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絃ノ匣  作者: しま
第二章 「棹の部」
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和菓子とお茶

正午前に、鬼さんは帰っていきました。

というか、消えました。

何曲か弾いている間に満足したのか、曲が終わって見ればもういなくなっていました。

また弾いている間に周りが見えなくなって、なんて心中で笑いながら去っていたのでしょうね。

終わった時に声をかければよろしいでしょうに。

撥を置いて三味線を袋に片付けた後、縁側から庭に下りました。


小さな池と縁側のちょうど真ん中あたり。

植物はなくて、地面がむき出しになっているところ。

本来ならば土色であったところに、僅かばかり黒ずんだ跡があります。

こちらの単位、というか江戸の単位で言えば面積は一尺平方(=0.3×0.3平方㍍)ほどの黒いシミ。

今朝、異形が燃えた後に残ったものです。

「あまり、触れぬ方が良いとは言っていましたが」

鬼女の髪(と思われるもの)は鬼さんがどこかへ遣りました。では、ここに残っているものは。…何とかできないものですかねぇ。

「ずっとこのままというのもいかがなものか」

鬼女に喰われたという老女と童女。名前も出身も実際の年齢も知りませんが。

「そうでしょう?お二方」

冷たい風が吹きました。心なしか、黒ずみが揺らいだ気がします。



◇ ◇ ◇



夕方、夕食の準備前に鬼さんを意図して呼んでみました。

撥で糸を弾きながら、鬼さんの顔をイメージして単純に来てほしいと念じてみました。

鬼さんの言葉から組み立ててみた我流です。

一種の賭けというかお試し、という気持ちでしてみたのですが。


目の前にいらっしゃる、いつもの着流し柄。相変わらず唐突です。

思わず数回瞬いて、幻じゃないことを確認しちゃいました。


「ほんとに、来ました」

「呼んだろう」

「呼びましたけど。本当に呼んじゃいました」

「何だい、それ」


可笑しそうに笑いながら、縁側に腰掛ける鬼さん。


「それで、あっしを呼んだのは」

「えーと、はい、お茶しましょう」

「…」


そんな、呆れたように見なくても。表現が直接すぎましたか。

それとも、気軽に呼ぶのまずかったですか。


「忙しかったですか?」

「いんや。わざわざ誘うなんざ、ねぇ」

「ねぇ、と言われましても」


漆の角盆に載せられた和菓子とまだ湯気を残すお茶。

大通りから一筋外れた角の、一風堂の茶葉と相良屋さんの羊羹です。

先ほどふさ江さんから頂きました。前回は御饅頭でしたけど。

盆にあるのは一人分です。


「とにかく、お茶冷めないうちに」

「はいよ」


鬼さんはなぜ、とか、わざわざ、という言葉を押し込んだらしいです。

質問はせずに右手を伸ばし、そして指が湯呑を素通りしました。

言葉通り、鬼さんの五指が透けるように通り抜けました。

一瞬湯呑から青白い手背が生えて…いえいえ、あまり注目するのも、ね。

いまさらですし。

湯呑の中で何かを掴む動作をしたあと、今度は羊羹を上から鷲掴むようにして。

同じく、五指が羊羹に触れる様子なくすり抜けました。


「毎度毎度、飽きないねぇ」

「毎度毎度、不思議ですから」


注視していることをからかうように鬼さんが言いました。

一応、この一連の動作が鬼さんの食事らしいのですけど。


「いいよ」

「はい」


そして、私が実際に食べ始めます。

神社で、神様に御供えした食物やお酒を御下がりとして頂く様子に似ています。

神様も同じように食べたり飲んだり、されているのでしょうか。


出された物を口から食すのではなく、手を通して気の残滓を食べている、らしいです。

誰のって、私の。

私自らが用意し、自ら淹れたお茶に、私自身の‘気’が含まれるらしく。

気、て、気功とかの気、オーラとかいうやつですよね、たぶん。

鬼さんが食した後でも、味は変わりありませんけど。


おいしいんですかね、それ。聞きませんが。

そういえば、今朝私の血液を甘い、なんて言っていませんでしたか。


「珍しいね。お前さんがあっしを知ろうなんて」

「…っ」

「おや、詰まっちまったかい」


つまりましたとも。慌ててお茶を流し込みます。適度に冷えていてよかったです。


「…気付かれていましたか」

「そりゃあ、ねぇ」

「いやだから、ねぇ、で済ませられましても」

「ずいぶんなご機嫌だ」


…少し、言葉に棘があったかもしれません。


「今になって、恐ろしくなったかい?」


違う、とは言えません。実際恐怖を感じましたから。

鬼さんが指摘した通り、どこか麻痺したようになっていましたが、

あのまま一人になれば、おそらく腰を抜かし泣き叫んでいたでしょう。

だからこそ、ですかね。


「心機一転、ですかね」


今までは知ろうとすることを放置していましたから。

いいえ、こちらではそういう存在が当たり前と思っていましたし、

ならばと、考えないようにしていました

ですが。


空気が変わったと、思います。

離れに来てからのらり、くらりとしていた自分が。

見て見ぬふりをしていた自分が。


「喰われたくない、と思いました」

「ほう」

「喰われれば私はもう、弾けません」


鬼さんは懐から煙管を取り出し、ふ、と煙管皿に息を吹きかけ火をつけました。

つくづく、‘あちら’の科学を無視していますよね。

そのまま一服、煙を吐き出した後こちらを見て。


「…結局、根っこは変わっていないんだねぇ」


そうですね。確かに三味線だけあればよしと、思っていた自分はありました。

ですが、今は


「そうでも、ありませんよ」


昔の私が見れば何を悠長な、と顔をしかめるでしょう

それよりあちらに帰る方法を探せ、と。

ですが、もう


「あなたが私を、生かした」


青灰の目が、見開いた。


「私を形作ったのは三味線です。しかし、私を生かしたのはあなたです。

だから生きたいと、生きなければならないと思いました」


生身でない、つまりは私とは‘生’が違う鬼さんにこんな話をするのは変ですけど

鬼さんは私から視線を外し、庭に目をむけました。

私はその思案している風の横顔に、ただ言葉をぶつけました。


「だから知りたいと思いました。だからあなたを呼びたいと思いました。

 あなたの名前を、呼びたいと思いました」


あなたが私をあい、と呼んでくれたように。

‘こちら’で橘の姓に属するあいではなく、ただの娘としてのあいを。

まるで、高木あいを呼ばれているようでした

ただあなたは、私のところに来てくれた。話してくれた。聞いてくれた。

守って、くれた。


「参った、ねぇ。まるで口説かれているようだ」


おどけて肩をすくめる動作が似つかわしくなくて、肩の力が抜けました。


「大人しく口説かれて下さるのですか」

「名前は言えないよ」


庭から、こちらを向いてくれました。

落ち込んだ顔は見せませんよ、はい。


「けれど、

 お前さんがつけてくれるのなら、呼んでほしいねぇ」


「……ぇ」


言われたことを理解し、一瞬で顔が熱くなりました。

あれ、おかしいです。今そういう雰囲気じゃなかったはずですが。


「わ、わたしが口説かれているみたいです」

「そうかい?なら、大人しく口説かれてほしいねぇ」

「…考えます」


くつくつ、と鬼はいつものように喉の奥で笑っていました。

どうしてこうなるんですかねぇ。




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