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師父慕う少女、果てに至る物語  作者: 犬山
デュアル・コミュニティ
62/64

EX上十二衛

前回の二重投稿ミスを修正しました。


「それで。今をときめく紅雀隊の隊長サマが一体何の用なのかね~。人払いまで万全とは驚いたよ」


 外見も中身も粗野な男が椅子から立ち上がった。

 熊なのか人なのか薄暗がりの中では誤解してしまうかもしれない。そんな危惧を真剣に抱かざるをえない程に野性味に溢れた男だ。

 呼びかけられたレヴィは無意識に剣の柄を探りながら答える。

 

「周りくどいのは好きではありません。はっきり言いましょう。私達の派閥に入りませんか?」


 ワイルドな男――麒麟隊の隊長は即答しなかった。代わりにレヴィの直截な問いかけに答えたのは、もう一人の同室者だった。


「派閥?君はそういうものが嫌いだったと記憶しているがね。半年前に私の誘いを断ったのは何処の誰だったか……」


 嫌味混じりに言ったのは、帝都に残る上十二衛の最上位者である青龍隊の隊長だった。


「端的に言うと、ですね。あの時と今では情勢が変わっています。わざわざ私が言わなくてもある程度は分かっているかと思いますが」


「ふん」


 嫌味は嫌味。それ以上のものではなかったらしく、青の隊長はムスッとした顔になった。確かに上十二衛入隊当初のレヴィと、今のレヴィは注目度も重要性もまるで別人だ。それは彼にもよく分かっていた。

 指先がとんとんと一定のリズムで机を叩いていた。

 青が黙ったのと交代するように、黄が身を乗り出した。


「正直俺はその話に興味、あるぜぇ?」


「貴様ッ!」


「なんだよ、あんたには止める権利はないだろーが。よりにもよってあんたがよ。強さは正義だ。俺は強い奴は認める。それだけだ。別によわっちい奴に指図するな、なんて極論を言ってるわけじゃないぜ?だがよぅ、青龍さん。あんたの采配はつまらんし、不味すぎる。俺は抜けるぞ」


 青は苦虫を噛み潰したような表情で、去っていく黄を見送った。

 レヴィの側までやってきた黄は尖った歯を剥き出しにして笑う。


「と、いうわけでだ。俺は青龍の下から離れた。フリーの状態だ。紅雀の派閥に入ってもいいが、一つだけ条件がある」


「条件?」


「俺とサシで勝負しろ。なあに、生命まで賭けろとはいわねーさ。力試し、力試しだよ。その証拠に勝ち負けは別にどっちでもいい。勝負さえ受けてくれるなら、俺はそっちの味方につく。――まあ、勝ち負けがどっちでもいいから、って手抜きをされたとしたら全部御破算にしちまうかもしんねーけどな」


 考える仕草を見せたレヴィだが、躊躇は一瞬だった。


「いいでしょう。もとより、貴方を説得するにはこうするより他にないと思っていましたから」


 あっさりと了承を得られるとまでは思っていなかったのか、黄の隊長が猫のように目を細めた。好奇心と喜びとで、キラキラと輝いた瞳だ。


「くく。やっぱあんた、いいよ。そそるよ。この俺に勝てるということに微塵の疑いも抱いていない」


「炎剣よ。怪我をせぬことだな。私のような家柄で選ばれた隊長とは訳が違うぞ、麒麟はな。腕っ節だけなら上十二衛でも一二を争う実力者だ。まあ判断力の方は落第のようだがな」


 皮肉げに、憐れむように、青が黄を評価した。ある意味貶されているのだが、強い、という評価だけでも黄は嬉しかったようだ。パンパン、と勢い良く青の肩をたたいた。


「はっはっは。それほどでも、あるぜ。よう、炎剣さんよ。ビビっちまったか?」


「いいえ、欠片も。手合わせ宜しくお願いします」


 レヴィがはほんの少し頭を下げた。


「少しだけ待っていてください。彼を説得してから向かいます。練兵場でいいですか?」


「おう、じゃあ先に行って待ってるぜ」


 気持よく笑いながら黄の隊長は薄暗い部屋を出て行った。

 残されたのは青龍隊隊長と紅雀隊隊長。

 数ヶ月前とは立場がまるで逆転している。帝都で起きたいくつかの事件で青の隊長が失態を演じたせいだ。逆にレヴィは目覚ましい活躍を見せている。

 青の顔に宿る苦渋は根深い。

 

「……それで。私を懐柔する策は用意出来ているのかね?君は策謀を巡らせる人種ではないと判断していたが、どうやら私の目は節穴のようだからね」


 自嘲気味に青は言った。

 冗談交じりの言葉だったが、彼が落ち込んでいるのは間違いない。


「策というほどの事ではありませんが。私が貴方に提示出来るのは、利です。我々の陣営が持つ強い利。将来を見据えるならば、ぜひ投資して欲しいものです」


「利、利、ねぇ。ふん、聞かせてもらおうか」


 レヴィも伊達に半年、上十二衛で任務を果たしてきた訳ではない。冷や飯を食わされ、同僚たちの冷たい目線にじっと耐えてきた。彼らの性状は掴めている。すなわち、青の隊長は打算的な人物だということ。彼に対しては情に訴えかけるよりも、利益をぶら下げてやれば良い。利が十分ならば、彼は動く。

 

「新術式ですよ。それも即実戦投入可能な実用的な術式です。順当に行けば、軍人の正規訓練に必修術式として選定されるであろう、術式です。その名も<循環盾>」


「……詳しく聞かせろ。君の過剰評価の可能性もある」


「きっとご満足いただけると思います」








 練兵場には疎らな人影があった。熱心な兵士たちが休日にも関わらず身体を鍛えていたのだ。

 職務に忠実な兵士たちは、ある一人の男を遠巻きにしていた。屈強な兵士たちをまるで子供のようにあしらってしまったのは、野獣の如き男である。鎧のような分厚い筋肉を剥き出しにして、常に飢えた双眸をギラギラさせる麒麟隊の隊長は、静かに闘志を高めていた。

 無形の圧力を目の当たりにして、兵士たちは本能的に感じていた。これから行われる闘いの予感を。

 

 やがて、練兵場に磨かれた鎧を身につけた二人の隊長が現れた。

 鮮烈な赤の意匠と深緑にも似た青の意匠。

 何の打ち合わせもなしに、青の隊長は観覧席へ。そしてレヴィは黄の隊長と向かい合う。

 野獣の闘志を真正面から受け止めても、レヴィの瞳に動揺は全く見られなかった。


「怪我はさせない。ルールはそれだけですね?」


「ああ。陛下ご留守の間に、上十二衛の隊長同士が試合して怪我したなんて、申し訳立たねーだろ」


 黄はそういいつつも、練兵場の一角にある救護室をちらりと見ていた。あそこには敏腕の治癒術者が常駐している。万が一の場合は、彼らの世話になることだろう。


「じゃ、始めるか。いくぜ……」


 黄の隊長が合図をした。

 試合は始まった。

 同時。

 レヴィの足元の砂が蠢き、幾つもの鋭い針に変じる。針山のような地面は、レヴィを串刺しにしようと筍のように伸び上がる。

 レヴィは寸前にその奇襲攻撃に気づき、大きく空に飛び上がった。

 だが先制の魔術攻撃を成功させた黄が、その行動を予見していない筈がなかった。

 レヴィに先んじて、彼も上に跳んでいた。


「落ちろやッ!!」


 レヴィより一瞬早く跳躍することで、機動力に優るレヴィの上空に陣取る。

 そのまま黄の隊長は剛力でもってして振り抜いた。

 刃を潰した模造刀を、全力で。

 こうも動きを先読みされていては、さしもの炎剣も回避は難しい。

 両腕を交差させて防御態勢を取るものの、黄の剛力はガードを抜けてくるほどの衝撃を生み出していた。

 真下の地面に叩きつけられ、レヴィの呼吸が寸時停止する。

 空中の黄の隊長は、全体重を足先に込めてレヴィを踏みつぶそうと落下してきた。

 その光景を目で認識したのではなく、肌で危機を感じたレヴィは咄嗟に真横に転がった。

 転がりながら、魔力が練りこまれる。

 風の魔術が空中に無数の弾丸を形成し、踏みつけ攻撃をかわされたばかりの黄の隊長に放たれる。

 <風弾>。不可視の弾丸は、達人であっても捌き切るのは難しい。この魔術に対する一番の対処法は、盾を持つことなのだ。常人の身体機能では咄嗟に避けることもままならない。しかもレヴィの放った<風弾>はタイミングも完璧だった。回避できる道理は何一つ無い。


「ぐっ……ぐっ……」


 身体を打ち据えられた黄の隊長は、しかし筋肉の鎧がその痛みを半減させていた。

 レヴィが立ち上がり、体勢を整えた時には、彼は既に次なる攻撃の準備をしていた。

 自らの体重そのものを武器とした突進。体格差のある相手ならば、ヒットで転倒は確定。うまくやればその衝撃だけで意識を奪うことだってある。単純明快で、ゆえに覆しずらい強力な攻撃だった。

 生半可な風では、猛獣の如き彼の突進を止めることは出来ないだろう。それこそ、人を殺傷せしめるような暴風を呼び寄せる必要がある。


 レヴィが取った行動は魔術による迎撃や回避ではなかった。

 かといって体術による受け流しでもない。

 大地に両足を打ち込み、最大限に踏ん張れる体勢に移行するとそのまま彼に組み付いたのだ。

 一見して女性に見えないほどの恵まれた体躯を持つレヴィだったが、半分ケモノのような黄の隊長と比較すると、華奢な手弱女にしか見えない。突進を受け止めるなんてのは、あまりにも無謀な選択。

 それはレヴィだけでなく、黄の隊長もそう思っていたらしい。

 彼の脳裏をよぎったのは、自身が定めたルール。野生のケモノの如き男でも、己の吐いた唾は呑みこめない。一瞬の躊躇。レヴィにとってはそれだけで十分だった。

 空属性は流れを操る。黄の隊長の足元の空気が揺らぎ、風となる。バランスを崩した所にレヴィの投げが綺麗に入る。宙を舞う黄の隊長は、屈辱に顔を歪めていた。


「地属性の術者の肉体は頑丈ですね。なら、少しだけ飛ばします」


 空中に投げ出されてしまっては、地に足をつけて生きる生物はほとんど行動できなくなる。風をつかめる空属性でもなければ、空中にいる間の人間は無防備だと言ってもいい。

 レヴィは高位の戦闘魔術を習得している。思考して、選択して、術式を編み上げて、いちいちそうやって魔術を使うのは民間人の魔術師だ。そういう輩は不意打ち気味に襲いかかれば、二三人の暴漢だけで片がつく。

 魔術を本物の凶器として扱えるのは、相応の訓練や経験を積んだものだけだ。帝国兵の中でも、戦闘魔術に習熟した者が集められている近衛が、上十二衛である。

 レヴィも、黄の隊長も。彼らは呼吸や歩行と同じくらい自然に魔術を行使出来る。魔術を自らの肉体の一部だと認識できるほど彼らは訓練を重ねている。

 

 一呼吸の間に、<風槌>が形成され、さらなる上空に黄の隊長を跳ね上げた。

 観戦していた兵士たちから感嘆の息が漏れる。巨体が宙を舞うド派手な戦いに目を奪われたのだ。

 

 原則として地属性は、接触していなければ物質を変異させることが出来ない。空中や水中は彼らにとっての死地であり、魔術による抵抗はほとんど出来ない。たとえ毒ガスを精製したところで、大気中に拡散してしまえば、何の意味もない。

 弾丸が打ち込まれる。一発、二発、三発。放たれる度に、新たなる風の弾丸が形成され、充填される。重力を無視した雨のように、銃弾は真上に”落下”していく。

 常軌を逸した<風弾>の数。もはやそれは圧力さえ感じられるほどだった。

 レヴィは無心で銃弾を撃ち続ける。

 彼は死なない。いや、この程度では殺せないという確信があった。密度を高め、速射性を高め。

 いつしか野次馬たちからは、しわぶきの音一つ聞こえなくなっていた。

 はじめは興味本位で観戦していた兵士たちだったが、予想を上回る死闘に言葉をなくしていたのだ。

 

 だがレヴィにとっては死闘でもなんでもない。これは試合。それも怪我をさせないというルールの下の甘い勝負だ。

 銃弾の嵐の圧力によって落下速度の鈍っていた巨体がようやく地面に落着した。

 野生をアピールするためか知らないが、黄の隊長は肌の露出が多い。彼の素肌には数え切れないほどのミミズ腫れが出来ていた。


「やはり、穿てない、か」


 痛々しい。だが、それだけだ。加減のない<風弾>は直撃すれば肉をえぐり、骨を砕く破壊力がある。それほどの暴威の嵐に耐え抜いたというだけでも、黄の隊長は常人ではない。

 むくりと起き上がった黄の隊長は笑っていた。


「そうでなくちゃあ、よ。面白くねーだろうが。くく。炎剣、あんたのご大層な炎とやらを見せてくれよ?ああ!?」


 身体のあちこちで滲んだ血は、彼の笑顔を凄惨なものに変えていた。


「……獣の相手なら得意ですよ、私は。故郷で何度も叩き潰しましたからね」


 レヴィが呼吸を変えた。

 それを合図にしたかのように、両者が一斉に動き出した。

 踏み込みで地面が抉られる。

 剣がものすごい速さで振りぬかれる。

 打ち合わされた一対の模造刀は、甲高い音を響かせた。

 

 膂力で互角。いや、間違いなく単純な力では黄の隊長の方が上のはずだ。なのに、なぜ。

 観戦していた兵士たちは、そういう疑問を抱くことも出来た。

 だが、レヴィと黄の隊長はそんな思考を巡らせる余裕はなかった。

 

 黄の隊長の額から血が流れ出す。

 レヴィの額にはじっとりとした嫌な汗が染み出す。

 

 再び打ち合わされる。

 刀が折れた。

 どちらが。

 

 レヴィは咄嗟にこめかみを守った。

 壊れた刀を捨てた黄が、拳を振るったからである。彼のゴツゴツした拳はまるで巌のようだった。<風弾>の数倍の衝撃がレヴィを襲った。その衝撃で、得物を手放してしまった。

 両者は丸腰になった。

 

 黄の隊長の左右の拳が交互に襲いかかってくる。蹴りはない。代わりに魔術によって<硬化>し、加速された拳撃が絶え間なく降り注ぐのだ。

 一瞬でも意識を逸らせば、直撃は免れない。神経を擦り減らしながら、レヴィは拳撃の嵐を耐え忍ぶ。

 

 拳圧で皮膚に亀裂が走る。頑丈な鎧が悲鳴を上げる。

 だがレヴィは、ただの一撃も通しはしなかった。


「ふんっ」


 気合一閃。

 伸ばされた腕。筋肉が弛緩したその一瞬を狙って、レヴィは黄の隊長を後方に巴投げで飛ばした。鮮やかな手並みだった。


 ……黄の隊長はこの立会で何度宙を舞っただろうか。

 

 空中で人間は身動きが取れない――道理である。

 地属性の術者は空中では無力だ――道理である。

 ならば黄の隊長に為す術はないのか――否。

 

 

 

 彼は単純で豪放磊落な男だが、馬鹿ではない。何度も何度も飛ばされて、それに対して無策のまま戦闘を続行するなどあり得ない。彼は強さを希求するがゆえに、勝とうとする欲求に素直なのだ。小細工だろうが浅知恵だろうが、勝つために必要となれば、選ぶことに否応はない。

 

 生家は貧しい渡守の家だった。小舟を浮かべて人を渡す。川幅は泳いで越えられない程ではない。船と櫂を漕ぐ体力さえあれば、誰にでもできる仕事だった。

 毎日の重労働に適応したのだろう。節くれだった手指と、鋼のような筋肉を持つ父を見て育った。

 彼はたまたま先祖の血が濃かった。いや、彼に限らず英雄と呼ばれるような一角の人物は、たいてい先祖返りのようなものだ。幻想の血は魔術の才と、肉体的優位を与えてくれる。血が濃過ぎれば亜人と呼ばれ蔑まれるが、外見が変化しない程度の混血は、むしろ人間世界に歓迎されていた。

 幼子の時から力が強かった。一人で船を漕ぎ出せるようになったのは、わずか三歳の頃だった。父母兄妹、家族からその将来を嘱望された男は、しかし成人する前に家を出て行った。

 川とボロの小屋を往復するだけの父に、将来の絶望を垣間見たのか。

 若者らしく、ただ都会に憧れていたのか。それとも……。

 彼は一人で帝都に上京した。何か新しくて、輝かしい、素晴らしいことがあるのではないか、と期待に胸を膨らませていた。だが、何の伝手もない若造が生活できるほど都会は甘くなかった。

 腕っ節には自信があったから、そこらのゴロツキに絡まれても難なくあしらった。

 有り余る力を振るって、盗みでもやれば生活もできていたのかもしれない。だが乱暴者で粗忽者でも。性根が腐っていたわけではなかった。日雇いの力仕事で、何日かは食いつないでいた。

 そのまま困窮が極まっていれば、男の将来は全く異なるものになっていたのかもしれない。

 とにかく、男は幸運だった。

 

 武術を、戦技を、戦闘魔術を。

 戦いの技能を競う大会が当時の帝都では開催されていた。

 成績優秀者には賞金も出る。一位になれなかったとしても、当座の生活資金を得ることだけは出来る。

 男は強かった。一対一では敗けたことがない。武器を持っていても、持っていなくとも、彼に敵うものは現れなかった。

 決勝戦まで勝ち上がった時、彼の心の中には確かな自信というものが芽生えていた。今までは田舎の大将だったかもしれない。けれど、自分の強さは帝都でだって通用する。田舎者の思い込みなんかじゃない。俺は無敵だ、と。

 そして彼は決勝で敗れた。完膚なきまでに敗北した。たまたま相手が悪かったのだ。東方から流れてきた無頼者で、剣の腕は超一流。人生そのものを剣に賭けたような男。所詮力自慢だけだった男と比して、あまりにも戦技の年季が違いすぎた。

 

 男の自信は、この世に生を受けたその日に殺された。

 

 初めて負けた。

 初めて悔しいと感じた。

 ――それがこの男の起源。

 

 

 

 

 レヴィは瞠目した。空中で、何も掴めぬはずの黄の隊長が不可解な挙動を見せたからだ。まるで空中を蹴ったとしか思えない動きは、レヴィの予想を超えていて、<風弾>を撃ち損ねてしまった。あるいはもう一度めった打ちにすれば、彼の意識を奪うほどのダメージを与えていたかもしれないのに。

 大きく距離を取る。怯懦に駆られたのではない。空を蹴る、その術理を解明せぬことには収まらなかったのだ。


 黄の隊長は軽々八丁の駆け引きを楽しむタイプではない。直後、彼自らネタばらしをしてくれた。


「はん。上に飛ばせば勝てる、ってのは単純すぎてつまらんだろうがよ。秘密兵器だったが、炎剣相手ならば惜しくはない。<硬縄>。剛柔自在の荒縄を使った曲芸みたいなもんだ」


 彼の手に握られたのは、槍のように直立した”縄”だった。そそり立つ縄は、しかし見る間に萎えてしまい、しなしなと彼の手に収まっていた。

 地面に小動物の巣穴のようなものがいつの間にか穿たれていた。おそらく、棒状に固めた縄を地面に刺すことで空中での機動を可能にしたのだろう。


「とっておきだ。軍に入隊してから、まだ誰にも見せたことがねぇ。家の秘伝だぜ」


 少年のように無邪気な黄の隊長の笑顔。

 だがレヴィは応じなかった。


「次は、斬ります」


「俺も。本気でぶつかるぞ」


 戦意を高める。もはや二人の放つ気迫は試合のそれではない。

 兵士たちは呼吸を忘れたように試合に見入っていた。青の隊長だけは平然と試合の行方を見守っていた。

 

 共に無手。だが、お互いに潤沢な魔力を練り上げ、今にも放とうとしている。

 臨界間近。

 合図は無かったが、術式が解放されたのは同時だった。

 

 <風槌>が前面に押し出され、死角を消すように<風弾>が黄の隊長に狙いを定めていている。

 空属性の魔術を起点に攻撃を組み立てているレヴィとは対照的に、黄の隊長はまず己の身体を利用した。

 拳が唸る。

 <風槌>と拳が衝突する。本来であれば、拳が砕けるのが当然だが、彼の鋼の拳は風の障壁をやすやすと打ち破った。


「ッ!!」


 あり得ない。事実、つい先程の<風槌>は彼の重い肉体を宙に跳ね上げる事が出来た。レヴィが放つ<風槌>はそれだけの出力と破壊力を持った風なのだ。いや、風というよりももはや物理的な壁にも等しい。

 その壁をものともしないというのは、あまりにもおかしい。

 別の破壊力によって相殺されたのならば分かる。

 同じ空の術者に風の干渉を受けて圧力を逃されたとしてもおかしくない。

 あるいは<吸魔>によって術式に不全を起こさせたとしてもこの術を破ることは出来るだろう。

 ――だが、黄の隊長はまったく魔術を使っていなかった。

 身体が頑丈なのはあるだろう。アドレナリンの放出で無痛状態になっていることもある。

 だが、それらを考慮しても帳尻が合わない。

 なぜ壁は砕けたのか。


「オラァァッッ!!」


 黄が地面の砂を蹴りあげる。目潰しでもするつもりだろうか。

 空属性であり、風使いでもあるレヴィに対して砂で目潰しをするとは、随分と甘く見られたものだ。

 脳はそう判断していた。だが、肌が粟立った。

 咄嗟に飛んだ。

 飛来した砂粒は、空中で互いにくっつき塊状になって慣性と破壊力を保ったまま飛んでくる。あのままだと危なかった。

 大きく躱したことで、レヴィには怪我一つなかった。しかし――

 棒のような形状で固まった縄が振るわれた。鈍器であるはずのそれは、黄の怪力で振るわれる限り模造刀の斬撃に等しい。怪我とか、そんなものを気にしている場合ではない。

 ――斬られる。

 

 ここが正念場だと本能的に悟った。

 

 風の障壁を抵抗なくぶち破った原理は分からない。

 剛柔自在の縄への対処もまだ思いつかない。

 けれど、今動かなければならない。

 直感が叫んでいた。

 

「少し、本気を出させていただきます」


 彼は手加減をしたまま勝てる相手ではない、と。

 魔力が溢れ、<循環盾><風弾><風槌><暴風><風刃>が暴れ狂った。

 下級上級新術式を問わずに。

 

 

 

 ――レヴィの本質は武芸者などではない。

 確かに彼女の家系は古くは旧帝国の軍人の家だった。しかし旧帝国崩壊以前に帰農してからはずっと畑を耕して暮らしていた。

 レヴィが生まれた時には、先祖の武具で実用的な物は何一つ残っていなかった。唯一残されたのは、時の皇帝に下賜された儀礼用の宝剣が一振り。彼女の家が軍人であったことを示す証拠はそれだけしか残っていなかった。

 

 昔の彼女の戦いは、人を相手にしたものではなかった。

 そもそも帝国の片田舎で、剣を振るだけで暮らせるほどの働き口があるはずがない。

 レヴィが覚えた戦いの技は、人に教えてもらったものではない。基礎の基礎。そういうものは確かに兄たちに習った。だが彼女には天賦の才があった。すぐに兄たちの腕を追い越し、師と呼べるような人物を見つけられなくるほどにまでなった。

 そうなると、もう実戦で鍛えるしかない。

 彼女の武技に師がいるとすれば、それは魔獣だ。

 害獣だ。

 野盗だ。

 

 彼女の後ろにはいつも守るべきものがあった。

 彼女の前にはいつも討ち果たすべき邪悪があった。

 

 対等の腕前で武技を競うなんて、彼女の境遇では望むすべもなかった。

 彼女は己の役目から一度も逃げたことはない。

 彼女が戦いをやめれば、守るべきものが傷つく。

 畑が荒らされ、老人や子供、弱いものから殺されていく。

 

 ――万象災いを切り払えば、誰も傷つくことはない。

 

 彼女の牙は、邪悪と災いを跳ね返すためだけに、ありえないほどに鋭く長く研ぎ澄まされていた。

 長く、鋭く。人の身には過ぎた力となるほどに。

 

 極めすぎた力は小回りがきかず、身近な”何か”を喪ってしまったこともあった。

 だがレヴィはそれを是とした。己の剣は自らのものではない。邪悪を切り裂くためのものなのだ、と。

 

 だから、黄の隊長は敵ではない。

 彼に相応の実力が伴っていないという意味ではない。彼は十分以上に強く、上十二衛最強という話もハッタリではないだろう。

 そうではなく、彼は人類の生活を脅かそうとする邪悪ではない。弱きを食い物にする悪党ではない。ならば、レヴィの”剣”は抜かれない。抜くことはない。それは彼女が己に課した封であり、たやすく破られることはない。

 敵ではない。敵ではないが……。

 

 楽しい。

 レヴィは頬をひきつらせていた。

 笑いを堪えるような滑稽な顔だった。しかし一歩間違えば生命が消し飛ぶような高速魔術戦闘の最中に見せる表情としては相応しいものではなく、獣の心を持つ黄の隊長でさえ背筋を冷たくした。

 凶相だった。

 邪悪を断つ”剣”の封印。

 封の隙間から何かが漏れだした。それは彼女の魔力だったのか、それとも稚気だったのか。あるいはもっと別の何かか。

 レヴィの燃える瞳を通して、封印の奥に眠る業火を見た黄の隊長は――


 

 

 

 

 観戦していた兵士たちには何が起こったのかよく分かっていなかった。

 兵士たちよりも目が肥えている青の隊長でさえも、二人の勝負の深い所を理解することは出来ていない。

 最後の一瞬。

 黄の隊長が何かを仕掛けた。準備万端で、罠か何かに嵌めるつもりだったのだろうか。

 だが全ての小細工はご破算になった。

 圧倒的な魔力が突如、練兵場に溢れだしたのだ。

 

 感知力に優れ、敏感な夜属性の兵士は眩しい光を直視した時のように、目を抑えていた。

 魔力と、砂塵。砂煙が決着の全てを覆い隠した。

 

 気付いた時には、壁に叩きつけられた黄の隊長が伸びているだけだった。練兵場の中心には、悠然と佇む赤髪の女騎士が一人。室内だというのに、荒れ狂う風。長髪が揺らぐ焔のように、たなびいていた。あの激戦だ。きっと結び紐が解けたのだろう。


「……ふん。あの男も見掛け倒しか。案外使えぬ」


 小声で青の隊長がつぶやいた。さすがに大声で敗者をけなすつもりはない。ここには兵士も大勢いる。誰もが人智を超えた奇跡の戦いに呑まれていた。いらぬ反感をわざわざ買うほど青の隊長は愚かではなかった。

 救護室からわらわらと数人の治癒術師が現れ、倒れた黄の治療を始めていた。あれだけの激戦にも関わらず、彼に目立った怪我はなかった。レヴィは試合の取り決めをちゃんと守っていたのだ。

 兵士たちは佇むレヴィの後ろ姿に、炎を幻視していた。

 そう。彼らは本能的に察していた。あれだけの莫大な魔力が、無から出現する訳がない、と。

 であるならば、論理的に考えて術者がいる。該当するのは、黄の隊長かあるいは赤の隊長。試合の勝者がどちらか、ということまで勘案すると結論は一つしかなく……。

 ありていに言って彼らは怯えていた。畏怖と言ったほうがいいかもしれない。

 今のレヴィは、不用意に近づいたら斬り殺されそうな、そんな剣呑な気を発していた。

 誰もが押し黙る中、青の隊長だけは冷静だった。


「炎剣よ。約定は守られなかったな」


 兵士たちはビクリと身体を震わせた。すぐ隣りの青の隊長の蛮勇に、驚いて。


「……。予想以上に彼は強かった。使う余裕がありませんでした」


「で、あるならば、やはり過剰評価というべきなのではないかね?」


「意地悪ですね。この術式の本領は別の部分にあると貴方も分かっているでしょうに」


「まあそうだな。だが実戦テストを行うという約定が守られなかったのもまた事実。ならば全面的な協力は約束できぬな」


 無慈悲な宣告にレヴィの身体は竦んだ。

 虎の尾を平気で踏むような真似をする青の隊長を見て、兵士たちは彼からも距離を取り始めた。

 上十二衛の隊長は粒揃いであり、平隊員のようにちょっとばかり魔術戦闘に優れているというだけでは務められない重責だ。直接的な戦闘力、腕力では一番劣るとみられる青の隊長だって、こういう面では尋常ではない。根性が座っている。


「……テストだと?」


 だが青の隊長が踏んだのは、炎剣の虎の尾ではなかった。

 真なる獣。その逆鱗に触れてしまったのだ。

 治癒術師に介護されていた黄の隊長が、ギラギラと光る瞳で青の隊長を睨みつけていた。いつの間に意識を回復したのか。壁に全身をたたきつけられたにしては、驚異的な回復力と精神力である。地属性の特性もあるだろうが、異常に頑丈な肉体と精神を持っている。


「なんだよ、おい。クソみたいな采配で俺の邪魔をするだけに飽きたらず、炎剣との真剣勝負にすらちゃちゃを入れようとしてたってのか、てめーは。あ?」


 レヴィに打ちのめされた直後、ということもあるのだろう。自らの力にプライドを持っていた男は、イライラしていた。その最悪でくそったれな気分は、全て青の隊長への怒りへと変じていた。

 たじろぐ青の隊長を庇うように、事情を説明したのは意外にもレヴィだった。


「彼は私の推薦する<循環盾>の性能について疑義を呈しました。<循環盾>術式の有用性を証明するために、麒麟隊の隊長との立ち合いで、術式を使ってみることになっていたのです」


「へぇ、そうかよ。俺は俺自身が気づかぬうちに当て馬にされてたってことか……。はっ!随分間抜けな話だなぁ、おい」


 彼が怒るのも無理はない。だが彼は怒りを感情のままで放置しておくタイプではなかった。感情を形に、目に見えるものにしなければ気が済まないタイプだった。

 黄の隊長は治療をしてくれている術者たちを弾き飛ばし、弾丸のような速度で青の隊長に飛び掛かった。躊躇が一切ない分、ほとんどの者が咄嗟に対応できなかった。まさか意識を取り戻した直後にこれだけ動けるとは誰も思わない。

 動けたのはレヴィだけだった。


「<循環盾>」


 風の鎧を纏い、レヴィは黄と青をつなぐ射線上に割り込んだ。黄の隊長はそれでも突進をやめなかった。


「退けやぁぁ!炎剣んんん!!」


 拳が振りぬかれる。彼の拳は何故か風の盾を貫通してしまう。その原理すら解明せぬうちの再戦はレヴィも望むものではなかった。<循環盾>が破られることを前提に、レヴィは激突に身構える。試合と時とは訳が違う。これほどの運動エネルギーでは、試合の時のようにうまくいなせる自信はなかった。

 それでも退かない。何かを守るために、レヴィは今まで戦ってきたのだから。退いて、何かが解決する戦いなど、レヴィはついぞ経験したことがなかった。

 黄の隊長の拳が、風の障壁と衝突する。苦もなく破られるか、と思ったその時、


「ぐっ!うおぉぉぉッ!!」


 衝撃で、視界がチラついた。地面に衝撃を逃しきれずに、足首の靭帯がぶちぶちと嫌な音をたてた。

 レヴィの身体は後方に飛ばされていた。

 ほとんど無意識で、風のクッションを生み出す。後方に流されそうになる身体を押し留める。耐えられた。しかし、今の衝撃は。

 黄の隊長を見る。拳が壊れていた。

 見るも無残な有り様だ。類まれなる治癒の魔術が砕けた骨を再生していくのが見えた。つまり、骨が見えるほどに、彼の肉体は損傷したということだ。

 肩も脱臼しているらしく、腕を思うように動かせていない。痛み以前に、あの状態では動くこともままならないだろう。

 我に返った治癒術師たちが駆け寄ってくる。怪我を治すことにかけては歴戦の彼らは、レヴィと黄の隊長の肉体の状態を、目視で診断し一人と二人に分かれてやってきた。軽傷のレヴィに一人、黄の隊長に二人である。


「……ありがとうございます」


 空属性の術式で出血を抑えることはできるのだが、足首が思うように動かないのは、早急に治療が必要な状態だと直感していた。おとなしく、治癒術師の指示に従って、その場に身体を横たえた。

 黄の隊長の方でも処置が始まったようだ。

 てきぱきとした治癒術師たちの対処を目の当たりにして、ようやく他の面々も動き始めた。

 激突の原因を作った張本人とも言える青の隊長は、治療中の二人のもとへゆっくりと近づいてきた。レヴィも黄の隊長も、意識ははっきりしており、歩み寄ってくる青の隊長の真意を推察しようとしていた。


「麒麟よ、お前の拳はなぜ砕けた?いや、それ以前に障壁破りのからくりはどうなっている?」


「……」


「炎剣。<循環盾>とはただの風の障壁ではないのか?攻性防壁?何か特別な効果が付与されているのではないか?」


「それは……」


 赤と黄を交互に見た青は、しばらくしてため息をついた。

 

「はあ。これだけの大事になっても口を割らぬとは。特に麒麟。私の命を狙うとはいい度胸ではないか。禁軍で暮らせなくなっても良いのか?やりようによっては、二度と帝国の土を踏ませぬことも出来るのだぞ」


「ちっ。悪かったよ。あの時は頭に血が上ってた。だがよ、俺だって説明を求めるぜ。何が性能テストだよ。俺に一言、断りを入れても良かったんじゃないか」


「麒麟。私はお前の腕力だけは買っている。上十二衛の中では随一だろう。だからこそ。お前の本気の拳を受け止められる盾なのかどうか、知りたかった。矛と楯があればぶつけてみたくなるのが、人情だろう?」


「むっ……。仕方ねぇ。もう、その話を蒸し返すのはやめにするぜ」


 青の言葉の何が彼の琴線に触れたのかは分からないが、黄の隊長はしぶしぶ怒りを収めた。

 となると、レヴィも意地を張っている意味は無い。


「青龍殿。テストは合格ですか?」


「ふん、矛と楯がぶつかって。勝ったのが楯なのだ。有用性の証明という意味では、これ以上のものはないだろうよ」


「それでは……!」


「片手落ちだ。約定は約定。あれは黄の隊長との立ち合いではなかった。ゆえに、全面的に紅雀に協力することはせぬ。――期限付き、だ。陛下が帰還なさって、上十二衛の全てが帝都に揃った時。その時各陣営が旗幟を鮮明にするだろう。その時、青龍隊はまた方針を決めよう。……多数派工作は早めに済ませておくのだな」


「ありがとうございます!」


 レヴィが頭を下げた。青の隊長はフン、と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

 黄の隊長が上半身を起こしながら、ポリポリ頭を掻いていた。

 

 ここに三隊による派閥が誕生した。

 派閥の主導者は紅雀隊隊長、炎剣、ヘイルダム・ダールクヴィスト。表向きには、破竹の快進撃で活躍を続けるレヴィが勢力を拡大しているだけに見える。だがこの派閥の真の狙いは大賢者の唯一の弟子であるナタリアをデュアルたちの魔の手から守護することにあった。

 皇族派、貴族派、軍部。

 軍部の弱体化に端を発した帝都の政変。三つの大勢力の勢力図は大きく書き換わり、死に体の軍部の肉体からは、紅雀隊という不死鳥が誕生した。闇に蠢く鬼子たちも、徐々にその姿を現し始める。

 それぞれが己の思惑を通すために、水面下で火花散らし合う帝都。

 

 だが彼らの思惑とは全く別の、大きな力が帝都を横殴りにした。

 数カ月後のことである。

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