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師父慕う少女、果てに至る物語  作者: 犬山
喪失と奮起
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04年災月殃の襲撃(下)


『おい!起きろ!今起きないと後悔するぞッ!ヤバイことになってる……』


 頭蓋の内側で跳ねまわるような不思議な声でナタリアは目が覚めた。

 開けっ放しの窓、乱れたままのシーツ。

 窓の外は未だ真っ暗で、星も見えないほどの曇り空が淀んでいる。

 ああ、そのまま眠ってしまったのか、と意識が現実に追いついた瞬間、ナタリアは寝る前の出来事を全て克明に思い出してしまった。


「師父様……。夢、じゃなかったんだよね」


 大賢者の体調不良は昨日今日始まったことではなかった。何時かは来る別れだと認識していたが、ナタリアにとってもファーレーンにとっても早すぎる別れだった。


 起き抜けで感傷に浸りかけていたナタリアは、ふと”声”のことを思い出した。師父の病没も大事件だが、異次元の生命体である彼のことも開闢以来の大事件には違いない。

 辺りを見渡せば、仕切り布の向こうを頻りに気にする様子の”声”がぼんやり見つかった。


「ん?」


 おかしい。

 と、ナタリアは違和感の存在に気づいた。

 外は真っ暗闇といっても差し支えないぬばたまの夜空。なのにどうして室内はこれほど明るいのか。

 すぐ近く、薄い布を隔てた向こう側――大賢者の研究室から大勢の人間が立ち動く物音が聞こえていた。

 そこでは<発光>魔術による明かりが何個も動きまわり、声を潜めた幾人もの怪しい人間が研究室を物色している。


 侵入者。


 すぐには見ているものを理解できなかった。

 ここは帝国の中心の帝都の、そのまた中枢である帝城。けちな盗賊が軽々しく侵入できるものではないし、大賢者の研究室ともなれば常に衛兵の一人二人は付けられている重要警戒区域。賊に狙われる可能性はあっても、実際に凶事に見舞われる可能性は低い安全地帯であるはずなのだ。

 それに万が一凄腕の盗賊が侵入を成し得たとして、この気配の多さは何事であろうか。具体的な数までは把握できていないが、一人二人の気配ではない。十人以上、いや二、三十人はいそうな感じだ。

 あり得ないことが起こっている、とナタリアの脳はうるさく警鐘を鳴らしていた。


『やっと起きたか。事態は理解できているか?どうも連中、ただの盗賊じゃあないらしい。チラとしか確認していないが、連中の中にさっきジジイの死体を運んでいた奴が混じっていた。騎士も何人か混じってる。ヤバイ匂いしかしねー……』


 ナタリアより先に状況を認識していたらしい”声”が情報をもたらしてくれた。

 聞く限りでは、医務室での出来事とこの凶事は連続した物と捉えても良さそうである。

 つくづく、厄日だ。


「……止めなきゃ。私一人でもやらなくちゃ。師父様の遺産が荒らされるのを弟子として見過ごす訳にはいかない」


 ナタリアは拳を作り、固く握りしめた。喪失感という心にぽっかりと開いた空隙に、静かな怒りの炎がチロリと灯る。

 「誰か助けて」

 そんな意味のない叫びは封じ込める。誰か(・・)なんて、そんな曖昧なものが救ってくれるはずがない。具体性のない願いなんて、願うだけ祈りの無駄だ。思うだけで叶うならば、世の人々は例外なく幸福になっているだろうに。

 

 怒りを秘めた強い意志が、恐怖に負けそうになる身体を突き動かす。

 感情の高波に呼応するように魔力の流れが乱れ、ナタリアを中心に螺旋の渦を巻く。

 憤怒を心に宿しながらも心の何処かは冷静で、ナタリアは精密な術式を構築し、正しく魔術を完成させる。

 

 ――相手はこちらにまだ気づいていないが、いかんせん数が多い。初撃の奇襲でどれだけ削れるか。

 

 ナタリアは最高の魔術師である大賢者の唯一の弟子である。

 しかし師の薫陶を受けた期間は半年にも満たず、齢も十に満たない幼女だ。

 戦闘訓練など数えるほどしかやったことがなく、それも魔術を利用した護身術入門レベルのものでしか無い。

 術師に有利な距離を貰ってようやく、平均的な帝国兵士と一対一で辛勝するぐらいのぎりぎりの実力。単独で武装集団を駆逐できるかどうかは、賭けに近いものがあった。


 ナタリアは<暗視><超感覚><加速>の強化術式で身体能力の底上げを図り、物陰に隠れて深呼吸をする。柔らな夜闇は今だけは彼女の味方だった。闇は己を害する光源持つ人々を除去する後押しをするように、ナタリアの潜伏を許している。


 そして――呼吸を止める。

 僅かなブレも許されない、狙撃を敢行。

 暗闇の中でもはっきりと分かる<発光>魔術の明かりを灯す術者四人に向かって<風弾>を発射する。

 今のナタリアが実践レベルで使用出来る唯一の攻撃魔術。

 威力の細かな調整が容易なために、空属性の魔術師の基本魔術とされているものでもある。

 紡錘状の空気の塊が弾丸のように一直線に飛び出してゆく。ほぼ同時に放たれた四発の弾丸は、一発を除き捕捉した標的に過たず命中した。


「うわっ!」


 打ち竦められた術者たちは撃たれた箇所を庇いながら、もんどり打った。当然、暗闇の光源が同時に三つも消えて強盗連中は慌てる。


「だ、誰だ!何かあったのか!?」「おい、見えねーだろうが!!」


 悲鳴と怒号が闇の中を飛び交った。

 無色透明の空気を弾丸のように射出する<風弾>は基本的に不可視の攻撃であり、暗中で小さな明かりに頼って活動するなかで回避出来るものではない。撃たれた三人は攻撃されたことも気づかず、いきなり手足に激痛が走ったように感じただろう。

 集団の全てが暴力には慣れていても、実戦経験の少ない有象無象だったならば、このままナタリアの奇襲は成功していたかもしれない。しかし強盗の中には、ある程度場数を積んだ騎士たちが混じっていた。

 そも、たった一人で覆せる戦力差ではなかった。


「狼狽えるな!とにかく静まれ。これは敵襲だ。撃退するまで作業は一時中断、お前らは背中合わせに固まれ、俺たちで外側を守ってやる」


 彼らの動揺はあまり長続きせず、<暗視>を使える者を筆頭に徐々に防御陣形が組み上がっていく。

 ナタリアは小さい体の利点を活かすために更に体を縮こまらせながら、次弾の準備を完了させる。

 すでにこちらの存在は連中に露見している。

 じっくり狙いをつける時間の猶予はなかった。構えたまま、躊躇なく魔弾を発射。

 放たれた<風弾>が誰かが持っていたガラス製のフラスコを砕き散らす。

 破裂音が夜の静寂を破り、騎士たちの物々しさが一層増した。


「ふん、そこか」


 冷厳たる声。

 ナタリアが「外した」と焦る暇も無かった。

 たった一つの<発光>の明かりだけが頼りの薄闇。

 ナタリアの視界にはいらない研究室の入口付近に立っていた男が腕を一振りした。

 

 王の命令に従う兵卒のように、風の流れが不自然に変形し、攻撃のための形に編み込まれていく。

 生じた空属性魔術の効果で空気が鉄壁のように立ち上がり、隠れ潜んでいたナタリアのいる場所を含む広範囲に押し寄せた。

 点と面。

 視界の悪い暗闇でどちらがより有効打になりうるか。

 姿の見えない相手に対する選択としては上々で、未熟なナタリアとは場数が違いすぎた。

 <風弾>と同じく、<風槌>の空気の壁は不可視であり、五感を強化したナタリアでも見切ることができない。

 壁が押し寄せる。

 圧力そのものが、人に荒々しく牙を剥く。

 鉄槌の如き一撃でナタリアの軽い体は数メートルも撥ね飛ばされる。

 真横からはっ倒されるその激しい勢いは、高所からの自由落下に相当する大打撃である。


「うぐぇっ」


 潰れたカエルのような悲鳴を上げたナタリアは自室の寝台まで吹き飛ばされる。

 冗談のような飛距離。

 軽い体重、未熟な身体。不幸中の幸いで、ナタリアの身体は落下地点の布団で運良く受け止められた。もし固い床や壁に衝突していれば、骨格の未成熟な子供の体は容赦なく破壊されていただろう。本当に不幸中の幸いだった。


『大丈夫か!しっかりしろ!』


 ”声”は焦った叫びを上げるが、それに応える元気はナタリアには残されていなかった。

 <風槌>による反撃をきっかけにして、勇気を取り戻した武装集団。

 <発光>の明かりが次々に復活し、剣を抜いた騎士たちが隊伍を組んでナタリアの私室まで押し入ってきた。


「こんな隠し部屋があったのか、気づかなかったな」「馬鹿、無駄口たたくな。敵がまだ居るかもしれないんだぞ」


 今度は油断なく魔術によって防壁まで展開しながら、寝台に横たわるナタリアの場所までゆっくりと騎士たちが迫ってくる。


『不味いって!起きろ!早く逃げろ!』


 ”声”の悲鳴のような叫びはナタリア以外には聞こえず、肝心のナタリアも受けたダメージが深刻で動く事ができない。

 闇の中で一歩一歩、彼我の距離は縮まっていく。

 ナタリアを守っていたはずの夜闇は、もはや力尽きたかのような弱々しい抵抗を見せる。

 切り裂かれていく黒。切り裂いていく白。

 

 ナタリアは動けない。いや、そもそも意識さえ朦朧としていた。

 そして遂に眩しい光がナタリアの小さな全身を照らしだす。


「子供……?」「だから油断すんなって!魔術師だったらタッパのでかさなんて関係ないんだぞ」


 微動だにしないナタリアの生死を確かめるべく、彼らの一人が剣の先で少女のふとももを突く。やわい皮膚は容易く破けて、闇の中に鉄臭い鮮血が散華する。

 残酷なほどに効率的な確認手段に、ナタリアの体は反射的に反応し、痛みのあまりにうめき声までも漏れてしまう。


「おわっ、生きているな。何か縛るものはないか」


 また別の一人が、携帯していた拘束具を手早く取り出しナタリアの手足を拘束して寝台の足に縛り付けた。

 足枷に手縄。子供に対する手加減の欠片もないきつい縛りで、半日も放置されれば血が通わなくなることは必至であった。

 おまけに浅い傷とはいえ、腿の裂傷は開いたままである。小さい体には血液の量も少ない。適切な処置をせず、このまま拘束され続けていれば命の危険があった。


「隊長。目標の無力化および拘束を完了しました」


 騎士たちは略式の敬礼をしつつ、後ろに控えていた隊長に伝達する。


「よし、本来の任務に戻れ。……っと、これはこれは。見た顔だと思えば。大賢者の弟子、というわけか。この部屋……どうやら大賢者ともども研究室に寝泊まりしていたようだな」


 騎士たちの指揮官、隊長であるゼディアールヴ男爵は、興味深そうにナタリアの部屋を観察していた。片手で部下の騎士に家探しを続行するように命じつつ、捕獲した獲物を検分するかのようにナタリアの元へ歩み寄ってきた。


「あなた……」


 強制的な持続する痛みで意識は取り戻せた。

 口だけはなんとか動かせるようになったナタリアは、敵の正体を知る。

 暗闇で侵入者たちが遺言状と大賢者の亡骸を奪っていった集団と同一のものだと悟り、唇を噛み締めた。

 予想通りだったと強がるべきか、この絶体絶命の状況を嘆くべきか。

 悲しすぎる選択肢に、もだえ苦しむ。


「つい一時間前に述べたばかりだと思うが、もう一度繰り返しておこうか。我々は故ファーレーン殿のご遺体を含むすべての遺産を万全の状態で保護する任務を負っている。手荒な真似をして申し訳ないが、そこはお互い様、で収めてくれんかね」


 暴力でもってして他者の身体と財産を損壊させるような悪党が、訳知り顔で道理を説く。

 なんて理不尽。なんて不条理。


 怒りのあまりに、手首足首から伝わるジンとした痺れさえ忘れてナタリアは声を荒げた。


「ゼディアールヴ!!」


「いかにも。あまり暴れてくれるなよ?おいたが過ぎれば、城内の下働きの娘の惨たらしい水死体が明日の朝にでも水堀に浮かんでいるかもしれない」


『ガキ、こいつ本気だぞ』


 ”声”が忠告するまでもなく、本能的に恐怖を覚えたナタリアの体は先ほどの威勢が嘘のように萎縮し、硬直していた。

 灯り、膨らみ始めていた怒りの炎。どこか恐ろしくも頼れるところのあったその炎は、冷水を浴びせられたように小さくなって消えかかっていた。


 闇の中にゼディアールヴの冷たい双眸がきらりと光り、鍛えられ引き締まった長い腕がナタリアの細い首に伸ばされる。

 呼吸が止まったナタリアは魔術で反撃をすることさえ思いつかない。ただ嵐が過ぎ去るのを待つ子供のように小さく震え、固まっていた。

 細長い指がひやりと頬を撫でた。冷たく乾いた感触は金属のそれを思い出させる。生気を吸い取るようなおぞましい感触に、ナタリアの瞳には大粒の涙が知らず浮かんでいた。


「ああ、怖がらせてしまったな」


 ナタリアの柔らかい頬を繰り返し撫でていた指が、いつの間にか浮かんでいた目元の雫をすくい上げる。ただそれだけの動作なのに、ナタリアにとっては「眼球をいつでもえぐり取れる」という脅迫にしか感じられなかった。

 <超感覚>の魔術は五感だけではなく、第六感と呼ばれる直感も強化すると言われている。強化されたナタリアの勘は、ひたすらに逃げろ逃げろと叫び続け、ナタリアの抵抗しようという反骨心を揺さぶり犯し、ぐずぐずに溶かしていた。


「う……ぁ」


 恐怖は言語野を一時的に麻痺させ、意味のある言葉を紡ぐことを妨げていた。


「聞き分けが良いと楽なのだが、ね」


 食膳の別の珍味に気を取られた時のような何気なさで、ナタリアに興味を失ったゼディアールヴ男爵は、立ち上がってもう一度だけ室内を見渡したあと、大賢者の研究室で家探しを続ける部下たちの元へ戻っていった。

 縛られたままではまとまった思考を維持することもできず、ナタリアは暫くの間呆然としていた。大賢者の愛弟子である彼女は障害だとさえ思われていない。度を越えた無関心は、路傍の石ころ以下だと罵倒されているようにナタリアには感ぜられた。

 

 その間も強盗まがいの武装集団による遺産の”保護”は続行され、人目をきにしなくなった彼らは盛大に<発光>魔術を発動して作業の効率化に努めていた。


 ここにナタリアの味方は誰ひとり居なかった。研究室の入り口で見張りをしていたはずの衛兵も見て見ぬふりをしている。助けなど呼ばなくてよかった。無様な姿を見られずに済んだだろうから。


 野盗じみた集団は、各員それぞれこの時のために集められたチームらしく、分業をこなしていた。

 見張るもの。武装するもの。研究成果を運ぶもの。

 危険な魔具が無いか調査する魔術師もいれば、その場でおおよその売値を判断する商人もいた。

 研究室にある全てを売りに出せば、国庫にも匹敵する金額になるかもしれない。

 

 根源に到達した魔術師というのは世界に一人だけで、しかも前例がなかった。彼の成果物を欲しがる人間は世の中に掃いて捨てるほどに居る。正規のルートを通さず、闇の販路を使ったとしても個人では一生使い切れない量の莫大な財産になるだろう。

 欲に駆られた亡者たちは、始めの方こそ物品の価値が下がるのを恐れて慎重に遺産を検めていたのだが、そのうち面倒になってきたのだろう。作業が進むにつれて、その運び方はぞんざいになり、少々欠けたり壊れたりしてしまっても、仲間内で笑って済ませるようになっていった。

 唯一暴発の危険性のある魔具については、依然として慎重な扱いが続けられていた。これは魔具を担当していた魔術師たちの知的レベルが、ならず者のような他の連中より上等だったことも関係していた。もっとも、いくら高等な教育を受けていようが彼らの品性が、どうしようもなく下等で下劣であることまでは、変えることができなかったのだが。

 

 ナタリアが自失している間に研究室は荒らされ、見るも無残な有様になっていた。

 名工の作である価値のある骨董などは言うに及ばず。消耗品である廉価の魔法水や、着火の燃料の酒精さえもが根こそぎ強奪されていた。

 棚をひっくり返し、裏側に隠しているものが無いか。材木のうろに宝物が埋め込まれていないか。彼らはあまりにも貪欲で、暴力的に過ぎた。遊びのように机が叩き切られ、引き出しは叩き壊された。

 耐えられなくて、その光景を拒絶したくて。

 気絶してしまったナタリアの代わりの目にでもなるように、”声”はその惨状を克明に記憶し、しっかりと見続けていた。


 そしてならず者の魔手は少女の寝所まで忍び寄る。

 侵入した当初は一種の規律らしきものがあった武装集団だったが、割れ物などが破壊されていくにつれ、熱狂した場の空気に流されるように興奮していき、彼らはますます傍若無人になっていた。

 指揮官のゼディアールヴ男爵を含む少数の帯剣騎士は依然として警戒を解かず冷静さを保っていたが、欲に駆られた荷運び担当の人間は止める人間が居ないものだから思うがままに振舞っていた。


「おー。こいつが魔術師のガキか、なんだ随分ちっさくて弱そうじゃないか」


 汚らしい身なりの男が二人、ナタリアの縛り付けられている寝台に歩み寄ってきた。


「だから見かけで判断すんな、って言われただろうが。つか、そもそもサボんなよ」


「胸が無いから分からなかったが、女だったのか。あ、サボりじゃないって。最初は気付かなかったくらい巧妙に隠された隠し部屋だぜ?なーんか臭うんだよね」


 わざとらしく犬のように鼻を嗅ぐ物真似をしてみる盗賊崩れの男。呆れたように相方は嘆息した。


「どう見てもただのきたねえメスガキの部屋だろうが。やめとけやめとけ。隅っこのほうに蛇の抜け殻とか訳の分からん石ころとか集めてたりすんぞ?」


「ばっか。割と可愛いぞ、この娘。お前のところのじゃりんこと一緒にすんな」


「お前は女に幻想持ちすぎなんだよ。ほら、行くぞ。嵩張る物は粗方運び終えたとはいえ、まだまだ仕事はある。騎士の旦那方に斬り殺されてーのか?」


「まてまて。見かけで判断するな、と言ったのはお前だろう。こんなかわいらしい女の子の部屋にだって、大賢者の遺産っつーもんが隠されてるかもしんねえぞ?ここを見逃した過失を問われて斬られる方が勘弁だぜ」


「……妙なところで頭いいよな、お前って」


「褒めてんのか、貶してんのかわかんねー。後者だったらぶん殴る」


「前者だ、ボケ」


「やっぱ、馬鹿にしてんじゃねーか!」


「違ぇ……」


「冗談だって!それより、時間がないのは確かなんだから、さっさと進めねーと」


 ならず者としては生真面目すぎる相棒を説き伏せた男は、大義名分を掲げてナタリアの部屋を物色し始めた。

 狭い部屋だ。棚も無く、探せる場所はそう多くない。

 あっという間に捜索は徒労に終わった。


「畜生、やっぱり何もねーじゃねえか!」


 価値のある代物を何一つ発見できなかった男は、苛立ちをぶつけるように、窓際の花瓶を叩き割った。

 身勝手すぎる怒りを黙って受け止めた夜行花の花瓶は砕け割れて床に落下し、さらに粉々に砕けた。中に入っていた薄い魔力水が石床に無情にも広がってゆく。

 無色透明の液体は、表面張力と重力の微妙な均等に従って薄く引き延ばされていく。

 

 薄まり、広がり、伸びる。

 伸び続ける円の端は、ナタリアの腿からぽたぽたと滴り落ちる紅い液体に触れて一瞬のうちに交じり合い、薄紅色の液体に変わった。

 なおも伸張する液体が拘束されているナタリアの肌に触れた時、そのひやりとした感触に少女は目を覚ました。


「う、っぁぇ……」


 夜行花の魔力水のわずかな鎮痛作用が意識の覚醒を促したのだろうか。

 ビクリと全身を震わせた後、薄っすらと目を開く。

 ゆっくりとだが状況を理解し、消えかけていた怯えが不死の怪物のように墓穴から蘇る。

 夢ではない。悪夢のような出来事だが、現実だ。

 

 捜索が空振りになって気が立っている二人の侵入者が、ナタリアの部屋で暴れていた。 彼らを止めたかった。怒鳴りつけたかった。追い払いたかった。

 けれどどれほど怒りを心に灯そうとしても、その気持ちとは裏腹に散々に叩き伸ばされた精神が、ナタリアの抵抗心を萎えさせてしまうのだ。


「ん、意識があるのか?」


 花瓶を叩き割った男はナタリアが目覚めていることに気付き、口端を釣り上げた。彼の歪んだ表情には猛る獣欲が隠しきれず滲み出ていた。


「ほらほら、なんか隠してるものは無いカナ~?」


 ナタリアの縛り付けられている寝台のシーツに、手に持った半月状の武器――シャムシールをトントン叩きつけながら、強面に似合わない猫なで声を出す男。

 だんだんと距離を狭めてくる鋼の刃先。

 逃げ出したくて、走り出したくても、両足首をつなぎ止める足枷と、寝台にナタリアを手首ごとを固定する縄があらゆる反抗を許さない。

 心折られたナタリアは動けない。

 凶刃が迫り、そして――


『GluuAaaaaaaaaaaaaaaa!!くそがくそがくそがくそがッッ!!なんなんだこのくそったれな理不尽は、いい加減にしやがれえぇぇええ!!』


 声なき”声”の咆哮が空間を震わせた。根本的に異物であるがゆえに、この世界の住人に絶対に聞こえるはずのない叫びは、ナタリア以外の誰に聞こえることもない。


『あああ゛ガァァァァッッッ!』


 恐怖に唇を縫い付けられて、声一つ出せなかったナタリアの憤りを代弁するかのような”声”の叫び。

 あるいはその叫びに込められた思いの強さが、奇跡を呼んだのだろうか。

 本来絶対に世界に干渉することができないはずの異分子の叫びは、俗にいうポルターガイスト現象となって変換された。

 

 盗賊崩れの二人の男たちには”声”は聞こえない。しかし、突然何もしていないのに部屋全体が小さく震えだし、まるで土砂降りの雨が屋根を叩くようなドォードォーと轟く音が狭い室内に木霊し始めたのだ。天変地異を極小の空間内に圧縮したかのような怪異に彼らは狼狽した。

 脅していたナタリアの事など一瞬にして忘れてしまい、何かに逆らうように金切り声で叫ぶばかり。”声”の魂のこもった叫びと違い、ただ精神の安定を得ようとする代償行為に過ぎないそれが状況を打開することなどあり得なかった。


「な、何なんだ一体!?」


「魔法か!いや、魔力は感じない、どういうことだ!?」


 恐慌に陥った男たちが闇雲に武器を振り回しかけた時、研究室からやってきた彼らの仲間があっさりと場の空気を打ち破った。


「お前らー。撤収だ。いつまでも遊んでんなよ?分前減らされてもいいってんなら話は別だがな」


 場違いに陽気な声が二人の耳に届いた瞬間、超常現象は嘘のように収まっていた。

 狐に化かされたような面持ちの二人だったが、触らぬ神に祟りなしとナタリアを放り出してすたこら退散していった。

 結果的に”声”がナタリアを守るために敵を追い払った形になる。

 疲れきってしまったナタリアと”声”は更けゆく夜の闇の中で、ただ乱暴な嵐が過ぎ去るまで眺めていることしかできなかった。

 徹頭徹尾、身勝手に振舞った武装集団は、大賢者の遺体と研究室にあった遺産を奪い尽くし、欠片も残さずに撤退していった。遺産の全てにナタリアが所有権相続されていたわけではないが、あまりにも無残な結果だった。


『本当に。どこもかしこもくそったれな世界だぜ……』


 夜光花を生けていた花瓶の破片から滴る水音だけが耳の痛くなるような静けさを和らげる唯一の物だった。

 少女が祖父の快癒を祈り飾っていた癒しの花は、込められたその思いを成就すること無く、たったこれっぽっちの役割を果たすことしかできなかった。


 ぽたり、ぽたり、ぽたり、ぽたり――


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