37騎士と従士
紅雀隊を動員した。
上十二衛の序列最下位の小隊だ。
隊長は地方出身であり、女性のヘイルダム・ダールクヴィスト。
比類無き功績を上げて、エルノーイルの片田舎から帝都の騎士に出世した有名人である。
炎剣の名前で知られる赤髪の女丈夫は、己の従士を救うために田舎道を走っていた。
ナタリアが連れ去られたことを知ったのはかなり早期の段階だった。
帝都の住人である一人の少年がメッセージを伝えにやってきたのだ。
<転写>によって刻まれたメッセージ。どうとでも解釈できる手紙の文面だったが、道化師についての記述を見つけた時、その文面は全く違った意味に見えてくる仕掛けになっていた。
伝えられた情報は道化師とアンシャリーアによってナタリアが誘拐されたということ。
場所も、相手の目的も、時間も。多くの情報が欠落していて咄嗟に何をすればいいのか途方に暮れてしまった。
助けに行きたい。しかし、場所が分からない。それに道化師と揉めることぐらいは覚悟していても、第二魔術師団という組織と反目するのは避けたかった。
誘拐がかの組織の意向なのか、それとも個人の気まぐれか。
一刻を争う状況では情報の不備はかなり致命的だった。
そしてそういう咄嗟の判断はレヴィの苦手とするところだった。悩むくらいなら、まず動く。そういう決断の早さはあるのだが、その拙速で正解を選べるとは限らない。
うまくいったのは殆ど偶然と直感の働きによるものだった。
焦ったレヴィはとにかく人を集めなければ、と部下を集めた。私的な事情で動かす訳にはいかないから、最低限の人員を集めるわけだが、その緊急動員の中で面白いことがわかった。禁軍の一部の部隊が百人単位で帝都を出払っているという。
予定にない動きだったらしく、その余波で各所が後始末に追われていたのだ。クラックスという将軍補佐官の命令だそうだ。レヴィはそこで聞き捨てならない情報を手にした。
ドラゴン狩り。幻想種の中でも最強と謳われる究極生命の討伐こそがクラックスの目的だという。
不自然、だった。最近竜人の娘と知り合う機会がたまたまあったが、普通そんな珍しいことは滅多に起こらない。ドラゴンは人間と関わることを忌避しているのだ。辺境の村が一つ襲われたらしいが、彼らが好んで人間を襲うわけではない。しかもドラゴンを討伐する?
馬鹿げた話だ。討伐対象がはぐれのレッサードラゴンだったとしても、通常の戦力では太刀打ち出来ない。専用の装備、専用の訓練、ドラゴンを倒すことに特化した部隊を連れて行くのが普通だろう。それすなわち、第二魔術師団。魔獣を狩るための独立行動権を持つ帝国の刃である。
もしかすると――しかし、他に手がかりらしきものはない。ドラゴンに関するうわさ話を集めてみたが、関係ありそうなものは、鉄の竜が帝都に現れたという突拍子もないものだけだった。
レヴィはドラゴンが出たという村を目指すことにした。幸い大勢の軍が動いた痕跡を追うだけだったので、魔獣との遭遇も少なかった。斥候も出さず、最低限の警戒を進行方向に向けていただけだったのに、この結果は幸運という他ない。後ろから高速で動ける魔獣に襲撃を受けていたら、と思うとゾッとする。
すぐに動かせた部下は紅雀隊の約半数、十人。これでも軍事演習の名目で多く引き出せたほうだ。
目的地の村は近い。ナタリアがいなくなってから既に一日が過ぎている。この場所がハズレだった場合、あんまりにもショックが大きい。祈るような気持ちでレヴィは走っていた。
そんな時だった。
「隊長!空に影が!鳥とは異なる飛行物です!こちらに向かってものすごい速さで近づいてきます!」
斥候役の夜の術者が声を裏返らせて叫んだ。部隊には緊張が走る。
飛行型の魔獣かもしれない。空の上からの攻撃に対応するのは非常に難しい。一番安定するのは、空の術式や日の術式の遠隔攻撃で対空砲火の弾幕を形成することだが……。
物陰に遠隔攻撃の出来る部下を隠れさせる。地属性の術者が簡易の防壁を展開、魔獣の襲撃に備える。
飛来する影は誇張ではなく、本当に速かった。
夜の術者以外の人間がその影を視認した時には、既に逃げ隠れできない距離にまで近づかれていた。鳥や魔獣ではない、<飛翔>術式を用いた魔術師だ。
帝国内での無許可飛行は禁止されている。位置的に王国の密偵という線は薄く、普通に考えれば帝国軍の斥候だろう。レヴィたちは彼らの後を無断で追跡していたのだ。敵対していると勘違いされたのかもしれない。
話し合いをしようと白旗を挙げたが、細やかな配慮は全くの無意味だった。
火球が落ちてきた。ギラギラと灼熱に煮えたぎる火炎弾。
「け、警告もなしに!!?」
紅雀隊の兵士から情けない悲鳴があがる。問答無用の先制攻撃、しかも当たればただでは済まない殺傷性の高い攻撃だ。
咄嗟に風の障壁を展開、弾道を逸そうと試みるが、相手が一枚上手だった。
レヴィの干渉した空域に対して、カウンター気味に風の流れを制御。火球の通り道を風の螺旋砲塔で固めてしまい、防壁を刳り貫いてしまったのだ。
強力な空属性の術式。レヴィの反射的な防壁展開に一歩遅れて部下たちが風の障壁を張り巡らせるが、格上相手に通じるかは微妙な所だ。
座視していれば部下たちはもちろん、防壁を失ったレヴィも炎弾の直撃を受けてしまう。
腹をくくって両目を閉ざした。座して死を待つつもりではない。むしろ逆だ。
迫る炎弾。それを直視せず、高温による空気のゆらぎだけで位置を把握。目が焼かれないように固く瞼を閉じながら。
レヴィは腰の宝剣を抜刀すると同時に、向かってくる炎弾を一刀のもと切り裂いた。
実体を持たない熱が空気と一緒に両断されていく。
生じた爆炎は、後方に展開していた風の障壁を使って、誰もいない空間にその破壊力を受け流した。
火の精粉による爆発テロを経験したレヴィは、爆発物に対する対処法を己の中で確立させていた。それはナタリアの<循環盾>の理論を一部借用することで、従来の風の障壁よりも効果的な対処法になっている。試験運用はしていない、ぶっつけ本番だったがうまくいったようだ。
瞬間的とはいえ、人智を超えた速度で振りぬかれた刀身。放射熱と摩擦熱で加熱された宝剣は金属部ではない柄の部分までほのかに熱くなっていた。僅かな水分はみるみる気化して、白い蒸気を吹き上げるさまは、呼吸する生命体のようにも見えた。
宝剣を捨てるように、地面に突き立てたレヴィは声を張り上げた。
「こちらは禁軍上十二衛紅雀隊、ヘイルダム・ダールクヴィストです!こちらに交戦の意思はありません。貴公は”流星”とお見受けしました。どうか矛を収めて頂きたい!」
旋回を終えて、再度爆撃態勢に入ろうとしていた”流星”バーニアは、その呼びかけでようやく耳を貸す気になったようだ。
「はぁ?上十二衛だぁ?嘘言うなや、それって帝都に引きこもってる連中の名前だろ?こんな辺鄙な場所まで出てくるはずないだろ。どこで聞き齧った名前か知らんが、帝国軍の名前を騙る愚かしさ教えてやろうか?あん!?」
二発目の火球が生成されていく。あれは日属性の魔術だ。つまり彼は<飛翔>しながら同時に日属性の魔術をも行使していることになる。特殊な才能を持つ二重属性の魔術師といえば、今レヴィが探し求めていた第二魔術師団の団員にほかならない。
「私は嘘偽りを言っていません。全て真実です」
「俺の魔術を受け流すとは大したもんだ。だが調子に乗るなよ。俺は全然本気を出してねぇ。俺が本気を出せば――」
消えた。いや、消えたと錯覚するほどの超高速でバーニアが飛んだのだ。
レヴィの勘は冴えていた。咄嗟に彼の突撃を予想し、構えた。
突進。しかし、読めていたのに避けられない。
手の平を前に突き出し、風を纏う。彼の速度は目で捉えることは不可能な速度。しかし軌道自体は単純明快な直線運動。
爆炎を尻尾のように伸ばし、高空からダイブする”流星”を徒手空拳で迎え撃つ。
彼は前方の空気の壁を、空属性の術式で破りながら超常の加速を行っている。真正面から空属性の風で彼を止めるというのは一番やってはいけないことだ。先ほど障壁に風穴を開けられた時と同じように、あっさり貫かれるのが関の山だ。
刹那の見切り。魔術など何も関係ない。神経が焼き切れるほどに過剰な反応を示し、脳がそれに応えるよりも先、脊髄が状況を好転させた。
レヴィは身体を傾け、飛来物の横っ面を全力で張り倒した。
対象の運動量が大きすぎて、ろくに軌道を逸らせない。ふんばり、全身の力を一点に集中させて、不可能を可能へと変える。
攻防は刹那。レヴィの拳の骨にヒビが入るのと同時に、バーニアの身体が吹き飛び、地上に叩きつけられた。
直前までの速度がそのまま凶器となってバーニアの身体を襲う。ごろごろと転がりながら地面の摩擦で全身を削られ、焼かれるバーニアは、その回転数を数え切れなくなる前に、なんとか自力で体勢を立て直す。
双方痛み分け、というところか。レヴィは右手の激痛を堪えて、なんとか対話を試みる。
「第二魔術師団がこの先にいるのですか?私は貴方たちに用があるのです。どうか話を聞いて頂きたい!」
おろし金で削られたようにバーニアの身体中からは血が流れていた。流れでた血液の一部は気化して、紅い蒸気をゆらゆらと立ち上らせている。ふらふらと覚束無い足取りながら、バーニアは自分一人で大地を踏みしめていた。
「はっ……。俺の最速を捕捉するとはよぅ……。俺も修行不足だな。だが、あの雷で逃げ出す連中にお前が混じっていたとはどうにも考えられない。あんた……さては、逃亡兵じゃねーな?」
「何と勘違いしているか知りませんが、初めからそう言っています。私たちは上十二衛紅雀隊です」
「で、俺らに用事がある、と。……俺らが任務中だってこと知ってっかよ」
交渉の仕方を間違えないようにしなければ。
レヴィは唯一認められた己の長所、すなわち強さだけがバーニアの興味を惹いていると分かっていた。
テロ教団、”太陽の使徒”の人間もそうだった。彼らはレヴィの人品を認めたのではなく、血塗られた強さだけに魅了されていた。バーニアの態度もきっと同じようなものだ。
ならばその強みを活かして交渉するのだ。それが考えの足りない己を補う最善。
「任務?もしかしてそれはドラゴン狩りのことですか?禁軍の一部の部隊が動いたようなので、もしやと思っていましたが。あなたが動いているということはデマというわけでもないようですね」
「だとしたらどうする?確かにこの先にはドラゴンがいるぜ?死にたがりなら止めやしないが」
深呼吸をする。今も右手は衝撃で痺れ、ろくに指を動かすこともできない。痛みが思考を狂わせているのかとも思う。
「――死ぬつもりはありません。討伐するのです」
地面に突き立っている宝剣を左手で持ち上げ、真っ直ぐバーニアに突き出した。熱さは大部分が地中に逃げており、先ほどより薄らいでいたが、まだ熱い。不自然に伸びた剣先をまっすぐ構えているのが辛い。
愚痴を飲み込み、不敵に笑って見せる。
果たして――
「その腕があれば、竜殺しも夢物語ではない、とでも言うつもりか。くっく、ふかすねぇ」
バーニアは心底楽しそうに笑っていた。
「いいぜ、連れて行ってやるよ。そこで理想と現実の差に苦悩しな。なぁに、簡単に死にやしねーよ。なにしろオヤジが後詰をしてくれる戦いだ。安心して全力を出せよ。俺らは名誉なんて欲しくもないからな。無能な味方は嫌いだが、強い奴は好きだ。味方の軍から竜殺しが出るってんなら、喜ばしいくらいだ」
レヴィの目的は変わっていない。従士ナタリアの救出だ。嘘も方便、はぐれドラゴンには交渉のだしになってもらおう。
ごきげんなバーニアは乱暴に手足の血を振り払った。
「痛っ、うわっ、骨折れてるかもしれねーな、これ」
「お互い様ですね」
「おお、その手。あんたも無傷ではないらしいな。当然か、俺の速度と正面からぶつかったんだからな」
レヴィは苛立ちを押さえつけた。誇らしそうに話すバーニアが悪人とは思わないが、痛みを今も堪えている側としては、一方的な攻撃の謝罪の一つくらい欲しかった。
バーニアに話を聞いてみると、この先にはドラゴンとそれを狩りに来た第二魔術師団がいるらしい。クラックスと禁軍もそこにいるとのことだ。もっとも禁軍の大部分は第二魔術師団に脅されて逃げ散ったらしい。バーニアがこちらを逃亡兵と勘違いしたのはそういう訳だった。
「ドラゴンと対峙するのですから、さぞかしツワモノたちが集っているのでしょうね」
「確かにその通りだ。オヤジが出張るなんて最近無かったからな。第二魔術師団も勢揃い……とはいかないが、殆ど全員集合だ」
「では道化師やアンシャーリア殿も?」
「知り合いか?あぁ、来てるぜ。坊主はともかく、大規模な輜重輸送にはシャーリーの車が不可欠だからな」
求めていた答えを与えられて思わず安堵の息が漏れてしまった。ここまで走ってくる間、どれだけの後悔を感じたことか。見当違いのことをしているのかもしれない。帝都のどこかで監禁されているのかもしれない。自分なりの確信はあったものの、客観的にはナタリアがこんな場所にいる可能性は高くなかった。
綱渡りのような道程が報われたようにレヴィが感じたのを責めることはできない。
「対外活動やってる坊主との接点はわかるが、シャーリーとはどういう知り合いだよ?まさかあんた、シャーリーのことを……」
「帝都でぼや騒ぎがありまして、彼女は水導管という魔具を使って火を消し止めてくれたのです」
「そんなこともやってたのか、珍しく人助けとはな。だが、勘違いすんじょねーぞ?あいつは決して利他的な理由では動かない。火事を消したのも、きっと新製品のテストがしたかった、とかそんな理由だぞ。なんだったら、火事を起こして自分で消し止める、とかまでやりかねん女だぞ?」
「ずいぶんと悪く言うのですね。火事の原因と犯人は分かっています。もう逮捕されましたから。アンシャリーア殿への嫌疑など存在さえしませんよ」
バーニアとアンシャリーアの間には複雑なものがあるのだろうか。
疎いレヴィはそんな風に思っていた。
しかしなんてことはない。レヴィは完全武装した自分の姿が、その身長もあいまって男性に間違われやすいことを失念していた。
「……とにかく、あいつはマトモな神経で付き合えるやつじゃねーよ。悪いことは言わない、やつと関わるのはやめておけや」
「関わるつもりはありませんよ。現状でさえ私の両手はいっぱいいっぱいで今にも零れ落ちそうなのです。これ以上手は伸ばせません」
バーニアはそのあと、レヴィの素性を聞いてきた。少しは名が売れたと思っていたが、自惚れだったか。
婚約者の有無まで聞かれた時は流石に鼻白んだが、冗談で尋ねている様子ではないので、正直に答えてやった。
故郷では名士の家系である。上京の際に別れたが、許嫁の一人くらいはいた、と。
正直に答えたのが良かったのだろうか。バーニアの機嫌は良くなった。飛翔中にくるくると身体の上下を反転させ始めた。
「よし、ヘイルダム。お前に二つ名を付けてやろう。これからドラゴンスレイヤーとして大きく名を売るんだ。かっこいいのを作ろうぜ!」
「通り名なら、既に立派なものが――」
「じゃあ、それを越えるものを考えよう。そうだな……得意技はなんだ?」
バーニアは聞く耳を持たない。レヴィは後方からついてくる部下たちを振り返った。視線が合った者は次々と首を振って拒絶の意を示している。
彼らに魔人の相手をさせるのは酷か。
「風を操ることなら一通りは」
「おっ、空属性か。俺も空属性持ってるぜ。飛べるか?」
「ええ。飛行許可証を持っていないので今は無理ですが」
「なんだよー、頭かたいなぁ。まっ、いいや。風に因んだ名前にするか?それともその剣技からとるか?火球を切り裂くなんて、相当の修行したろ?」
バーニアは手頃な枯れ枝を拾い上げ、剣技のつもりなのか、ブンブン振り回していた。もちろん、素人技である。しかも足場のない空中で行っているから、剣に体重が乗っておらず、児戯同然であった。無様と言う他ない。
紅雀隊の面々も同じことを思っていたが、相手が相手だけに軽口を叩くことも、失笑することもできない。気まずい沈黙が場を支配した。
「よっ!ほっ!っと。火炎切りってのはどうだ?安直か?」
「良いと思いますよ……」
「ははっ、いまいちなんだな。んー焔竜とか?ドラゴンスレイヤーなら堂々名乗れるぜ」
本気か嘘か。バーニアは駆け引きなど何も考えていないように見える。少年のような純真さをまだ持つ相手に、真面目に勘繰るのが馬鹿らしくなってくる。
「そういえばどうやってドラゴンを殺すつもりなんだ?あいつら図体の分だけ生命力に溢れてるから、ちょっと首を切り裂いた位じゃあ、全然効かないぜ?剣技と空属性だけで致命傷を与えるつもりか?」
「……十年前は、どうやってとどめを刺したのですか?」
「シャーリーが砲撃しまくった。小石を山のように飛ばすんだ。原型をとどめないほどズタズタに引き裂かれたら、流石に魔力が膨大でも再生はできないみたいだな」
こともなげにバーニアは言う。それだけの火力を幻想の頂点に命中させられる人間がどれほどいるだろうか。
レヴィは自信がない。もちろん、ドラゴンと戦うというのは方便であり、ナタリアを探すことが本命だ。ドラゴンとの戦いを真剣に考える必要はないが、バーニアが余りにも乗り気なのでついつい仮に対峙した時のことを考えてしまったのだ。そう、あくまで、仮定の話だ。
その後もバーニアは二つ名と竜殺しのやり方について楽しく語っていた。レヴィはそれに対し、控えめに相槌をうつ。
整備のなっていない凸凹道を、レヴィたちは進む。低空飛行するバーニアにとっては鼻歌交じりの道だが、地面に足を付けているレヴィたちには難路だった。
土埃と汗が混じり合って泥のように身体を汚していた。疲労を加速させる太陽と、ままならない道が憎かった。
一刻。彼らの労苦は報われた。
バーニアが戻ってきた。
ナタリアは気分が良くなかった。なにしろ先程目の前で処刑の命令が下った所を見てしまったのだ。
魔獣を殺すのはいい。敵を殺すのも仕方ない。裏切り者には罰を与えねば気が済まない。しかし、逃亡兵をそれらと同列に扱い、断じるという精神性はまだナタリアに備わっていなかった。彼女はなんちゃって軍人であり、実戦を経験したことも無ければ、集団で訓練をしたことさえない。一人の軍令違反が大勢の命を危険にさらすなどとは、まったく実感できていないのだ。ゆえに、ナタリアは逃げ出した兵士に同情さえしていた。あれだけの大魔術を見せ付けられて、怯えないほうが生物としておかしいのだから。
帰還したバーニアからは血の匂いがした。全身に擦り傷と切り傷をこしらえている。空中を自在に飛び回れる彼が負傷するなんて。
しかし彼は嬉しそうだった。
バーニアの纏う雰囲気が剣呑ではないのだ。出発前は粛清の命令を聞いて、どこか鬱々としていたはずなのだが、今の彼はおもちゃを与えられたこどものようにはしゃいでいた。
「戻ったぞ。いやー、近頃にしては感心な若者だぜ。口だけ達者な奴らとは違う、マジモンの英雄の相だぜ」
「バーニア?何の話をしているのですか?腰抜けは残らず処理できたのでしょうね?」
「ん?ああ、そうだった。あれ、俺の勘違いだったわ。俺が見たのは逃亡兵なんかじゃなかった。遠目だったから間違えるのも無理ないけどな!」
胸を張って仁王立ち。堂々と自己弁護する様はいっそすがすがしい。
「喜ぼうぜ。俺ら以外にもドラゴンスレイヤーになろうって英雄の卵がいたんだ!しかも、そこの実力の伴わない連中とは違うぜ?マジモンの戦士だ。俺の攻撃を捌くどころか、俺の突進に合わせてカウンターをあわせやがった。恥ずかしながら怪我しちまったぜ。アノーラ、治療してくれや」
「……逃亡兵ではなかったのなら、一体何者だったのですか?誰何はしているのでしょうね?」
目視でバーニアの傷の具合を測った軍医のアノーラは、彼の治療を後回しにして報告を優先させた。確かに血は派手に飛んでいるが、バーニアの足取りはしっかりしている。
「もちろん。なんだっけか、禁軍の上十二衛だって言ってたな。名前はヘイルダムだとよ。勇ましい名前だ」
その名前。瞬時にナタリアの脳裏に赤髪の女騎士の凛々しい立ち姿が映し出される。
ここに来るはずはない。場所がわかるはずはない。ナタリアのメッセージが届いていたとしても、場所までは伝えられなかった。彼女が助けに来てくれるなんて、妄想かなにか。そう、これは夢だ。
夜の思考加速は一瞬にしてさまざまな仮定と可能性を考慮したが、ぐるぐると同じ場所を回り続けるだけだった。仮想と現実、その重ねあわせた所に存在するのは、一縷の希望だけだ。
いつの間にか涙が視界を滲ませていた。
待ち望んでいた彼女が現れた。バーニアの言葉に合わせるようにして、数十人の部下を従えたレヴィが姿を見せたのだ。
「レヴィ!」
叫んだ。喉が壊れるくらい、大きな声で。
ナタリアが駆け寄ると、レヴィは両手を広げて抱きとめてくれた。
止める者は誰もいなかった。
「レヴィ、レヴィ……!!」
こらえていた涙がぽろぽろと零れ落ちる。目頭をこすってもこすってもなかなか止まらない。
レヴィは固い鎧を纏ったまま、壊れ物に触るときのように繊細な手付きでナタリアを抱きしめてくれた。
「良かった……無事で本当に良かったです」
『……やつらが仕掛けてくる様子はなし、か』
”声”が油断なく目を光らせていた。
感動の再会を目にした面々の反応はそれぞれだった。
どちらかと言えば、望ましくないと考えるものが多い。大半の者はレヴィの出現に脅威を感じているようで、顔を歪めていた。ナタリアたちの再会を純粋に祝ってくれそうなのは、男連中の道化師とバーニアくらいだ。第二魔術師団とは無関係のはずのクラックスでさえも、不機嫌さを隠しきれていなかった。
「おっ、このガキンチョの知り合いだったのか、ヘイルダム」
「この子は私の従士です。単なる知り合い以上の関係ですよ」
「へぇ、そいつは珍しいこともあるもんだ。幼児趣味?」
バーニアはふわふわと上空から着陸した。既に十分減速されてしたため、熱風による減速の必要はなかった。自由落下に近い形で、ナタリアたちの側に飛び降りてきた。
「おーい、アルトタス坊、お前の護衛の仕事はお役御免ってわけだな。この兄さんは強ええぞ?なにせこの俺と対等に渡り合う位だからな」
バーニアはレヴィの強さを語る間、ニコニコしていた。
レヴィは彼の言葉の中に聞き逃せない単語を見つけて、頭部の鎧のフェイスガードを下におろした。
束ねた髪の一房が現れ、彼女の精悍な顔立ちも衆目に晒される。
ここまでの道のりを休憩もなしに駆け抜けてきたのだ。汗の浮いた肌からは今にも蒸気が立ち上ってきそうだ。
「あ?女だと……!?」
バーニアの笑顔が面白いくらいに崩れる。ぽかんと口を開け、あっけにとられている。 しかし驚いているのは彼一人だけだった。そもそも面識のあった道化師やアンシャリーア、クラックスは言うに及ばず。初対面のアノーラも特に何も気にしていない。
「これはこれは、炎剣殿。お久しぶりです。あの火事はうまく揉み消せましたかね?」
「うー、そうだっ。私もそれ、聞きたいなっ!途中で帰ったから後の顛末知らないの」
「姉上は後片付けすら放棄してしまいましたからねぇ。無責任で困ったものです」
バーニアの驚きを置き去りにして、道化師たちはレヴィに歩み寄った。
”声”の推測通り、彼らがいきなり仕掛けてくることはなかった。密かに展開していた<超感覚>の停滞時間の中で、ナタリアは安堵の息をつく。
「確かにあの巨大な魔具の撤去には時間がかかったようです。ですが、あの魔具とあなた達のお陰で被害の拡大は防げました。重ね重ね感謝を。魔具は陛下の宝物庫に収蔵されたと聞いています」
「そりゃそうよね。あの試作品はもともと献上品として持っていったんだもの。陛下が預かるのは当然」
「感謝状は城下に掲示されていましたよ。まだご覧になっておられないかもしれませんが」
「そっちはどーでもいいやっ。助けようと思って助けたんじゃなくて、ぐーぜんだからね」
「……謙遜ではないのですよ、これ」
道化師が戯けてアンシャリーアを指さした。
アンシャリーアの本性を垣間見ている者としては、傲岸不遜な少女の物言いは本心からのものであるとよく知っている。道化師のツッコミは間違っていない。
アンシャリーアは自分に向けられた道化師の人差し指を掴むと、軽く捻り上げた。
「はい、生意気禁止ね。ところでどうしてこんな辺鄙な場所までやってきたの、あなた。バーニアの報告は下手糞でね、そこのところがどうにも分からないのよ」
アンシャリーアにレヴィの動機が分からないはずはない。彼女はナタリア誘拐事件の張本人であり、レヴィが救出に駆けつける可能性も考慮していた。それでも何も知らないふり、いや何も悪いことはしていない、と。そんな天真爛漫な顔で問いかけている。
面の皮の厚さにはいっそ感心してしまう。
「い、いやお前らちょっと待てよ!なんだよ、みな知り合いなのか?なんで誰も驚いていねーんだよ!女だったんだぞ?」
やはり慌てているのはバーニア一人だけだった。
「彼女は有名人ですよ?エルノーイル地方の魔獣災を食い止めた立役者、炎剣の名前を聞いたことは?」
「アル坊、人の名前とか俺が覚えてると思うのか?」
「そうでしたね、愚問でした。しかしあなた以外はおそらく全員が彼女を知っていますよ」
意味ありげに道化師がウィンクした。アンシャリーアとアノーラが首肯する。
ナタリアは炎剣の名を知らなかったが、実力者の間では有名人なのか。
「ってかそもそも女とかおかしーだろッ!こいつは俺と引き分けたほどの猛者だぞ?デュアルでも無いくせにおかしーだろうが!俺の速度についてこられる奴なんて、百年経ってもありえねーだろ」
「はいはい、バーニアはすこーし黙っててね。で、どうしてここに来たのかな?私たちこれから大事なお仕事なんだけど。邪魔しに来たの?」
「ドラゴンと戦うと風の噂に聞きましてね。ご協力できることがあれば、と思いまして」
「へぇ……ドラゴンを、ね」
レヴィの言葉をアンシャリーアは欠片も信じていないようだった。これみよがしにナタリアを見ながら、髪を手櫛ですいていた。
リラックスしているように見せてまったく油断はしていない。彼女はいつレヴィが斬りかかってくるやもしれないと知っているのだ。事情をよく分かっていないバーニアは今のところ呑気にしているが、騒動が起こればあちらがわに付く。それはこの場にいる殆ど全員にも同じことが言える。全員が敵になりうるということだ。例外はレヴィの連れて来た少数の部下たちぐらい。そしてレヴィは無闇と部下の命を消費する人間ではない。
この段階で暴力に訴えることを避けたいと一番思っていたのは、レヴィだったのかもしれない。
「……女だったってのには驚いたけどよ。こいつの実力は本物だぜ。噂だけのものじゃない。ドラゴンとだってやり方さえ考えれば十分渡り合えると思うぜ」
「ま、それならそれでいいかな。ナタリアちゃん、偶然知り合いに会えて良かったねっ」
偶然。説得力のないその言葉をアンシャリーアは主張するつもりだった。しかし事を荒立てたくないレヴィは強硬な姿勢で臨むことは出来ない。ナタリアの身柄を確保できた以上、無理に彼らの罪を追求することに正しさはあっても、利はない。
そう判断していた。
「ええ、本当に良かった。このような子供を危険な戦場においておくことは出来ませんから。部下の一部を護衛に付けて街に送り返します」
「あれれ~おかしいぞ~?ナタリアちゃんは貴女の従士。従士は騎士に何処へでも付従う。覚悟があって、彼女を従士に任命したはずでしょう?貴女がドラゴンと戦うなんて命を懸けた大仕事に挑もうというのに、従士を除け者にするのは酷いんじゃないかしら。未熟と言っても自分の身を自分で守るくらいはできるでしょうに」
アンシャリーアが言い終えた瞬間、いろいろなことが起こった。
唐突に叩きつけられた爆発的な殺意の高まり。その殺意がアンシャリーアの物であると脳が理解する前に、ナタリアの反射は自己防衛に動いていた。
エーテル濃度が急落、アンシャリーアは魔術を行使した。
光。
脳がそれを認識するよりも先に動けたのは、レヴィとの訓練の成果だろう。
反射によって鍛錬された非常時専用の論理回路。そこには複雑な思考や裏読みの類は一切存在せず、あるのは自己保存のための反射行動と魔術行使を結びつけた超実戦的な反射行動。レヴィが身に付けている戦闘魔術とはこういうものだ。
光に相反する存在、黒き霞がナタリアの身体から噴出していた。同時に両腕で顔を守る。
ナタリアの動きよりも更に先んじて、レヴィもナタリアをかばう位置に動いていた。彼女の場合、咄嗟の風の障壁が早くも展開されている。この反射と魔術を結びつけた戦闘技能があれば、常時展開型の術式<循環盾>は必要ないだろう。あれは戦闘魔術を習得できない万人にこそ有用な魔術なのだから。
レヴィの風壁、それを突き抜けて飛んできたのは、世界を引き裂くような一つの光条。
風の影響を無視して直進してきた光は、しかし<黒霞>を突破することは出来なかった。
結果としてナタリアの身体には傷ひとつ無い。
そうして己の身の無事を知ってようやく、正常な思考が回復する。判断力や思考力と言った状況を論理的に把握するのに必要な機能が次々と復旧していく。反射と魔術を結びつけた戦闘魔術は有用だが、万能ではない。異常事態ではこれらの脳機能を麻痺させることで、術式を行使するのに必要な処理能力の確保を行っているのだ。
今、何が起こったか。遅れてそれを理解する。
まず、アンシャリーアは本気と間違えるほど真に迫った殺気を、指向性を持たせて放出した。
その後、人体に害のない<発光>魔術をマイナーチェンジしたものを発動した。どのように改変したかまでは流石に思考が回らなかったが、おそらくは線状に光を伸ばすための改変だろう。
数本伸びてきた光線は、その大半をレヴィの身体が受け止めてくれた。ただの光だから身体に浴びたとて何のことはない。レヴィの壁をすり抜けて一本の光がナタリアの腕まで届いた。その光は結局<黒霞>が阻止してしまった。
何故、効果を持たないはずの<黒霞>を戦闘魔術に指定して今ここで発動できたのか。それは”声”の助言があったからだった。
光というのは言うまでもなく、一瞬にして彼我の距離を埋める最速の攻撃だ。光を受容する眼球に対して、光を照射することが攻撃手段になりうるのは、<暗示>魔術を知っていれば分かることだ。もちろん攻撃以外でも<転写>など平和的に光を用いる事もできる。しかし光が攻撃に使えることを否定することはできない。
”声”の発明品候補の中には光線の出力を際限なく増幅させて、熱量で対象を焼き切るという夢のような魔術があった。技術的困難ゆえに、その発想はたち消えとなったが、原理的な可能な術式だ。いつ何処で誰が発明するやもしれない。対策は欲しい。
そこで”声”が提案したのが、<黒霞>の戦闘利用の話だった。<黒霞>は黒い煙を放出するだけの魔術。あまり身体から離すと、霧の濃度が薄くなりすぎて効果は薄れて使いものにならない。自分の身を覆い隠そうにも、不自然な黒い霧だ。人相は隠せても霧の中に誰かが存在することは絶対に隠し通せない。顔を隠したいだけならば、フードを目深にかぶればいいだけの話。<黒霞>の発明者はうまい利用法が思いつかなかったのだろう。魔術ギルドにも画期的な使用法は提案できなかった。
幽議会では演出のスモークとして使ってみたが、別に無くても何とかなった気がする。
そんな踏んだり蹴ったりのかわいそうな術式に価値を見出したのは、やはり”声”だった。光を攻撃として捉えた場合、黒の霧は光を遮断するカーテンの役割を果たすことが出来る。黒のカーテンには日光以上の光さえも際限なく吸い込むポテンシャルがあった。
今のところ、光を武器としている日属性魔術は存在しない。<暗示>はまぶたを閉じればいいだけだから、わざわざ術式を使うまでもない。
”声”が言っているのは将来の話と、未知の術式に対する備えだった。事実、帝国随一の魔術師集団である第二魔術師団では、魔術ギルドに未登録の術式や技術をバンバン利用していた。手札を隠すために必殺の術式を未公開にする術者はむしろ全体では多数派なくらいだ。
未知に対する備えをするという提案は無価値ではなかった。
光によって幻惑する魔術、強烈な閃光によって相手を殺傷することなく無力化する魔術、光の熱線で焼き切る魔術など、光を用いた魔術の空想上の可能性を次々と”声”は教えてくれた。
それらの未知の脅威を無効化するポテンシャルを秘めた術式<黒霞>は決して無価値な術式ではなかった。
価値なんてものは、時代とともに変遷する。加工できない資源が、技術の進歩した後世では争いの種になるほどに求められる。今は意味のない対抗魔術だとしても、カウンターの対象がいくつも存在するような時代では、有用な術式になることだってある。
価値は与えられるものではない。与えられた環境の中から人が見出すものだ。
”声”は忠実にその言葉を実行したといえる。
強烈な光に条件付けしたナタリアの戦闘魔術<黒霞>は、短い訓練の時間にも関わらず、重要な場面で発動することが出来たのだ。
『いや、今の光には殺傷性がない。ただの光だった。同時に放たれた妙な空気こそマジモンだったけどな。はぁ、おっかねぇ。ガキの見た目の癖によ』
実体を持たない”声”でさえ彼女の殺気には戦いていた。レヴィでさえも咄嗟に防御態勢を取ってしまうくらいだから、偽物の殺気と見分けるのは困難だったろう。
いや、そもそも何故このような無駄な行為をアンシャリーアは実行に移したのだろうか。
霧を消して彼女の顔に視線を戻す。そこにはニコニコと笑う銀少女がいた。
「ほぅら、自分の身くらいは最低限守れんじゃない。言っとくけど、私の術式発動速度に付いてこれる魔術師はそうはいないよ?最低限の実力はあるんじゃないかな?それに今回は大勢護衛も居ることだしね」
「試した、のか?」
「そうそう、ごめんね、驚かしちゃって。でもさっきの黒い靄すごいね!あんな術式見たこと無いよ。アルトタスは知ってる?いや、夜の属性だから知らないか」
「私は夜ではありませんが、似た術式ならば拝見させて頂いた事があります。幽議会で有象無象共に新開発された術式だと触れ回っていましたからねぇ。魔術ギルドにも登録したそうで。あの時は大して効果を持たない術式と決め付けておりましたが、なかなかどうして。やりますねぇ。無能な貴族たちには実を取り除いた殻だけを見せて交渉の材料にする度胸。ククク、彼女の隠し球を暴いてしまったのは、すこーし不味かったのでは?ここに居るのが私たちだけならばともかく、部外者もいるのですから」
道化師の視線はクラックスに移った。発言権の弱い彼はここまでほとんど口を挟んでいなかった。
「……口外はしないと誓います」
「いいでしょう。お願いしますよ?私たちの技が漏れるのは織り込み済みですが、巻き込まれた形のナタリアさんが割りを食うのはおかしな話ですからね」
いや、そんなことはどうだっていいのだ。
もっと大切なのは――
「まさか魔術まで使っておきながら、全ては戯れだったと?それこそ冗談が過ぎましょう」
レヴィが静かに怒っていた。レヴィは打ち込まれた無数の光線をその身で受け止めている。ダメージを受けることを覚悟した上でナタリアを庇ったのだ。たまたま怪我一つ無かったからといって、アンシャリーアの無礼を見過ごす訳にはいかない。
レヴィの右手は剣の柄にかけられていた。
「冗談なんて言っていないよん。試したんだよ。ナタリアちゃんの腕前が結構なものだってことは知ってたからね。猫かぶってカマトトぶるのは悪いことだって教えてあげたの。別にドラゴンと戦えなんて言わないよ?ただ、最低限の流れ弾から身を守るくらいは十分彼女にだって出来ると思うんだ。騎士と従士は一心同体、一世一代の大勝負に付き合えない不幸はナタリアちゃんだって味わいたくないはずだもの。もちろん、私たちも強力するよ?貴女が来る前に決まってたんだけど、ナタリアちゃんの護衛にはアルトタスと雑兵六人が付くことになってる。そこに貴女の兵士も加えれば流石に十分過ぎる護衛にはならないかな?」
レヴィの手には迷いが生じていた。結局のところ、ここで揉め事を起こすわけには行かないのだ。アンシャリーアにやり込められるのは癪だが……。
「どうしますか?」
レヴィがナタリアの耳元で囁いた。何かを囁いていることは、アンシャリーアたちにも丸見えだが仕方ない。
「無理やり連れ去られたものの、今のところは客人としてもてなされておる。少なくともいますぐどうこうしようという意思は感じられなかった。それとわしに執着しておるのは、どうやらアンシャリーア一人だけらしい。他の者は興味が無いか、あるいは好意的かどちらかじゃ。明確な害意は感じられなかった」
『が、武器を抜けば、中立の連中も敵に回るな。実際やつらがどれくらい立ち回れるのかは分からんが、道化師のあの大魔術はヤバイ。万が一直撃したら人体焼失するぞ。対策もなしには立ち向かえねぇな』
”声”の見立てを聞いて、ナタリアはさも自分の意見であるかのように付け足した。
遅れてやってきたレヴィにもこの場の微妙な力関係がおおよそ理解できた。
「護衛の件はありがたいと思います。けれど、アンシャリーア。あなたが試しの名目で攻撃した事実は取り消せませんよ?」
「攻撃も何も、<発光>を使っただけだよ?大げさだなぁ。でも、なんにも言わないで魔術を使ったのは確かに悪かったかもね。謝ります、ごめんなさい。ナタリアちゃんも、びっくりさせちゃってごめんね?」
レヴィは憤っていた。ナタリアはその横でレヴィの手を握りながら、その感情を受け取っていた。実のところ、ナタリアの怒りはそれほどでもなかった。突然攻撃された、というだけならばここ数ヶ月の間に何度も経験してしまった。レヴィの部下からの攻撃もそうだし、悪漢に絡まれたこともある。悪い意味で状況に慣れがあったのだ。
殺気は本物とまちがえるほど真に迫っていて、恐ろしかった。しかしそれも喉元すぎればなんとやら、というやつで今では記憶すら薄れている。
殺気が放たれたのがあまりにも一瞬であったために、傷が浅かったのだ。熱湯に指を突っ込んでも、一瞬であれば熱さを感じないことに似ている。
短すぎる刺激は印象に強く残ることはない。
「分かった。じゃが、今後このようなことがないように頼む」
「ナタリア!ですが……っ!」
「おっけー。アルトタスー、ちゃんとナタリアちゃんを守ってよね?傷ひとつ付けないように!」
「パパのご命令がくだされた時点で、私に他の選択肢はありませんよ。炎剣殿、そういうわけです。こんな小さな子どもが我慢しているのです。納得出来ない部分あるでしょうが、ここは一つ、大人になっていただけるといいですねぇ」
「……忘れていました。あなたのいやらしさを」
「人に嫌われるのは慣れっこですよ。人にどう思われようが私のやることは代わりませんがねぇ」
道化師は慇懃にお辞儀した。賓客に挨拶するときのように、折り目正しく両手を正しい角度に構えて、一礼した。
レヴィは柄から手を離した。
アンシャリーアと道化師、レヴィとナタリア。深く関わりを持った当事者同士の話し合いの決着はついた。最悪、ここで剣戟がぶつけ合われてもおかしくはなかった。一番無力なクラックスは安堵の溜息を漏らした。魔弾と閃光が入り交じる戦場に放り込まれては、大抵の人間の神経は参ってしまう。
「まぁ、仲良くやりましょう。ドラゴンを退治するのは、私たち全員の共通目標でしょう?」
「そうだな。今は戦力が増えたことを喜ぼうぜ!ヘイルダムも、いや炎剣、頼りにしてんぜ」
男衆が場を和らげる。ドラゴンを退治するまでは。それはつまり、目的が達成された後はどうなるか分からない、そういう先延ばしの言葉にも聞こえてしまった。
混成軍は利害の一致で結ばれた。ナタリアの周りには二十人に迫ろうかという護衛の数。道化師の強さは目のあたりにしたばかりだ。これだけの戦力が集まれば、きっとドラゴンにだって勝てる。
その日の夜、ドラゴンの所在が判明した。




