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絃ノ匣  作者: しま
第三章 「天神の部」
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恋情の歌

たどり着いたのは人気のない離れです。

人目のない暗がり。そこで、朱華さんから指示されたことがあります。

懐からわら半紙の一切れを取出し、地面に置く。


「あーあー、業務連絡業務連絡。朱華さん、何とか一人になれました。どぞー」


すると、紙切れしかなかった地面から朱華さんが生えました。訂正、違います。

頭から足まで出てきました。若干透けていますが、朱色の狩衣姿です。

お仕事中!の格好。なんだか久々な気がします。

彼女はあたりを見渡し、ふん、と鼻で笑いました。


「ずいぶんと入り込んだものよ」


今本体の彼女は眠っており、体は柏木さんが保護しているそうです(幽体離脱?)

散々私を規格外みたくおっしゃいますけど、朱華さんも大概だと思うのです。

言ったら怒られそうですけど。


「場所は」

「分かりますよう。つながっていますからね」


袂から隠していた手を出します。そこには仄かに光る細い糸が絡みつく。

風もないのに重力を感じさせず漂う。一方の端はさらに建物の奥へ漂っています。


一座に入れていただいてから今まで、何もしなかったというわけじゃありません。

もちろん一座の三味線弾きとして撥を持って仕事してましたが。

地図上この都の左側、右京と呼ばれる区域にお邪魔したことがありました。


◇ ◇ ◇


その屋敷は右京のさらに外れたところにありました。

もともと右京は左京に比べ治安が悪いのだとか。右京と左京。まるで“あちら”の都と同じ作りです。

じろじろと柄の悪い視線の間をぬって隙間風吹き込む空き家に入ります。パッと見、荒んでいるのがよくわかります。

御庭に人の手はなく壁や障子はひび割れて。お邪魔したのは私一人。

中はぼんやりとした月灯りしか届きません。薄暗いものでした。土間から上がって座敷に座ります。三味線を構えて一つ、二つと糸をはじいて。撥を構えました。


びぃん、びぃんと湿った空気を震わせて。ゆっくり静かにしめやかに、弾きます。


「あな、悲しや」


いつの間にか、私の前に女人が正坐していました。

美しい黒髪の、妙齢な女性。真白の薄い単衣を来た人。

単衣とは“あちら”でも“こちら”でも寝衣と同じ扱い。それだけでも異様なことがわかります。彼女の肌も顔もすべて、年相応の若いもの。“私が見た時”とは違います。

ですが、背筋に冷たいものが流れる。一瞬撥を持つ手震えそうになる。

でも、止めない。止めてはいけない。ただひたすらに、打って打って打って。


「かような場所に然様な音を聞かせて。困りますなあ」


噛みしめるように言葉を発する女性。その声を私は聞いたことがあります。

ほんの少し前。忘れもできぬ、何度も何度も聞いた声。


「なれど、あなうれしや。よい音よい事ですなあ」


くすりくすりと、女人が笑う。私が怖がり恐れているのを知っているのでしょう。


「思い出す。思い出しますなぁ。雅な音よ。雅な日々よ。あな懐かし。懐かしゅうて、恨めしゅうございますなあ」


どす黒く歪んで冷たいものが、流れてきました。


一人の女性がいました。

彼女は遊郭で生まれ遊郭で過ごしました。


「始まりは私や。元は私めなのですや」


彼女は泣きませんでした。泣けませんでした。ただただ静かに笑っていました。何も言わない。言わないのに流れ込んでくる。彼女の視点で。

どす黒く冷たくそして灼熱の思念が。


彼女はさる方に懸想した。許されるものではなかった。

どうして彼女がその人に恋したのかは知らない。彼女が過ごすは夜の街。金銭で人の身が動く世界。女と男の街。一見華やかでどこまでも暗い世。そんなある日、その人が彼女の元に来た。会ってしまった。揺さぶられてしまった。

奥に仕舞われていれば、秘められていれば問題にならなかった。ただの客なのだと。

彼女は最初隠そうとした。求める心を消そうとした。しかし、それを利用せんとする一派があった。心を暴き、囁いた。思いを遂げられる方法があるのだと。

彼女は惑わされた。誘いに勝てず。


「望み申した。人ならざればあの方は私の元へ来るのだと思いましてなぁ。人だからこそ身分がある。だから来れないのだと」


彼女は笑った。そして詠った。


我をたのめて来ぬ男

(あてにさせて私のところに来なくなった男よ)


角三つ生ひたる鬼になれ さて人に疎まれよ

(角の三つ生えた鬼となれ そうして人から嫌われるといい)


霜雪霰降る水田の鳥となれ さて足冷かれ

(霜雪霰の降る水田の鳥になれ 水田に足を浸して、冷たい思いをすればいい)


池の浮草となりねかし と揺りかう揺り揺られ歩け

(あるいはいっそのこと池の浮き草になれ あちらこちらに揺られ歩くがいいわ)


恨みの歌であり、また狂おしいほどの恋情の歌。

唆した者に教えられた歌は呪詛となった。鬼となれという言葉は呪いとなった。人を呪はば穴二つ。呪詛は自らにも帰ってきた。

彼女は人の身から外れた。彼女が鬼となった。夜闇を彷徨うようになった。

そして、呪いを向けられた相手は


「倒れたのはあの方の子ども。人を外れた何も知らぬ子ども。まこと、口惜しゅうなぁ」


倒れた子ども、とは。嫌な感じがする。どうして、須黒が“鬼になっていれば”という父の台詞にあそこまで激高したのか。その答えが少し、見えた気がします。


「夜に燻くすぶっていた私に再び話が聞こえたよ。あの方の元に女が参ると。許せぬと思うたよ。橘の姫と聞こえた。不思議ですなぁ」


笑ったまま彼女の姿がか細く震える。いいえ、薄れてゆきます。霞のように靄のように消えていきます。撥を、置く。全身から力が抜けて、立ち上がる気力もわきません。


「どこかで聞いたような、話ですねぇ」


同じ、同じなのです。

なぜ、懸想相手に向けた呪法が“違うもの”にかかったのでしょう。“倒れた”のは懸想相手の子。呪法の相手は“その方”の父であるはず。

妹を狙った彼女が、私のところに来たように。


「私は、どこぞの身分や決まり事、謀はかりごとだのややこしいことは分かりません」


“あちら”にいた私なら、そんな非現実的なことはあり得ないと切って捨てたでしょう。ですが“こちら”は何の因果かそのファンタジー的要素が現実としてあり得てしまう。だから、今回のことが起こった。

権力争いと呪詛というファンタジーと人間臭さが一緒になった。


「誰かは止められたはずです。でも誰も止められなかった。誰が悪いと、そういう話でもないのでしょう」


ここに残っているのは彼女の残り香。何故なら、彼女はもう“いない”から

私がもう“送って”いたから。なのに、彼女はもう“いない”のに。残って燻くすぶっている糸がある。まるで檻のように彼を縛る糸がある。


「でも、もう、解いてもいいと思うのですよ。雁字搦めになったこの糸を」


破れかかった障子を開け外に出ました。柏木さんが腕を組んだまま待っていました。


「どうだった?」

「残っていました」


後ろを振り返れば灯りもない部屋が辛うじて月明かりに照らされていました。


「柏木さんは、知っていたのですか。彼が元は人であるのと。

 他者に人から外されたのだと」


彼は口をつぐみました。それが何よりの答えです。


「朱華さんは知らないのですね」


帰ってくるのは沈黙。


「いいです。ちゃんと、つながりましたから」


指先に絡む光る糸。女性が座っていたところに残っていたものです。

糸から絶えず女性の歌が聞こえる。呪いがまだ、残っている。

その手を袂に隠して私は歩き出しました。とっとと退散するに限ります。



◇ ◇ ◇



そうして私は、ここにいます。


歌は歌謡集『梁塵秘抄』より抜粋させていただきました。

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