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師父慕う少女、果てに至る物語  作者: 犬山
プロローグ
1/64

00青天霹靂の前日譚

だらだらと書いていきます。

完結はさせるつもりですので、どうかお付き合いをば、お願いします。


 今日はナタリアの九歳の誕生日だった。

 夕食が豪華になるのが楽しみで、ついつい鼻歌なんてしてしまう。


「ナタリアおねーちゃん。これ!」


 ナタリアの三歳年下の男児が誇らしそうに胸を張って、食べられる木の実を見せ付けてきた。えらいえらい、と頭を撫でてやりながらナタリアは周囲を見渡した。

 今日引率を任されたのは三人の子だ。腕白な男の子が一人、おとなしい女の子が一人、塞ぎがちな女の子が一人。

 遠足がてらの木の実さがし。沢山見つけた子が勝ち、というルールを決めて競わせているから、かなり熱心に食料を探してくれている。すでに用意した袋の中身は半分以上たまっていて、十分な成果を上げているといえる。

 一つ二つしか発見できない時もあるのだから、平均して一人三十個以上拾うというのはかなり調子がいい。こどもたちはキャッキャッと騒ぎながらも、嬉しそうに宝探しに夢中になっていた。


「次はあっちの方に行ってみよっか」


「はーい。おねーちゃん」


 少し離れたところにしゃがんでいた女の子にも声を掛けてからナタリアは一行の移動先を誘導した。ナタリアは院の子供の中でも古株である。物心付く前から院で育てられたので、周辺の地理にはかなり詳しい。

 今歩いている獣道も、何度も何度も通った経験があり、どこに食べられるものがあるか、というのは記憶している。

 普段ならば、自分だけの採取場を別の子に教えるという事はしないのだが、今日は一年でも特別な日。気分よく過ごすために、少しくらいなら秘密を明かしても構わないと考えたのだ。

 今まで秘密にしてきた採取ポイントだけあって、成果は実に豊富である。

 ここにあることを事前に知っていたナタリアはともかく、連れてきた子たちは純粋に幸運を喜び、はしゃいでいる。

 小さい子の無邪気な笑い声を聞いていると、自然とナタリアも笑顔になる。

 普段の作り笑顔をする時の嫌な気持もない、心からの笑顔だ。

 これだけでも、採取ポイントを公開した意味はあった。


「うわー。きれいなキノコだ。でも、やっぱり毒があるんだよね?」


「いいえ。それは食用のキノコよ。あんまり美味しくないけど栄養があるから、先生に渡したら喜ばれるわよ」


「持って帰ろうぜ」「うん、やろう」


 見た目だけ派手な食用キノコを発見した子供たちは、さらにはしゃいだ。

 先週ナタリアが見つけていたものだが、十分に育っていたようだ。

 程なくして持参した袋はパンパンに膨れ上がった。慣れているナタリアには平気でも幼少組たちには少々辛い重さだろう。折を見て持つのを代わってやろうとナタリアは考えた。


 ナタリアたちの暮らす孤児院は田舎の片隅にポツンとあった。こういった施設はたいてい都会にあうものだが、数十年前にある好事家が大金を寄付したことで作られたらしい。当時の世情は安定していたから、中の子供もだいたい三、四人しかいなかった。その頃の子供は部屋をよほど広く使えたのだろう、とナタリアは羨ましく思っていた。

 戦災孤児が増えてくると、変化の影響を受けやすい都会から孤児が流出してきた。国の施政の失策として、こんなド田舎の孤児院まで全室満室だ。

 設備はともかくとしても、人員は急には増やせない。孤児院の大人は院長先生と副院長の二人しかいない。必然的に子供たちの世話に手が回らなくなり、年長の子供たちにも仕事が課されることになった。ナタリアは年齢的には中間くらいだが、文句も言わず率先して大人の仕事を手伝っていたので院長からの信頼も厚かった。

 はじめは室内で年少組の遊び相手を。それから段階的に信頼を築いていき、今ではこうして遠足の引率を任されるまでになった。しっかり者という評判も手に入れて、ナタリアの孤児院での地位は盤石となっていた。


 もともと院長に気に入られているナタリアは、院内での待遇もよい。今日はそのナタリアの誕生日だからさぞかし盛大に祝ってくれるだろう。子供たちに平等であろう、と努力している先生だが覚えの良い生徒を贔屓目するのは人間として当たり前の心理である。

 ナタリアは院長のお気に入りであり、それなりの努力も重ねてきた。美味しい食事にありつくのは正当な権利なのだ。


 田舎は田舎でも、地理的に海岸線にほど近い孤児院の付近に”魔物”が出ることはめったにない。というか、ナタリアが生きてきた九年間では皆無である。安全を保障された道を通り、ナタリアたちは孤児院へと帰還した。ナタリアの予想通り、年少組は袋の重さに耐えられなくなってしまい、意地を見せた男の子以外の二人分の荷物を代わったナタリアは、自分の分合わせて三人分の木の実を孤児院に持って帰った。


「あらあら、こんなにたくさん!これも神様のお導きね」


「へへ。すげーだろう。俺が全部見つけたんだぜ!」


「嘘、だめ。みんなで見つけた」


「私だって頑張ったんだからぁ」


「ありがとうね、みんな。今日はナタリアちゃんのお誕生日だから、ご馳走が出るわよ。裏の井戸で手を洗っていらっしゃい」


「「「はーい」」」


 ばたばた慌ただしく年少組は走り去っていった。ナタリアも自分の分の袋を厨房の副院長先生に手渡す。

 彼女は鍋を火にかけていて、辺りには微かに血と肉の臭いが漂っている。おそらくは鶏を潰したのだろう。めったに食べられない肉の気配にナタリアの心は躍った。


「お疲れ様ね、ナタリア」


「いえ、慣れているので平気ですよ。それに、たくさん見つかりましたから。あの子たちの喜ぶ姿を見ていたら、疲れなんて吹き飛んじゃいます」


「本当にナタリアはいい子ねぇ。でも今日は神様も祝う特別な日なんだから、午後はゆっくりしていてもいいわよ。あの子たちの世話は別の子に任せるから」


「ありがとうございます」


 積み上げた袋の内容物の整理を手伝いながら、ナタリアは礼を言った。午後の時間が空いたから、自由に予定を入れることができる。内職代わりの写本の続きを進められるかもしれない。

 厨房でキノコの調理法について先生と意見交換をしたナタリアは部屋に戻った。

 もちろん、神の導きで収穫が沢山だったのではなく、自分の秘蔵していた収穫所を開放したから豊作だったなんて、馬鹿な口出しはしない。胸にしまったままだ。


 ナタリアは自分よりも年下の子供が好きだ。けれどその騒々しさは好きではない。大勢の子供と少数の大人が寝起きする孤児院で静寂とか落ち着きとかは、極めて得るのが難しい。寝静まった夜中ならばそんな時間もあるだろうが、写本をするためには絶対的に明るさが足りない。

 院長先生のように<発光>の魔術が使えればいいのに、とナタリアは嘆息した。まだ子供のナタリアは何一つ魔術を使うことができない。孤児院に魔術本でも置いてあれば独学で習得して見せる自信はあったが、現物がない。高価な本が片田舎に出回っている訳もなく、仕方なく何度も読んだ周辺地域の地理図を熟読することで我慢している。ついでに写本を行うと、結構な値段でこれが売れるのだ。旅人が孤児院に立ち寄る事は稀なのだが、最初に地図を買ってくれた男が喧伝してくれたらしく、ナタリアの書き写した地図を求めて孤児院に旅人がやってくるようになったのだ。

 月産一冊のペースでコツコツと作成した地図は、今のところ五冊売れた。在庫は二冊。今写しているものが完成すれば三冊になる。

 明るいうちに作業を進めようと窓際の机に向かった。外は騒がしいが、できる限り気にしないようにして筆を進める。慣れたもので、ナタリアの字はかなり整っていた。字を知るために本を読むという目標はとうに達成し、それだけに満足せずに研鑽を続けた結果である。

 集中し、一時間が経った頃。少し休憩しようと立ち上がったナタリアは、窓の向こうの玄関口に見慣れない人が立っているのを発見した。砂と埃で汚れた外套は年代物だが高級そうに見える。旅人であれば上客になってくれるかもしれない。

 商売人として売り込みに行くためそっとナタリアは部屋を出た。

 廊下を通り抜けて玄関ホールまで出ると、院長先生と旅人が会話している声が聞こえた。


「庭の花壇は見事ですのぉ。よく手入れがなされている。子供たちがやっているのですかな?夜光花は薬草に使えますからの」


「やはり、大賢者様は博識で御座いますね。こんな庶民の草花をご存知なのですから。世話をしている子も褒められたのを知れば、喜ぶことでしょう」


「是非伝えてやってくだされ。それに、あの花は儂もお世話になったことがありますのでの。旅先では満足に薬も用意出来ませぬし、夜光花は手軽で良いものですぞ」


「ではお一人で旅を?」


「船は好かんので全て歩きですがのぉ。老骨には堪えますわい。多分今回の旅が儂の生涯で最後のものになるでしょうなぁ」


 院長先生はやけに畏まっていた。今日以外の時も何度か旅人が来訪してきたことがあるが、院長先生がこれほど謙っていた事は無かった。丁寧ではあっても、こうも安く頭を下げたりはしない人なのだ。

 機微に敏感なナタリアは、相手の老人が只者ではないことを察した。

 老人はぼろの外套を羽織り、細い体を引き絞っている。目元は深く窪んでいて影を作っており、威厳というものを発していた。


「子等は何人おるのかのぉ?」


「全員で十五名ですわ。ファーレーン様」


「あい分かった。それでは盆を用意してくれますかな。子供の手の平が沈むくらいの大きさが望ましいの」


「ちょうど厨房で人が働いております。すぐに用意させましょう」


 パタパタと院長は裏手の厨房へと小走りに駆けて行った。残された皺と白髪の老人は、マントを脱がずにただ突っ立っているだけに見えた。ぽつんと一人玄関で佇み、じっとしているだけ。

 ナタリアが見ていると不意に突風が吹いた。外から吹き込む風ではなく、院の中から抜けていくような風。ばたばたと煽られた老人のマントから細かい砂が光となって飛び散っていく。あっという間に綺麗になってしまったマント。きっと魔術がこの風を起こしたのだ。

 服の裾がめくれないように押さえつけていたナタリアは、息をするように何気なく魔術を行使してみせた老人を観察していた。多分、偉い魔術師なのだろう。だとすれば、地図を売る対価として魔術の手解きを頼んでみてもいいかもしれない。


 魔術を習得する手段は大別して二つ。

 書で学ぶのか、師に学ぶのか。

 前者は学習者に才能と魔術書を購う分の資金を要求する。後者は師となれる人間が少ないことがネックになる。

 村の大人であれば、たいてい誰もが一人一個の魔術を覚えているものだが、使えるからといって人に教えられるとは限らない。魔術を使用することと、人に教えられるというのは天地ほどの差がある。人に教えられるほど魔術の深奥を知悉した人間を魔術師と呼ぶのである。村人や孤児院には魔術師は一人も居ない。ナタリアが魔術を学ぶ機会は今まで無かったのだ。それが得られるというのなら、これほど嬉しいことは無い。

 ホールの柱の影で魔術師の老人をこっそり観察していたナタリアは踵を返して自室に戻っていった。売りつける予定の地図や資料を纏めておくためである。

 柱の影でちょこちょこと動き去っていく少女の後姿を、老人は興味深そうに眺めていた。


 ナタリアが部屋でゴソゴソやっている間に、院長先生からの呼び出しを受けた。ナタリアだけではなく、子供たち全員が集まるように指示しているらしく、外で遊んでいた子供も勉強中だった子供も例外なく広い玄関に集まってきた。

 今までにこんな事は無かったものだから、不安がってぐずりそうになっている子もいる。目ざといナタリアはその子の頭を撫でてやりながら優しく「大丈夫」と繰り返し唱えてやった。普段の積み重ねが功を奏し、泣き出す前に宥めることができた。

 それにしても魔術師の客人の訪れは嵐のようだった。

 今日一日はナタリアの為の一日だったのに、それを上塗りするようなイベントが全てを書き換えてしまったのだ。ナタリアは写本の作業中にインクを零してしまったことがあるが、まさにそんな感じだった。繊細で精緻な美しい文字が、黒いシミに侵食されて上書きされていく。あれほどの徒労感と絶望感に匹敵する物はなかなかない。

 何が起こるか知らないが、始まる前からナタリアは少しだけ不快だった。


「これで全員ですね。それでは年齢順、一列に並びなさい。これからあなたたちの将来に関わるかもしれない大切な儀式があります。怯えること無く、けれど巫山戯るような事もせずに、順番に部屋に入って下さい。一人づつですよ」


 子供たちが動き出し、列が出来上がってゆく。食事の時の席順だから、彼らの動きはスムーズだった。

 玄関ホールには十五人の子供と院長先生しかいない。厨房にいた副院長と客人である老人の姿が見えないのだ。おそらくはこれから入る予定の部屋にいるのだろう。確か物置として使っていた狭い部屋だった筈だが、中に入っていた掃除道具などが全て外に出され、壁に立てかけられている。

 ナタリアの予想は当たっていて、魔術を操る老人はその部屋で子どもたちを待ち構えていたのだ。


「では、先頭から行きなさい」


 不安げな表情の少年が、おずおずと進んで部屋へと入っていった。最年長の彼は十三歳で、将来の受け入れ先がまだ決まっていない。院長先生の将来を決め得るかもしれない、という言葉に内心戦々恐々としているに違いない。

 ナタリアは列の中ほどで儀式の内容に思い馳せていた。

 多分、ナタリア以外の子供たちも同じようなことを考えているのだろう。

 こんな行事は始めてだし、儀式なんてやったこともない。年少組などは、儀式という言葉の意味さえ分かっていないかもしれない。


 時間にして五分ほどだろうか。一人目の少年が部屋の中から出てきた。無表情を作ってはいるが、喜悦を隠しきれておらず、じっと見ていると頬が引くついていた。

 どうやら悪い結果ではなかったらしい。全員が喜ぶような儀式とは限らないが、いい結果というものもあり得るというのは、大いに勇気付けられる情報だった。


「次」


 そうやって列は続々と消化されていった。

 緘口令でも敷かれているのか、先に入ったものに儀式の内容を尋ねることはできなかったが、儀式を終えた年長組は誰もが嬉しそうに、楽しそうにしている。

 その空気が順番待ちにも伝染して、非常に和気藹々とした空気が生まれていた。ナタリアも気を抜きはしないが、そう悪い儀式でもないだろうと恐怖や不快感を薄れさせていた。

 とはいえ、一人あたり五分もかかれば四人が終われば二十分。結構な時間になる。

 遊んでいる時なら、二十分なんてあっという間でも、待機している時間にしては長く感じる。

 待っている時間は子供にとっては退屈で、彼らのわくわくとした期待感はだんだん焦れったい気持ちに変わっていく。


「院長先生、小さい子と大きい子の順番は逆のほうが良かったんじゃないですか?」


 ナタリアは自分の不満を隠し、年少組の気持ちの代弁者を装った。嘘ではないのだが、まあ巧妙な方法だった。


「でも、ファーレーン様の指示ですからねぇ」


「偉い人なんですよね?」


「えぇ。それはもう。お貴族様でもないのに、皇帝陛下のご相談役の賢者に抜擢された碩学様ですよ。しかも建国以来一度も使われていない”大賢者”の称号を下賜されたほどのお方です。噂でしか存じ上げませんでしたが、この院に来たのも未来ある子どもたちの為、だそうです。なんとも奇特で素晴らしい人格者だと感服しました」


 世辞を言っている様子でもなく、さりとて莫大な支援金を寄付された風でもなかった。まるで純情な乙女のように頬を染める院長先生。尊敬する気持ちだけは伝わってきたが、似合わない院長の仕草に思わずナタリアは苦笑してしまった。


「あ、次はナタリアの番ですよ。ほら、頑張ってきなさいね。応援しているわ」


 確かにナタリアの前の番の子供が部屋から出てくるところだった。

 むくむくと湧き上がる好奇心の命ずるままにナタリアは、その部屋に足を踏み入れた。服の内側には念の為に売りつける写本も用意済み。鬼が出るか蛇が出るか。


 後ろ手にドアを閉じると部屋の中はかなり暗い。唯一の光源は<発光>の明かりで、調整された光がぼんやりと室内を照らしていた。


「ようこそ、初めまして。わしはファーレーン、魔術師じゃ。怖がる必要も恐れる必要もない。これからすることは一言で言えば、適性の調査じゃ。大人たちが使う魔術、あれに関する才能がどれほどのものか調べてみよう、という訳じゃ。あくまで調べるだけで、本格的に習得するのは十五の誕生日を迎えてからになるじゃろうがな。幼年期における魔術の習得は脳への負担が大きい……と、難しい話をし過ぎたかな。すまんの」


「いいえ、大丈夫です。そのまま続けてくださって結構です」


「ほっほ。賢い子じゃのぅ。では椅子に掛けなさい」


 光源は木机の真上に浮かんでいた。ナタリアの側の椅子と向かい合うようにして例の老人、いや大賢者ファーレーンが座っている。

 ナタリアは六人目なのに、説明をするのに飽きた様子は微塵も見受けられない。物事の分からない子供相手でも真摯な姿勢を見せるファーレーンへの好感が上がった。

 机の上には水を張った浅い鍋が置かれていた。火にかけているわけでもなく、木製の机に直接乗せられている。透明な水は上方の光に照らされて幻想的に光っていた。

 ナタリアが椅子に座ると、ファーレーンが説明を続けた。


「その液体は、腐り清水という魔術の触媒じゃ。流れることを止めてしまい、停滞した状態の水は腐っていく。じゃが、この腐り清水は停滞していながら決して清らかさを失わない神秘の液体なのじゃ。”淀みながら澄んでいる”という性質を持つ。魔力に大変敏感じゃから、触れた人間の魔術の適性を判別してくれる。痛いことも、辛いこともない。ただ手を浸せばそれで終いじゃ。恐れることは何もない、試してみたいかね?」


 ゴクリ、とナタリアは喉を鳴らした。未だ花開かない才能の種を見破るという水に脅威を感じたからだった。

 ナタリアは人よりも頭の回転が速い。九歳にしては驚くほどの洞察力もある。いわゆる神童というやつだ。ナタリアは自身のそういった才に少なからず誇りを抱いていた。何時かはもっと豊かになれる。何時かはきっと幸せになれる。

 けれど賢い分、その思い込みが根拠のないものだということも同時に理解してしまっている。

 魔術書さえあれば独学でだってやり遂げてみせる、と意気込んでいても必ずしもそれが現実にはならないと悟っているのだ。

 未来のあやふや。

 そんな可能性の塊が、たったこれっぽっちの体験で定められてしまう。


「……」


 黙り込んだナタリアを辛抱強く待ったファーレーンは節くれだった手で不器用にナタリアの頭を撫でた。

 それで何故か覚悟は決まった。


「……やってみます」


 ナタリアは右手を前に出して指先からゆっくりと水に浸していった。室温と同程度だと思っていた水温は思いの外高い。湯のように温かい感触が指と指、爪と肉の間にも入り込んでくる。

 そのままの姿勢で待つこと五秒。ナタリアの主観では永遠にも等しい空白の後に――



「ふむ。水は回転しておるの。これは空属性の適性じゃ。おめでとう、風や水の流れを自在に操る属性じゃ。長ずれば空を飛行できる、なんとも楽しい属性じゃ」


 ファーレーンが水盆から目を離し、ぽんぽんと軽くナタリアの頭を叩いた。風を操るというのは、きっとさっき旅の埃を落とすのに使っていたあの魔術だろう。それに鳥のように空を飛ぶ、というのはなんとも心惹かれるものがある。ともかく、才能皆無なんて事態にならずに本当に良かった。

 ファーレーンの言う通り、鍋の水はゆっくりと半時計回りの方向に渦巻いていた。

 ナタリアの小指と親指の先からは微細な水泡がぶくぶくと噴き出している。まるで水中で息を吐いた時のようだ。

 水はどんどん熱くなっていく。手の平から熱が飛び込み、熱湯のように熱い。いつまで浸けていなければならないのか。もう止めてもいいのだろうか。


「……あの、水が熱いのでもう手を出してもいいですか?」


「なぬ?」


 目を見開き、ぽかんと口を開けたファーレーンの反応は明らかにおかしかった。

 まるで”水が熱い”という事象が起こるわけがない、と確信していたかのように。

 呆然とする余り、呼吸ができなくなってゴホゴホ咳き込んだ後、枯れた声でファーレーンは祝福を告げた。


「おめ、でとう。温かいと感じるということは熱素とよばれる温かさを吸収しているということじゃ。吸い込む夜の黒。全てを吸収し、内部で咀嚼する夜属性。君は空と夜の二属性に適性がある。二重属性……極めて異質な才能じゃ。今まで君が無事に生きてこられたのが奇跡と称するほどにな。あまりにも巨大過ぎる才能は君の運命さえも無理やり引き寄せてしまう。いいかね、君は魔術師になりなさい。正しく魔術を修めることが出来れば、第二魔術師団に入隊することもできるじゃろうて」


 喜びよりも、驚きが勝った。ナタリアは魔術を習得したいと思っていた。けれどそれは純粋に道具、利器としての利便性に惹かれたからであり、魔術師になるという将来の選択肢は考えていなかった。

 才能があると裏付けされたのは嬉しい。根拠なき自信が、正しいものだと証明されたのだ。嬉しくないわけがない。

 けれど、魔術師?

 身近に一人も居ないということは、ナタリアの短い生涯で一人の魔術師にも出会ったことがないと言うことだ。人は全く想像もつかない、思いつけない物に憧れたりはしない。知らないものには恋はできず、未知は既知に変わるまで個人の世界には存在しないも同然だ。

 たまに交流する村の農民たちは、各人一つづつ魔術を習得していた。便利なものだからもっと色々覚えればいいのに、というナタリアに向かって怖い顔で説教をしてくれた。

 曰く、人間一人が覚えられる魔術は一個が限界であり、複数の魔術を習得しようとすれば一つ習得する度に寿命が縮まっていくというのだ。

 いくら体力を消費せずに色んな事に使える便利な術だとしても、自分の生命を削ってまで覚えたいという人間は少ない。村の人間が魔術を一つしか習得していないのには理由があったのだ。

 便利で魅力的だが、同時に畏怖すべき、人間の英知の利器。それが魔術というものに対するナタリアの認識だった。

 突然、魔術師になれ。と言われても、困る、というのが本音だ。


 ふと、視線を下に下ろした。あれだけ熱かったのに、水面には薄氷が張られていた。水中で発生している泡が外に出られずに、ぶくぶくと氷の裏面に溜まって張り付いていた。


「この泡はなんなのでしょう?」


「泡……じゃと!!?」


 こんどこそ目を剥いたファーレーンは勢い良く水盆を覗きこんだ。あまりの食いつきにナタリアが軽く仰け反るほどだった。


「……これは、いや、うむ。面倒なことになったものよ。君、名前は?」


「ナタリアでございます、大賢者様」


「ナタリア、前言撤回じゃ。魔術師を目指したほうがいい、という問題ではない。今すぐ儂の弟子になりなさい。手ずから魔術を教授してしんぜよう。残念ながら拒否権はない。君の命に関わる問題じゃからのぅ」


「ふへ?」


 命に関わる、という言葉が予想外過ぎて間抜けな声が出てしまった。

 その間にも事態は加速して進行していく。


「ん?まさかとは思うが、水の色が……!」


 ナタリアの手を中心にインクでも垂らしたように黄色の染みが水中に拡散していた。淡黄色へと染まった水は、泡を吹き、回転しながら、氷を張っていた。


「四重属性!これはもはや才能云々の話ではない……。奇跡としか形容のしようがない……!」


 ナタリアの運命はこの日、大きな軋みをあげながら変容していった。

 望んでも得られない誕生日の贈り物(ギフト)がナタリアには与えられた。


 空は流れる。雲と星々を乗せて、どこまでも流れ続ける。

 地は結ぶ。変化する自然を背負いながら、縁を結ぶ。

 日は放つ。光と熱とを日輪から輻射、世界を灼く。

 夜は吸い込む。全てを闇に飲み込み味わい、次なる朝に備えている。


 魔術には四つの属性があった。陰と陽。決して交じり合わないもの二組。

 どんな人間にも割り当てられた属性が存在する。それは母体の属性が遺伝して、親から子へと受け継がれていくものだ。適性属性によって使用出来る魔術には大きな差が出るし、傷病を負った時に使える医療魔術の属性も固定される。更に身体能力や頭の良さも属性が関係している。

 どれが優れている、という優劣はなくともどの属性に適性を持つか、というのはその人の一生に大きな影響を与えてしまう。


 母親の属性と子の属性は同一だから、親が生きているのなら腐り清水のようなリトマス試験紙を使って、属性判別する必要は本来無い。けれどこの孤児院の子供は親と死別、生き別れており、自身の属性を知るすべもない。

 ファーレーンがそもそもこの孤児院を訪った理由はそれだった。無論、それだけで国家の重鎮たる大賢者自らが行幸する理由にはならないのだが。結果論としてはナタリアを見出したのが彼であって、本当に幸運だったといえるだろう。

 複数の属性をその身に宿すというのは、互いに憎しみ合う竜虎をその体内に飼うという言葉に等しい。この世界で新生児の死亡率が高いのは、偶然母の属性遺伝に父の属性が混じり込んでしまった事による多重属性の暴走事故が多分に関係していた。

 だから二重属性を持ったままで成長できた人というのは、極めて珍しい。帝国広しと言えども公に確認されているだけで十人前後しか存在しない。当然のごとく、魔術師として大成した彼らは普通の一属性魔術師をはるかに凌駕する力を持っていた。単純に選択肢が増えるにとどまらず、二つの属性を組み合わせることで可能性は加速度的に増加していく。噂の域を出ないのだが、二重属性を極めることで権力者の夢である不老不死さえも実現できるらしい。

 そんな下地があった上で、大賢者ファーレーンは史上初めての三重属性適性者として、歴史に名を刻んでいる。各地の辺境や遺跡を渡り歩く大賢者は、帝国のみならず世界各国にその伝説の足あとを残している。

 ナタリアが天から授かった四重属性は、大賢者を超えていて、それだけ価値ある代物だった。


 何時暴走してもおかしくない。何時死んでしまっても不自然はない。

 大賢者がナタリアに死の危険があるといったのはこの事だった。できるだけ早急に魔術を学び、魔力のコントロールを身につけなければ命にかかわる。それは子供に魔術を教えるリスクとは比べるまでもないほどに明確な死の危機だった。


 その日、誕生日にナタリアは大賢者に連れられて生まれ育った孤児院を後にした。

 誕生日祝のごちそうは、別れの会の贅沢に早変わり。世界で初めて、大賢者の唯一の弟子となったナタリアは、自分の運命を切り開く決意を固めた。

 聡い彼女はちゃんとした教育を受けないままに、院という狭い世界で育っても碌な人生を送れないだろうと、漠然と感じていた。

 

 前に進まなければ、何も変わりはしない。神は人を救わない。人の世に関わらないのなら、そんなものは居ないものと同じだ。見えない夜天の星は存在しないし、遠すぎる人の声は聞こえはしない。

 パンの一片も恵まない副院長の語る絶対神などは、祈る対象ではあっても縋る相手足り得ない。

 人の運命は神に啓蒙されるものではない。人の手で切り開くものだ。

 ナタリアの眼の前にぶら下げられたギフトという可能性は確かに、何処からともなくやってきた天の恵みなのかもしれない。けれどナタリアは神に感謝などはしなかった。畢竟、選択するのは自分だ。自由には責任が伴う。選択した自己を肯定する責任が。

 ナタリアは大賢者の弟子入りを決めた。差し伸べられた手を掴むことを決意した。

 それがどんな結末を迎えるのだとしても。今日この日の選択を否定することだけは絶対にしない。


 夜の帳が下りる。明朝ナタリアと大賢者ファーレーンは、帝都へ旅に出る。

 院長も副院長も、年少組も年長組も。離別の宴を兼ねた夕食では、等しく別れを惜しんでくれた。密かにナタリアに惚れていたらしい幾人かの少年は号泣までしていた。

 肉に齧り付きながら、ナタリアは泣きはしなかった。

 旧世界との別れ、新世界との出会い。

 嬉しさもあれば悲しさもある。けれど、持ち前の上昇志向が明日はきっと今日よりも良い日だと教えてくれる。

 停滞した孤児院での日々は決して悪い記憶ではなかった。これだけ別れを惜しまれるほどの立場をつくり上げるために苦労もした。それが全部遠くへ行ってしまうというのに、ナタリアは笑う。

 肉汁が舌の上で踊り、熱々のタレで火傷しそうになる。山野を旅する大賢者秘蔵のタレをたっぷりかけた鶏肉と魚介の若草和えは、絶品だった。

 いい日もあれば悪い日もある。勝つときもあれば負けるときもある。

 美味しい料理を味わえる一年に一度の誕生日があれば、普段の質素な食事もある。

 山も谷も、日も影も。全部が全部愛おしい。

 この別れの寂寥感があればこそ、新しい出会いへの期待も際立つのだ。


 いい笑顔でご馳走を楽しむナタリアの姿は孤児院の仲間たちの目線を釘付けにした。

 誰もが彼女の幸福を羨み、その明るさに嫉妬する。

 彼女を嫌うものさえも、今日ばかりは兜を脱ぐくらいの清々しい笑顔。

 宴はいい雰囲気のまま、終幕し解散した。


 ナタリアは寝る前に出発の用意だけ済ませてから布団に潜り込んだ。

 もう必要のなくなった写本地図は、孤児院に寄付することにした。まさかこんな片田舎の地図が帝都で売れるとはナタリアも思っていなかったし、だったら需要のある院に残していったほうが有用だろう。

 更けていく夜。

 眠りに落ちた少女の頬には透明な雫が伝っていた。


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