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絃ノ匣  作者: しま
第二章 「棹の部」
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堕ちた絃

「ここだねぇ」


いい加減どこまで続くのか、そろそろ腕に絡まる指を引いて無言で問い詰めようかと思ったときでした。

鬼さんはぽつりと人に聞かせるでもなく呟いて、何の構えもなく足を踏み出されました。

その時私が経験した感触は何ていいましょうか。


極々薄いカーテンを超えたような

水面を突き抜け空気の中に放り出されたような

何とも言えない感触を肌が覚えました。

戻った、と理解する前に思いました。今まで鬼さんといた道はこことは違うところだったと。

夜中の冷えた風が吹き、草木が揺れる音がします。異臭も消えました。

今までずっと、腕を掴んでいた手が離れます。


「もう目ェ開けな。話しても構わないぜ」


許しが出たので周りを見渡すと、足がついているのは見慣れた古木の近くでした。

気遣いでしょうか、いつの間にやら足元や周りを例の鬼火が仄かに照らしていました。

背後を振り向いてみますと茂みがあり、木立ちがあります。ゆらり、と景色が一瞬揺らいだように見えましたが、鬼火の影響でしょうか。


「帰るかい」

「あ、はい」


顔を戻すと鬼さんはいつもの笑みを浮かべて、じ、と私を見下ろしていました。

鬼さんが何も言わないなら、私が聞いたところで答えるつもりはないのでしょう。


「あの、鬼さん」


他にも色々聞きたいことは山ほどありますけど、まず現実的な問題から片付けましょう。


「いやに静か、ですね?」


ふさ江さんの姿はありません。なのに、騒ぎになっている様子もありません。

変ですねぇ。心配とはまた違う意味で捜索されているかと思っていたのですが。


「おんや」


鬼さんも予想外だったらしいです。今気づいた、と言わんばかりに少し目を丸くして離れに続く獣道や古木、周りを見渡して。あぁ、と納得したように。


「誤魔化してくれたようだねぇ」

「ふさ江さんが、ですか?」


真っ先に母屋に報告に行きそうですが。

鬼さんはいんや、とゆっくり首を振って、離れの方を見て何やら楽しげに告げました。


「羨ましいことだねぇ。あっしも相伴すりゃあよかった」


何がですか何をですか。

今日の鬼さんは、一段と意味不明で意地悪です。

鬼さんはさっさと背を向けて、問おうとした口を閉じさせました。


諦めて、石階段を降りていく着流し姿を追います。

散々気になる発言をして、一切の説明をしてくれぬこのいじらしさはわざとなのでしょうか。否定できません。私がこちらのことについてどんな質問をしようと、大概はぐらかされてきましたし。答えたくないらしいので、早々に止めましたが。


あれ、私より先に進む?

今日の夕方、結界がどうのこうのと言っていたはずですが


「鬼さん、入れるのですか?」

「入れるさ。穴が空いちまってる」

「穴?結界にですか」


あ、振り向いてくれました。鬼さんは私を見て、長く長く息を吐きます。呆れられ、た?


「お前さんが外に出たからだろうさ」

「私が外に出ると穴が空くのですか?」


答えてくれるものだから質問を投げかけますと、鬼さんの眉が真ん中によりました。

迷惑そうですね、ここまでのようです。そんな顔でも整った顔立ちですと憂いのあった芸術品のなるのだから不思議なものです。なんて、現実から逃げてはいけません。


「すみません、もう止めます」

「お前さん…変なところで疎いねぇ」


変なところなのですか、ここ。初歩ということですか、こっち系。

鬼さんはまた前を向いて音も立てずに下り始めました。私も鬼火を頼りに足元を確かめながら着いていきます。


それから離れに着くまでは無言でした。鬼さんも私も何も言わずに離れに上がって、いつもの庭に面した部屋に入って。

私はさっそく置いていた臙脂色の長袋に触れました。指に揺れた布、その奥にある存在。肩が下りる、とはこのことでしょうね。三味線が確かにあります。

いろいろあった一日ですが、締めくくりに落ち着いた気がします。


鬼さんの方を向くと、畳から指で何かをつまみあげていました。

何が落ちていたのでしょうか、私に差し出してきました。


「お前さんの留守を誤魔化してくれたもんさ」


鬼さんの指から、黄色の絹糸がだらりと垂れさがっています。三味線の絃です。ですが端が赤茶に変色していました。おそらく、私が指を切ってしまったときに着いたのでしょう。何故、ここに?

一先ず、空になった糸入れに仕舞ったはずです。

どういう意味でしょう。この絃が、私の留守を誤魔化したというのは。


「おや」


絃が、畳に落ちていきます。音もなく畳に渦を巻いて。

ですが、鬼さんの手にも未だに絃は残っています。独りでに切れた、としか見えませんでした。言葉を出せぬ私の前で、鬼さんは膝をついて落ちた絃を指でなぞります。

慈しむよう、労わるように。


「限界だろうね。血の一滴でよく保ったもんさ」


その時私は、何故でしょうか。何といいましょうか。

堕ちた絃を見て私は、とても、ぽっかりと、胸に穴の空いた気がしました。

さびしい?せつない?かなしい?

何だか無性に、泣きたくなりました。




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