24火事騒ぎ
予想通りと言うべきか、会場は混乱のさなかにあった。
ナタリアたちが戻った時はまだ指揮系統が混乱していたのか、バラバラに行動する兵士たちの間には私語が盛んに飛び交っていた。
爆音の大きさと煙の位置から察するに、火元は会場からもかなり近い。動揺するのも仕方がなかった。
「おい、さっきの爆発……」
「麒麟隊のあるあたりだぞ。何かあったのか?」
所詮他人ごとと気安く考える紅雀隊の、少し面白がるような表情とは対照的に、その場に居た麒麟隊の面々は険しい顔をしている。
非常時に慣れている兵士だからこそ、誰も目立った醜態を晒しはしないが、彼らの上司がここにいないことが彼らの不安をより一層煽っているようだった。
気構えも何もあったものではない入隊予定の青年たちは、一箇所に固まってことの成り行きを静観するつもりのようだ。部外者としては邪魔をしないでくれると面倒が少なくて助かる。
長身のレヴィは人混みの中でもよく目立つ。
いつもと違って鶏冠のような赤い羽飾りのついたレヴィの兜が会場に現れた時、兵士たちはごく自然にレヴィに視線を集めていた。
集中する視線に物怖じせず、レヴィは声を張り上げた。
「紅雀隊のヘイルダムです。一時作業休止。各隊はそれぞれまとまり、待機。早足!」
会場設営を手伝っている部隊は全部で三。紅雀隊はその中では最も下位の部隊である。そのためかレヴィの命令に不服そうな顔もあった。けれど彼らは言われた通りに各自で行動を始めた。
ナタリアはといえば、レヴィの後ろで待機しつつ爆発について”声”とこっそり話し合っていた。
『爆発事件と聞いて思い出すのはあの話だな。カルト宗教が起こしているっていう』
「”太陽の使徒”じゃろう?もし本当に彼らだとすれば大胆なことをしたものじゃ。ここまで帝城の懐深くまで潜り込んでくるとはの」
『……一つ確認しておきたいんだが。砲撃、って可能性はあるのか?つまり爆発が遠方からの攻撃、例えば魔術による攻撃で爆発を生じさせるとか』
「魔術が直接影響を及ぼせる範囲はそれほど広くない。けれど、確かに<風弾>のように勢いに乗せて投擲、射出する術式は存在する。可能性としてなくはないな。しかしここは帝城。当然魔術的な仕掛けに対する防護は備わっておるらしい。具体的に何があるのかはしらぬが」
ナタリア達が会話している間に兵士たちはそれぞれの部隊ごとに纏まって点呼を終える。欠員はどうやらないようだ。
各隊が指揮系統を回復した瞬間を見計らったかのように、青龍隊と麒麟隊の隊長が会場に連れ立って現れた。
隊の色に合わせた武装をしているから、すぐにそれと知れる。
「先程の轟音の原因はわかっているのか?」
開口一番、青色の隊長は冷静に部下に問い質していた。万が一の時はこの場の責任者代表となるだけあって、彼には年季の入った貫禄がある。レヴィや黄色の隊長と見比べてもずいぶんと落ち着いた年齢であるからだろう。彫りの深い顔に冷ややかな瞳。背筋を侵食するような冷気を感じさせるほどだ。
対照的だったのが黄色の隊長だ。レヴィよりも更に一回り大きな雄臭い巨体を荒々しく揺らしながら、口やかましく部下を怒鳴りつけている。戦斧がガチガチと床石と擦れて火花を散らしていた。
「おい!うちのモンで誰か知ってる奴はいねーか!?」
他の隊長たちも事態の収拾に動くようだ。彼ら二人はそれぞれ自分の隊のもとへ移動し、状況把握に努めている。
一先ずレヴィの負担は三分の一となった。部下たちをまとめながら、先に送った偵察の帰りを待つレヴィ。レヴィは偵察次第では自らが動くことになると予感していたのだろう。紅雀隊の面々から役に立ちそうな者を見繕い一人づつ声をかけていた。
冷静な青と興奮した黄。そして事態の変化を待ち構える赤。
三者三様の隊長格は、駆け込んできた一人の伝令兵に一斉に視線を集めた。
ここまで急いできたのだろう。額には大粒の汗がいくつも浮かび、頬は紅潮している。滴る汗を拭いもせず、彼は片手を上げながら叫ぶように言い放った。
「報告します!麒麟隊の武器庫周辺が現在延焼中。現地に居合わせた少数の隊員で自発的に消火活動を行っております!!」
麒麟隊。武器庫。
「っちぃ!馬鹿な。火元になるようなモンは置いてねーぞ!くそっ。案内しろ!さっさと消し止める」
黄色の隊長はいら立ちを伝令にぶつけながらも、自ら消火活動を指揮するつもりのようだ。自分たちの居が燃えているというのだから、その焦りはよく分かる。
「待たれよ。麒麟隊の受け持つ仕事はなんとする?まさか今日の式典を中止するわけにもいくまい。たった一つの隊の火の不始末で国家の行事を妨げることになるぞ」
青は顔色一つ変えず、顔を黄に向けることさえ無く淡々と述べた。まさしく対岸の火事という言葉がよく似合う。自分に被害が及ばないとわかった途端に彼の興味は、火を消し止めることよりもこの騒動をどのように我田引水するかに向けられている。
「知ったことかよ。どうせ大した準備でもないんだ。大の大人をこんなに集めてまでやることじゃねーよ。お前らの隊一つで十分足りるだろ。つまんねー嫌味聞いてる暇はねえんだよ。後にしろ」
そんな青の口撃を意に介さず黄は会場に背を向けた。遅れて麒麟隊の隊員たちがあわてて追従する。火の臭いはここまで届きはしないが、今も空には一筋の煙が見えている。黄色の隊長の拙速こそ今は求められているのかもしれない。
青はやはり無表情のまま。黄の隊長の熊のように大きな背中を、心底つまらなさそうに眺めていた。
「火災状況、それに消火活動に従事する人員の数を。おおよそで構いません」
そんな対立をよそに。
黄の隊長に追い払われた伝令をいつの間にか捕まえたレヴィは、肩を掴んで無理やり情報を聞き出そうとしていた。
「す、既に武器庫の半分以上は火の海です。庭園の一部の草木にも燃え広がり、事態は逼迫しています。火を消し止めようとしているのは、当直だった者を合わせて五指に満たないです。空属性の術者がいたので貯水池の水を放水していますが、拡大を抑えるので精一杯といったところです」
「……五人では確かに難しいかもしれませんね」
情景を想像したのか、レヴィは苦い顔をした。炎剣と称されるだけあって炎に造詣が深いのだろうか。それとも同じ空属性の術者として?
魔術書の知識程度しか持たないナタリアでは、実際の火事を消し止めるのに必要な術者の数などを知るはずがない。レヴィの判断を信用する以外に方法はない。
その時である。
「君は何を聞いておったのかね。庭園だと?麒麟の輩め、とことんまで我の足を引っ張るつもりらしいな」
レヴィと伝令の間に割りこむようにして青の隊長がいつの間にか現れていた。地獄耳のような敏感さ。
青は庭園という単語を繰り返し、今度はその無表情を崩し、苦虫を噛み潰したようになっている。
「皇居まで火の手が及ぶようなことがあれば、我ら全員の首が飛ぶぞ。度し難い無能共め……」
定常の地図を頭に思い描けば、庭園の反対側には皇居がある。庭園の木々は疎らだし、皇居との間に簡易な水堀を挟んでいるから、普通に考えて火事がそこまで届く可能性は低い。けれど絶対にないとは言い切れない。火勢がどの程度かも分かっていないのだから、断言できないのは当然だ。
そしてその最悪の事態が起こっていまえば……。
「君。会場には最低限の兵士のみを残し、現場に急行したまえ。いや、火災現場よりも直接庭園に向かったほうがよいな。そこで火の手を食い止めるのだ。武器庫の不始末を彼らが食い止められればよし。彼らがしくじったとしても、最低被害の拡大は防がねばならぬ」
小間使いのようにレヴィに命ずる青は利己的ながら、判断の速さだけならば評価できる。
紅雀隊と青龍隊の微妙な力関係を知らないナタリアは、二人のやりとりを見てもそこまで理不尽さは感じなかった。
青の命令にレヴィは小さく頷きを返す。与えられた指揮権でもって、待機していた部隊を分けて、庭園班を即座に構成した。
予め騒動に介入するつもりだったかのような鮮やかな手並みだ。
「少々危険かもしれませんが、ついてきてください。置いていく方が逆に危険です」
忙しさの合間を縫ってレヴィは小声で伝える。ナタリアも精一杯背伸びをして、出来るだけ長身のレヴィの耳に口を近づけてから囁きを返した。
「わかった。しかし、爆発ということは例の連中が潜り込んでいたということか?」
「……その可能性は否定できませんね。まさかわざわざ捕まりに来るような愚行を犯すほどの集団だとは思っていませんでしたが。街の衛兵たちは彼らの拠点を常時監視していたはずですが、一体どうやって網を抜けたのか。あるいは別件であるかもしれません。決めつけず、臨機応変に対応したいところです」
『こちらが相手の喉元に匕首を突きつけているからこそ、破れかぶれになったのかもな。安定、安全を手にしているうちは、人間はなかなか投機的冒険はしないものだ。逆に崖っぷちに立たされれば無謀な挑戦にも容易く手を出す。本当に動きがなかったのか、街の衛兵に問い合わせる必要があるな』
”声”の提言をそのまま伝える。”太陽の使徒”案件の担当は街の衛兵団なため、報告を入れておくのはまっとうな助言だ。レヴィも特に反論せず、
「ジョンを遣わせましょう。街の人間と連絡を取るならば、彼が適任です」
ここには居ない人間の名前を出し、一人の部下を伝令にやらせる。
混乱の中、統率を保ち続けることが出来たのは、紅雀隊の練度の高さというよりレヴィが予め指針を説明していたことが大きい。
放水活動も視野に入れているということで、空属性の人間を多めに班に組み込みレヴィ率いる二十数名の班が出動した。
機動力に優れ、しかも火災現場で最も必要とされる空属性の術者は前衛として先行。レヴィとナタリアもその前衛グループにいた。
空属性の<加速>を使って都合八人の術者は城内を駆ける。同行している彼らがナタリアの属性について言及しないのは優しさか無知ゆえか。夜の術者で軍部に取り入ったと噂される妖女と、目の前の空属性の幼い従士を同一人物だと認識できていないのかもしれない。
風に乗るようにして、追い風に背中を押されながら、彼らは煙の根本まで一気に駆ける。
焦げるような嫌な臭いが鼻腔に届く頃には、班の移動は完了していた。
庭園。緑豊かな皇帝の庭であり、見目よい花々や木々が上品な配置で育てられている空間だ。ナタリアも数度訪れたことがある。
記憶を頼りに草木の根本の方を観察すると、期待通りのものが発見できた。
庭園の植物のために、小さな用水路があちらこちらの茂みの下に隠されている。流れている水量は少ないが、いざというときにはこれも使うことになるだろう。
庭園の目に見える範囲に大きな炎はまだ届いていないようだった。煙の臭いはするのだが、火の気はない。もっと奥まで行かねばならないのか。
危険を考慮し、レヴィは一旦<加速>術式を解除することを指示。前方を警戒しつつ、慎重に班を進ませる。
走る必要がなくなったことでナタリアにも余裕ができてくる。
『なぁ、盾を呼び出しておいたほうがよくないか?熱気や火の粉は空気を遮断すれば軽減できるだろ』
<循環盾>の最大の利点はパッシブな防御魔術だということである。
通常流れを支配する空属性では、持続的なコントロールというのは極めて難しい。
魔力を流し込んで制御下に置いた風や水流は、流れ続けていなければならず結果的にせっかく制御している流体は遠く遠くへと離れていってしまうからだ。
流体を循環させるというアイディアは、空属性の欠点を大きく補うことが出来る。
永続的に展開される空気の盾は、渦巻き飛来する物質を弾き返す。
”声”の言うように、中途半端な炎にならば効果も見込めるだろう。
何より出しておいて、損はない。
術式を起動。周囲にいた兵士たちは特に見咎めることはなかった。
術式の発動には当然、魔力を消費する。周囲のエーテル濃度はわずかながら現象。
場を共にする者たちの共有財産がエーテルだが、勝手に魔術を使ったとしても相互の魔術が干渉を起こすことなど滅多にない。ドラゴンのような超大型の幻想種同士であれば、エーテル枯渇現象が発生するらしいが、人間の魔術師同士ではそこまで大逸れたことは起こせはしない。
夜の術者などは感覚強化魔術を日常的に行使しているし、地の術者は身体強化を施すのを日課としている者もいる。
ゆえに、軍勢の中では誰かが魔術を使う際に許可などは必要ない。
誰彼はばかること無く、ナタリアは魔術を発動できた。
見慣れない空気の渦に、惹きつけられた兵士も二、三いたようだが空気を読んで黙っていた。
レヴィと密会していた空き地と違って、当然庭園は管理が行き届いている。雑草がない綺麗で整然とした下草を踏み分けつつ、前へと進む。
<超感覚>には遥か前方の怒鳴り声やプスプスけぶる音が、小さく聞こえていた。
空属性の<聞き耳>を発動し、風に乗った音を集めている他の衛兵たちも同じような音が聞こえているのだろう。一様に険しい表情の彼らは、軽口も叩かず黙々と指示に従っている。
「なかなか火が見えてきませんね。火勢が報告よりも弱いのか、それとも……」
空属性は流れを操る属性だ。水や風。既にある流体を操作するためには、まず何よりももともとの流れを知ることが必要だ。それを知ってこそ、思う通りに動かしたり、方向を曲げる術を知ることが出来るのだ。知覚能力に優れた夜属性には劣るが、空属性は風の流れを読むことにかけては一際敏感なところがある。
彼らは風向きを知っていた。
今は追い風がゆるゆると吹いている。
火災現場に向かう庭園の彼らに追い風が吹いているということは、火の手が向かう方向は反対側ということになる。
庭園の草木が延焼しないのはいいことだが、その分の負担は別のところが引き受けていることになる。
青の隊長の命令は庭園、および皇居の死守。庭園は広大なため、ここで火の手を食い止める事自体はそう難しいことではない。
しかし――
「願うならば、前者であってほしいものです」
レヴィの独言は柔らかい草地に呑まれて消えていった。
程なくして班は後発組と合流。再度態勢を整えて前進。
知覚に優れる夜属性の者が加わったことで、索敵範囲は大きく拡大。安全を確保できるため、進軍速度も上がってくる。
もうまもなく現場に着いてしまう。
いつ火が見えるかとヒヤヒヤしていたが、何時までたっても火は見えない。煙と、臭いと。それだけが目鼻を刺激する。平穏な庭園に似合わない不協和音がなければ、非常時ということを忘れてしまうような不気味な平和だった。
一行が無言で進んでいると、程なくして麒麟隊の武器庫の変わり果てた姿が見えてきた。
「既に鎮火されている……?」
伝令の報告と現実はかなり様相が異なる。ここでは確かに爆発があったのだろう。天井は半分以上が跡形なく消失。残存する部分も火災によって石材の接合部が融解し、崩れかけている。
材料の石材が防火性に優れていたとしても、石材同士の接続はそうではない。火事の熱によって真っ先にやられるのは、そういった弱い部分だ。
糊の役目をする箇所が溶け落ちれば、支えを失った建物に待っているのは倒壊である。
落下した石材は砕け、折れる。瓦礫が散らばっているのはそういうわけだ。
頑丈な柱に支えられて辛うじて東側の壁は倒れていないが、白かった壁は真っ黒にすすけている。
そこかしこから今も煙が上がっているが、一応の鎮火は成功したようだ。
熱の下がった建物の外縁部では、麒麟隊と思わしき当直たち数名が後片付けをしていた。
見る限り、まだ麒麟隊本隊は到着していないようだ。レヴィたち紅雀隊より先に出たにも関わらず、一体何処で油を売っているのか。
レヴィは部隊を散会させて、周囲のより詳細な情報を集めることにした。
当直の兵への聞き込みも忘れない。忙しそうにしている者を一人捕まえようと、近づこうとした時、兵士たちに交じる明らかな不審者をレヴィは見つけていた。
『おい!あいつだ!』
ほぼ同時に”声”の叫びでナタリアも彼の存在に気がついた。
鎧も兜も、剣さえ携えない非武装の男。官僚ではない。それは彼の異質な雰囲気と奇抜な服装が物語っている。
「道化師……!」
道化師カリオストロ。第二魔術師団に所属する二重属性の魔術師。
軍部の指揮下にありながら、独立した多くの権限を持つ帝国権力の一柱である。
自らの所属する集団を、躊躇なく後ろ盾にして幽議会の面々を手玉に取る豪胆さ。未知数ながらあれほど驕り高ぶることが許される実力。
そして最大の危険要因は彼の性格にある。一秒先には爆発しているかもしれない。そんな爆弾のような予想の出来ない言動は、危険を通り越し、劇物ですらあるのだ。
――この火災を発生させたのが、”太陽の使徒”のテロリズムなどではなく、彼一人の不注意だと言われても信じられるくらいには。
”声”すらも理解を放棄した存在が、火事の現場で後片付けに奔走する兵士たちをぼんやりと眺めているのだ。
異様な風体。多分、誰も彼もが怖くて声をかけられてないのだろう。虎の尾を踏むのは誰だって嫌だ。
火事のせいで辺りはだだっ広い。そこに佇む道化師を無視することは難しい。
ナタリアやレヴィに遅れて、紅雀隊の兵士たちも彼の存在に気付いてしまった。
彼らも始めは怪訝そうに道化師を見るだけ。けれど明らかな不審者がいるのに何の行動も起こそうとしない上司の姿に疑問を浮かべる。
このままでは痺れを切らした兵士が先走り、道化師に突っかかるかもしれない。それでなくても女であり、まだ若いレヴィへの部下たちの信頼は薄い。臆病風に吹かれた姿を見せ続けるわけにもいかなかった。
しがらみがあったせいで、変な重圧を感じていたレヴィと違って、ナタリアは純粋に驚きの目で道化師を観察していた。
だからこそ、気づけた。道化師のひらひらした服の影に隠れた小さな小さな人影に。
遠目でよく分からないが、おそらくはナタリアとそう変わらない身長に見える。
先入観なく彼らを見れば親子に見えるだろう。しかしナタリアにはあの道化師が子供をつくっているとはとても思えなかった。
この時点で道化師に対する恐怖よりも、子供の人影に対する興味のほうが優っていたナタリアはもっとよく見ようと目を凝らしていた。盾が邪魔だ。眼に見えないくらいまで、出力を下げそよ風程度に抑えておく。
<超感覚>の視覚が道化師たちを捉え、拡大する。やはり小さな人影は子供だった。それもナタリアと殆ど同じ年くらいの少女である。
焼け跡に悠然と立つ少女は、隣の道化師に負けないくらい浮いている。
道化師の存在感に目を奪われたが、少女単独でいれば間違いなく目を奪われるだろう。
レヴィの肩を叩いて、道化師の隣の少女について注意を促す。
雪のように白く長い髪には、黒いすすがまだらに付着していて、少女が鎮火後にここにやってきたわけではないのだと分かる。貴族の娘かと思えばそうでもなく、服装は地味どころか作業着のように汚れた土気色の服を着ていた。確かに火災現場におめかしをしてくるはずもないが、少女の美しさには似合わぬ服であることは確かであり、奇抜な道化師と比べるまでもなく変だと思う。
『あれ、ホースか?まさか連中が放水していたのか?』
”声”は少女ではなく、別のものに注意が向かったようだ。
確かに少女の足元には灰色の蛇が長々と横たわっていた。死んでいるのか眠っているのか、全く動きはしないがその長さはちょっとしたもので、頭の方などはるか遠くの用水路の方まで伸びている。
そのスラっとした全身を視界に収めた時、相手の少女と視線があった気がした。
距離があるから錯覚だったと思う。けれど確かに彼女はこちらを見つめている気がした。
ついにレヴィがプレッシャーに負けて、前方に一歩足を踏み出した。
大勢の兵士にその背を見せ付け、レヴィが前に出た。それに呼応するように道化師と少女の二人組はこちらに振り向いた。自然と両者の距離は縮まる。従士としてナタリアはレヴィの後ろについていく。他の兵士よりも前に出ているということだから、レヴィへの視線のおこぼれも頂戴してしまう。
近くで見ると、雪のような少女の姿形がより鮮明に見える。雪のように白い肌と髪は泥雪のように今は汚れている。背丈はナタリアより一回り大きいために、小さなナタリアよりは余程大人っぽくみえる。
ナタリアの観察する目に気付いたのか、彼女は艶然とした笑みを浮かべ小首を傾げた。
次の瞬間、叫ぶようなかん高い声が耳朶に響いた。
「なぁにこの子。すっごい可愛いよ!持って帰りたい!」
一瞬何が起こったか分からなかった。気がついた時には視界が塞がれ、暖かい感触で顔が包み込まれていた。
「わ、わぶっ!何をするか!」
見知らぬ人間にいきなり抱きしめられるとは想像していない。呼吸が苦しくなって、慌てて突然の抱擁から抜け出す。
「アンシャリーア。失礼ですよ。汚れが移ってしまったではありませんか。ちゃんと謝っておきましょう」
道化師カリオストロが白髪の少女を窘める。彼に似合わぬ優しい声色。嘲るようないつもの調子はなく、服装のセンスさえなければ普通の人間だと錯覚してしまうほどだ。
言われてみれば、アンシャリーアの作業着はシミや埃に加えて大量のススが付着している。そこに抱き込まれたのだから、きっと顔や髪も汚れていることだろう。手櫛で髪を整えつつ、頬や額を素手でこすって汚れを落とそうと試みる。
「ごめんなさい。お詫びにこれ、使ってみて。うちの試作品なの」
ごそごそと懐を探るアンシャリーアは多くあるポケットの一つから小包を取り出した。茶色い懐紙に包まれたそれは卵ほどの大きさで、それがナタリアの手の中にストンと落とされる。
『石鹸か、それ。普通に出回ってるものなんだな』
よくわからないが、”声”の知る物品ならば危険物ではないのだろう。
「う、うむ。ありがたく頂こう、アンシャリーア殿」
「あはっ。そうそう、使ってみてよ」
わざとらしくウィンクして見せたアンシャリーアは微笑んだ。
その後ろで道化師がやりとりが終わるのを待ってから口を開いた。何かに配慮するということ自体が、彼の性格にそぐわないように思えてならない。
「奇遇ですね、自称九歳さん。これまたどうして帝城に?魔導研究所で研究しているのではなかったのですか?」
「え!?この子あそこの子なの!?」
目を丸くしてアンシャリーアはまじまじとナタリアの瞳を覗きこむ。不躾な行動だが、年格好がアレだから許容せざるを得ない。
「カリオストロ、貴方こそどうしてこのような場所に?ここは麒麟隊の武器庫の筈ですが。第二魔術師団の人間が踏み入る場所には思えません」
「どーしてそんなに喧嘩腰なんですかねぇ……。こっちの質問にまだ答えてもらっていないというのに。私はナタリアさんと会話をしているのですから、邪魔をしないで欲しいものです」
道化師はやれやれと首を左右に振った。突如懐に飛び込んできたアンシャリーアによって破壊された彼我の間合いをさりげなく再構築するレヴィ。その大きな身体で道化師の視線を遮るようにしてナタリアの前に立つ。
「しかし言えないことだってありますよ。同じ軍属ですから、そのあたりを汲んでくれるとありがたいんですがねぇ。野暮用で帝都に来た、とだけ言っておきます」
「野暮用……」
『まさか帝都を焼き討ちする野暮用じゃねーよな……。くそっ、なまじ会話出来る分だけ緊張感が持続しねー。欠片も気を許せる相手じゃねーってのに』
繰り返すが、四人が会話しているのは武器庫の焼け跡である。白い灰と崩れ落ちた石塊が散乱し、まともに歩くことも出来ないような場所だ。そんな場所でのんびりと世間話というのはあまりにも似合わない。
背後に二十人の部下を背負うレヴィは四人の中でも最も緊張していた。すぐ後ろには幼い娘さえいるのだ。これで何の気負いもない自然体でいるのは難しい。
いつでも剣を抜けるよう、獣が牙を剥くように、腰の剣は構えられている。
「まさか、とは思いますが……」
剣呑な言葉。そこに秘められた冷たい熱量と、敵意を感じ取ったナタリアは慌てて声を上げた。
「まさか、そなたたちがこの大火を消し止めてくれたのか?ほれ、そこにある……ほ、ホースとやらで」
「私たちが偶然居合わせてよかったね!爆発があったから何事かと野次馬しにきたんだけど、火事になりかけてたからねっ。帝都に偶然持ち込んでた装備を使って火消しのお手伝いしたんだよーっ!」
多分レヴィは正反対の想像をしていたのだろう。
道化師の連れであるアンシャリーアが消火活動をしたと聞いて、レヴィは純粋に驚きに目を瞠った。
「この管の中を水が流れるんだ。取水口に工夫があってね、なんと下から上に水を持ち上げられるんだよ!どう?すごいでしょ!すごいよね。水じゃなくても液体ならいろいろ持ち上げられるんだ。どびゅどぴゅーって放水して火を消すの。まあ水流操作の為に空属性はまず必須なんだけど」
「火の扱いは用心して欲しいですね。本当に。偶然の助けがなければ、今頃どうなっていた事やら。帝城の火事など大醜聞ですよ」
真偽を知るのは現場の兵士たち。レヴィは聞き込みにやらせた兵士たちの反応でカリオストロの発言が事実であることを知る。少なくとも彼らが早期消火に貢献したのは間違いないようだ。
「まさか貴方が上十二衛の尻拭いをしてくれるとは思っていませんでした。末席ではありますが、私からお礼を言っておきます。ご協力ありがとうございました」
「帝国の為に行動したまでですよ。まあ私は殆ど行動していないので、称賛は彼女にあげてください。アンシャリーアは無類の機械フリークなのが欠点ですが、私たちの中でも優しい方です。彼女が放水による消火を提案したのです。私はただ見ていただけです」
「そうですか、ですが貴方にも礼を言っておきましょう。……それにしても黄色の連中は一体どんな馬鹿をやっているのか……」
焼け跡の片付けをしているのは少数の麒麟隊の人間と、増援として加わったレヴィの部下たちだけだ。麒麟隊の本隊は到着していないし、とにかく行動が遅い。
レヴィが悪態をつくのも仕方がなかった。
「一応聞いておきますが、怪我人や死者の有無は知っていますか?」
「さぁ、そこまでは?」
「返事が聞ければ十分です」
レヴィが号令をかけて紅雀隊の人間は動き始める。作業をしていた麒麟隊の者たちから負傷の酷いものを治療させたり、生存者の捜索をしたり。
武器庫といってもさほど広いものではない。それなのに捜索に結構な時間がかかったのは、ひとえに足場が悪いことがあった。いつ崩れるか分からない瓦礫の中で動くのは神経を使う。大量の水によって温度が下がったとはいえ、まだ高温の箇所はいくつも残っている。そういう場所は後回しにするしかないから、どうしても作業は難航する。
それでも収穫はあった。
焼け跡から焼遺体が一体発見されたのだ。遺体は武器を所持していた。十中八九、ここの兵士だろう。
黒焦げになったそれが運びだされようとする頃、ようやく遅れてきた麒麟隊が現場に到着した。
少しでも遅れを取り戻そうとするかのように、駆け足でやってくる彼らは現場を見て呆然とする。
「こいつは酷え、跡形もない……。というより既に火が消えてやがるな。――で。どーしてお前がここにいるんだ優秀な新米隊長さんよぉ」
熊のような大男がのっしのっしとやってきた。レヴィは自分より大きい相手に怯むどころか、蔑むような冷たい視線を浴びせた。
「呆れるほどに、のんびりとした行軍だったようですね。――私たちは青龍の隊長に言われて庭園の被害を食い止めるために援軍に来ました」
庭園と聞いて流石にぎょっとした黄色の隊長は、困ったように庭園の方角を窺った。
「今のところは大丈夫です。既に火の手は消し止められましたし、庭園にほとんど炎は届いていません」
「なんだ、そいつは良かった。脅かしやがって……。くっそ、今日の当直は誰だ、ボケが!!」
レヴィを省みること無く、黄色の隊長は虚空に唾を吐き捨てる。
遅参したことも彼のストレスになっているのかもしれない。とにかく黄色はかなり荒れていると傍目にも分かる。
「コーンウェルであります。隊長殿」
麒麟隊の一人が勇気を出して言った。独り言に返事があることほど苛立つことはない。黄色の隊長は発言した部下をひと睨みで黙らせた。しかし、無視はできない。
「……知ってるよ。ちぃ、取り敢えず後始末やんぞ。あの青いのの事だ。きっと式典の時間を延ばすつもりなんてありゃしねぇ。準備はともかく参列は最低でもしなくちゃなんねぇ。急ぐぞ」
考えることさえ嫌なのか、行動することで鬱屈を紛らわそうとした黄色。
大勢集まっていた麒麟隊の隊員たちは命令通り動き始める。レヴィたちが行っていた負傷者の救護も、麒麟隊が引き継いだ。
手伝うならば、仕事を探せばいくらでもあるだろう。けれど、一応レヴィの任務は終了したといえる。庭園に目立った被害はない。火事の被害拡大も抑えられた。それもこれも、早期に消化活動に従事した道化師たちのお陰である。
「……道化師に借りを作ったと聞けば、彼は荒れ狂うでしょうね。気が進みません」
後から遅れてやってきた黄色はまだそのことを知らない。けれど彼は知らずとも、初期の消火を担当していた彼の部下たち数人は、道化師の尽力を知っている。いつかは彼の耳に事実が伝わるだろう。その時のことを思い、レヴィは首をノロノロ左右に振った。
ナタリアはアンシャリーアが離してくれないから、離れた場所で黄色とレヴィの会話を聞いていた。隣にはしっかりと手を繋ぐアンシャリーアと、保護者のように脇に控える道化師の姿がある。
「そういえば、アンシャリーア殿は誰が火を付けたか目撃してはおらぬのか?」
「んーん?私たちは爆発音を聞いて駆け付けただけだからねー。少なくとも怪しい人影は見てないかな。それに私たちがここにやってきた時には、もう兵士さんたちがお仕事してたし。あの人たちに聞いたほうがいいんじゃなーい?」
「言われてみればそうじゃな。そんな重大な目撃情報があれば、真っ先に報告するだろうしな」
「それにしても水導管どうしよっかなー。これ、折り畳んで運べるようになってるんだけど、一回展開すると元通りにするのにすっごい時間かかるのよねー。具体的には十人がかりで丸一日。はぁ、あそこでうろうろしている兵士さんたちが手伝ってくれればいいのに」
アンシャリーアは放水を行うのに多大な貢献をした灰色の管をつま先でつつきながら愚痴を零す。武器庫から取水のための用水路までは、ナタリアの歩幅で百歩以上ある。それだけの距離に横たわる長大な管を折りたたむというのだから、これは確かに少女一人の手には余る。道化師一人が手伝ったとしても焼け石に水だろう。
焼け跡の温度が下がるまで右往左往している兵士たちの助力を願いたくなる気持ちは分からなくもない。
けれど――
「アンシャリーア、無理を言ってはいけませんよ。彼らには彼らの仕事があるのです。同じ軍人としてそういう区分はきっちりせねばなりません」
意外にもアンシャリーアを諌めたのは、奇天烈な道化師だった。
こういう顔もできたのか、という思いで新鮮さを感じる。
「そして彼らと同じように、私たちにも仕事があります。物資の運び込みが終わる頃にはちゃんと立ち会わねばなりませんよ」
「ぶーぶー。自分で消した火事の顛末くらい見届けたいと思わないのー?」
「思いますよ。えぇ。けれど、それとこれとは別の話です。なにより物資の運搬には貴女が居ないと始まらないではありませんか。……どうしても、と言うのならば私が最後まで見届けましょうか?代理人として」
「もーっ!いっつも適当でのらりくらりのくせに、自分に都合のいい時だけ正論使うとか、ほんっと、性格悪いよね!」
「心得ておりますとも。パパも私の性格を知った上で、この立場を与えてくれているのですからねぇ」
「父様のことまで持ちだす?普通……?訂正するわ。性格は悪いというより、底意地が悪いのね。性根が腐ってるわ」
ナタリアの繋いだ手を強く握りながら、アンシャリーアはさんざ悪態をついた。
しかし最後には諦めたように肩を落とし、
「……分かったわ。ちゃんと言いつけは守るわよ。でも、その分あんたも自分の言ったことは守りなさいよ?」
「ええ、心得ました。火事の件については私が見ておきましょう」
「それだけじゃないわ、この娘も持って帰りたいのよ」
繋いだ手がブンブン振られて驚いた。アンシャリーアの我儘な言葉は到底受け入れられるものではない。なにより、今日は式に出席しなければならなのだ。仮に少女の家に遊びに行くことがあるとしても、それは今日ではない。
ナタリアの心情に沿った味方をしてくれたのは、またも道化師だった。
「聞き分けのないことを言わないでください。彼女は魔導研究所に勤める才媛ですよ。引き抜きをしたいのならば、それはしかるべき場所に筋を通さねばなりません。あまり勝手な真似をなされてはパパにも迷惑がかかりますよ?」
「一番好き勝手してるあんたが言うの?それ。――でも、魔導研究所じゃ仕方ないわね。ねぇ貴女のお名前を聞かせてくれる?私はアンシャリーア、シャーリーって呼んでくれていいわ」
「ナタリア・ファーレーン。レヴィ――ヘイルダム・ダールクヴィスト隊長の従士じゃ」
「ナタリア、もし”ファクトリー”に来たくなったらいつでもいらっしゃい。歓迎するわ」
「おやおや、ずいぶんな入れ込みようですねぇ。初対面の相手なのに、よっぽど気に入ったんでしょうか」
道化師は道化師らしくにやにやと笑みを張り付かせている。
そんな厭味ったらしいからかいを一刀両断し、
「どんな出会いも最初は初対面よ。関係ないわ。じゃ、後は任せるわよ」
そう言ってやっとナタリアの手を解いてくれたアンシャリーアは、ひらひらと格好をつけて手を振った。
どうやら水導管は放置するようだ。麒麟隊が始末に困ることだろう。
『あいつ……いや、まさかな……』
去っていく少女の後ろ姿を見ながら、”声”がつぶやいた。
「さて」
”声”に問いただす前に、道化師が少し大きめに話し始めた。
「ではこの事件の顛末を見届けさせてもらいましょうか。自称九歳さん、――あなたはどうするのですか?」
「そうじゃな……。わしは従士じゃから、レヴィに付き従うだけじゃよ。この件にも深入りはせぬつもりじゃ」
「なるほど、それもまた選択の一つです。現実に、恐れおののいて逃げ惑うのもよろしいでしょう。……本当にそうできるのであれば、ね」
『なんだ、挑発か?いや、それにしてはこいつの観察するような目はなんだ。まるで実験動物の反応を観察する科学者のような冷徹な目だ。虚実を見定めようとする目』
巫山戯た道化師の真剣な瞳に見つめられていると、まるで内心を見透かされたような気持ちになって気分が悪い。
ふい、と視線を逸らした。
含み笑いを漏らす道化師は、アンシャリーアという少女がいた時とはまるで親しみやすさが違っていた。やはり彼は劇物だ。触れてはならないし、嗅いでもいけない。
後ずさり、道化師と距離を置く。今思えば、何故こんな近くに立っていられたのだろうか。アンシャリーアがいたとはいえ、油断し過ぎた。
「ふふ、本人の思いに関係なく、流れというものはあります。そして、望むと望まざるとにかかわらず、流れというものを引き寄せてしまう人種もまた、存在するのです」
きっと彼は返事や合いの手なんて求めていないに違いない。舞台の上に立つ演者のように、朗々と高らかに台詞を読み上げる道化師。
奇抜な格好も相まって、周囲の兵士の遠慮がちな耳目を集めてしまっていた。
「大きすぎる力などは、まさにその典型だ。大賢者、彼もまた確かな才人だった。偉大なる力は水面に落とした大岩のように、無限に波紋を広げ拡散していく。その弟子であるあなたは果たして波紋の間に揺蕩う泡沫に過ぎないのか。それとも自ら流れを引き起こせるような大岩なのか。くく、見定めさせてもらいましょうか」
そうやって道化師カリオストロは一人笑った。




