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絃ノ匣  作者: しま
第二章 「棹の部」
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人形

「い、いかがですか?」

「間違いはありません。ただ」

「ただ?」


背筋が伸ばして、次の言葉を待ち構えてみます。


「もう少し、女性らしい文字をお書きになった方がよろしいかと存じます」

「…いまさらです」

「然様でございますね」


ふさ江さん、本人の前でため息つかないでください。居たたまれなくなります。

女性らしい文字、というのが私自身いまいちわかっていません。

ただ、私の書体は男性らしいのだそうで。なかなか治りません。治すところがわからないからでもありますね。


改めて読み直しをし、誤字がないことを確認して筆を置きました。

墨が裏写りしないよう、使用済みの紙を重ねて余分の墨を吸い取ります。

同じく古紙で筆に残った墨を吸い取りまして。これがないと、筆を洗うとき大変です。

学べばできるようになるのですね。いささか不恰好ですけど、崩し字に慣れてきました。

文字を習い始めて、何年経ったでしょう。


筆を持つことやくずし字を読むことは‘あちら’では学業以外にも機会ありました。

口語文は実際の会話と変わらぬ表現が多くて何となくですが、読めることはできたのです、が。

文語文、所謂書き言葉となるとお手上げでしたねぇ。書物を見せて頂いたとき、まさしく目が点になりました。

漢文、訓読文、そして「ござ候」などがある候文体。

離れに来るまで、私も妹とともに読み書きを習ってきたため、何とかなっていますが。


「そういえば、ふさ江さんとお会いしてから随分経ちましたねぇ」

「…何か?」


そんな、変なもの見る目しないでください。

母屋にいる女中さんたちの中で、ふさ江さんだけが私のもとに来てくださいます。

父の命令が、たまたま都合のいい時に来た女中さんに集中しているだけなんですけど。


「ありがとうと、伝えてみたかっただけです」


ふさ江さんが奉公に来られた時と私が離れに来た時期が重なったことは、この女中さんからすればいい迷惑なのですけど。

ただ、何となく。


「………お熱でも召されましたか」


言葉の棘が鋭いです。ついでに視線も冷たいです。容赦のなさに頬が引きつります。

ですが、私も唐突すぎました。


「何でもありません。ただ、ふと思い浮かんだだけで」


じっとりと、探るような目で見てくるふさ江さん。


「おかしな方です。女中なんぞに」

「そのおかしな方のところに来てくださるからお礼を言いたくなったのです」


ふさ江さんの涼やかな眉が真ん中に寄りました。

あれ、どうしてそんな、悔いる顔をするのですか。


「失言でした」


もしや、気遣われているのでしょうか。卑屈になっているわけじゃないのですが、えーと。

いったい母屋で私の扱いというか、噂はどうなっているのでしょう。

私自身はなかなか快適に過ごしているのですけど。傍から見ると、軟禁?になるのでしょうか。

なんて首をかしげる私を見て、女中さんはまたため息。


「あなた様は、お強いのか呑気なのか分かりません」


確実、後者ですね、なんて言えばまたため息をつかれました。幸せ逃げますよ?なんて、私が言えるわけないのですけど。


「あ、墨乾きましたね」


折りたたんで、ふさ江さんに渡しました。


「では。旦那様に、でよろしいのですね?」

「はい。お待たせいたしました。お願いします」






庭を出て行くふさ江さんを見送っていると、後ろで空気が動きました


「今日はやけに忙しないねぇ」


今回は驚きませんでした。ちょっとだけ、彼の気配というか、前兆がわかってきたかもしれません。

といっても、ほとんど直感のようなものですけど。

案の定振り向けば、先ほどお会いした鬼さんが奥の柱にもたれていました。

わざわざふさ江さんと違う方向からいらしたみたいですね。


「お手数かけます。にしても、早くないですか」


賭け、のつもりで彼を呼び出しましたが、全く用件がなかったわけではなく。

でも、本当に再訪が早いです。頼みごとに同意していただき、明日改めて訪れるのかな、と思っていましたが。

鬼さんは含んだ顔で肩を竦めました。


「あっしはちぃと人に聞いただけさ」

「ですか」

「そうさ」


聞きたいことありますけど、鬼さんお得意の“聞いちゃいけない”雰囲気が出ています。

頼まれたことについては、気にした風ではありません。私が彼に頼むのって初めてなのですけど。いいんですかね、これ。

しかし、彼にとっては面倒さより好奇心が勝ったようですね。私が何をするのか、待っているようで。

期待するほどの企みはないのですけど。

私が行うのは鬼さんを呼んだ時と同じく、できればいいな、という程度で。


「聞くかい?」

「少し待ってください。準備します」


準備をしなければ。しかし、焦ってはなりません。

未使用の和紙を準備し、特定の形に切り抜きます。次に新たに硯と筆、墨を準備します。

墨汁、てこちらにはまだ無いみたいです。墨を擦り、余った紙に試し書きを。

結構時間はかかりましたが、鬼さんは黙って見ているだけでした。

何かを察したのか煙管も出さず、ひたすら私の指先を見ています。なかなか、やりづらいものです。さて、墨の色が整いました。

小筆を持って、一呼吸。改めて背筋を伸ばし


「ひとり、お願いします」

「童の名は、」


それからは、鬼さんが伝えることを定められた位置に書いてゆきます。

まずは一人、そしてもう一人

二人分を書き終わると走らせていた筆を置いて、墨が乾くのを待ちます


人形ひとがたかい」

「です」


鬼さんは文机を覗き込み、そして私と目を合わせました


「いったい、どこでそんなことを知ったんだい」

「えーっと、」


“こちら”にもあるんですね、人形って。

私が知ったのは“あちら”なので、鬼さんの質問には答えられません。


「何となく、です」


あ、目が冷たい。


「…何をするつもりだい」


誤魔化されてくれるみたいです。

後で問い詰められることは覚悟、した方がいいんですかね…。


「できるかわからない、私の自己満足です」

「あっしは放れ、と言ったがねぇ」

「ただのシミなら放れましたけど。聞こえてしまうのなら」

「ほぅ」


私が食事をとっても眠っていても、ふさ江さんがいても、ふと庭に残ったシミを見れば聞こえてしまうのです。

延々と聞こえる、囁きのような悲鳴。


≪いきたい、生きたい、逝きたい 許せぬ、赦せぬ、なにゆえに≫


小さな小さな慟哭です。


「納得、できるわけないですよねぇ」


詳しくは知りません。鬼さんも、私が質問したことしか応えませんでした。

ですが彼ら自身が、伝えてくれる。二人がなぜ巻き込まれたのか、遭ってしまったのか、喰われてしまったのか。理由はありません。ただ、そこにいただけ、いてしまっただけ。

こうして耳を傾けるのはよくないのかもしれません。ですが、


「はい、そうですか、て、納得できるわけないですよね」

「いつか諦めていなくなる」


この場合、いなくなる、というのは消滅、を意味しているのでしょう。


「言ったじゃないですか。ただの、自己満足です。結局は私がやりたいだけなんです」


形にできない思いが滞るなら、吐き出せぬ思いが楔となるなら。

形にすればいい、吐き出せばいい。音に、すればいい。


「お前さんは、妙なところで甘いねぇ」

「妙ってなんですか、妙って」

「覚えがねぇたぁ、手遅れだ」


くつくつと、やっといつものように鬼さんが笑った。


「それで、あっしはやることはすんだろう?」


背中を向ける鬼さん。帰られるみたいです。

でもあの、ちょっと待ってください、鬼さん、ではなく


「スグロ」


ぴたり、と歩みが止まりました。

ゆっくりゆっくり、鬼さんが顔だけ振り向きます。


「そいつぁ」

「考えて、みちゃいました。…如何です?」

「字は」


間髪入れずに次の言葉。どことなく、声が掠れているようにも聞こえます。

硯に残った墨で、試し書きの余白に二文字


「須、黒、です」

「そう、かい。須黒、ねぇ」


骨ばった指が字をすり抜ける。じっくりと、味わうように目を瞑る


「かまいませんか?」

「お前さんが考えたんだろう?」


よかったです、名前の意味を尋ねられなくて。

少し、恥ずかしいので。



「じゃあ、少し待っていただけます?須黒”」



その時の鬼さん、いえ、須黒は。

わたしでも庭でもなく、もっと遠くを見るように、目を細めました。



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