23叙勲式
軍楽隊が軽やかかつ勇壮な調べを奏でる。
会場には程よい緊張感と、祝いの席特有の浮ついた空気が同居していた。
「あんな棒切れでうまいもんだな。新しい曲もなかなか良い。心が沸き立つような曲調だ」
縦笛の奏者が指を華麗に舞わせ、旋律を紡ぐ。
「上十二衛にも軍楽隊作ってみないか?」
打楽器が一定のリズムを刻んで縁の下から楽団を持ち上げる。
「馬鹿を言え、うちの隊を見渡してみろ。楽器の演奏?そんな器用な真似ができる奴が一体どれほど居る?宴会芸だったら任せろ、ってなもんだが」
紅雀隊の隊員がこそこそと隅で私語を交わしていた。会場が騒がしいから目立たないが、部下を見張っていたレヴィはしっかりと部下の怠慢を見つけていた。
ジロリ、ひと睨み。強い視線に晒された彼らは首をすくめて口をつぐんだ。
レヴィの後ろに立つナタリアは、彼らの反感と見せかけの反省をじっくり観察する余裕があった。
式典当日。従士の装束を身に纏い、レヴィの従士としてナタリアはここにいる。
彼女の言った通り、従士としての仕事というものはなく、ただ立っているだけの退屈な仕事だ。
会場の警備を任された紅雀隊含む小隊は、早期に会場入りすることを求められている。
まだ叙勲式は始まってすら居ない。禁軍から派遣された軍楽隊は、念入りにリハーサルをしている最中だ。その演奏を聞く者は、身内とも言える上十二衛だけだというのに、大した気の入り様だ。
軍楽隊は本番ギリギリまで練習をするつもりなのだろう。作業中の紅雀隊は勇壮なBGMを背景に、割合熱心に仕事に励んでいた。
少しくらいの私語なら見逃してあげても良いのに、とこっそり思う。
レヴィは几帳面過ぎるのではないだろうか。
ともあれ今のナタリアは置物のようなものだ。指揮をとるレヴィの後ろで直立不動。たまに使いに遣らされるのが普通の従士だが、あいにくナタリアは普通の従士ではない。名目だけのなんちゃって従士であることを、レヴィも考慮してくれているのか、仕事を割り振られる機会は極端に少なかった。
賑やかな演奏が流れる会場で、ふとレヴィのまわりに人がいなくなる。指示出しの仕事が一段落ついたようだ。
気を利かせたつもりで、ナタリアは夜属性で冷やしておいた水をレヴィに手渡した。水の熱を吸い取り、温度を下げたのだ。露が滲む程の冷水を受け取り、レヴィは喜んでくれた。
「ありがとうございます。丁度喉が渇いていたのです」
ゴクゴクと男らしく一気に嚥下。杯を空にしたレヴィは、即座にまだ水滴の残る杯をナタリアに返した。
「本番は午後からです。準備にまで律儀に付き合う必要はなかったのですよ?」
「なぁに。記者との約束が無ければ、暇だったからの。少し待つくらい苦ではない」
雑談できる時間もそう多くはない。レヴィの部下は勤勉ではないが、他の隊の人間も共同で作業しているためかいつもよりまじめに働いている。その分、仕事をしているポーズとして隊長のレヴィの指示を仰ぎにやってくるのだ。本当に真面目ならば指示を聞くまでもなく仕事に取り組んでいるということに、彼らは気づかず。
がやがやと騒がしい話し声が聞こえてきた。何事かと思った兵士たちは声の方向を向き、その原因を確認する。
それは若々しい青年たちの話し声。紅雀隊の平均年齢よりも少し低い。成人になりかけの少年たちが十人ばかり、私語をしながら廊下を歩いていた。
彼らこそが叙勲式の主役。騎士として、上十二衛に配属される栄誉を賜る選ばれし勇士たちである。
誰の顔も夢と希望が詰まったような表情で、彼らが本当に今日の日を喜んでいるということが分かる。歓迎ムードの隊員たちは、若者が少々羽目を外すくらいは暖かく黙認するつもりらしい。苦笑しながらも、彼らの私語を止めようとする者はいなかった。
「そうか、彼らが」
「ふむ、予定よりも少し会場入りが早いようですね。まあ今日の主役ではあっても、粗忽でいいというわけではありません。少しは大人しくしていてもらいたいですね」
小言を言って満足したのか、レヴィは彼らに興味を失ったように視線をそらした。
ガヤガヤとした話し声に紛れてレヴィはナタリアの耳元で囁いた。
「言おうかどうか迷っていたことがあります。――あの自称記者、ミックについてです。ここでは何ですから、少しついて来てください。話せる場所は見繕ってあります」
紅雀隊の隊員たちは適度に手を抜きながら労働に勤しんでいる。
ひと通り指示を出し終えたレヴィは忙しさの中でなんとか時間を作ることに成功したのだ。
何の話をするつもりなのかはわからない。けれど真剣そうなレヴィの顔を見て、気を引き締める。
会場に背を向ける二人、その背中を不自然に睨み続けていた一人の青年の存在にナタリアたちは気がつくことがなかった――
レヴィに連れられて、ナタリアは小さな池のある小庭にやってきた。ここまで来ると会場の喧騒は、遠く聞こえない。帝城の離れにあるこの場所は、特に何か用途が考えられているわけでもない空き地だ。
野晒しの庭に人が近づくことも少なく、管理の手も行き届いていないから整備された街の中心部と比べれば苔や雑草が目立つ。
それでも人の手はある程度入っているのだろう。足元の雑草は歩きを阻害するほどではない。盗み聞きを気にしなくてもすむ空き地は、密談をするにはうってつけの場所だ。
ナタリアが<超感覚>を使ってみても、人の気配は感じられない。
「あの記者は信用しないほうが良い」
面貌を覆い隠す無骨な兜を被ったまま、レヴィは突然切り出してきた。
疑念よりも不意を付かれた驚きが先行する。だって――
「それはわしも分かっておるよ。幾ら師父様の知り合いといっても、突然友好的に手を差し伸べてきた輩を簡単には信用できぬ。ゆえに少しずつ情報交換を繰り返し、人柄を見極めようとしているのではないか」
「でも、その情報交換。今日はできていませんよね」
「……それは彼の都合が悪いのじゃと、お主から聞かされたのじゃが?」
「自分勝手に約束を破るような者を信頼できますか?」
「レヴィ……。お主、自分の言っていることに筋が通らない事を分かっておるのか?そもそも彼の取材だって、どちらかの都合が付かなければ、それで休みにできるような緩い約束だったではないか。一度くらいすっぽかされた程度で何を怒る事がある?」
「――あぁ、確かにそういえばそうでしたね。忘れていました」
レヴィの様子は明らかにおかしい。こういう時、表情のすべてを隠してしまう兜の存在は鬱陶しい。
最悪の事態を想定し、感覚を更に研ぎ澄ませる。
”声”の助言はまだ、ない。
「彼が今日取材を欠席した理由を私は知っています」
レヴィは平坦な声で言葉を続けた。
「彼は自分の意思で欠席したのではありません。我々衛兵隊が彼の身柄を預かっています。彼にはこの帝都に武装集団を手引した疑いがかけられています。既に衛兵隊との間に小競り合いがあり、死者も数名出ています」
告げられた言葉をすぐに理解することは出来なかった。
『スパイが真面目に仕事をしてたってことか……。情報収集専門の人間で、使い捨ての駒ではなさそうだと踏んでいたんだがな』
帝国の人間ではないミックは、国籍不明の人物だ。師父様との親交があればこそ、信用できた。
”声”によると暗部の人間であり、ナタリアの味方たり得ても、帝国の味方にはなり得ない。そういう見立てを聞いていた。
諸国漫遊などというものはただの道楽ではできない。彼がその身を危険にさらしてもなお、安全な都市部に定住しないのには理由があるはずだから。
”声”はその理由を情報収集だと考えたらしい。もちろん、集めた情報は金に変換しなければ生活の糧にはならない。
最初の交渉でカマをかけ、見事に彼の本業を見抜くことが出来た。
そんな彼と付き合っていく覚悟が足りなかったということだろうか。
ナタリアが無言でいると、レヴィは兜の向こう側で鋭く目を光らせた。
足音だ。
無人の空き地に近づいてくる一人の足音が聞こえる。
ここは帝城、戦闘態勢を取る必要はないが、守秘義務違反を見とがめられるのはうまくない。レヴィはさり気なくナタリアの肩に手をおいて、注意を促した。
やがて姿を現したのは、予想していた衛兵の一人ではなかった。
ナタリアはおろか、衛兵長の一人であるレヴィさえも知らない顔。立派な新品の鎧で身を包んだ若々しい青年。今日の叙勲式の主役の一人が、何故か肩を怒らせて一直線にレヴィ達へと向かってくる。
騒々しく足音を立てながら、その青年は数メートルの距離で停止、自分より背の高いレヴィを強い眼差しで睨みつけた。
「どうかしましたか。トイレならばあちらですよ」
「その人を喰ったような態度、無駄にきらびやかな宝剣!炎剣とはお前のことか?」
「――」
いきなりの喧嘩腰。
彼の様体を見るに、彼は今日上十二衛に入隊予定の新人たちの一人だろう。間違いない。なのに上司になるべき立場のレヴィにこうも居丈高に接する。意味がわからない。
レヴィは気圧されたというより、呆れて言葉もなかったという方が正しい。
ナタリアは揉め事の気配を感じ、レヴィの背中に隠れるように立っている。
青年は夜よりも黒い、艶やかなカラス色の髪を肩まで垂らしていた。男にしては長めの髪は縦に長い彼の顔によく似合っていた。手入れされていそうな毛並みを見れば、彼が裕福な家庭の出身だとすぐにわかる。
青年の理知的な顔は今は興奮の色に染められていた。
「今日、この瞬間だけ。一応あなたは客です。午後の式が済めば身内になるでしょうがね。だから、その言葉遣いを正す懲罰は、先送りにしておきましょうか。せっかくの祝いの席を血生臭くすることもないでしょうし」
そもそもレヴィは相手を対等に見ていない。名を聞くことさえ無く、青年の言葉をまるきり無視する。
当然、彼にとってそんな態度が面白いはずがない。
「ふん、確かに私はまだ上十二衛に入隊すらできていない、ただの騎士見習いかもな。けど、見習いは見習いでも、牙ある見習いだ。そんじょそこらの凡俗と一緒にしないでもらおうか。親の格を持ち出す未熟な貴族ではない、正真正銘、鋭い牙を持つ戦士だ。悪を憎み、不正を許さぬ義憤という牙が、私にはあるのだ。実力もなく、騎士を名乗るだけの紛い物とは違う、立派な牙がある」
激情を堪えながら、青年は演説を始めた。気合の入った言霊の数々。
けれど聞いているレヴィ達にはなんのことかよく分からない。
耳から入る言葉は空虚で、右から左へと風のように抜けていくだけだ。
「私はトマス、トマス・カーライル。義を知る騎士であり、不義を許さぬ義士でもある。この身は未だ未熟なれど、不正の悪を見逃す訳には行かぬ!」
「……ご立派な志です。ぜひうちの小隊以外の隊でその意思を貫いてください。暖かく迎え入れてくれるでしょうから」
「炎剣よ!私と決闘せよ!その偽りに飾られた剣技、私自らが審判してやろう!」
「……ナタリア、彼が何を言っているか分かりますか?」
「すまぬな、期待に応えられそうにない」
ナタリアはちらりと”声”の居る空中に視線をやったが、”声”すらもこの相手は分析しかねているようだった。なんの返答も得られぬまま、ナタリアは首を左右にした。
「決闘、決闘ですか。この帝城で剣を抜くというのですか?同僚、いや上司を相手に?」
「それも真実を世に暴くため。逃げたいのなら構わぬ。逃げるが良い。その一事をもって貴様の化けの皮は剥がれたといえるだろう」
レヴィはさすがに剣に手をかけさえもしなかった。相手の挑発が幼稚すぎるのもあったし、理解できないことが多すぎたからでもあった。ただ気分を害しているのは確かなので、イライラと地面を靴で叩きながら、トマスという青年を睨んでいた。
自然と取り繕う言葉遣いが崩れていく。
「私が何かお前の気分を害したとでも言うつもりか?あいにくだが心当たりがないな。つまり謂れのない中傷を甘んじて受けるつもりはないということだ。これ以上戯言を弄するならばこちらも考えがあるぞ」
ギロリ、と場慣れしたレヴィは兜越しにでも届くような眼光の力でトマスの言葉をそのまま押し返す。
けれどそのような彼女の戦意はむしろ望むところだったようで、かえってトマスの威勢は増した。
「口ばかりよく回る売女め!知っているぞ。貴様が裏で手を回し、分不相応にも上十二衛に採用されたのを!大方、士官学校に通う資格もなく、さりとて剣闘大会で優勝を狙えるほどの腕もなかったのだろうな」
「口先だけなのはそちらの方だろう」
「何を言うか!私は違う。決闘を申し込んでいるではないか。それとも私が今年の剣の大会の優勝者だと知っているから、腰が引けているのか?無理もないことだ、貴様のような紛い物の騎士では、真の牙を持つ騎士の中の騎士には敵わぬだろうからな!」
――さあ、腰の剣を抜け!
トマスは手前勝手な口上を述べた後、レヴィの返事も聞かずに抜刀した。
もはや冗談では済まない。二人の騎士の言葉の応酬では一歩引いた立場だったナタリアも緊張に肌を泡立たせた。
レヴィは冷たい目でじっと、抜かれた彼の剣先を見ていた。
「どうした!?逃げるのか、腰抜けめ!決闘を受けるか、受けないのか。さあ、答えよ!」
威勢のよい言葉。けれど稚拙な頭とは裏腹に、実力の方は相当あるようだ。
人格と、実力は必ずしも一致しない。
トマスの構えた剣先は微動だにせず、風が吹いても小揺るぎもしなかった。その剣先の延長線上にはぴったりレヴィの喉元を狙っている。一歩の踏み込みと、肘の伸ばしが組み合わされれば、その剣は喉をえぐっているであろう距離にある。
相手が同じように構えるのを待っているのだろう。若さに似合わずその待ちの姿勢には王者の風格さえ漂っていた。
レヴィもさるもので、それほどの危地にあっても冷や汗一つ流してはいない。
言葉を発さず、相手の出方を伺っているようだ。
抜身の剣を向けるトマスの発する威圧感は先程までとは比べ物にならない。
蚊帳の外のナタリアでさえ肌を直火で炙られているような錯覚を受けてしまうほどだ。
「……ふぅ。なんだ?勝負すれば気が済むのか」
「貴様の実力を白日のもとに晒してくれる!大会にエントリーすらできない臆病者には無理な話だろうがな」
「大会。はてさて、一体何のことでしょうね」
レヴィは柄に手をかけてさえ居ない。対するトマスは既に抜剣して、その刃先は油断なく喉を狙っている。
優位に立っているのはトマスの筈だった。なのに――
次の瞬間、突然うずくまって手首を押さえたのはトマスの方だった。
悲鳴を押し殺しながら右手首を掌で必死に抑えつけている。必然、両手持ちの彼の剣はドサリ、と音を立てて土の上に落ちている。
「首を斬られても文句を言えないような愚行をしたと理解しなさい。二度と戯言を言わぬと約束できるのならば、この場はこれっきりで収めます。同じことを繰り返しますが、祝いの席を血生臭くするつもりはないので」
悠然としたレヴィの声。
決闘と呼ぶも烏滸がましい。勝負は一瞬の内についていた。
ナタリアはレヴィが勝つことを疑ってはいなかった。けれどその決着の仕方はまるで予想外だった。
「け、剣を抜いた動作さえ見切れなかった?そ、そんな馬鹿な……!まさか」
「剣は抜いていませんよ。どうしてわざわざ自分から初動を遅くするでしょうか」
驚くべきことに、レヴィは魔術も使っていない。ただ体術のみで右手の手刀を振り切り、トマスの手首の骨を砕いたのだ。一切のよどみ、躊躇のない攻撃。修練を積んでいるというより、実戦で使った経験が何度もあるのだろう。与える打撃、回避される可能性、何もかもが手慣れた一撃だった。
「ひ、卑怯だぞ!騎士の決闘に剣を抜かないとは……!!」
「貴方は既に構えていたではないですか。それが合図だというのならば、既に勝負は始まっていたのでしょう?」
「しかし、剣が……!!」
今も激痛に耐えているのだろう。歯を食いしばるトマスは、ギラギラと燃えるような目でレヴィの腰の宝剣を見つめていた。
「ぐぅぅ。そ、それだけの力がありながら、何故大会に姿を見せなかった!?実力があるというのならば、大会でそれを見せつければ良かった筈だ!なのにどうして……」
「……あぁ、そういえば剣闘大会の優勝者と言っていましたね。貴方の言う大会とはそれのことでしょうか」
「そうだ!通例ならば、大会の優勝者と準優勝者は上十二衛に推挙されることになっている。分かるか!?その狭き門だけが平民が騎士になれる唯一の機会なんだ!絶対に公平に行われなければならないし、不正があってはならない。そういう神聖な大会なんだ」
軍事改革の行われた帝国では、騎士というのは過去のロマンであり、名誉ある称号だ。古き良き時代の香りを残す上十二衛だけがその名を後生大事に抱えている。
騎士物語として美化されることの多い騎士になろうとするのなら、なるほど。上十二衛に入隊する他ない。
「そういうことですか、ようやく合点がいきました。つまりあなたは私が大会に与えられていた筈の上十二衛の席を一つ持って行ってしまったことが我慢ならないと、そういうことですか?」
上司から式典の参加者について、少しだけ話を事前に聞いてたレヴィはトマスの立場とその言葉の意味をようやく理解できた。
「――なんとなく、動機は理解しました。理解した上で再度問います。抜けば冗談では済まないのですよ?」
血気盛んだったトマスも、一度その鼻っ柱を折られている。冷静に自分を省みたのか、さっと顔を蒼ざめた。
「こ、殺したいのならそうしろ。覚悟ならできてる」
「……誤解を解いておきましょうか。わかってもらえるとは思いませんが、説明もしないのは私の努力不足になりますから。――そも、私は一度たりとも禁軍上十二衛の立場を望んだことはありません。地方軍にいましたからね。禁軍の内部組織など気にしたこともありませんでした」
自分が憧れていたもの。その価値を貶められたと感じたのか、トマスは一瞬鼻白んだ。しかし敗者としての立場を思い出し、項垂れ悄然とする。
そんな青年の逃げを許さないかのように、鎧姿の女丈夫は腰を落として視線を合わせる。
「衛兵としての勤務を望んだのは確かです。けれど下っ端の意思がそのまま通るなんて、都合のいいことはありません。なんの因果か、上十二衛の小隊長という過分な立場を拝命しました。他人が羨むようなものではないと思いますよ。もちろん責任逃れをする意図はありません。私の意思でなかったとしても、この場に立っているのは私の選択ですから。だから、そう――貴方の怒りが正当性を欠いていたとしても、私はそれを受け止めましょう」
弁舌で説き伏せられたというわけではなかった。
しかし打ちのめされていたトマスは、その言葉を受け入れる他なかった。
「――宣言通り、懲罰は入隊後まで延期しておきましょう。その日を楽しみに。そして今日はおとなしく歓迎されておきなさい」
居なくなった彼を探しに来たのだろうか。彼の友人らしき青年が手を振りながらやってきていていた。
レヴィはトマスの耳元で囁いた後、ポンと肩を叩き立ち上がった。鎧姿の長身がすっくと伸び上がったものだから、走り寄ってきた青年は嫌でも注目せざるを得ない。
レヴィの鎧は常日頃の実戦向きの無骨なものではなく、上十二衛らしい見栄え重視の一張羅だ。見るものが見れば彼女が上十二衛の小隊長だということは容易く察せられるだろう。
案の定、レヴィの存在を認めた瞬間、やってきた青年は動きを急停止。硬直の後、直立不動の姿勢をとった。
そんな真面目な青年に、レヴィは気安く呼びかける。
「この者の知り合いですか?」
「は、はいっ!本日付で麒麟隊配属予定のオッペンハイマーです」
「彼は怪我をしているようです。時間があれば医務室に連れて行ってあげなさい」
レヴィに指差されたトマスは、気丈にも赤く腫れ上がった手首を我慢して一人で立ち上がる。
意外な成り行きに困惑気味のオッペンハイマーを置いて、トマスは踵を返した。
そのまま無言で歩き去るつもりのトマスに追い打つように、
「忘れ物をしていますよ」
レヴィは地面に刺さったままのトマスの剣を示した。
善意などではない。一切の謝罪の姿勢を見せないトマスへのレヴィの返礼だ。
もはや彼に重い騎士剣を握る握力は残っていない。
剣にこだわる彼にとってはこの上ない屈辱だろう。敗北、というものをこれ以上無く味合わせる仕打ちだ。
しかしトマスは意地を見せた。
再び向き直り、怪我をしていない方の片手で剣を引き抜こうとする。少し動いただけで痛みが走るのだろう。トマスは苦痛に顔を歪めながらも、泣き言を漏らしはしなかった。
トマスの真剣でありながら滑稽な意地を見て、レヴィは何を言うでもない。
ナタリアも口を挟める空気ではなかった。
「お、おい。トマス、その腕……!」
怪我の様子は視覚にもわかりやすい。オッペンハイマーはトマスの手首を見て目を丸くしている。
「手伝――」
「いらん!!」
トマスは叫んだ。歯を食いしばり、額に血管を浮き上がらせながらも。
強い制止の意思。力のこもった叫びに、助けようとしたオッペンハイマーも思わず立ち止まる。
「俺に構うな。俺は炎剣殿と話がある。医務室には一人で行く」
「い、いやでも……」
オッペンハイマーも大人しくその言葉を受け入れられない。何しろ明日からの上司であるレヴィの命令があるのだ。少し拒まれたくらいで命令を放棄するわけにはいかなかった。
「何度も同じことを言わせないでくれ。幾ら片手とはいえまだお前よりは強いぞ」
トマスの脅しに屈しかけたオッペンハイマーはレヴィに助けを求める視線を流す。レヴィは仕方ないという風に首を振った。露骨に安堵したオッペンハイマーは頭を下げてからその場を退散する。
「ふー、ふー、ふー。……剣の腕ならば負けてないと、今でも思っている。だが勝負に負けたのは事実だ。勘違いも認める。だから謝罪する」
息も整えないまま、トマスはぶっきらぼうに言い放った。
申し訳程度に軽く頭を下げて、トマスは去っていった同胞の後を追うため背を向けた。
「準優勝者の方は、貴方よりも強いのですか?」
その背中に向かってレヴィのかけた言葉は予想外のものだった。何故そんなことを今聞くのだろうか。
ナタリアにはレヴィの思考の道筋をまったくたどることが出来なかった。けれど、トマスの方はそんな脈絡のない質問に感じ入るものがあったらしい。
歩みを止めて、背中を向けたまま喋り出す。
「剣の腕に限定すれば、間違いなくあいつは私より強い。と、いうことは貴方よりも強い可能性だってあるということだ。きっと上十二衛は後悔するだろう。あいつを採用しなかったことを。先見の明のなさを嘆くに違いない。それくらい強い。なにせ剣術師範のジン殿を模擬戦とはいえ、倒したこともあるんだ。ジン殿は陛下直属の帝国一の剣士。その御仁と互角のあいつの実力は、私たちの世代では最強といえるだろう」
「友人ですか?」
「……違う。だが、あいつの剣は美しい。私がいくら弱かったとしても、準優勝のあいつを色眼鏡で見ることだけはやめてくれ。敗者が勝者へ望むせめてもの願いだ」
「ふふ、いいでしょう。跳ねっ返りの一人や二人、相手にするのは慣れています。不問に、とまではできませんが、最大限の配慮はしましょう。真剣を使用していたとはいえ、本気で斬るつもりはなかったようですしね」
「そこまで見ぬかれていたか……。道理で剣相手に徒手空拳なんて大胆ができたものだ。これは戦う前から精神で負けていたな」
こてんぱんに負かされたにも関わらず。トマスはふてぶてしい態度を崩さぬまま、去っていった。
いきなり剣を向けられたのに、レヴィは何故か上機嫌だった。
剣を交えた者同士にしかわからない心境というやつだろうか。暴言も無礼な態度も綺麗に忘れてしまったかのようなレヴィにナタリアは毒気を抜かれてしまった。
悪口を言われて感じたナタリアの怒りはまだ残っている。けれど言われた本人はもうなんとも感じていないようだ。
激怒してしかるべき人物の方が先に気分をよくしてしまった。置き去りにされたような寂しさは、やがて滑稽さに変わり、いつまでも怒っている自分のことさえも、バカバカしく感じられる。
「狭窄な視野で、傲慢な者でしたが、気骨のある若者ですね。根性はありそうです。うちの隊にもああいうのが一人欲しいです」
そしてあろうことか、皮肉混じりとはいえトマスを称賛し始めたのである。
問答に意味があったのだろうか。ナタリアにはわからない。
彼について知っていることが少なすぎるし、レヴィの心境も分からない。ナタリアの気にすることではないのだろう。
それより今むしろ気にするべきはミックのことだった。
いや、ミックだけにとどまらない。
武官との密会を目撃してしまったデュアルソロス。
衛兵に捕まっているというミック・ジャガー・タスケ。
信頼していた大人たち。疑惑を杞憂だと証明するためには、彼らと向かい合うことを避けてはならない。
明日からは、きっと。
そういう決意を固めていたナタリアの<超感覚>の警戒網に、爆音が鳴り響いた。
ドン。
鈍く響く音。地面が揺れてその衝撃の大きさを物語っている。
ナタリアもレヴィもはっとして、その大音響の方向を見る。音の出処は会場ではないようだが、近い。
空にはゆっくりとたなびく白煙の姿があった。
爆音の炎の証の煙。これは――
「どうやら、一波乱ありそうです」
険しい表情のレヴィを追って、会場への路をひた走る。
その背中には黙然とする揺らめく影があった。




