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絃ノ匣  作者: しま
第三章 「天神の部」
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絃ノ匣

緩く緩く、糸を撥で弾く。求めるでも競うでもなく、ただ気の向くまま弾きたいように。こんな曲目を弾くのは久しぶりかもしれません。でも、今の季節にはぴったりの曲目と思うのです。目前の庭では柔らかく日が当たり、色とりどりの草花が生い茂る。池では小魚がのんびりと水中にただよい、風が水面をさざめかせて。冬が、終わったのです。


今ならどこか、内裏を出てた都の外れでも。畑の枯草を焼いている頃でしょうか。新しい草がよく生えるように。畑に栄養が行くように。焼いた後は黒焦げの草木が残って。物悲しくも春を迎える早春の風景。そんな景色を、末黒スグロと呼ぶのだそうです。聞きかじりの知識であいまいですけど。須の字だけ違うのは私が音でしか覚えてなかったからです。でも、オワリを当てるよりシバラクの方が結果的に良かったのでは、とかとか言い訳を言ってみます。名づけられた当人はくつくつと笑って、他の面々はひたすら呆れていましたけど。


私がなかなか“彼”の名前を覚えきれなかったときに、今更ですけど。そんな話題になったのでした。教えてもらった“彼”の名前は名というより号、という感じです。長いし堅苦しいし仰々しい。須黒と、呼び続ければいいと言ったのは呼ばれる当人です。でもその名は、私の誤解が生んだ名です。渋っていれば、彼は笑いました。


もう、口から鬼火はもう出ない。衣食住必要とし、生きている。そのことを知ったうえで呼ぶなら平気だと。私だけが呼ぶ名もあっていいだろうと。時々生来の名を呼んでくれればいいと。


…今思い返しても、とんでもなく恥ずかしいこと言ってませんか。


おっと、撥が止まってしまった。改めて集中集中。撥を構えなおして、いざ。


十、九、八、七、六、五、四、三、二、一……


…零



◇ ◇ ◇



ひい


“これから忙しくなるぞ”

とは、あの日帰りがけに父が言った言葉です。


ふう


その言葉の通りでした。家に帰った私を待ち受けていたのは花道、茶道その他諸々の礼儀作法のお勉強。正直放り出したくなりましたけど、今後のことを考えれば私の武器となるものです。必死です。何度ふさ江さんに泣きついたかしれません。あとはその…今後のですね、衣装選びです。てっきりふさ江さんが来て下さると思っていました。


みい


当日になって驚愕。母さまが苦虫を噛み潰したような顔で案内された部屋に正座していました。会話は少なかったです。高価な反物を見ながら、言葉少なにあれはどう、これはどう、とお話しして終わり。


よお


そうこう準備している間に、宮中では大きな動きがありました。先帝が年を理由に譲位し、新たな帝が即位しました。先帝は現在、景保院けいほういんと呼ばれ、今もちょこちょこ口を出してくるのだとか。“彼”が苦虫を十匹くらい噛み潰した顔で教えてくれました。今更ですけど、先の帝、現在の景保院とは木野景保と名乗っていたあの翁です。院名の由来が適当な気がしますが何も言いませんよ、えぇ。


いつ


そんなこんなで、皇位を継承した“彼”は今、後ろの部屋で寝ています。実は三日ぶりの対面です。生活の場でもある清涼殿せいりょうでんに戻られなかったのは、政の場、紫宸殿ししんでんに泊まり込んでいたからと思っていました。しかし、そもそも激務のために睡眠をとっていなかったとか。


むう


教えてくれたのは柏木さんです。すでに目を閉じかけていた“彼”をここまで連れてきてくれました。無理やりお酒飲ませて連れてきたとか。うーん、柏木さんたくましい。でも、睡眠不足に飲酒は危険じゃないでしょうか…。いえ、そこまでさせる当人の方が問題ですかね。そんな柏木さん、現在は朱華さんと一緒に陰陽寮所属で働いています。


なの


内裏は変わりました。まず新たに陰陽寮ができました。表向きは天候を読み占いをする部署。一部では、狐狸妖怪に関する相談を受け付けています。柏木さんと朱華さんはまず、陰陽生として始めています。もう、赤狩衣などという俗称でよばれることもありません。赤い衣装は本来穢れを祓う意味があるそうで。それがいつのまにか異能者を指す言葉になったと朱華さんは言います。退治屋の技を持っている方は少ないらしいです。ですが、今まで才はあっても職を得られなかった方たちが、町の陰で暮らしていた二人が、活躍できる。


やあ


そんな部署を増設した彼。目を閉じ疲労の色濃いですね。横になった途端に寝息がはじまりました。布団の上で横になったは良いですけど、掛け布団すら下敷きにしてしまって。春先とはいえ冷え込むので、引っ張り出してきた衣など手当たり次第にかぶせて寝ています。


この


私は縁側に腰を下ろして、庭を眺めながら糸を弾いているだけです。


とお


撥を止めて、息をひそめる。座っていられる。意識を保っている。情報の洪水が、ない。撥と三味線を置いて、脱力。まず体をぐいっと伸ばしましょう。


変わったこと。私が何となくで使っていた、あの力。視て、読んで、形に成してしまうもの。勝手に私が作ったリミッターすべて外したところで、今できるのは少し遠くのことが知れるだけ。形に成すことはできなくなりました。何故でしょうね。いつから、なんて正確な時期はわかりませんけど。“彼”が人に戻った、同じ頃な気がします。全力全開で三味線を弾いても、倒れるほどにはなりません。ただ、少しばかり目と耳がよくて、ここの外に控える女中や衛士たちの様子が分かる程度。(どうやら私と“彼”に遠慮して入れない様子。気を遣って頂いて…うれしいですけど)朱華さんや柏木さん曰く、それでも異能には変わりないみたいですけど。明らかに弱くなっています。いずれは消えるのでしょう。それで、いいのかもしれません。私が自分の目で見て聞いて、歩いて出向かなければならないのでしょう。元引きこもり、頑張ります。


「もう、止めちまうのかい」


後ろからの、声。集中が切れて感覚が戻る。もう遠くのことはわからない。耳は後ろの“彼”…須黒の声に集中です。


「起きてたんですか」


あぁ、変わらないのは、私の遠慮のなさですかね。


「寝ちまったか」

「少しだけです」


振り返れば、肘を立てて身を起こそうとしている須黒。


「重てぇな」


あ、やっぱりですか。眉間にしわを寄せた須黒が被された衣をどけて、またうつらうつら。眠気と戦う顔が微笑ましい。無防備な顔を見せてくださるようになった。ちょっと気恥ずかしいですね。


「お休みになってください。まだ冷えるので布団に」

「前よりはあったかくなったさ」


あぁ、どうしましょう。ちょっと拗ねた顔がかわいいと思ってしまいます。そんなお顔を見れる特権と立場に居座ってしまうじゃありませんか。なんて、勝手に内心で責めてみます。


「あんな体になると、ね。些細なことでも、見つけちまうんだねぇ」

「それ、は」


突然の、話。


花が咲いた。風が吹いた。香りがした。鳥が鳴いた。飛んだ。夕焼けが、きれいだ。


寝たきりだった彼は、何を思っていたのでしょう。でも、当時の話は今でもほとんどしてくれません。それに私も聞きません。ただ、


「それに気づけるようになったあっしは、前よりましなんだろうさ」

「…またご覧になれて、よかったじゃありませんか」


ただ、そう言って、目元を和らげてくださるのなら。眩しそうに目を細めて、外を見てくださるのなら。十分だと、想うのです。


「あい」

「はい」

「何故、泣くんだい」

「泣いてません」

「そう、かい?」

「ちょっとだけ、目が痛くなっただけです」

「そうかい」

「そうですよ」


私は、今、帰ることは考えていない。結局私は、誰にも“あちら”のことを話さずにいる。話す必要も、ないと思っています。どうして私が“こちら”に来たのかはわからず仕舞いです。ですが、もう、“あちら”の私が一生をかけて身に着けた音を追うことはない。高木 あいと橘 あいは、もう、違う音を出すから。高木 あいの技術を取り戻そうと必死だった橘 あいは、いない。橘 あいとしての、音が見つけられたから。そうして、私は“こちら”で、生きていくのでしょう。


できれば、できるだけ、須黒と一緒に。


「あい」

「はい」

「茶を、くれないかい」

「はい。」


もう糸のない、宮中と言う匣の中で。





これにて完結です。最後までお付き合い頂きありがとうございましたっ!


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― 新着の感想 ―
偶に読み返してます。 独特の雰囲気があって好きです。
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