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師父慕う少女、果てに至る物語  作者: 犬山
喪失と奮起
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05起死回生の狼煙


 大賢者ファーレーンはこの世を去った。

 たった一人の弟子を残し。

 身に付けた全ての技を伝える時間も与えられず、ただ散っていったのだ。


 主を失った室内は死と退廃の臭いが充満していた。

 ナタリアは変わり果てた研究室の様子に呆然としていた。


 しかし何時までも、ただ突っ立っているわけにも行かない。どんな悲劇が訪れようと、時の歩みは止まらない。時の歯車は人の思いと無関係に回り続けている。

 

 大賢者が亡くなった以上、この部屋の所有権は大賢者にそれを与えた皇帝に返還される。

 研究室の一角を私的に利用しているナタリアは、法律上国家の所有する施設に寝泊まりするいわばホームレスのような存在になってしまったのだ。立ち退き要求そのものでは無いにしろ、近い命令がナタリアには出されていた。

 城にナタリアの居場所はもうない。


 結局、あの強盗団は書類上は正規の任務を帯びた一団であり、遺産強奪事件は”無かったこと”にされていた。彼らが行なっていたのは、窃盗という不名誉な行為ではない。彼らは強盗団などではなく、亡き大賢者の遺産を保護する崇高な使命をただ遂行していただけなのだ。

 それに、”盗まれた”という事の証明がそもそも難しい。あの遺産は正式にはナタリアのものではなく、具体的に何が置いてあったかまではナタリア本人も把握できていない。肝心の目録ごと強奪されたものだから、遺言状の件を含めて”そんなものは元からなかった”と言い逃れされてしまうのがオチだ。

 遺骸はない。研究室と倉庫は空っぽ。こんな有様で前述の主張が通るものか。

 ナタリアからすれば暴虐極まりない振る舞いに思えたが、世の習いは弱肉強食。力を持たないナタリアは一方的に蹂躙され、泣き寝入りすることしかできない。


 数日中にナタリアは城内の自室を引き払わなければならない、と杓子定規な小役人に厳命されていた。


『ち、胸糞悪いな』


 ナタリアが暴行されかけた事実も闇に葬られていた。

 まるで城中の人々全て見捨てられてしまったようである。機を見るに敏な彼らは衰運の少女を避けたかったのだ。

 消極的敵対とでもいうべき放置状態は、幼い心を存分に傷つけていた。

 悄然とするナタリアを慰めるものは誰も居らず、事情を全く知らない木っ端役人が居丈高に城内を退去するように命じてきたのが、外界からの唯一といっていい接触だった。

 公的にはナタリアは帝城に存在しないことになっている人間だ。なんの官位も持たず、下働きの奴隷のように具体的な仕事を与えられているわけでもない。見習いの弟子というのは、あくまで従であり蔦植物、主となるべき大樹が倒れれば枯れてしまう程度の儚い立場でしか無い。

 幼い少女にはありとあらゆる力と、これから積み重ねていくべき経験が絶対的に不足していた。


 止められない。


 味方は居なかった。ナタリアの知り合いは城内にも極小しかいない。

 衛兵長は何かと目をかけてくれていたが、その信頼も昨晩に木っ端微塵崩壊していた。

 裏切られた、とさえ感じていた。後ろ暗い取引があそこでは行われ、子供には理解できない大人の力学が、ナタリアの日常を引き裂いていった。


 誰も信じられない。

 そう、思いつめてしまうほどにナタリアは追い詰められていた。


 信頼していた人の裏切り。

 見て見ぬふりをする衛兵たち。

 厄介事の濃厚な気配に、ナタリアに近づくことさえ躊躇う城勤めの使用人。

 屍肉漁りの残酷な仕打ち。

 貶められた大賢者の名声。


 大いなる頭脳の遺産を余さず搾取するように故人の私室は荒らされた。研究成果を掠め取る為に、わざわざ専門家の魔術師を幾人も連れてくる念の入りようだ。目を血走らせたゴロツキ紛いの一団も遅れて来て、実験資料や機材を根こそぎ強奪していった。


 まるで準備していたかのような手際の良さ。

 大賢者が没するのを待ち構えていたようなタイミングの良さ。

 それが事実だとすれば、それはどれほど罪深いことか。本物の死肉漁りに勝るとも劣らない、浅ましさである。


 ファーレーンのごくごく私的な日記さえも、「何か符丁が隠されている可能性がある」と彼らに持っていかれてしまう。そんな目を覆いたくなる惨状が繰り広げられた。メモや書類はもちろん、価値の有りそうな宝飾類や魔具類は一切合切盗られてしまった。

 残ったのは乱暴に扱われてずたずたになってしまったシーツの切れ端や、滅茶苦茶に散らばった紙くず。何か隠されてやしないか、と解剖され中身をぶち撒けさせられた柔らかい羽毛枕の残骸。本棚も倒され、隅々まで検分され、何か残っていないか貪欲に破壊されている。


 強盗が押し入った家屋でも、これほど酷くはないだろう。

 そう真剣に思うほど大賢者の研究室は荒らされていて、無残な有様だった。


 滅茶苦茶にされた室内を、ナタリアが片付けなければならない。

 退去を命じられ、部屋の惨状を見た役人に綺麗に戻すように言われたのだ。

 その役人はナタリアが聞き分けの悪い癇癪持ちの子供で、親代わりの師匠の死に激高して大暴れしたと勘違いしたらしい。「公の備品を破壊するとは何事か。物にあたるほど教養の低さを露呈する所業はない」などと腸の煮えくり返るような正論だけを吐いて、補助に誰も手伝わせること無く、一人で掃除を行うように命令したのだった。

 彼の勘違いを訂正する元気はナタリアにはなかった。刃物で破壊された傷跡が散見されることも、拘束されて鬱血していた自分の手足首を証拠として見せることさえできなかった。

 理不尽なことを言われている、と怒ることもなかった。

 むしろ仕事を与えられたことを歓迎さえしていた。

 

 義務的に、事務的に。

 体を動かしていれば、その間だけでも嫌なことは忘却できる。たとえ短い時間だとしても、全てを失ったナタリアは切に逃避の時間を欲していた。


 部屋を片付ける。

 自分が散らかしたわけではない。むしろ被害者である。


 ナタリアの動きは心が壊されたように緩慢だった。

 まるで故障した機械が捨てられないために、無茶をしてまだ動けると歯車を軋ませて騙し騙し稼働するような。

 とっくにひび割れた食器に、溢れるのも構わずにとくとくと水を注ぎ続けるような。


『……見てらんね』


 ある意味では全くの部外者だともいえる異世界出身の”声”でさえ、この光景は見ていて気分が悪くなる。


 人が何処まで浅ましくなれるのか?

 人は何処まで欲深いのか?

 人は何処まで他者に無関心になれるのか?隣で起きた悲劇を放置できるのか?

 そんな疑問を解消するための残酷な実験場がここにはあった。


『おい、反撃の準備をしようぜ』


「……」


 ナタリアは気づかないふりをして片付けに没頭している。まるでそうすることだけが、現実を変えられる唯一の道と盲信しているかのように。ただ、一心に。

 片付け、清掃など全ては言い訳であり、逃避に過ぎない。

 この部屋を引き払えば、彼女に行く宛など無い。頼ることの出来る親戚縁者も居ない。まったくの一人ぽっち。

 野垂れ死んで魔獣に肉を食われるか、あるいは都市の片隅で惨めに春を売るか。


 全てを略奪された場所には、もう何も残らない。

 何も残っていないのに、何かを拾い続ける少女。

 無から有を生み出すことは出来ないというのに。


 師匠を失い、育ての親を失い、愛情を失い、社会的立場を失い、財産を失い、寝床を失い、純真さを失い。

 ナイナイ尽くしの少女の世界を真横で見ていた”声”は、世界の理不尽を叫びたくなった。

 泣くことも忘れるくらいに壊れてしまった少女の代わりに、虚空に吠える。

 誰も聞くものの居ない世界に向かって、悪魔のように咆哮する。

 空気を媒介しない轟音は、誰にも聞こえない。

 

 いや、聞こえる人間が一人だけいた。


「……あなた?」


 ナタリアは思い出した。夜、襲われかけた時も同じようにこの”声”は助けてくれたのではなかったか。声の出ないナタリアの代わりを務めて、吠えて吠えて吠えて、守ってくれた。


 ”声”の抗いの叫びは、世界への挑戦状だった。理不尽な世界に対する三行半。


『俺は悪魔だ。人を欺き、唆して人の世の和を乱す悪魔だ』


 唐突な告白に、部屋の片付けをしていたナタリアの動きは止まっていた。


「天使ではなく、悪魔……、なの?」


『この世界の悪魔という基準に当てはまるかどうかはともかく、な。まあ自称だ』


 すぅ、と陽炎がヒト形を取る。額には角。禍々しささえ感じる捻くれだった一本の角。異界の証のように高々と掲げられた角を振りかざし、”声”はまるで天啓を与える神のようにナタリアを見下ろした。この世界でたった一人、自分の声を聞く存在に決意の程を語りかけた。


『助けてやってくれ、とジジイに頼まれた。老いぼれの人生をかけた最後の頼み。悪魔が助けてくれる保証なんて無いのに、それでもあいつは俺を頼った。神に祈ることも、人に頼ることもなく、誰でもない、俺が頼まれたのだ。ならば応えよう。悪魔らしいやり方で。異世界への影響など知ったことか。配慮などもう無い。俺は悪魔だ。世界を滅ぼし、塗り替える、恐ろしい悪魔だ。たったひとりのガキの心さえも守れない無力でちっぽけな悪魔だ』


 <念話>とは感覚の違い過ぎる力強い”声”がナタリアの脳内で響いていた。


『ガキ。お前は何を求める?何を為したい?』


 ”声”は本物の悪魔の誘惑のように、ナタリアの壊れかけ、ヒビ割れだらけの心にするりと入り込んでいった。


「私は……いや、わしは……」


『復讐してやろうぜ。見返してやろうぜ。くそったれな世界をぶち壊せ。気に入らねえ奴を血祭りにあげるんだ!』


 軟膏のように傷口に刷り込まれていく、甘い誘惑の言葉。委ねたくなる衝動が身を焦がす。

 あるいは、こういう瞬間こそが歴史の変わる瞬間なのかもしれない。

 落ちるか、登るか。

 伸るか、反るか。

 天国と地獄、現実と夢幻。

 余りも明確過ぎる違いが、そこにはあった。


「わしが求めるのは、師父様の栄誉を汚さぬこと、輝かせること。師父様が私を選んだ事が間違いではなかったと証明すること」


 言葉は自然と口をついて出た。


『……それが、お前の願いなんだな?』


 憎しみでも怒りでもなく。結局のところ、少女が選んだのは救いだった。

 自分が認められること。敬愛する人が尊敬されること。ここにいてもいいのだと許されること。

 何のことはない。はじめからそうだった。

 彼女が呼びだそうとしたのは、悪魔でも異世界の稀人でもなく、天使だ。

 赦しを与える神の御使だ。

 

 何の因果か、偶然にも世界間の垣根を越える奇跡を誘発してしまったが、元々彼女が望んでいたのはただ、現状を変えて救われることだった。

 誰も成し遂げたことがない大博打に勝利して、比肩することのない功績でもって居場所となるべき立場を確立することだった。

 子供らしい短慮で、正当な手段を取るのではなく、裏技的な横道を通っていた事で事態は拗れた。けれどナタリアは真摯に師と向かい合い、能力を向上させて自分の世界をよりよいものに変えようと努力し続けていた。


 壊すためではない。変えるための力。


 今日よりもっと良い明日を望むための力。


 だから少女にとっては、自分の答えは当たり前すぎるくらいに当たり前で、撤回する必要など微塵も感じはしなかった。


「もちろん。師父様のため、わし自身ののために、それを望む」


『俺は死人に遺言でガキのお守を任されている。触れられない語れない守れない戦えない殺せない殺されない。ナイナイ尽くしの俺だがよ、心意気に応えなきゃ男が廃るってもんだ』


「では――」


『悪魔との契約だ。お前の望み、願い、その成就に俺の出来うる形で協力しよう。助けてやろう。守ってやろう。この世界全てが敵に回ったとしても、だ』


「信じても、良いのか……?」


『愚問』


 間髪おかず、”声”は断言した。それこそが少女の求める救いと同義であることを知ってか知らずか、ためらいなく言ってのけた。


 世界の異物でしかなかった”声”はナタリアというアンカーを依り代として世界への干渉力を手に入れた。

 そして、大賢者の弟子は悪魔憑きとなった。世界の異物と交わる背信者は、滅ぼすためでも逃げ出すためでもなく、変えるために世界へと立ち向かったのだ。






『――さて。とは言ったものの、俺の知識は圧倒的に不足している。この世界の常識も、慣習も国家の構造も、何もかもが不透明だ。魔術とやらについても理解が足りてない。軽く授業の時間をくれないか?』


「そうか、ならば少し試してみたいことがあったのじゃ」


 ナタリアは少しだけ笑った。

 なにか追い風が吹き始めた時のような前兆があった。自分の望みを聞いた世界そのものが、巨体を動かし始めたような、そんな漠然とした予感。

 ”風”を感じていた。


「<転写>を使って知識を伝達しよう。なに、失敗しても焼き切れる脳は無い。安心して受けるが良い」


『は?なんだソレ。おい、ちょっと何をするやめろ』


 無論脳が焼けるなど冗談だった。けれどこんな絶望の中でも笑えるのだとしたら、それに勝ることはない。

 自力で幾ばくか元気を取り戻したナタリアは、”声”に向かって魔術を発動する。

 日属性魔術<転写>は脳に情報や知識を書き込む技である。なんとも便利に聞こえるが、自然の法則を歪める技は当然副作用がある。正規の手段を取らずに脳にアクセスするのだから、負荷は大きくなり消費する魔力量は増大、それに伴い術者の高い技量が要求される。成功率も低く、不自然な手段で身につけた知識は咄嗟の場合に引き出すことが困難になるために、学習方法としてはあまり推奨されない魔術である。

 送れる情報量にも限りが有り、だいたい本一頁の情報を書き写すくらいにしか役に立たない。

 そんな微妙な魔術だが、ナタリアと”声”は特別である。異質な絆で繋がれた両者は、肉体的にも精神的にも魔法的にも確かに分断されているにも関わらず、何故か繋がっている。世界そのものから同一の存在だと認識されているのだ。

 ナタリアがそこまで深い事情を意識していたわけではないが、彼女にとって”声”は特別である、という認識だけは正鵠を得ていた。

 つまり、何が起こるかといえば――


『やめろ、まじやめろっ!……っん?まさかこれが』


「一度に全部は無理だから、追々に。ページをめくる感覚で閲覧できるから、参考にの」


『ふーん……。なるほどな。魔法って便利なんだなぁ。俺の世界には無かったから』


 ナタリアの常識に真っ向から反乱する言葉だった。魔力の源たるエーテルは偏在の特性を有している。無限に拡散し続けるから、濃度は何処にあっても一定で、魔力の存在しない空間など考えられない。天涯であろうが、海底であろうが、おそらくは均一に分布しているはずである。大陸広しと言えども、魔法のない場所など有りはしないというのに。


『後で魔法については詳しく聞くとして、だ。状況を整理しようぜ。お前も知っていることを口に出してみる事で思考の整理に役に立つはずだ』


「……ふむ。何を話せばいい?最もわしの知ることなどあまりにも少ない。城内から出たことだって数えるほどしか無いのだから」


『構わねーよ。それでも俺よりかは物を知っているはずだ。時間がねえんだ。しかも後がない。一手損すれば、その時点で詰みになるような切羽詰まった場面だ。けれど、まだ詰んじゃいねぇ。まだ巻き返せる。そのために一番大切なのは情報だ。正しい事実を知らなければ、どんな名君の判断だって状況をひっくり返すには足りねぇからな。最初にやるべきことは、状態把握と状況把握。こちら側の状態と、相対するべき状況を把握するんだ。ガキ、まずはお前ができることを言え』


 部屋の片付けは未だ途上だったが、ある程度の目処は付いている。話をするのに丁度いい机に座り、ナタリアは長話に備えた。木製の机もあの暴虐を免れたわけではなく、元々四本あった足が、一本が中折れして三脚机にとなり、無数の傷や凹みも相まって、変わり果てた姿を晒していた。

 けれど机としての根本の機能に支障はない。

 壊れていてもまだ使える。

 壊れていてもまだ立ち向かえる。

 まだ、まだ――

 

「わしにできること……か」


『いきなり言ってもすぐには思いつかねーか。しゃーねーから自己紹介がてら見本を見せてやんよ。ご覧のとおりだが、俺はどうやらこの世界の住人からは、見えず触れられず、聞こえない”居ない”存在らしい。お前という例外を除いてな。だから偵察とか盗み聞きならば、俺の右出るものは居ない、と思う。出身地はこことは違う別の世界だ。理解できなくとも問題はないが、まあ知識の源泉が他の時空においてあるとだけ知っておいてくれれば問題はない』


「……悪魔の住む国というやつなのかの?」


『さてね。まぁこの世界と比べて生活水準が上の世界なことは確かだ。俺が実体を持たずに力を振るえない以上、俺からの干渉は全てお前に対する囁きという形で成されることになる。基本的にはアドバイスや知識を授けていく方針だ。何か質問はあるか?』


 質問を求めておきながら、ナタリアの質問ははぐらかされたばかりだ。浮かんだ疑問は数多かったが、ナタリアも言葉を素直に額面通りに受け取ろうとは思わなかった。


「いや、今は大丈夫じゃ。ありがとう。できること、じゃったな。わしは大賢者様に師事して半年しか経っておらん。まだまだ魔術師としては未熟じゃがいくつかの魔術は使用可能じゃ。日属性に夜属性、空属性の初級魔術をいくつか、の。あとは、院でさんざんやっていたから子供の世話が得意じゃな。写本していたから、字も読める」


『ほうほう。ガキがガキの子守ねぇ。――まあそれはいいや。魔術について参考までにどんなことが出来るんだ?』


「空属性は<加速>と<風弾>しかまだ使えぬ。夜と日は基本的なものは抑えた上で、<暗視>と<沈黙>。暗闇を見通す魔術と、音を逃がさない魔術じゃ。あとは見よう見まねじゃが<転写>も使える範囲に入れても良いかの」


『……見よう見まねで成功するかもわからん術を俺にぶっ込んだのか?』


「実体が無いから危険はないと思ったのじゃ。気を悪くしたのなら謝る」


 ”声”も本気で怒っている訳ではないらしく、思いの外あっさりと話題を切り替えた。


『ま、いいさ。煮るなり焼くなり好きにしろ。俺の進言や助言がいくら正しくてもお前が話を聞いてくれなければ全く意味を成さない。俺はお前の意思に従う。もちろん、諫言くらいはさせてもらうけどな?』


「……なんだか、随分印象が変わったのぅ、お主。具体的には粗暴な口ぶりが改善された。……ぁりがとう」


 面と向かって言うのも気恥ずかしくて、そっぽを向きながらナタリアは消え入るような小声で最後にこっそり付け足した。”声”に聞こえていたか聞こえていないのか。あるいは気が付かないフリをしてくれたのかもしれない。


『口調といえば、お前も人のことは言えねーだろう?なんだその似合わない喋りは?』


「これは……師父様の跡を継ぐ者として、決意を忘れたりしないように。何か残しておきたかったから。……唯一の形見だった遺言状は読む前に盗られちゃったし。止めたほうが……いいの、かな?」


『いや、どうだろうな。止めたいなら止めればいいし、やりたいなら続ければいい。無理をしない範囲でなら、少々似合わない仮面でも続けていく内に馴染んでくるだろうさ』


「ありが、とう」


 ――今度は言えた。ちゃんと言えた。

 気を取り直して、ナタリアは頬を淡く染めながら言葉を続けた。


「うむ。例え表面をなぞるだけの模倣に過ぎなくても、懐かしいものは懐かしいのじゃ」


『ハッ。好きにしろや』


 鼻で笑うような乱暴な口調だったが、ナタリアはその中に確かな暖かさも感じていた。この暖かさの中に一昨日までの自分がいたのだと思うと、少しだけ嫉妬のような後悔のようなよく分からない感情が込みあげた。


「まあ、魔術に関してはその程度じゃな。一応識字は必死にやったから読み書きに不自由しないくらいには出来る。古代語解読はまだまだじゃがな」


『おっけ。これは先に聞いておくかぁ。答え如何によって方針を変えなきゃなんねーし。特許やライセンスを管理している部署はあるか?あるいは各種権利を管理する団体は?』


「うん?すまぬ。もう少しわかりやすく頼む」


 突然出てきた見知らぬ単語の羅列にナタリアは戸惑った。”声”の悪魔の賢さというか、別格さを改めて思い知った気がする。


『例えば新しい機械とか工具とか、農法とか。何かを思いついたとする。で、その知識は金を生む。つまり金の卵を産む鶏そのものを売買に使えるか?』


「発明の取引か……。あまりそういったものは聞かんなぁ。わしが不勉強なだけかもしれんが。じゃが、そもそもその知識を独占しても、どこかで秘密は漏れて情報の価値がなくなるのではないか?欠陥だらけに思えるぞ」


『だからこそ国家なりなんなり力を持った所がわざわざ保護してるんだよ。どんな凄いことを苦労の末に発明したとしても、ただコピーされてなんの見返りも上げられないんじゃ、発明する人間のモチベーションを保つことさえできやしない。先細りしていくばかりになる。金を出して守ると言えば有用な情報を収集することも出来るからな』


「しかし、一つの国が情報を買い取ったとしても、他の国までそれを律儀に守る道理もあるまい」


『だからこそ超国家的な枠組みがある……いや、もしかしてこの世界にそんなものは無いのか?そもそもどんな国があるかもよく知らんが』


「帝国、王国。あとは商人の国と南洋国家があるの。国力だけを見れば、帝国と王国以外はあってないようなものじゃが」


 ナタリアの暮らす帝国は、黄昏の巨人と呼ばれていた。かつて覇権国家として全土を席巻し、数多くの植民地を有していた帝国だが、ここ十年ばかり毎年のように相次ぐ反乱が国家の財政に大きな打撃を与えていた。自然に国力は低下し、入れ替わるように台頭してきたのが旭日の餓狼と呼ばれる王国である。教育制度の抜本的な改善と軍政改革を成し遂げ、富国強兵に努めた結果、帝国に次ぐ国家として名を知られ始めている。

 今の時点では帝国との国力差は歴然だが、衰え続け祖先の財産を食いつぶすだけの帝国と、新たな人材を広く求め亜人さえも国民として組み込み成長を続ける王国では、将来性に大きすぎる明暗があった。


「帝国で新技術を保護しても、どうせ王国に盗まれるだけじゃ。常に王国を敵国として認識してる軍部ならば、どうかわからんがの」


『軍事技術なら売り込み可、ね。一応候補に入れておこう』


「いや、言ったばかりで申し訳ないが軍には余り近づきたくない。師父様の言いつけでな」


『ほぅ。理由を聞かせてもらっても?』


「わしも分からんのじゃ。師父様が戦争と軍を嫌っているのは感じ取れたが、どうもそれだけではないようでのぅ」


『へぇ……。なるほどな。――ところで話は変わるが、お前はどうして大賢者の弟子になれたんだ?聞く限りじゃあ、大賢者ってのは世界最高の魔術師だったんだろう?お前の出身が孤児院だってのも聞いた。血のつながりもない赤の他人のお前をわざわざ引き取ったんだから、相応の理由があると思うがな』


「才能、じゃよ。師父様の言うにはわしには魔術の才があるらしい。世界で一人、四大属性全種類に対する適性がわしにはあるのじゃ。尤も、師父様が地属性を使えなかったから、そこはまだ教えてもらっていないからわしも使えないんじゃが」


『ふーん』


「……自分から聞いたのに、驚かんのじゃな。別に不満に思っているわけではないが、少し寂しいぞ」


 経験を積み上げて自信にできる老練者と違って、若者は才能をプライドにして自信を塗り固めていくしか無い。まだ子供のナタリアにもその傾向はあった。師父への親愛と尊敬の念で誤魔化してはいるが、彼女は常に不安だった。

 果たして自分がなどが、偉大な大賢者の弟子で良いのか。

 吐いた大言に見合うだけの力を本当に自分は持っているのか。


 せめて何か一つでもいいから成し遂げたことがあれば、まだましだったろうに。

 孤児院時代の根拠のない自信は、既に帝都にきて広い世界を知ったことで粉々に砕かれている。

 幼すぎる少女には、酷な経験だっただろう。


『だって属性ってあれだろ?なんか魔法の性質みたいな。何だぁ?もしかして一人の人間には一属性までしか扱えないとか決められてるのか?』


「それくらいは知っておったのか。まさしく、その通りじゃ。一人につき属性は一つまで。普通は母親の属性適性と同じものになる。一度決まってしまった属性は後天的に変化しないから、人の一生に大きな影響を与えるのじゃ」


 魔力が満遍なく世界全体に満ちているせいで、この世界の住人は例外なく身体に魔力を持つことになる。原則として一人一属性の魔力を身体に宿す。

 それぞれ反発しあう複数の属性に適性を持つということは、自らの肉体の中に仲の悪い竜虎を飼うようなものだ。あまりに不安定で、あまりに不自然な形態である。だからこそ、不安定を不安定のままに安定させるという離れ業をやってのけた二重属性魔術師はありえない程に貴重なのだ。

 ――寿命という生命共通の絶対の軛を引きちぎるくらいには。


「根源に到達したと言われる師父様は有史以来初めての三属性適性持ちじゃ。わしはそれに地属性一つ加えて全属性。わしがたった一つ師父様に勝る部分じゃよ」


 それがナタリアの誇りだった。彼女自身それがどれほど凄いかということにはあまり頓着していない。ただ、師父が認めてくれた自分の価値はそこだけだと思い込んでいるのだ。


『ま、凄いってのは知ってた。なんせ異世界から俺を呼んでしまうくらいだから、まあ何かしらの特異点であることぐらいは予想済みだ。しかし、となると……軍に魔術師はいるのか?秘密裏に非人道的な人体実験をしているようなマッドサイエンティストはいるか?』


「魔術師団の事か?それは帝国にも王国にもおるらしいの。あと、マッドさいえんてぃすと、とやらは分からんが、秘密裏にやっておる実験ならばわしが知っているはずないじゃろ。部外者が知らないからこそ秘密なのじゃろうに」


『そりゃそーだ。いやなに、忘れてくれ』


 ”声”は口を閉ざした。あからさまな誤魔化しだったが、ナタリアも軍に関わるなという師父の言いつけを覚えているので、あえて踏み込もうとはしない。

 沈黙が場を覆ったが、”声”は”声”で、脳内で計算を繰り返し、取るべき最善手を模索していた。

 微妙な沈黙に耐えかねて、ナタリアが明るい声を出して空気を変えた。


「ああ、そういえば魔術師ギルドでは、個人の開発した新術式の報奨金制度があったのぉ。魔術師が術式を公開したがらないから生まれた苦肉の策らしいが、なかなかの額が出るそうじゃ。これも技術、情報の売買に当たるのではないか?」


『……いいことを聞いた。プランBに加えておくか』






 ”声”が黙りこんでしまったので、ナタリアは喉を潤す白湯を用意することにした。

 喋り続けて喉が渇いていたのだ。

 といっても、城勤めの奴隷にわざわざ用意してもらうまでもない。ナタリアには魔術がある。日属性の<発火>があれば少量の水を沸騰させることなど造作もない。

 共同井戸から水を汲んで、室内に戻ってからはたと気づいて、ナタリアの動作は停止した。いつも(かまど)代わりに使っていた三脚と酒精のセットが無くなっていたのだ。

 当たり前だ。全て奪われたのだから、財産と呼べるようなものは殆ど残っていない。

 それは高価な実験器具から日用品に至るまでの、生活に根ざしたあらゆるものが消えたということ。

 これではいくら魔術があった所で、湯の一杯を沸かすことさえも難しい。物体の加工変形に特化した地属性魔術ならば、調理器具を自作することも出来るかもしれない。しかし、今のナタリアには無理だ。

 ”声”に励まされるまで、悲しみと失意に苛まされていたナタリアは、ここで現実的でより深刻な悩みに直面する。

 これからどうやって暮らしていけばいいのだろう?

 既にこの研究室からの退去は命じられている。命令を覆すことは困難。持ち出せる私財などあるはずもなく、身一つで城から放り出されるようなものだ。


「……ははは。ダメダメじゃな。師父様の名誉を輝かせるなど、大言壮語が過ぎたのじゃろうか」


 満杯の水が湛えられた桶から寂しげな水音が響く。今まで軽々と運んでいたはずの水桶の重さが急に増したように感じられた。


『――慰めてやりてーとこだが、あいにく時間がない。考えと方針を纏めたから聞け』


 自分一人だと思い込んでいた所に突然”声”が割り込んできてナタリアは大いに驚いた。

 姿も臭いも息遣いも気配も、何もかもが感じ取れない相手だから、唯一の接点の”声”が聞こえなくなれば存在を感じれなくなるのは早い。彼のことを忘れたと言うよりも意識の外に出てしまっていて、ついつい弱気を漏らしてしまったのだ。


「なっ……なっ……!」


『あんまり声を大きくするなよ?何処で誰が聞き耳をたてているやら知れたもんじゃねーからな。一応この部屋の周りが無人なことは確かめておいたが、魔法なんかで盗聴される可能性までは俺も分からん。万全は無いと思え』


「……夜属性か空属性の術者ならば、そういった術も使える。ただ、屋内に限定すれば夜属性の術者に限定されるじゃろう。窓はしまっておるから声を潜めれば、おそらく大丈夫じゃ」


 風を操るということは、空気によって運ばれるものも間接的にコントロールできるということに他ならない。空属性<聞き耳>の集音魔術はその性質上、密閉空間の音声を拾うことは難しい。

 知覚情報の扱いに長ける夜属性ならば、単純に術者の聴覚を強化することで、可聴域や集音範囲を拡大できる。

 ただし強化にも限度がある。自身も夜属性に優れるナタリアだからこそ、<超感覚>の限界や作用なども実体験で理解できていた。


『そうか、なら本題に戻るか。まずやるべきことだ。仲間を探す。協力者と言い換えてもいい。俺は実体のない存在でガキのために汗かく事すらできやしねぇ。考える頭があっても動かす手足がなければ、人は何もできん。もっとも、仮に俺にちゃんとした肉体があったとしても最初の方針は変わらなかった。人一人できることには限界がある。数というのは最も原始的にして最強の力だ。完全なる一を目指すよりも、不完全な百を集めたほうが余程簡単に力を手にできる』


 初めは絶対的な神の御力の片鱗を預かった天使を降臨させようと思っていた。

 不相応にも絶対的な救済こそを望んでいた。

 そして現れた異世界の悪魔。特異点ともいえるほどの異常性を持ちながら、彼はその究極性を自ら否定する。群れなければ何もできない無力な草食動物のような弱気こそが世界の真理だと騙ってみせる。


『ガキ、お前に誰か助けてくれそうな奴は居るか?あるいは仲のいいやつ。どんな状況になっても味方になってくれるような』


 居るはずがなかった。ナタリアにとっては、その評価に値するのは今は亡き師父だけであり、誰も居なかった空白があればこそ、”声”の宣言があれほど心地よく心に響いたのだから。

 孤児院時代の知り合いは今は遠い。助けられるほどの距離に居ない。届かないくらいに遠いのならば、今のナタリアにとって居ないも同じだ。


 無意識に拳を握りしめた。手の平に爪が食い込んで微かな痛みが生じる。

 もう一方の手に握られた水桶の取っ手が、無意識化で行使される地属性の力で硬度が変化、力に耐えかねて変形する。


「……もしそんな都合の良い存在がいれば、こんな状況にはなっていなかったかもしれんの」


 脳裏をよぎったのは、頼もしかった衛兵長の妥協の姿。あれほど明確に裏切られたことはなく、だからこそ刻まれた絶望の谷も深く険しかった。

 世界全てが敵だなんて、そんな大げさな話ではない。ナタリアの事情を知れば、同情してくれる人は少なからずいるだろうし、中には手助けしてくる人もいるかもしれない。けれど、今手の届く範囲には居ない。必要なときに必要な援助が期待できない。深刻な受給のバランス崩壊。

 助けてくれない神ならば、いないも同然。

 遠くで憐れむばかりで助けてくれない人など、いないも同然。

 悲劇を知らず安穏と暮らす正義感溢れる優しい人など、いないも同然。

 

 少なくともナタリアの目の届く範囲の仲間といえる存在は”声”以外にいないも同然だった。


『ガキの味方は皆無。奪われた財産数知れず。敵は強大、頼りになるのは拙い魔術だけ。力の不足は知恵と勇気で補え、ってことか』


「……」


 嘲るような言葉にも反論はできなかった。味方など存在しないと、世界を見限っているのがナタリア自身なのだから、そもそも反駁することは許されない。


『仲間がいないなら、作ればいい。なぁに、孤島の鬼を退治した桃の英雄だって、最初は仲間集めから始めたんだ。決して間違った方向には向かわないはずだぜ?』


 ナタリアには世界にまだ味方がいるなんて信じられなかった。


「仲間……」


『宛はある。目論見が外れたとしても、別を当たればいいだけ。うまく行けば城を追い出されなくても済むかもしんねーぞ』



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