冷えた白魚
一の糸、二の糸、三の糸
指が走る、小ぶりの撥が弾く。
膝に抱えているのは糸が太く、少し大ぶり。猫の皮を張った代物。私のわがままで北から取り寄せてもらった、三味線。まだ津軽三味線とは名付けられていない、太棹。
確か、“あちら”ではもう少し先の時代で発祥したと思います。津軽三味線発祥の過程が描かれたアニメを見せて頂き、指使いまで再現されていたことに感動したものです・・・はい、話を戻しましょう。
こちらの母には、そんな芸者みたいなことを!とか、瞽女になりたいの!?などなど、悲鳴を上げられてしまいました。
芸者、瞽女さんとは、三味線を引き唄い、諸国を旅して生活される目の不自由な女性のことです。せめて笛を、と云われましたが、最終的に父が承諾してくれました。その代わり、縁談に関してはこちらの決めた通りに、という条件付きでしたが。昔の日本を思わせる、御家柄万歳な雰囲気。私、よほどのことがない限り、さして抵抗せずに縁談を受け入れたと、思うのですが。他のお稽古事やらは云われたとおりにしていた、し………………あれ、どうなんでしょう。
えー、と、あー、
「手が止まってるぜ?」
れ?
「おや、忘れてたって顔だねぇ」
・・・はい、忘れてました。
そういえば、お客様がいましたね。縁側に座る私の横であぐらを掻いて肘を着いてにやにや・・・素敵に悪い顔です。
「すみません、つい」
「かまわないさ」
一応帰るように、と薦めたらそれより弾いてくんな、と云われました。頼みながらもそれとなく命令口調です、慣れているようで。けどわがままな金持ち坊ちゃん、とはまた違うようで。
「他にはないのかい」
そうでした。一番難しい曲を、なんて悪意にまみれたリクエストをされたのでした。
「すみません」
撥を持つ右手の指、の付け根がつりそうです。力、入れすぎたようで。
「つまらねぇな」
にやにや笑いながら、ずばっと云ってくれますね。撥を置いて、一礼し、三味線を下ろします。気がつけば、夕方というか、夜です。すっかり暗くなってしまいました。ほら、そろそろ戻らないと。
「おんや、心配してくれんのかい?」
まさか
「あっしは行きたい時に行きたいところに行くだけさ」
たとえば、あんたのところとか、な、と、掠れた声が鼓膜を震わした。私は何も云いません。
彼は体を傾け、こちらに指を伸ばします。
まるで女人が夜に誘うように。
冷えた白魚が唇を這い、頬を伝い、首筋をなぞる。
すぅ、と彼の目が細くなった。
狙いを定めた猫みたく。
いつのまにか室内にあった、微睡みの気配が消える。
燭台の灯火がゆぅらりと、揺れた。
近づく瞳の中には、焔がちらつく。
眦から零れる色香
あぁ、なんてことでしょうね。
いつ、スイッチに触れてしまったのか。
さらに近づくかんばせ
夜に浮かぶ白い肌
喰らう、貪る青灰の目
全て全て、
異形の証
それでも私は、逃げません。
「鬼さん」
ただ、告げればいい。
「一風堂のお茶、いりません?」
ぴたり、と
見事なまでに、獣は止まった。ぐるぐるぐる、と獣は暫く視線をさまよわせ、しまいにため息を零した。
「茶菓子は」
「相楽屋さんのお饅頭です」
「餡は」
「もちろん、漉し餡です」
そうと決まれば、準備をしなければ