第二十二話 裏 世界の寿命 中
「明日、改めてメノウを遣いに寄越す。お前たちはあの行商人と合流し、公爵に接触しろ」
「行商人……オウカのことか?」
「そうだ。奴は”アゲントの英雄”という肩書きと、銀の売買で得た儲けを使いアルヴァン公への謁見を取り付けた。それに便乗しろ」
今日この公都に着き、もうそこまで辿り着いたというのだろうか。
「かなりのやり手だな。得難い人脈だろう。だが、公爵との交渉においては利害が衝突する可能性が高い」
「オウカの目的がわかるのか?」
「アゲント再興のための人員派遣の要請と、もう一つは銀の流通に一枚噛ませろ、そんなところだろう」
人員の派遣についてはリウィアから要望されたと聞いてはいた。
知り合いの商会を頼ると言っていたが、その先に公爵との接触まで目論んでいたとは思ってもみなかった。
「問題は前者だ。アゲントの再興と異端者との戦争。泥臭いのも血生臭いのもエルフどもは忌み嫌う。となれば、末端の兵士や労働者を駆り出す事になるが、いかんせん人手が足りん」
そこで利害が衝突すればオウカと舌戦を繰り広げることになるだろう。
だが景真にしろコハクにしろ、口でオウカに敵うとは思えない。
「公爵に接見する前に、オウカを説得するしかないか……」
しかしそれは同時に、リウィアやアゲントの町を裏切ることになる。
アゲントは多数の難民を抱え、一日も早い復興を求められている。
復興が遅れ、冬を迎えれば多くの餓死者や凍死者を出す恐れすらあった。
「お前たちが救わなければ、話は単純だった」
全登が冷酷に告げる。
結果として、あの難民たちは景真たちの行動が生み出したのだ。
「……それでも、後悔はしてない」
あの夜、母と再会したネロが見せた笑顔。
人々を救い、誇らしげに胸を張ったリウィア。
それらが間違いだったはずがない。
「それでいい。重要なのは正解を選ぶことではない。選択に責任を負うことだ」
全登が椅子に座る。
「景真、お前はお前の成すべきことを成せるよう、最善を尽くせ。その選択と結果を俺は受け入れる。お前はそれを背負え」
部屋を去る景真の背に全登が言う。
「また会おう、我が末裔」
景真は少しだけ足を止め、振り返ることなくまた歩きだした。
二人は無言のまま家に帰り着くと、身体を引きずるようにして二階へ向かった。
階段を上る脚が重たい。話を聞いて来ただけとは思えないほどに。
月を持たぬネビュラの夜は仄暗い。
寝室の窓はメノウが侵入した時のまま開いている。
夜風にカーテンが揺れ、それから微かに強く吹いたそれに蝶番が小さくギィと応えた。
窓を閉じようと窓枠に近づいた景真は眼下に広がる景色に目を奪われた。
家の裏手の泉に、銀河が流れ込んでいた。
我が物顔で輝く月にも、不夜の大都市にも憚ることなく瞬く星が、鏡写しのように天と地を覆い尽くしている。
――あの遥か彼方に、地球があるのだろうか。
それも、景真の知るそれより一万年も未来の地球が。
上下の感覚が揺らぐ。
上も下も、重力も無重力も、過去と未来すらも境目を失って立っている場所すら曖昧なものになっていく。
ぐらりと傾いだ身体をコハクがそっと支えてくれた。
コハクはあの話をどう聞いていたのだろうか。
ミラビリスの話は景真のいた世界、現代のオービスを起点に語られていた。
科学技術と呼べるものが存在しない――いや、科学技術として認知されていない世界に生きてきた彼女がどこまで飲み込めたのだろうか。
「コハクは……ミラビリスの話をどう思った?」
直接的に訊ねるのは躊躇われた。
彼女にとって、いやこのネビュラに生きる者にとってその根底を覆されるような話だったからだ。
「……女神さまは遥か昔、オービスから旅をして来た人たちによって創り出された……。私たちは、その人たちの子孫……」
コハクが星空を見上げる。
「信じられないって気持ちと、信じたくないって気持ちがあって。……でもこれはきっと本当のことなんだって、ケーマの顔を見てたらわかっちゃった」
コハクは景真の想像よりも、ずっと正確にミラビリスの話を理解していた。
「私には女神さまをどうすべきかは、わからない。正解も、正義も、善悪も、なにも。……だから、もしケーマが望むなら、未来を――」
「視なくていい」
縋るようなコハクの言葉を遮って言う。
女神を殺し、いつか来る破滅を待つのか。
女神を生かし、管理された安寧を受け入れるのか。
その選択は自身の左手に託された。
「ちゃんと選ぶ。だからその時は――」
覚悟はとうに決めたはずなのに、どろどろとしたものが足首を生温かく包み込み、飲み込んでいく。
これは恐怖だ。
なぜ自分なんかが人類の命運を握らされているのか。
景真が何を選ぼうが、地球にいる連中はそれを景真が選んだなどと知る由もない。
――だからこそ恐ろしかった。
誰も知らないところで、誰も知らないたった一人の人間が全人類の未来を決めてしまうことが。
彼らはそうして何者かが選んだ未来を否応なく生きるしかないのだ。
『お前はそれを背負え』
全登の言葉が蘇る。
今を生きる全てのものと、これから生まれてくる全ての命。
それらが生きる世界を、この手で選ばなければならない。
背負わなければならない。
――ただ一人で。
窓枠に置いた左手が冷たく震える。
そこに、柔らかな手が包み込むように添えられた。
「隣にいる」
揺るぎない声だった。
信じていたもの、当たり前にあった世界を丸ごとひっくり返されてなお、コハクは真っ直ぐに立ち、こちらを見つめている。
思わず覗き込んだコハクの瞳には宇宙が満ちていて吸い込まれるように錯覚する。
きっと、これからまだまだ迷うだろう。
足がすくんで前に進めないかもしれない。
土壇場で逃げ出したくなるかもしれない。
それでも、この手だけは裏切れない。
気づけば手の震えはおさまり、温もりが戻っていた。




