右近の橘、左近の桜
他者視点です。
目覚めた。体が妙にさっぱりしている。そして、自分以外の吐息が聞こえた。まだ起き上がれない。首をそのまま横に向けた。布団の横、畳の上で丸まっている奴がいる。あいだ。時々寝苦しそうに顔をしかめて。帯も解かずに横になったらしい。頼りない手で帯止めを緩めれば少し穏やかになった。まるで子供だ。その様を見て己の頬が緩む。何時振りだろう。こんな穏やかな気持ちは。
いや、そうでもないか。“抜け出た”際、あいの傍であいの音を聞けば己を忘れられた。
「いるんだろう。出な」
あいを起こさぬよう密やかな声。だが、“彼ら”には十分だ。
「すぐ長に知らせます」
天井から降り立ったのは小柄な影。声も若い。目立たぬ恰好をした少年だ。じっくりと眺めていれば妙なことに気付く。心を悟らせないのが忍び連中の生だ。それなのに少年は何故かもの言いたげな顔をして己を見ている。
「何だ、変な顔をして」
「どうして俺がいることに気付かれたのです」
なるほど、そこが気になったらしい。
「ただのはったりだ。この状況でお前の頭が俺を一人にするはずがない」
「…一人ではないでしょう」
確かに。傍にあいはいる。だが、“何か”あれば非力な彼女には止められない。それに彼女はあまりにも己達のことを知らない。おそらく、現状に一番関わっていながら一番知らないのはあいだ。知らないまま状況をひっくり返しかき回した。しかも何となく、でだ。
だけど、これからそうはいかなくなる。きっちり責任は取らせるつもりだ。生を諦めていた己を引き留めたあい。理不尽と分かっていても憤りはある。見せたくなかった。たとえ意地と言われようとまともに起き上がれない自分を、見られたくはなかった。そう言えばあいはまた泣きながら怒るのだろうか。あいは己にそんな反応を示してくれる存在が、どれだけ希少かわかっていない。
だからこそ、己はこの穏やかさを、安穏を、何より彼女自身を離すつもりがない。己の立場、周りの人間の動き、すべてを知ってもなお、変わらず彼女には己の傍にいてほしいと思う。甘いことはわかっている。だが、今は、まだ。
そんなこんなを考えている最中、名の知らぬ少年は今度はあいを見ていた。監視、の目ではない。眉間にしわ寄せ口結んで、複雑な顔をする。
「こいつが気になるか」
「なっ」
動揺を表に出す様に忍びにしては幼さを感じる。そういえば、忍び頭が倒れたあいを支えていたか。どうやら、己が知らぬ間にあいは妙なところに縁を広げたらしい。おそらく、橘 至時やあの狸爺の策であろう。思い出しても腹が立つ。己がやすやすとあの二人の挑発に乗って騒ぎを起こしたことに。…今は置いておこう。気を変えるためにも改めて少年を見る。己よりあいに年近い異性。なんて考えてしまう己に笑ってしまう。
「お前、名は」
「…土岐」
知らぬ名だ。あの大男、またどこぞで孤児を拾ったか引き取ったか。強面にそぐわず仕事以外では不器用で情に厚い男を思い出す。
「下がりな。せめて女がいい。こいつの寝顔を野郎に見せる気はない」
自分にかかっていた夜着で隠す。そうしている間に少年は無言で姿を消した。離れはしないだろう。あの熊の命令なのだから。とりあえず寝顔はこれ以上見せずに済む。…全く。ため息が出る。
以前柏木があいの寝顔を眺めていたいときには抱かなかった気持ちだ。さほど時はたっていないのに。生を放置していた己が独占欲を抱くなど。もう隠せないところまできたのだ。
「さて。この娘っ子をどうしようかね」
己が回復したと知れば周りも黙っていないだろう。数日と言わず、日が昇れば否応なく己が目覚めたことは広まる。そういう立場に己はいる。なら、騒がしくなる前に囲い込んでしまおうか。
「ちぃとばかしわざとしいが仕様がないねぇ」
あいは混乱するだろうか。怒るだろう。羞恥に顔を真っ赤にしながら。だが、これは若干仕返しと嫌がらせも込みだ。わたわたするあいを見たいとの欲も否定できない。
「土岐、と言ったか。お前の頭に言伝を」
◇ ◇ ◇
「そう怖い顔するな」
「説明求めます」
「急に話せば破裂するじゃろう、おぬし」
「う…否定できません」
早朝何故か不機嫌な土岐に叩き起こされ、帰りも一座に紛れて帰りました。前日の宴が深夜まで続いたらしく、朝靄の中で内裏は人気なく静かでした。ただいま、我が家(という名の離れ)
一座の皆様と屋敷の前で別れ、女中らも寝ている母屋を通り過ぎて離れに。待っていたのはお二方でした。朱華さんに改めて私の無茶ぶりを理論整然と切り詰められまして、柏木さんに大きなため息いただきまして。
やっと本題に。今までの説明です。
「ひとまず、右近の橘、左近の桜って聞いたことあるか」
「いいえ、まったく」
あきれた目が二方向から。
「帝が住まう紫宸殿から見て右側に橘、左側に桜が植えられておる」
橘は常緑木。季節関わりなく緑を茂らせる。ゆえに長寿 瑞祥の生命の樹。
桜は落葉樹。花散る様は寿命ある人を示す。ゆえに真理 見極の知恵の木。
紫宸殿を守護する木。貴族の中でも橘家、桜家は二大勢力とも呼ばれていた。過去形です。橘家が東宮(次期帝です)に推す第一親王が呪詛に倒れ(表向きは病としていたらしい)、橘家は以前の勢いを失った。桜家が推していたのは第二親王。ぴんぴんしているそうな。どろどろしてますねぇ。
「もしや、帝に呪詛して結果第一親王を引っ込めて、入内の噂がたった橘の姫を呪って、結果橘の勢いを削ごうとした野心溢れる黒幕って桜家の」
「ほう。悟ったか」
「悟りたくなかったです!」
結局権力争いですか。第一親王や私って巻き込まれただけって。ん?
親王、帝の息子。呪詛を移された帝の息子。
「巻き込まれた第一親王って、私が知っている人ですか」
「俺らより詳しいだろう」
「う、わ」
推測で終わってほしかったです。
「私、そんな人鬼扱いして怒鳴ったり無視したり使いっ走りにしたりしたんですねぇ」
「そこまでか」
「お主もさして変わらんじゃろ、柏木」
「俺の場合本人に命じられた態度だ。それ言うなら朱華も」
「何か言ったかえ?」
「…何も」
おおう。怖い怖い。いまだに彼の正体を隠したこと、朱華さんは全然許してないそうな。とか他人事に考えていたら、ひたりと朱華さんと目があいました。
「ちなみにの」
扇で口元を隠す朱華さん。隠さなくてもにんまり、と笑っていることが目元でわかります。
「第一親王が目覚めたこと、既にお偉い方の間で広まっておる」
「え、今昼ですけど」
「もう一つ。面白い話があってのう」
第一親王を救ったは橘姫弾く三味線の音。奇跡を起こした姫君はすでに第一親王より直に言葉を賜り帝のおぼえもめでたい。姫君はご寵愛を賜り、今後お抱えの楽師として侍るだろう。とかとか
「ていう噂がすでに」
「…誰です、それ」
「どう考えてもお前だろう」
何ですと!?