものだ。
両軍が激しくぶつかった。模擬戦とは思えないほどの闘志が離れていても伝わってきた。
力と力がぶつかり合う。火薬などを用いた王国流の戦術を使わない分、個人個人の力量が戦闘の行方を大きく左右する。
青龍隊の連携は見事だった。冷静沈着な指揮官の下で、防御役と攻撃役に分かれて魔術を発動している。
紅雀隊は動きにやや精彩を欠いていた。炎剣の指示が末端まで届いていない。
こうなってしまうと、もう勝負は決まったようなものだ。一度崩れた軍は意外なほどに脆い。負けると分かっている戦に命を懸けられる将兵は少なく、自陣の敗北を心のどこかで悟った兵士は、もはや戦力に数えることはできない。
紅雀隊はもう崩れるだろう。この模擬戦は青龍隊の勝ちだ。
黄の隊長はそう思ったし、おそらく青の隊長も同様だろう。これで勝負はついた。そう思ったはずだ。
だが、二人の予想を裏切って、紅雀隊は土壇場で粘り続けた。死力を尽くしているという風でもなく、崩れてもなお火力が衰えていない。
魔術をきちんと敵に向けて放つ。組織的な戦闘力を喪失した紅雀隊に出来るのはただそれだけだったが、そのそれだけ、が強かった。
<循環盾>の存在は確かに大きい。防御に意識を割くことなく、攻撃に注力出来る。長引く戦闘においてそのアドバンテージは絶大だ。個々人がこれほどの粘りを見せている理由の一端はこれだろう。
だが、それだけではない。紅雀隊の全員が空属性だというわけが無いし、<循環盾>を使っていない兵士もいる。
この粘りにはもう一つ秘密がある。
紅雀隊があんまりにも粘ったせいで、当初元気いっぱいだった青龍隊
の士気も落ちてきていた。火力が落ちてきたせいか、もう青龍隊に攻め切る余力は残っていない。かといって、ここまで押されまくっていた紅雀隊にも逆転勝ち出来るような余力は残っていない。
泥仕合だ。
黄の隊長は大声を張り上げ、試合終了を宣言した。
疲労困憊の両軍はそれでも、退がり切るまで構えを解かなかった。
大怪我を負った者はいなかった。軽傷の者は大勢いる。治癒術師が何人かで負傷者の様子を見て回った。
「やはり、盾は厄介極まりない」
「兵士自身の身を守る術式ですから。習得の際の熱意が違います」
「熱意……か。最後押し切れなかったのはそれが理由か?」
「いえ、最後の方はもう無我夢中で……。殆ど指揮もできていませんでした。猛省せねばなりません」
炎剣の首筋は多量の汗でてらてらと光っていた。結晶化した汗が鎧の各所を白くしている。いつもは汗さえかかない青の隊長も、しきりに額を拭っていた。
「だが、あの粘りは尋常ではなかった。あんなものは今まで見たことがない。普通の軍ならあそこまで分断すれば、崩れる。崩れると思った所で、崩れない。それで意表を突かれた」
「一人一人の兵士の意地でしょう。私の力ではありません。完敗でした」
お互いがお互いに負けた、と思っているらしい。謙遜などではなく、本心なのだろう。彼らの戦士としての矜持が心懐を騙ることなくありのままを語らせていた。
「クク、面白れーな。だが審判の俺を無視して決着を着けてもらうのは困る。今回の模擬戦の結果はな。どう見ても引き分けだ」
まだ何か言いたそうだったレヴィを制して、
「ごちゃごちゃと終わったことを言うなよ。どちらにも見るべきところがあり、どちらにも反省する点があった。それでいいじゃねえか」
どっちが勝っていたか。そんなものはどうでもいい。自分が戦う時に勝てば良いのだ。黄の隊長の思考は単純明快だった。むしろ今悩むべきは、盾の突破方法である。個人単位の戦いでも、集団戦でも目立った隙がない。
部下たちに習得を急がせたかった。炎剣の派閥に加わったことで、術式の供与が行われることになっていた。だから、麒麟隊が盾を得るのは早晩のことだろう。
「面白くなってきやがった……!」
青の隊長の采配よりもよほど心踊った。彼は手堅いが、意外性のある用兵はしない。その点、炎剣の近くにいれば退屈することはなさそうだった。




