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絃ノ匣  作者: しま
第二章 「棹の部」
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青年

「お手を出して頂いてよろしいですか?」


須黒をひと睨みした後、彼は桶を私の前に置きました。

先ほどと話し方が違いますけど。そんな丁寧な言葉遣い、私の方が緊張してしまいます。

須黒に対する態度を見た後ですから余計に。

というか、三人ともお知り合い、らしいですけど。ここに住んでいる方でしょうか。


「いかがいたしました?」

「あ、いえ」


考えすぎて、呆けていたみたいです。

近くの井戸から直接水を汲んできたようで、持ち手のある手桶に水が満たされていました。

未だに痺れの残る両手を擦り合わせながら、水桶を覗き込みます。

異臭も浮遊物もなく、桶の木にも変色はありませんでした。


「水、ですか」

「はい。あぁ、塩を混ぜています」


塩水、塩は清めの効果があるらしい、ですけど。


「両手をあわせて水にお付け下さい。痺れがあるのでしょう?」

「は、い」


須黒を見ますと、彼は火皿に残った煙草に注目していました。

何も言わないということは、大丈夫なんですかね?

そんな私に痺れを切らした彼女が柳眉を寄せました。


「我らより鬼を信ずるかえ」

「よせ、はねず」

「しかしのぅ」


納得のいかない様子の女性。

失礼を承知で、伺いたいことが。


「あの、そもそもあなた方は?」

「は?」


青年が呆けました。女性の眉間にますます皺が。

いっそ殺気というものが見えてきそうで。低い低い声で一言


「知らなんだか」


青年が首をかしげます。


「俺はてっきりそいつから聞いてるとばかり」


一同の視線を集めた須黒は、我関せずを煙草をふかしていて。

ちょっと、そこの兄さんや。説明しましょうよ、説明を。


「なんだい?」


わざとらしく問いかけていますけど、ちょっぴり口の端が引きつっていますよ。

笑いこらえて、楽しそうですね…。

諦めたらしい青年が咳払いをして、向き合いました。

何だか、慣れていらっしゃいますね。


「…俺は柏木カシワギ。そこの娘ははねず、朱色の華と書いて朱華ハネズです。

 先に橋で会ったそうで」

「どこぞの子鬼かと思うたがな」


ぐさり。いろいろと言いたそうな朱華さんの目が胸にささりました。

確かに、あまりいい出会いとは言えませんよね、彼女からすれば特に。

逃げ帰ってきたわけですし。

なんて考えていますと、目に見えて柏木さんが苛々として。


「話が進まない。とにかく、俺らはあんたに危害を加えたりしない。

 そういうことで、さっさと手を洗ってくれ」


あ、妙な敬語が取れました。やはり、そちらの方が話しやすそうですね。

なんて考えている間に、私が怒ったと勘違いをしたのか、青年、柏木さんは少し慌てたように口を開きました。


「あ、悪い、じゃなくて、申し訳ありません。俺、じゃなくて、私たちは、だから」


焦って、言葉を直そうとして、また焦って。

頬に赤味が走って、あちらを見たりこちらを見たり落ち着きがなくなって。

横で朱華さんがやれやれとため息をつきました。


「慣れぬことをするからじゃ」

「やかましい!」

「客人の前で大声を出すでないぞ」

「誰のせいだ、誰の。ってあー、だから話が進まん!」

「わたしの責かえ?」


呆気にとられる、とはまさにこのこと。

一応、今の私の体より彼の方が年上、らしいのですが。

中身は“あちら”での歳が加わっているためか、なんだか改めてみていると微笑ましく思えてしまいました。

言い合いをしている二人を置いて、こっそり桶の水にほんの少しだけ指を付けて。

人差し指で水面を撫ぜ、口に含みます。微かにしょっぱかったです。

ここに来る前に私が被った塩と、同じなのでしょうね。

塩水を飲んでこんなに肩から力が抜けるなんて、妙な気分です。


「あ、の」

「げ、あ、はい」


げ、て。分かりやすい反応ですねぇ。

先ほどまで堂々とされていた柏木さんが私の次の言葉を待ってそわそわとされているのはきっと、わざとではなくって。

始めは威圧感があって怖い、という印象でしたが、今はなんだか年相応に見えます。

頑張って背筋を伸ばして姿勢を正そうとされて、でも何だか落ち着きがなくって。

疑い、すぎていたのかもしれません。信じる、とまではいけませんけれども。

少しだけ、肩の力、抜いてみていいですか。なんて、誰に聞いているのでしょうね。


「普段通りの、朱華さんとお話しされているような、話し方でお願いします。

そもそも、私はそのような、お偉い立場ではありませんから」


緊張のせいか、詰まってしまいました。

しかし意味は通じたらしく彼は目を見開いて、気まずそうにがしがしと頭を搔きました。


「橘の姫様にそのようなことを言われましても」

「橘ってそんな地位があるのですか?」


そこまでは、私は家について詳しく知りません。

二人が何か言いたそうに、戸惑ったように顔を見合わせます。


「お主、何も聞いておらぬのかえ」

「自分が橘という家にいる、ということは知っていますが」


何ですかね?実はすごい家なのですか、橘って。確かに父も母も人の上に立つことに慣れている様子で、お屋敷も広くって離れもあるぐらいですし、頂いていた着物も上等なものばかりでしたが。

女中さんがいることですし、商人さんとか、そういう立場の者かと思っていました。


「まぁ、いい。甘える。とりあえず、指に障りが出る。先に洗おう」

「はい。

 失礼な態度をとって、すみませんでした」

「いいさ。其れぐらい用心深い方がいい。俺も、その、慣れていないんだ」


敬語、のことでしょうね。

あらぬ方を見ながら言うところに、不器用な一面が見えました。


「…ありがとう、ございます」


落ち着いたところで、言われた通り両手を合わせて水に漬けていきます。

少しずつ指先から痺れが抜けていくようで。

色が変わる、なんてことはありませんけど。


「痺れは?」

「今抜けていて。あ、無くなりました」


違和感が、消えました。

桶から手を離して、何回かにぎにぎ。動かしても大丈夫そうです。


手拭いを受け取って水滴をふき取り、そこでやっと一息ついて。


さっきから何も言わない須黒が、何だか楽しそうに煙管をくるりと揺らして、また咥えました。

何かいいことでも、あったんですかね。



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