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絃ノ匣  作者: しま
第二章 「棹の部」
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狩衣女性

夜になりました。 すっかり暗くなって、そして寒いです。

着物はたくさん衣を重ねるので体の中はなんとか。ですが、袖から入ってくる風がもう。さらに、前方を歩く彼の格好を見ているだけで寒いです。着流し一枚ですよ、袴なく素肌に衣一枚纏っているだけですよ、足袋も履いていないので歩くたびに細い足首が見えるんですよ。目に寒いです。本人風が吹こうが平気そうに歩き続けていますけど。


大通りを一筋外れた道を歩いていますが、人っ子一人いません。


真っ暗闇の中をいつの間にか、前方をぼんやりと照らす灯りがあります。彼が提灯を持っているわけではありません。私が持っているわけでもありません。彼が、口から出したものです。


本当に、そのままです。


視界が悪い中よくすたすたと歩けるなぁ、と思いながらついていくと私が何かにつまずいてしまいました。おそらく、道に転がっていた小石でしょうね。転びはしませんでしたが、音に気付いた彼が振り向いて薄く笑いました。


『そういや、お前さんにとって夜は歩きにくいんだねぇ』


とか何とか言って、息を吐いたんです。煙草の煙を吐くようにふぅ、って。そうすると彼の口元から青味が強い緑の、蛍より少し大きな、しかし夜道を歩くには頼りない灯火がいくつも飛ばされてきました。あれ、人魂って科学的に解明されたんじゃなかったっけ。聞けば、人魂ではなく、鬼火、というらしいです。オニビ…まんまですね。くるりくるり、ふわりふわりと、まさしく蛍の動きで灯火たちは彼の足元で渦を作り、やがて一つの球体になりました。光の。大きさでいえばソフトボールです。テニスより大きくてハンドボールより小さい…懐かしいですね。


『使いな』


って言って、彼が人差し指で球体、それから私を指すと光の球はそのまま私の足元に落ち着きまして。以後、私の提灯です。浮いていますけど。少しだけあたたかくて、別の意味でも助かります。

「周りの人に怖がられません?」と聞けば、怪談話が一つできるだけだと笑っていました。やですね、鬼火に照らされながら夜道を歩く女ですか。微妙な顔をする私を見て、彼はまた口端を吊り上げ、普通の人には見えない灯りだと言いました。

始めに言ってください。


そんな形で、私たちは夜道を歩いています。

どこに向かっているのでしょうか。大分街中を外れてきていると思うのですが。

私、三味線の糸を買いに出ただけですのに。そろそろ女中さんは起きたでしょうか。家で騒ぎになっていないとよいのですが。いっか。


彼はさらに進む、進む。

景色が変わってきました。何度も十字路を通り過ぎたあたりでしょうか。立ち並ぶ屋敷は粗末なものか、人のいないあばら屋らしきもの。


あぁ、目的地に着いたらしいです、歩みが止まりました。此処は、交易に使用する川を渡す橋の手前です。昼間は荷運び船が行きかうところですが、今はただ水の音がひそかに聞こえてくるだけです。


「一つ、言っておこうかね」


鬼がこちらを向いて、少し目を細めました。笑みは浮かべていますが、何だか今までとは雰囲気が違います。目が笑っていない、という表現はよく聞きますが、本当に、わかるものですね。鬼火の光によって照らされた彼の双眸が怪しげに揺らぎます。


「絶対に自分の名前を言わないでくんな。名乗るなら別の名を」


小さな声で、囁くように彼は言いました。そもそも、人に会うことすら今初めて知りましたよ。とりあえず、頷いておきます。言霊とか、そういうのが関係しているのでしょう。別の名前、考えた方が良いでしょうか。


「あぁ、それと、あっしが言うまで話しかけられても声を上げちゃいけねえ。できるかい?」


もう一度、頷きます。

あの有名なジ○リ映画のように、声を上げた瞬間「人だ!」とか言って追いかけられたりするのでしょうか。得体のしれないものに追いかけられるリスクなんてごめんです。とにかく、黙っといた方がよさそうですね。


彼はそのまま前を向き、歩き始めました。橋の真ん中に着きました。川の上ですから、一段と冷え込んだように思います。気持ち、鬼火に近づいておきましょう。


「いる、のだろう?」


鬼がはっきりと言葉を発しました。誰かと待ち合わせしていたのでしょうか。言葉が夜に染みこんでしばらくは沈黙が続きましたが、不意に空気が震えように、風が吹きました。


「気付いておったか。さすがじゃのう」


低い、ですが女性の声でした。身分のある方でしょうか、口調が独特です。こちらの女性で、同じ口調で話す人は見たことがありません。ですが、姿を見せません。隠れたままです。


「鼻が利くもんだからねぇ。あんたの使っている香なんざ、むせ返る様さ」

「そうじゃったのう」

「姿を見せたらどうだい?」

「それより説明しや。誰を連れて来おった?」

「あんたの邪魔をする者じゃねぇさ。見せてやろうと思ってな」

「ほぅ。視える者か」

「そうさ」

「お主がどこをふらつこうと勝手じゃが、あとで話を伺おうとするかのう」

「構わんさ」

「ふむ」


そうして、彼女は橋の向こうから姿を現しました。何時からそこにいたのでしょう、全く見えませんでした。隠れられる場所は何もなかったのに。人か鬼か、私にはわかりません。ですが、一般人ではないはずです。


夜に浮かぶ真っ赤な着物、平安時代の狩衣のような形の着物を着ています。あれ、男性用だったはずですが。ですが、鬼火で見える顔は紛れもなく女性のようです。切れ長の瞳は冷たい印象を受けますが、少し丸みのある輪郭は女のものです。身長は160代でしょうか。私より頭半分高いです。年は十代後半またはそれ以上、としか掴めません。腰まである長い黒髪が風に揺れて、彼女はゆっくり、近づいてきました。


「警戒心が強いねぇ」


鬼が笑えば彼女はひょいと眉を上げ、しかし何も言わずに歩みをとめました。じぃ、と私の方を見ています。目が合って、でも答えられず。どうしようかと鬼を見ても彼は何もせず私たちを見ているだけ。彼女は諦めたのか、ため息を一つこぼしました。


「一先ずそなたのお客人の話は置いておこう。ここかえ?」


彼女が欄干の木目をなぞる様に見ました。


「あぁ。掴めるかい?」


鬼の問いに彼女は応えず、同じ場所を見ています。おもむろに懐から扇を取り出し、石材を叩きました。勢いが良かったのでしょう、細竹が硬い石とかつん、と音を響かせました。私、思わず肩がはねました。


「言葉で教えて欲しいねぇ」


鬼がさらに問います。扇は欄干に添えられたまま、しばしの沈黙後。


「残っておる」

「手がかりになりそうかい?」


再び訪れる、沈黙。


「手がかりにはならぬが、」


ゆるりと言葉が紡がれていく。


「繋ぎには、なりそうじゃ」

「難しいかねぇ」


いいや、と首を振る女性。その割には随分と顔が強張っています。彼女は何故か私を見て、目を伏せて、ため息をつきました。え、なぜ私を見るのですか。


「お主、気付かなんだか」

「さあて、あっしには何の事だか」


だから、何の話ですか。私が何か、関わっていると?視線で問うても鬼は見ないふり。女性は私を見てまたため息。嫌な雰囲気ですね。面倒事な空気が漂っていますよ。いえ、それは始めからですね。


ちょうど風が吹いて彼女の髪が翻り、顔を隠してしまいました。まるでその時を待っていたかのように、


「ただのしゅではない」


風が強くなります。

右に左に駆け回り、渦をまいて衣をはためかせ、唯一の灯りが揺れました。


ところで、『しゅ』って何ですか?

種?珠?手?首?




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