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師父慕う少女、果てに至る物語  作者: 犬山
犬、猿、雉
16/64

15大樹美草の躍進


「ソナー?」


「海中での音の伝達速度を計測したことはあるかの?エコーロケーションは陸上よりも懐中の方が利便性がよほど高いらしいぞ?」


 伝聞形になってしまったのは、やはり又聞きの知識をさも自分の力であるかのように誇るのが恥ずかしかったからだ。”声”の博識さが常軌を逸している分、凡人である自分が情けなくなってくる。

 せめて精神衛生のためにも自力で考案した<循環盾>だけは早めに形にしたい。

 

 空属性の研究を進める。そのためにも、さっさと厄介払いを済ませたいところだ。


「外洋船に乗るような専門の魔術師ならば、もしかすると既に近いものを形にしておるやも知れぬ。運が良ければ、彼らから情報を得ることが出来るかも知れぬな」


 と、適当なことを言っておく。

 無責任な言葉ではあるが、全くの嘘でもない。

 良心から来る心痛は殆ど無かった。


「ほ、ほんとなの?というか、エコーロケーションって何?」


「お主のやろうとしていることじゃよ」


 口が滑ったので大物ぶって適当にごまかす。用語については”声”からの伝聞を尤もらしく伝えているだけだ。専門家から鋭いツッコミを受けすぎればボロが出る。そこら辺はうまく曖昧にしたつもりだったが。


 コンラも最初に出会った時は、完全に子供扱いをしてきて腹が立ったものだが、すこし”声”の異界発知識を与えただけで、勝手に一目置いてくれるようになった。


 さすがは実力主義が人種主義を駆逐している先進的な王国で学んだだけのことはある。

 したたかな彼女はナタリアが単なる子供ではないと見るや、即座に根掘り葉掘り聞いてくるようになり、単に侮ることはなくなったのだ。変わり身の速さは電撃的だ。

 飯の種にならないプライドはあっさり捨てて、実利に走るコンラは、考えようによっては、付き合いやすい相手なのかもしれなかった。


 童子の戯言と、一蹴されなかったのはこれまでの実績が味方してくれたからだろう。

 真剣にナタリアのソナーの説明を聞くコンラは、今にも海に向かって駆け出しそうだった。

 

 彼女は現在研究中の音響定位技術を用いる場として、暗闇のような通常の視界が遮られた状況下での使用を想定していたらしい。それだけに、夜よりも暗い海中でのエコーロケーションの利用というのは、かねてよりの彼女の発想に合致していた。

 自分の中での暫定的な考えと全く同じものが、他人の口を通して語られると、どうしても嬉しくなってしまうものだ。確信のようなものも抱いたかもしれない。

 

 内陸地にある魔導研究所から、海に出るには短くても数週間は必要となる。海岸線に至る街道はよく整備されているが、単純に距離があるのだ。


「あー……。ごめん、無責任かもしれないけど、ちょっと私、急用ができちゃった。一ヶ月くらい研究室空けるけど主任には黙っていてもらえるかな?一応月一の報告書はもう出しているから、しばらくは感付かれないはずだけども。もし私が居ないことを追求されたらうまくごまかしておいてね!」


 本当に、軽率な。

 彼女には国家機関、それも軍に所属しているという自覚はないのだろうか。

 研究にのめり込みすぎて、俗世の感覚が薄いコンラは思った通りに動いてくれた。

 実務面では有能なのかもしれないが、決して自陣営には居てほしくない人材である。特に情報漏洩に気を使わねばならないナタリアにとっては、特級の爆弾に見える。


 家出して、しかも国外にもまで出て行ったのは伊達ではないらしく、意外にも慣れた手つきで旅装を確認するコンラ。食料や水など消耗品の必要量の計算もあっという間に済ませて、はや出発しようとしている。

 

「ま、まさか今から出るのか?もう日も暮れるぞ!?」


『思い立ったが吉日、コイツのためにあるような言葉だな。いや、猪突猛進の方がいいか?なんにせよ、一つのことにしか目が行かないタイプなんだろうな……』


「じゃ!あとよろしくぅっ!!」


 実験器具の片付けもそこそこに、フットワークの軽すぎる彼女は研究室を出て行った。後事を託されたナタリアも、狙い通りとはいえここまで清々しいと喜びを通り越して呆れが出てくる。


「わしは悪くないぞ。悪いとすればあやつをわしの担当に選んだめくらのせいじゃからな!」


 一人になってから、誰に言うでもない弁護をしてしまった。”声”と会話するのに慣れて、つい独り言をする癖がついてしまったようだ。


『ま、客観的に見ても中途で監督責任放棄したあの女が悪いわなぁ。けど多分あいつも本望だろ。遠慮無くこの好機を活かそうぜ』


 見当はずれの”声”の慰め。けれど好機なのは否定出来ない。監視の目はなくなった。これで心置きなく様々な属性の魔術を行使できるというものだ。

 しかも彼女はありがたい置き土産をしてくれた。

 彼女が学院で進めていた研究の資料である。どさくさ紛れで見せてくれるように頼んでみたら、簡単に了承を得られた。コンラの心は既にソナーに飛んでいて、半分詐欺みたいな手法だったが、それでも思いの外簡単に見せてくれたことを鑑みると、帝国軍部が既に検閲済みの資料なのかもしれない。これを有効利用させてもらう。


 大学からずっと研究を継続させてきただけ有り、その資料は豊富で<電探>開発に大いに役立った。特に発信してから反射波を受信するまでの時差計測用の夜属性の術式は、数値を微調整すればそのまま<電探>に流用できるとと言える完成度だった。

 些細なアイディアをあげた交換条件としては、過分なくらいだ。


 とりあえず、帰る時間になっていた。日が暮れてから郊外を行くのは不用心に過ぎる。

 

 コンラに言われたとおり、実験器具の片付けを終えた後、適当な偽装工作をしておくことにする。

 意味があるのかは分からないが、持続する<発光>魔術を室内に設置。夜の闇で煌々と輝く明かりは遠くからもよく見えるはず。

 コンラが日属性というのは周知の事実だから、アリバイ工作にはうってつけだ。

 問題があるとすれば、彼女が研究室に居ると思った知り合いが、運悪く訪ねてきてしまう展開だが、その可能性はかなり低い。

 魔導研究所の研究者は足を引っ張り合う事こそ無いものの、互いに協力する気などさらさら無く、各々成果を出すことだけに没頭している。

 コンラの研究室に配属されて一週間。誰も訪ねてきたことはなく、彼女自身もそれを当然だと捉えているようだった。きっとこれが、この研究所の常態なのだ。

 コンラの不在が発覚するまで、結構な猶予があるはず。


 工作と戸締まりを済まして、研究所の敷地脇の馬車の集合所へ向かう。

 木製の丸机を野外で囲んで、いつものように賭け事に興じる御者たちの集会を発見する。

 送迎をしてもらう内に、すっかり顔見知りとなった馬車の御者の顔をその中に発見、手を振りながら今から帰ることを伝える。

 彼の方も、丁度店じまいというか、時間的にラストゲームだったようで、名残惜しさの欠片もなく帰り支度を始めてくれた。

 

 さすがに一週間も付き合いが続けばわかってくるのだが、どうやら彼はナタリア専属の御者らしい。あの幽議会でナタリアの身元確認を任された軍部が、わざわざ手配してくれたようだ。公衆の乗合馬車だと思っていたが、いつもナタリアの帰りを待ってくれているのだ。

 行きに相乗りになることは、この一週間で一度だけあったが、それ以外はずっとひとりきりだ。

 特別扱いされていることに気づかないほどナタリアは鈍くはない。

 

「ま、既に審査は始まっているというアピールなのじゃろうな」


 軽く溜息をつく。御者は馬の手綱を解き、馬車にくくり直す。屋根だけある雨よけ小屋から馬車を取り出し、ゆっくりと街道の車輪痕に四つの車輪を前輪後輪の順番ではめ込んでいく。

 帝都内部の道は石畳ばかりだが、研究所周辺は元廃村だけあって、地ならしされただけの未舗装道路だ。

 ぬかるんだ道を走った馬車がいたのだろう。その轍が乾いた結果、長い溝が街道には刻まれてしまっていた。後続する馬車もそこを通れば道を外れることはないから、同じ轍を進んでいく。交通量が少ないとはいえ、十年以上昔の街道だ。削られ、抉られ、深く、深くなっていった轍は道路の模様になっていた。

 発進準備を終えた馬車にナタリアは飛び乗る。


「日暮れまでには戻るぞ」


 一言告げて、馬車は帝都への道を一直線に戻っていく。

 明日からはコンラの居ない状況での研究所通いになる。好条件になったと言えるが、逆に監督役のいなくなった不安感も生まれていた。

 とにかく少しでも<循環盾>の構想を進めなくては。

 脳内で予想される問題点を箇条書きにしながら、帝都までの時間は過ぎていった。

 





 事件が起こったのは翌日の事だった。


 いつもと同じ朝。パン屋の喧騒に見送られて、早朝家を出る。馬車に揺られて研究所へ。誰に出会うでもなく、一人で門を通り越える。

 勝手知ったる地下道を経由して、元コンラの研究室に向かう道筋を進む、いつものように。

 何事もなく地下道を通り過ぎ、地上部に出る階段を上ろうと、足を踏み出した瞬間、嫌な予感がして足が止まった。

 夜属性の敏感な知覚が、行く先に人の気配を見つけた。

 コンラの研究室に所属するのはコンラ一人。

 その彼女もまだ二週間は物理的に帰って来れないはずだ。


 訪れる者のいないはずの部屋に潜む人。

 

 度重なる襲撃を受けてきたナタリアは、日常に打ち解けてきたように見えて、真の意味で警戒を解き切ったことはなかった。その研ぎ澄まされた直感が上にいる人物が最上級の厄ネタだと告げていた。


 慎重に足音を消して、階段を一歩一歩上る。扉をほんの指先分だけ開いて中の様子を窺う。

 中にいた人物は泥棒などではなかった。しかし早くに戻ってきたコンラでもなかった。

 こちらからは後ろ姿だけしか見えていないが、彼の事を見間違えようはずもない。

 長袖と無袖。左右非対称の奇抜なファッション。

 どうしてここにいるのか、なぜなぜなぜ。

 彼こそは――


「お久しぶりですね、お嬢さん。かくれんぼですか?」


 道化師。カリオストロ。

 軍という組織に所属しながら、将軍を脅迫できるほどの実力者。

 人を喰ったようなかぶき者。

 二重属性が入団の条件とされている化物揃いの第二魔術師団の若き魔術師だった。


 戸影に隠れるナタリアを気配だけで察知したのか、満面の笑みを浮かべて振り返った。

 表面上は友好的にみえるが、油断は出来ない。この男には何を仕出かすか、予想のつかない怖さがある。

 心なしか、"声”も緊張している気がする。


 一応の礼儀として頭だけは下げておく。


「中々良いお部屋です。殺風景なのは頂けませんが、生命の気配に満ちている」


 家具類の少ない殺風景な部屋で、道化師は頓珍漢なことを言っている。

 主の帰りを待つ部屋は、寂しさを感じさせるばかりで、とても生命力なんてものは見当たらない。


『感性が常人離れし過ぎているのかもな。あの女とは別種の変態だ』


「研究が順調なようで何よりです」


 にこやかなカリオストロは軽く頭を下げて微笑んだ。


「時に、本当の年齢はまだ、聞かせて頂けないので?」


「――九つじゃと、言うておろうに」


「そういう設定でしたね、すいません。で、どうして私がここに居るのか疑問ではありませんか?」


 本題、だろう。ヘラヘラした態度からは、とても真剣な話だと思えないが、彼はこういうことを平気でする。というか、何をやり出しても納得してしまうような不可解さが芯にある。


「勿体ぶった所で悪いのですが、大した用事じゃあありません。何かお困りの事があれば、お手伝い出来ないかと思いましてね」


 そう言いながら、道化師は手近にあった古ぼけた椅子に触れる。

 触れただけで<修復>の魔術が発動し、細かな傷や液体の染みがみるみるうちに見えなくなっていく。

 中古の家具を素材にして新品の家具を作製したカリオストロは、勝手に付け加えた芸術的とも言えなくもない奇抜な意匠の出来を確認して、満足そうに頷いている。

 流石は第二魔術師団。と、流れるように鮮やかな手並みを称賛すべきだろうか。


「……特に困っていることはない。手伝いは不要じゃ」


「んっんー。やはりそちらが地なのですね。いつか、真のお年を聞かせて頂きたいものです」


 カリオストロの言うことはまたも的外れだ。この喋り方は素ではなく、作ったもの。

 

 彼が勝手に勘違いしている状態は、決して手放しで歓迎できるものではない。

 かといって、思い違いをはっきり是正するのも怖い。

 

 スズメバチなどの危険な野生生物に出くわした人が、取れる行動は出来るだけ相手を刺激しないよう、ゆっくり遠ざかること。

 急に逃げ出したり、攻撃したりは論外だ。

 曲がりなりにも会話が出来ているのだから、不急不要の変化は危険だとさえ言える。


 上機嫌で自作の椅子に腰掛けたカリオストロ。

 変化を恐れたナタリアは何も言うことは出来なかった。


「困りごとが無いと言うのなら、私の仕事は半分終わったようなものです。どうぞお気になさらず、お仕事を進めてください。私の事は彫像か何かだと思ってね」


 困りごとといえば、お前の存在が一番の厄介事だ、なんて憎まれ口は叩けなかった。

 やはり彼の作品らしく、左右非対称にジグザグの修飾がなされた椅子。そこに座った道化師は、確かに彫像か絵画のようだった。あれだけ自己主張をしていた華美な服装も動きが消えれば、ケバケバしい印象は薄れ、何やら趣深いものに見えてくる気がする。


 道化師の視線は茫洋としていて、特にナタリアを監視しているという風でもない。

 微動だにしない道化師は、スイッチが切れたように存在感さえも消し去っていた。


 言いたいことだけ言って、黙ってしまったカリオストロを追い出したいのは山々だが、危険物には関わらないのが鉄則だ。

 仕方なくナタリアは彼の存在を無視して、作業に取り掛かる。


 机下の引き出しから長方形の鉄箱を引っ張り出す。鉄箱の中には感光紙が収められている。ナタリアが現在進める光の研究は、主として赤外線以降の波長の長い光を集中的に扱っている。目視できない光の波長を間接的にでも認識するためには、特別の用意がいる。

 <超感覚>で視覚を強化すれば、赤外線の一部までなら視えるのだが、それ以降の波長は流石に無理だ。

 ”翁”作の光で変色する紙は、実験に欠かせないものだった。


『研究成果を盗む気かよ?じっと見られていたら、やりにくいことこの上ない。さっさと失せて欲しいぜ』


 部外者の目のあるところで、核心に関わる技術を使うことはできない。

 使える属性も制限される。

 もどかしい思いを抱きながら、研究の表層の残務をこなすしかない。


 転機が訪れたのは、正午前の事だった。

 背後に危険物を抱えたナタリアは、警戒心を解くことができない。

 幾ら皇太子や軍部の保護下にあるとはいえ、彼に限ってはそんな社会的制約は無意味に近い。

 カリオストロに備えるために、<超感覚>で勘を強化していたナタリアは、真っ先に地上からやってくる気配の接近に気づいた。

 元は民家を改修した研究室は、主として地下道の入り口が利用されるものの、地上部の玄関が撤去されたわけではない。ここの住人である研究者たちは、そのルートを利用しないことから、上からやってくるのは部外者の可能性が高い。

 案の定というべきか、扉をノックしてから入室してきた男は、ハツラツとした雰囲気を纏う研究者らしからぬ武人だった。


 宣言通り、彫像のように微動だにしなかったカリオストロも見知らぬ来客がくれば流石に気付く。


「失礼する。コンラ研究室はここで合っているだろうか?こちらにナタリア殿は居られるか?」


 意外にも洗練された仕草で一礼してみせた武人は、にやりと不気味に笑うカリオストロに意識を割きながら室内を見渡す。決して一定以上の距離に近づかないようにする様から、彼の警戒心がありありと見て取れた。


「ナタリアはわしじゃが、何か」


「え、あ、ああ。あなた様がナタリア殿ですか。私は禁軍所属の――」


「用件だけでいいよ。手短にね」


 突如二人の会話に割り込んできたカリオストロ。

 気分を害した武人はむっとした顔で道化師を睨みつける。


「……本日は呼び出しにやってきました。軍令です。ナタリア殿は、禁軍上十二衛の紅雀隊の隊長の従士だと聞いております。命令系統を飛び越える形になり、不快に思う気持ちはわかりますが、ぜひともご同行願いたい」


 人目をはばかるように、カリオストロからは見えない角度で文字や数字が書かれた書類を見せ付けられる。

 さっと見た限りでは公的な文書のようだ。文字は読めても、これほど格式張った書類は見慣れないから、絶対とは言い切れない。

 断っても良いものだろうか。それともそんなことをすれば、上司であるレヴィに迷惑がかかるだろうか。

 そんな逡巡が伝わったのだろうか。ナタリアの目の前に守るように伸びる腕一つ。


「何か心得違いがあるようですね。こちらのナタリア殿は、その身の証を立てるための審査中の筈。軍部に認められたのは、あくまでその裁定者たることのみ。中立であらねばならない軍部が、独断でやるにしては少々先走り過ぎですねぇ」


『意外、だな。何を考えてやがる、こいつ』


「何故ここにいる、カリオストロ」

 

 武人は明らかな敵意を瞳に込めつつ、珍しく正論を吐く道化師に相対する。

 咎めるような強い口調だが、カリオストロには堪えた様子はまるでない。


「そんな事はどうでもいいでしょう。それよりも、私は軍の行動を問題にしているのですよ?私は口が堅い方ですが、人間誰にでも間違いは有ります。貴族たちや陛下にあった時、ポロリと口を漏らしてしまうこともあるかも知れない。そう、言っているのです」


「っちぃ。虎の威を借る狐が偉そうに……。東方朔さえいなければ、貴様ごとき……」


 聞こえなくらいの小声で毒づいた武人は、俯き歯ぎしりしているようだった。


「まさか、言葉が分からぬ訳でもないでしょう。大人しく失せなさい」


 カリオストロにしては正論だ。しかし、わざわざ相手を刺激するような物言いは、道化師らしいといえた。

 腰の剣を抜きたい衝動と必死に戦う武人は、最後に一度ナタリアに視線を向けた。縋るような哀れな眼差し。

 けれど――


 左右に首を振った。部外者の道化師に代弁者の如く振舞われたのは業腹だが、誘いを断るという結論には異存はなかった。断れるものならば、断りたい。用件さえ話さないというのが胡散臭く感じるからだ。

 最初から断るのならば、中途半端な慰めなど何の足しにもなりはしない。

 がっくり肩を落とした武人は悄然と研究室を出て行った。


「月のない夜は背後に気を付けろよ」


 物騒な恨み言を聞いたのは、夜属性魔術で感覚強化していたナタリアだけのようだ。

 そう断言できた理由は、一つ。

 もし道化師にも武人の陰湿な独り言が聞こえていたならば、嬉々として絡んでいっただろうから……。


 そういえば、カリオストロの属性はまだ分かっていない。仮にも第二魔術師団に所属するのだから、軍事的価値を有する特級の術師であるはずなのだが。彼が魔術を使うのを見たことがなかった。状況から鑑みて、地属性を持ち、夜属性は持っていないと思われるが、残り一つの属性が判然としない。


「まぁこれくらい脅しておけば十分でしょう。ではお嬢さん。今日はここで私も退散させて頂きますよ。何か困った事があれば、いつでもお申し付け下さい」


 ナタリアの視線に気づいたカリオストロは、それだけ言い残しあっさりと去ってしまった。

 勝手に研究室にやってきて、勝手に見学をして、勝手に帰る。自由人にも程があるが、いったい何がしたかったのだろうか。

 それでも感謝はしておこう。彼が介入してくれたおかげで、コンラの不在は有耶無耶にできた。ナタリア一人なら、どうなっていたかは分からない。


『牽制、ねぇ。あの時揉めた時から薄々感づいていたが、比較的腐敗の少ない軍部でさえ一枚板じゃないんだな』


「わしも初めて知ったわ。軍部には近づかぬよう言われていたしの。わしの知る一番の軍人はレヴィだけだったからのぅ」


 彼らは偶然やってきたのだろうか?

 まるでコンラがいなくなるタイミングを見計らったような、軍部の接触。監視されていることは分かっているが、監視員であるコンラをも監視する別人が潜んで居たのだろうか。

 可能性は幾つも浮かび、そのどれもが推測の息を出ない。

 現時点でナタリアに出来ることは、保護者であり主人でもあるレヴィとの連絡を密にすることくらいだった。


 ともあれ、これで邪魔者はいなくなった。思う存分研究に魔術を使える。

 本当に去っていったのか。居なくなったフリ、出て行ったふりをしてこっそりと様子を窺っているのではないか。そのような心配はない。

 <超感覚>は勘さえも強化する。訪問者二人の気配は完全に研究所の敷地からなくなっている。

 これだけ遠ければ、諜報関係魔術の<聞き耳>や<超感覚>も意味を成さない。

 

 ひとまず、安心できる。

 

 閲覧許可の出た<龍蛇>の魔術書だが、持ち出しまでは許可されなかったようで、図書館への案内状が研究室の郵便受けに届けられていた。略地図によれば図書館までは地下道を利用して移動できるようだ。

 念の為に、一度だけ外の気配を察知し直す。

 誰も居ないことを確認してから、地下道に潜る。あの武人は地下道を知らないようだったが、カリオストロには地下から出てくる瞬間をばっちり目撃されている。警戒を解かないままで、ナタリアは地下道を走った。


 図書館も廃村の施設を改修して造られているらしい。元は村民が集まる集会所だったのだろう。地下室から出たナタリアは、板張りの床と広い空間に出迎えられた。

 天井は高く、六メートルはある。全ての壁面には隈なく本棚が設置されている。

 陳列されているのは、綺麗とはいえない羊皮紙や木簡を含む雑多な本だ。貴族間で流通するような装丁の整った本などほとんど見当たらない。

 古文書のような古びた紙が束ねられたものばかりである。

 その懐かしい雑然さが、かえってこの図書館が本物だという確信を抱く理由になった。

 本物の大魔術師。根源に至ったと語り継がれる大賢者ファーレーンの倉庫と、似た雰囲気だったのだ。若輩のナタリアは入り浸っていたわけではないけれど、何度か雑用で入ったこともある。無断で侵入して、隠された<黒霞>の魔術書を発見したのは記憶に新しい。

 その経験が、この図書館は有象無象のそれではなく、本物だと告げている。

 低いレベルに設置されている本棚の列に視線を奪われていたせいだろう。それ以外の部分が少々不注意になっていた。


「どーちーら様ですかー?」


 突然上から声が降ってきたので驚いた。慌ててその方向に視線を上げると、天井から伸びたゴンドラが宙に浮かんでいる。カゴの中には手元の本から目を上げたばかりの冴えない青年の姿があった。

 まるで空中に浮かびながら読書するのが当然だと主張するように、彼はくつろいでいる。


『吊るしているのはワイヤーか?いや、それにしてはなんだか材質が違う気がするな。金属のようには見えない』


 ”声”は図書館の奇妙な住人よりも、そのゴンドラを吊るす太い糸に興味を持ったようだ。

 作りのしっかりしているゴンドラはパッと見ただけでも、結構な重量がありそうに見える。それを数本の糸だけで支えているのだとしたら、ちょっと信じられないくらいの頑丈さである。

 とはいえ、細部を観察しているばかりにはいかない。ここにやってきたのは明確な用事があってのことだ。折角<龍蛇>の閲覧許可が出たのだ。コンラの骨折りを無駄にする気はさらさらなかった。


「コンラ殿の研究室の者じゃ。閲覧申請を出しておった秘匿術式に関する魔術書を探しに来た。図書館からここへの地図が、招待状には記されておったからのぅ」


「ああ、コンラさんの、ね。ちゃんと聞いてるよ。僕は若輩ながら、この図書館の司書をやらせてもらっている。許可が降りた魔術書は、C-14の棚の一番下の段に有るはずだ。もし分からなければ、僕に聞いてくれ。できれば自力で見つけ出して欲しいけどね。見てわかると思うけど、ここから下に降りるのは面倒なんだ。決して僕がものぐさだというわけではないから、勘違いしないで欲しいな」


 司書を名乗る青年はゴンドラに備えられた椅子から立つつもりは無いようで、その場で身振り手振りで目的の魔術書のある場所を指し示す。

 ナタリアは視線を動かし、おおよその位置関係を把握する。


「――それにしても、招待状?そんな物出したっけなぁ……?明日辺り、こっちから迎えを出すつもりだったんだけど、まぁいいか」


 最後の司書の独り言を拾うことが出来たのは、<超感覚>による聴覚強化の恩恵があったからだ。

 夜属性の<超感覚>は常時発動してもいいくらいに便利な術式だが、騒がしすぎる場所で使うと、騒音が増大して頭痛を伴うのが玉に瑕。逆に音を吸い込むような静寂の中では使わない理由がない。

 司書の呟きの内容は気になったが、殆ど盗み聞きしたようなものだ。内容について問いただすのは司書の心証が悪くなるだけで、良い結果をもたらさないだろう。

 しっかりと意味深な独言を記憶に残しつつ、ナタリアは示された区画へ向かった。


 必要最低限まで採光を絞っている図書館は、随分と薄暗かった。

 もともとあった窓を幾つか塞いで目張りしている理由は想像がつく。定期的に写本することで、劣化を防ぐことの出来る一般的な魔術書とは違い、秘匿された魔術書はその性質上、写本のサイクルが長めになっている。市井の写本職人に軽々しく仕事を任せるわけにも行かず、宮仕えの少数精鋭で回している状態なのだ。

 当然、多くの蔵書を常に新鮮な状態で保つというわけには行かず、使用頻度の低いものは写本もされずに放置されている筈だ。古文書のようなそれは、日光によって特に激しく劣化する。出来るだけ光を当てないように、少しでも長持ちさせるための工夫が、図書館自体の光を減らすことだったのだ。

 師父の倉庫も殆ど日光の入り込まない奥まった場所を使っていたから、それくらいの事情はナタリアにも分かった。


『それにしても暗い。<発光>が使えないのは不便だよな……』


 司書は多分こちらのことは気にも留めていないだろうが、万が一がある。人目のあるところでは、使える属性が制限される。

 まあ<超感覚>は視覚も強化する。暗がりもなんとなくぼんやり見通す事はできる。

 そもそも図書館という性質からして、いくら光量を絞ったところで、本のタイトルさえ読めないほどに暗くしてしまっては本末転倒だ。足元はある程度見えているし、文字もギリギリ読める。その薄明かりに<超感覚>が加われば、決して不便という程でもない。

 言われた通りの位置に、その魔術書はあった。持ち出しは許されていないので、併設された閲覧室で検分することになる。

 束になった古文書をそうっと持ち上げる。幾分明るい閲覧室に移動する時、宙に浮かぶゴンドラに会釈だけはしておく。あんな暗い場所でよく読書できるものだ。なにかそれを可能にする魔術を使っているのだろうか。

 

 閲覧室の扉をくぐると、突然眩しい位の明るさが目に突き刺さった。慌てて瞼を閉じながら<超感覚>の視覚補正を修正する。高価な<発光>の魔道具が設置された部屋は、しかし今は天然の照明で満たされている。風通しの悪い図書館での鬱憤を晴らすかのような大きな窓からは、のどかな風景が一望できる。

 研究所の敷地の向こうには、緑の海が大地を覆い、北の山脈まで絨毯のように広がっている。茶色い岩肌の上には、青い大空と浮雲の鮮やかなコントラスト。


「ふわぁぁ……」


 間抜けな吐息が漏れてしまったのは、この絶景が不意打ちだったからだ。御者台から見る翠海よりも、一段高い位置からの景色はまた違う趣があった。

 一日の大半を室内で過ごし、移動するのにも地下道を使わねばならない研究者の中には、その閉ざされた日常に鬱屈しているものも多いのだろう。

 美しい景色を有する閲覧室には先客の姿がちらほら見える。室内であるはずなのに、自然に満ちた閲覧室は、穴倉からの劇的な変化も相まって、貴族のサロンにも劣らぬ楽園に思えて仕方がない。

 心を踊らせながら、適当な席を見繕って、ナタリアも読書に取り組む事にする。

 

 事態は何も進展していない。<龍蛇>の術式を参考にできるかどうかも分からない。

 けれど場違いに明るすぎる世界は、ナタリアに美しい未来の姿を指し示してくれているように感じられた。

 読書に没頭する他の研究者たちも、心なしかリラックスできている気がする。

 その暖かな陽気と、空気に包まれて、ナタリアは気持ちよく古文書の術式を解析していった。



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