第二十二話 表 延焼
この粘着質な声。
不快な喋り方。
その背後から何か揉めているような声が聞こえ、胸のざわめきがどんどん大きくなっていく。
「いやァ、これは全くもって偶然なんですがねェ。ちょうどお友達……彼女さんですか? お宅を訪ねて来てたみたいで、せっかくなんで我々のパーティにご招待しようかと思いましてねェ」
「離せッ! なんなのよあんたたちは! こんな事して……!」
「芹澤!?」
咄嗟に大声が出る。
聞き間違えるはずがない。
この声は、芹澤茉由のものだ。
「一ノ瀬!? あんたら一ノ瀬に何の用が――」
「黙れ!」
別の男の荒々しい声と、被さるように鈍い音。
「ぐっぁ……」
苦しそうな呻き声に心臓を鷲掴みにされる。
なぜこんなことに。
いや、今はそれはいい。
なんとかして茉由の安全を確保しなければ。
呼吸を整え、思考を巡らせる。
「少々元気が良すぎて持て余していたんですよ。これから彼女をワタクシの城にご案内するのでお迎えに来ていただけますか?」
「人質にするつもりですか? ここは法治国家ですよ」
なんとか平静を装い反撃する。
「その法治がワレワレには及ばないことを、あなたはよォくご存知のはずだ。刑事であるあなたならね」
教団の周辺で人が消えても警察は動かない。
だからこそ今日まで、遼は警察に頼ることなく春華の捜索を行ってきたのだ。
遼が言葉に詰まると北畠が勝ち誇ったように言う。
「星雲救世会三号施設。そこでお待ちしています。なァに、地図アプリにも載ってる立派な施設ですよ。あなた方三名だけで来てください。彼女の命が惜しければね」
北畠は一方的にそう捲し立て、通話が終了した。
スマートフォンを耳に当てたまま呆然と立ち尽くす。
わかっていたはずだ。
教団が手段など選ばぬ組織だということは。
にも関わらず、無関係だったはずの茉由を巻き込んでしまった。
あの時ヒスイの変装を手助けなどしてもらわなければ、今日彼女が遼の部屋を訪れることなどなかっただろう。
背筋を冷たいものが伝う。
「茉由さんが、昨日の男に攫われたのですね」
先ほどまで寝息を立てて眠っていたはずのヒスイがいつの間にか背後に立っていた。
「ヒスイ……さん……」
救いを求めるように声が震える。
いつかの朝のように、ヒスイから見えない何かが発せられているように感じる。
――今ならその正体がわかる。
あれはアニマだ。
彼女の中のアニマが結合し、増殖し、この先の未来を演算しているのだ。
「行きましょう。彼女を取り戻しに」
普段のおっとりした声と違う、凛とした響きだった。
かつて、苔守村の人々がこのかみさまを頼った理由が。
縋らざるを得なかった訳が、痛いほどによくわかる。
この人は、この力は人々の希望そのものだからだ。
濃い霧に阻まれ一寸先すら見渡せない道を照らし、不安を消し去ってくれる。
そんな存在を神と呼び崇め、縛るのは当然のことだろう。
未来を視たであろうヒスイが”取り戻す”と言うのなら、それは成功するのだろうか。
恐らく北畠は万全の態勢でもって、三号施設とやらで待ち構えているだろう。
対して、こちらは戦えるのは遼ただ一人だ。
前回のように未来視の力を借りたとしても数の暴力、あるいは銃火器などを持ち出されれば到底太刀打ちできないだろう。
翡翠色の瞳が黙って立つ遼を真っ直ぐに射抜いている。
「遼」
ヒスイの声に遼の肩が揺れる。
「わたしたちは行かねばなりません。それは確定した未来です。ですが――その先は、わたしには視えません」
この先起こることには、なんの保証もない。
この中の誰か、あるいは茉由か、下手すれば全員が死ぬかもしれない。
例え勝算が無くとも、茉由を見殺しになどできない。
――できるはずがない。
いざとなれば、この命と”鍵”を差し出してでも茉由を救わなければならないと、そう考えてすらいる。
「あった、三号施設! 狛江市だって!」
スマートフォンに目を落としていた燈が声を上げる。
静かな室内で北畠の無駄に大きな声は、十分に燈の耳まで届いていたようだ。
「燈さん、ありがとうございます。ですが、お二人はここで待っていてください」
「私たちも行きますよ。あのおじさん、三人で来いって言ってたじゃないですか」
「しかし……」
「遼さんに万が一のことがあったら、どの道ヒスイ様もあいつらに捕まっちゃうんだから一緒ですよ。ねぇ、ヒスイ様」
「そうです。わたしたちは”共犯者”なんですから」
ヒスイはそう言って「ふふふ」と笑う。
ヒスイは遼を信じ、命運を託してくれている。
遼もまた、ヒスイを信じていた。
「……わかりました。ではすぐに準備を」
ホテルの受付で手続きをし、後ろで待つ二人に声をかける。
「エントランスまで車を回すので待っていてください」
「わかりました」
遼は一人、駐車場へ向かうと車に乗り込み大きく息をついた。
スマートフォンを取り出し電話を掛ける。
その相手は燈だ。
遼はヒスイを信じている。
だからこそ共倒れさえ避ければ道は拓ける。
それが結論だった。
「遼さん? どうしたんですか」
僅かな呼び出し音の後、電話に出た燈へ一方的に言い募る。
「三号施設には私一人で向かいます。お二人は部屋で待っていてください。チェックアウトはしてないので。信頼できる者を護衛に付けます」
「遼さん!? 何を――」
通話を切り、アクセルを踏む。
これは裏切りだろうか。
――裏切り以外の何物でもないだろう。
じゃあこれは間違いだろうか。
――恐らく、自分は間違っている。
裏切りと知りながら、間違いとわかりながら、遼は車を走らせた。




