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師父慕う少女、果てに至る物語  作者: 犬山
犬、猿、雉
17/64

16百挙百捷の未来絵図

 

 軍の誘いを断った翌日。

 ナタリアの姿は上十二衛専用の練兵場の片隅にあった。

 練兵場というのは、平時でも兵士がたるまないように訓練が行われる施設である。帝都にも幾つか存在するが、その大半が屋根壁のない野山を練兵場と言い張ったものばかりだ。より実戦的な訓練を施し、多人数に連帯行動を取らせるためには、むしろ無人の広野こそ相応しいのだ。

 とはいえ、全てが全てではない。

 ここは珍しくしっかりとした建物がある練兵場だ。

 上空から俯瞰すると、建物はロの形になっている。四辺の石造建築は、外階段を持つ二階建て。

 宿舎など、兵のための福利厚生施設が集められている。


 常備軍を養うというのは、兵士の人数分生産人口を減じることだから、吝嗇な軍部は、密かに平時の副職を推奨していた。

 遠征などの築陣で欠かせない土木作業の得意な地属性の兵士は、民間の土木作業を手伝ったりもしている。他にも軍楽隊や、細工師など、さまざまな活動を可能とするアクティビティスペースまで設けられた総合的施設がここなのだ。

 武力も持つ者は力を持たない民衆に、優越感を抱くことがある。その僅かな驕りがトラブルの原因になるのだ。内職を許可する半民半軍政策によって、そういった兵士と民の確執は軽減されている。無論、全てが成功というわけにも行かなくて、貴族出身者の多い近衛兵や、レヴィ配下が代表格の粗暴な兵士はこのような民間交流の施設に馴染めずにいる。

 上十二衛は様々な特権を付与された近衛兵だが、この施設を利用するものはいない。レヴィが上十二衛専用場の施設利用申請を出しても、誰とも競合しなかったのは、そういう背景があった。


 中庭は全方位から見下ろされているため、目立ってしまうのだが、隅の方にはちょっとした死角がある。魔術を使うのに丁度いいスペースだ。

 ナタリアはレヴィに協力してもらって、新製の魔術の実用テストを行うことにしたのだ。

 試す術式はもちろん<循環盾>。


「ここら辺でよかろう。ではレヴィよ、打ち合わせ通りに頼む」


「分かりました。では――」


 足元の小石を拾い上げたレヴィは、手首のスナップだけでそれを投擲してみせる。その早業は、一瞬で石が消失してしまったと見紛うほど。相当に熟練していなければ、これほどの技は使えまい。

 ナタリアの足元目掛けて飛来した飛礫は、予め設置してあった風の渦に吸い込まれた。ぐるぐると旋回を続ける渦巻きは、強烈な横風で小石を拾い上げ、完全に勢いを殺す。

 瞬く間に、いずこかわからぬ何処かへ放り捨ててしまう。

 成功だ。


「やった!やったぞ!!」


「……恐ろしい発想です。これならば、戦場でもいちいち防御体勢を取るまでもなく、守ることができる。現時点で十分採用圏内でしょう。空属性の魔術師ならば、半恒久的な盾を千金を積んでも、求めることでしょう。私にも術式を教えて欲しいものです」


「もちろん、良いぞ?じゃが、まだまだテストはこれからじゃ!」


 踊り回りたくなる心を押さえつける。澄まし顔のナタリアは借り出した武器類を、顎で示して見せた。レヴィの足元に置かれたそれらは、<循環盾>がどこまでの防御性能を持つか、テストするためのものである。

 <龍蛇>という上級魔術の術式を参考にしただけあって、並大抵の攻撃は止められるとナタリアは踏んでいる。止められずとも、勢いを弱められれば片手盾などを併用することで、防御力の底上げを図れる。


「では――」


 レヴィが選んだのは木製の先端の潰れた鏃を持つ練習用の弓矢だった。両手持ちの長弓が、レヴィの両腕にすっぽりと収まる。


「行きます」


 ナタリアの脛の辺りに向けられた矢先。ギリギリと限界まで弾き絞られた弦が、びゅんと空を切った。

 <超感覚>の目は、一連の挙動をスローモーションで捉えていた。手から放たれた矢は僅かに回転しながら一直線に近づいてくる。角度が下向きなお陰で、その動きは観察しやすい。

 あっという間に盾に着弾した矢は、急激な気流の渦に巻き込まれ、動揺しているように見えた。

 あれだけ堂々と飛んでいた矢は、自信無さげにフラフラフラフラ。

 当初の勢いは完全になくなっていて、ポタリと、ナタリアの足元に落ちた。


「……跳ね飛ばすまでに至らずとも、完全に無力化できていますね……。借り物の弓とはいえ、全力で絞ったのですが」


 実験は成功だ。しかしレヴィは目的を忘れ、攻撃を防がれたことが不満そうだった。


「もう一度、よいでしょうか?」


 悔しそうなレヴィは、リベンジとばかりに再度矢筈を整えた。

 次の狙いはナタリアの肩辺り。だんだんと狙いが心臓に近づいてきているのが怖い。

 念の為、展開していた<循環盾>を貼り直し、防御力を元に戻す。

 仮にも上級魔術だ。この程度で回転速度が落ちるとは思えないが、万が一がある。

 盾が展開されてから一拍。気迫のこもった一撃が、螺旋の渦に突き刺さる。同時に木が避ける音が聞こえた。

 一直線のベクトルは、渦の生み出す横方向のベクトルの影響を大いに受けた。ぐらぐらと揺らぎ、そして真下に落下こそしなかったものの、ナタリアの手の平でキャッチできる程度の速度まで落ちていた。

 ふとレヴィの方を見れば、砕け散った木の弓が無残な姿を晒していた。

 決まり悪そうな顔でレヴィが、


「えぇっと。弁償しなければならないのでしょうか、これ?」


「かも、知れぬなぁ。――っと!血!血!血が出ておるぞ!」


 一筋の赤い雫が、レヴィの額から零れ、胸の谷間に落ちて行った。

 暴発した弦に切り裂かれたのだ。幸い軽傷のようだが、これ以上テストを続ける気分では無くなってしまった。

 本来ならば他にも槍剣類や、<風弾>に耐えられるか試行する予定だったのだが。


 訓練用の借用武器を受付に返却する。

 武器も消耗品だから、このように破損することはたまにあるらしい。訓練用ということで、荒っぽい使われ方をされることが多いから、なおのこと。弁償の必要はないとのことだった。


「でも、昨日点検したばかりだったんだけどなぁ。あ、炎剣殿のせいではありませんよ!?うちの者の職務怠慢です!厳しく叱っておきますので!えぇ、お怪我なされたとのことで、医務室にご案内致します」


「まぁ放っておけば治るとは思うが、好意には甘えておこうか」


 ナタリアには用事がないので、一人で先に帰ってもよかったのだが、やはりこの界隈は物騒である。禁軍兵士がみっちり詰まった施設の近辺で犯罪者は肩身が狭いだろうが、その代わり犯罪とも言えない些細なトラブルの種はあちこちにある。

 以前、レヴィの宿舎を探していたときにも面倒ごとに巻き込まれた。

 無闇に一人きりになるものでもないだろう。

 そう思って、レヴィの治療に付き合った。


 帝城では何人も見た医務官だが、城の外で見るのは始めてである。生傷の絶えない兵士のために、練兵場では常に一人の医務官が待機しているそうだ。

 浅い傷だったので、治療はすぐに済んだ。軟膏を頬の傷に塗りこんで、あとは皮膚の表層に<治癒>をかける。それだけだ。

 

 帰り道。二人で並んで歩く。


「それにしても、恥ずかしい所を見せてしまいました。いつもならば、武器に合わせた力に加減して扱えているのですが。いや、面目ない。まだまだ私も未熟です」


「傷が浅くて何よりじゃ。武器が壊れることはよくあることなのか?」


「あぁー、まあ、その武器に慣れないうちはしょっちゅうです。さすがに家伝の宝剣を持たされた時は、壊さないように必死に剣の鍛錬しましたが」


 ナタリアは丁度視線の高さにあった、レヴィの腰の剣を見る。宝玉などで見事に飾られたそれは、なるほど。そこらでは手に入らぬような名剣に見える。貴族らしい武器といえよう。


「あ、これは違いますよ?レプリカです。影打ちというらしいんですが、本物はさすがに帝都に来るときに実家に残してきました。万が一でも壊せない武器というのは非常に使いづらく……。そもそも剣という武器自体があまり好きではないのです」


 戦闘に関することとなると、レヴィは饒舌になる。

 ナタリアが不用意に話題を振ったせいで、刃毀れの心配のない打撃武器の素晴らしさを熱弁されてしまった。道中の話題には事欠かなかったが、付着する血糊による武器性能の劣化など、妙に現実味のある説明は聞いていて、あまり気分の良いものではなかった。

 完璧だと思っていた衛兵長もよく知って見れば、意外な欠点があるものだ。


 ともあ実用試験は無事成功したといえる。血生臭いほどに実戦経験の豊富なレヴィも悔しがりながらも、太鼓判を押してくれた。いちいち迎撃の手間を取らずとも、矢弾を防ぐことができるというのは、革命的な変化だった。戦場における盾の術式を習得した空属性の価値はうなぎのぼりになるだろう、と。

 あえて欠点を探すとすれば、上級魔術にカテゴライズされる難易度のそれは、凡百の雑兵には扱いにくい、ということだろうか。

 けれど生まれて一週間にも満たない新進気鋭の術式にそこまで完成度を求めるのはおかしな話だ。何千人もの魔術師が、過去から続く血脈を連綿と受け継ぎ、次代へ継承してきた。多くの人生と犠牲の上に成り立つ術式は、多くの人々の手から手へ受け渡される度に、少しずつ研磨されてきた。


『あとは台風の目も弱点といえば弱点だな。竜巻とか台風とは発生の原理からして全く違うが、中心点の風速が周辺部よりも遅いのは、当然だ。その点をピンポイントで狙われれば、盾も貫通されちまうかもな』


 弱点はあるかもしれない。けれど初めから完全無欠など求めてはいない。縦をかざす角度を動かせば、穴のある盾も十分運用できるだろうし、その動き自体を術式に組み入れるのも悪くない。

 それは<循環盾>が失敗作ということではなくて、改善の余地があるということだ。


 <循環盾>も開発したのはナタリアだとしても、それは無から生まれたわけではない。前提とすべき術式が存在し、先駆者の力を借りて結実したのだ。その大いなる歴史の歩みにナタリアは参加した。

 長い時間をかけて、それこそ王朝一つの年月を使って、新術式は洗練されて行くのだろう。

 ナタリア一人の力で、最初から完成度の高い既製品を生み出せるなど、増長慢も甚だしい。

 それくらいはナタリアにだってわかっている。短い期間だが、師父様の教授を受けた身。恥ずかしい真似はできない。


 だが、それはそれとして。

 嬉しいものは嬉しいのだ。

 始めて何かを為せた。貰ってばかりの幼い自分が、人の役に立つものを作り出せた。”声”の発案でもない、自分が始めて、自分で到達した目標だ。嬉しくないわけがなかった。


「これは……死ぬ気で取り組んで、一週間で覚えようと思っていましたが、簡単ではありませんね。職務との兼ね合いも考えるなら、一ヶ月はかかりそうです」


「悪いがその書類は門外不出じゃ。まだまだ完成形とは言えぬしな。三ヶ月後の発表会に向けて改良をさらに進める予定じゃ。どうしても必要ならば、<転写>で送ろうか?」


「いえ、そこまでしてもらうのは悪い――いや、お願いします」


 <転写>はあまり得意ではないから、軽い冗談のつもりだったのに。

 意外にもレヴィはその申し出を受けた。

 一般に<転写>で得た知識は本を読んで得た知識よりも、更に身につきにくいと言われている。脳で行われる活動のプロセスはこの世界では未解明だが、あえて平たく説明すると、”二度手間”なのだ。

 記憶を思い出すという通常のプロセスが、脳が経験を思い出すということだとする。習熟するというのは、脳が思い出す前に身体が経験を思い出し、判断よりも先に実行してしまう領域だとする。

 二つのプロセスでは思い出すという行為主体こそ違えど、行われるのは思い出すという一つの行動のみ。

 しかし<転写>は根本的に異なる。送り込んだ情報は一つののパケットとして、一纏めにされて送り込まれる。思い出すために必要なプロセスは、三段階。

 写真のように一つの画像を脳が思い出す。それはもちろん送り込まれた<転写>情報だ。その後、脳内で書かれている情報を読み取る。ちょうど本のページを写真に撮って、後で見返すみたいに。情報の意味を理解した脳は、ようやくそこで意味のある情報として、”思い出す”ことが出来る。


 あまりに迂遠。

 本来であれば不必要な工程を噛ませているせいで、いざという時<転写>の知識を瞬間的に活用することは不可能だと言っていい。

 魔術術式の売買を行う魔術ギルドから、素晴らしい術式を<転写>してもらっとしても、それが魔術を発動できることとイコールにはならない。

 手に入れた情報をもう一度覚え直す。

 書いて見たり、時折思い出す練習をしてみたり。

 とにかく、勉強あるのみ、だ。

 

 そして、そうまでするのなら、最初からメモに書き取ったことを直接覚えてしまった方が良い。

 つまり<転写>をあくまで実利的な面からのみ評価すれば、”後で思い返すための見えないメモを頭の中に送る”だけのものでしかない。


 実戦的な魔術を特に好むレヴィが、大して役に立たない<転写>による術式移転を受けるとは思わなかったのだ。


 連れ立って歩いて、オデオンの店へ戻る。


「最近は非番も増えてきまして、一週間に二日ほどは休みの日があるのですよ」


 元から最年少の小隊長として注目を集めていたレヴィは、同僚たちから陰湿な嫌がらせを受けていた。城内の巡回の回数を増やされて、それを断らないものだから、ずっと城内の衛兵をやらされていたのだ。

 部下の紅雀隊隊員たちは交代制で休みを取らせていたが、レヴィ本人は一日も休まず職務に邁進した。

 苦を苦と思わずにやってきたレヴィ。

 しかし幽議会の後からは事情が変わっていた。幽議会という秘密会議が開かれていたことは、一般には知られていないことだ。レヴィの同僚の小隊長たちも、会議の存在は知らない。

 けれど空気が変わったことは敏感に感じていた。

 つまり軍部の上層部の動きの余波を察していたのだ。


 あの会議で明かされたナタリアという奇貨。それを監督する従士の主たるヘイルダム・ダールクヴィスト。帝国上層部の間に突如浮上して来た二人の女の名前。表向き会議の存在自体が秘密でも、気にかけているということは秘密にしておけるものではない。

 レヴィが上層部に密かに監視されているために、同僚たちも嫌がらせをやめざるを得なかった。そもそもが確固たる悪意から生まれたハラスメントではなく、若輩者を侮るなんとなしの悪意から生まれた嫌がらせだ。

 始まりに予兆がなければ、終わるのもまた唐突だった。


 上司に見られているとわかっていてなお、つまらないプライドに拘泥する者はいなかったのだ。


 嫌がらせが消えたお陰で、通常の勤務体系に戻った紅雀隊は、休日を満期している。

 その隊長であるレヴィも、休みの日にはナタリアの所に足繁く来てくれるようになった。

 本来ならば休日平日問わず、常に主に付き従うのが従士の役割なのだが。


「叔父と毎週のように会えるなんて思いもしませんでした。きっかけが無ければ、叔父にまた会うこともなかったでしょう。あなたには感謝しています」


 オデオンの店のが見えてくる直前の曲がり角、レヴィが小声で言う。驚いて顔を見上げると、珍しくはにかんだレヴィの赤面が拝めた。


「さ、早く帰りましょう。折角のお土産が冷めてしますよ?」


 追求を逃れるために、買ったばかりの熱々の焼き串を人質にとったレヴィは微笑みながら強くナタリアの手を引いた。






 曲がり角を曲がる前からナタリアはその喧騒に気づいていた。

 レヴィの裾を引っ張り、注意を促す。

 浮かれた気持ちを即座に制御して、そのサインを読み取ってくれたレヴィは、一人で角に近づき向こうの通りの様子を窺った。

 

 オデオンの店の前の通りは、時間帯によって人目の多寡が異なる。オデオンが開店中の早朝ならば、付近の常連客が大勢やってくるので、うるさいくらいの賑わいが生まれる。反対にそれ以外の時間では、オデオン以外に集客力の有る店舗がないせいもあって、辺りは閑散としている。

 人の目がなくなれば、治安は悪化する。火を見るよりも明らかな自明の理。

 

 それでもナタリアが下宿し始めてからは、トラブルらしい何かを見かけたことはついぞ無かったのだが……。

 

 オデオンの店の斜め前で、数人のガラの悪いチンピラが一人を取り囲んでいた。

 狙われている方は、背の低い男性で、ずいぶんみすぼらしい身なりをしている。見た目は何処にでも居るようなスラムの住人で、決して目立つところのない彼が、どうしてターゲットにされてしまったのだろうか。

 金銭でも要求されているのか、男は何度も頭を下げて平謝りしている。

 当然、徒党を組んで気の大きくなっているチンピラがそれで収まるはずがない。

 難癖をつけた一人が、隙の大きい動作で片手を振りかぶり、思い切り拳を叩きつけた。

 殴られた男は驚くほどの勢いで吹き飛び、通りの反対側まで吹き飛ばされる。

 あれほどの衝撃ならば、骨が折れているかもしれない。殴った本人さえ、やり過ぎたかと顔を青くするような、ストンと嵌った綺麗な一撃だった。


「――止めてきます。ここから動かないように」


 一連の行為を座視して見逃してしまったレヴィは、唇を噛み締めながら飛び出した。


『あの騒ぎが陽動ではないと言い切れないから、な。ガキ、注意だけはしておけ。俺も一応周辺を探ってみる』


 諍いを目にしたレヴィが、すぐさま止めに行かなかったのは今が非番だということもあるが、むしろナタリアの身の安全を優先した結果だった。

 幽議会以降ナタリアが直接狙われることはなかったが、これまで幾度も襲撃を受けた前例がある。この騒動も、仕組まれたものではないと、言い切ることは難しかった。

 ともかく言われた通り、周囲に異常がないか、魔術と感覚を研ぎ澄ませる。


 騒ぎ自体は呆気なく終了していた。帯剣したレヴィの威圧感は尋常ではない。彼女が駆け付けただけで、蜘蛛の子を散らすようにチンピラが逃げて行く。

 そもそも彼らは浮き足立っていた。レヴィは背を向ける殆んどの雑魚を無視して、暴行の現行犯のみに照準を絞る。

 一息で、距離を詰める。伸びる腕。

 魔術によって加速された腕がチンピラの手を掴み取るや、万力のように締め上げ、流れるように関節技に連携していく。

 バランスを崩したチンピラの転倒の勢いさえ計算に入れていたレヴィは、相手の体重そのものを利用して、肘関節を決める。


「ま、まいった……」


 少しでも動けば、肘が逆向きに折れ曲がるだろう。

 制圧されたチンピラは、そう悟り大人しく降参した。


 気を利かせた通りすがりの一人が、衛兵を呼びに行った。

 派手に吹き飛ばされた男は無事だろうか。ナタリアが彼の倒れている場所に視線を動かすと、むくりと起き上がる彼の姿が目に入った。

 腹筋の力だけで上半身を起こした男は、バネのように身体を跳ね上げてその場に直立する。怪我の影響など感じられない、溌剌とした動きに、ナタリアは目を丸くした。


「そこの方、大丈夫ですか?」


 チンピラを捕縄したレヴィが、怪我人の元気な様子を訝しみながらも声を掛ける。

 身長の低い男だった。顔の彫りは浅く、まぶたは厚ぼったい。しかし不細工かといえば、そうでもない。泥で汚れた肌は黒っぽいが、垣間見える地肌は子供のようにきめ細やかだ。低い鼻も丸っこく愛嬌がある。


「えぇ、助かったッス。感謝感激雨あられ」


 ひょうきんに頭を下げた男は、人懐っこい笑みを浮かべた。殴られたはずの頬には、何の跡も見当たらない。むしろ地面に倒れた時に擦りむいたらしい、手足の擦り傷の方が痛々しいくらいだ。


「これから事情聴取が行われると思います。面倒だと感じるかもしれませんが、犯人に正当な罰を加えるためにも必要な工程です。ご容赦ください」


「あ、もしかして警備の方ッスか?これはこれは。へえ、事情聴取。お付き合いしますです、もちろん」


「……あれだけ派手に飛んだにしては、怪我が浅いようですね」


「あぁ、ちょっち武術をやってるんで、殴られる瞬間後ろに飛んだッスよ。殴られた所はあちっとも痛くないんスけど、倒れた時に擦りむいちゃって。治療費って貰えるんスか?」


「分かりました。話は付けておきましょう」


 身なりからして、持ち合わせは少なそうだ。早速治療費の心配を始めた現金な男にレヴィは苦笑した。

 騒ぎに乗じて襲撃をかけられるという危惧は杞憂だったようだ。

 ホッとため息をついて、胸を押さえた。取り敢えず一安心というところだろうか。

 角からその騒動を覗き見ていたナタリアは、最低限の警戒として<超感覚>だけは発動しながら、レヴィの元へ向かった。


「少し家の中で待っていてください。彼を警備の者に引き渡してから合流します」


 レヴィは顎で指したのはオデオンの店の窓。さすがに店先での騒ぎに気づかないはずがない。オデオンの仏頂面が窓から覗いていた。

 彼はナタリアの視線に気づくと、中に入るように、目で促す。


「うむ、そうじゃな。その言葉に甘えよう」


「あれ?」


 ナタリアが店の中に入ろうとポーチに足を踏み入れた時、例の被害者の男が、ナタリアを見て素っ頓狂な声を上げた。


「もしかしてッスけど、ナタリアさんッスか?」


 なぜ彼が名前を知っているのだろう。思わず立ち止まり、振り返る。

 まじまじとその顔を凝視するが、見覚えのある顔でもない。

 声色から敵意のようなものは感じられない。何の作為もなく、ただ有名人に会ったという反応だ。


「そうじゃが?何か」


「あー、えーっと。そうだ!名乗ってなかったッス。拙者は、ミック・ジャガー・タスケ。記者をやっている者ッス。ファーレーンさんの知り合いなんスけど、聞いていないッスか?弟子のナタリアさんッスよね?」


「師父様の……?」


 俄然必死に記憶の引き出しを探るが、わからないものはわからない。

 今の時点では、彼の言葉が真実かどうかさえはっきりしないのだ。


「探してたんスよ!ここら辺で目撃されたって聞いて、記者らしく聞き込みをね。まぁそれで目立ったのか、変なのに絡まれたんスけど」


 ちっとも痛そうに見えない頬を、労わるようにさすり、ミックは苦笑した。

 親戚のいないナタリアは、相手だけが自分のことを知っていて、自分は相手の事をよく知らないという、幼少期に体験する当然の経験がなかった。

 親しさを醸し出すミックを見て、その感情を共有出来ないことを、不満に思う。


「ミックさん、ですか。丁度警備の者が来たようです。後ほどゆっくりお話しさせてもらいましょう」


 二人のやり取りを見守っていたレヴィが告げたように、通りの向こうから、軽鎧を着けた二人の衛兵が小走りでやってきていた。


「え、うわ、凄い。ナンパされたのなんて、生まれて初めてッス。しかもこんな美人さんから!」


 何か根本的に勘違いをしているらしい。笑顔を弾けさせたミックは、唖然とするレヴィを残して、やってきた衛兵たちを迎えた。


 その間、レヴィは石にでもなったかのように、身動ぎしない。

 やって来る衛兵の応対を期待していたのだが、当てが外れたようだ。ナタリアは不審に思いつつも、ミックと協力して事件の事情を説明したのだった。







 大賢者の知人だと自称する彼と、ナタリアは再会の約束を取り交わす。

 衛兵は捕縛されたチンピラを引っ立てて、ミックと共に詰所へ去って行った。


「そういえば、治療費について便宜を図ると言っておったが、何もせずともよいのか?」


 固まってしまったレヴィに話し掛ける話題が思いつかず、どうしても話題は先刻のミックという男のものになる。

 話しかけられ、ようやく硬直が解けたレヴィは、ぎしぎしと音がしそうな不自然さで首を振った。


「忘れていました。後で連絡しなければ……」


 そのままフラフラと歩き出すレヴィを慌てて呼び止める。

 危なっかしい。今度は先刻までと真逆で、ナタリアがレヴィの大きな手を引きながら、店の中に連れて行く。中に入ると、スープの香りが微かに漂っている。通りで騒いでいる間に、ナタリアたちのため、調理してくれたらしい。


「まぁ、いろいろ言いたいことはあるが、とりあえず食え」


 オデオンが用意してくれたスープは、ほかほかと湯気を立てる出来たてだった。レヴィを肘で小突いて、買ってきた土産を出すように促す。

 未だ呆然としているレヴィだったが、芳醇な香りを味わううちに意識が戻ってきたらしい。屋台で買ってきた串焼きを取り出して、スープと合わせて立派な昼食にする。


「さぁ、早くせんと冷めてしまうぞ。頂こう」


「肉か、まともなものは暫く振りだな」


 口下手のオデオンまでもが、盛り上げようと頑張ってくれている。

 彼の努力の甲斐あって、変な空気はようやく払拭されつつあった。


「彼は……ミックは大賢者の知人だと言っていましたね。ナタリアには見覚えがないのでしょう?」


「うむ、記者だとも言っておったな。もしかすると出任せかもしれん、用心して会うつもりじゃ」


 再会の約束は、このオデオンの店の前である。どうやら帝都に明るくないらしいミック相手に、ちょうどいい待ち合わせ場所が他に見つからなかったからだ。それならば、と出会った場所をそのまま待ち合わせに指定したのだ。

 よくある揉め事の後処理で、それほど時間がかかる筈もない。昼下がりには再会できるだろう。その時改めて、大賢者のことを問い正せば良い。


 敵か、味方か。今はただ、成り行きを見守るしかなかった。



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