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断章7 カウントダウン


 ピンポーン。

 小雪のちらつく、肌寒い日曜日の朝をチャイムの音が駆け抜ける。


「すぐ開けるからちょっと待っててね!」

 かなたがインターホンに応答し、遼を抱いたままスリッパをパタパタと鳴らして玄関へ向かう。


 玄関のドアを開くと、かなたは飛びかからんばかりの勢いで門扉の前に立つ女性に駆け寄った。


「小夜子さん! 久しぶり!」

「かなた、久しぶり。元気そうね。その子が遼君?」

「そうだよ。湊さんに似て賢そうでしょ?」


 その光景を玄関から眺めていると、親しげにかなたと話す女性と目が合ったので会釈する。

 

 彼女は中村小夜子。

 かなたが保護施設にいた際の言わば恩師だ。

 

 10歳前後までの記憶を失っていたかなたに名前と言葉を与えてくれた人で、かなたは彼女を姉のように、あるいは母のように慕っていた。


 湊たちは結婚に際しささやかな結婚式を挙げたが、友人の多いかなたが唯一そこに呼んだのが小夜子だった。

 

「かなた、寒いんだから中で話しなさい。中村さんも遼も風邪を引いてしまう」

「あっ、ごめんなさい。つい興奮しちゃって。さあ上がって!」

 かなたはそう言って小夜子の手を引いて来る。

「お邪魔します。これ、お土産です。つまらないもの……いつものですけど」

「すみません、気を使わせてしまって」

 袋を受け取り台所へ向かう。


 小夜子がこの家に来るのは三度目だが、彼女は決まってかなたの好物であるモンブランを買って来る。


 四つのモンブランを皿に取り、湯が沸くのを待つ。


 「わあ、春華ちゃん大きくなったねぇ」

「……? このひとだぁれ?」

 絵を描いていた手を止め、春華がかなたを見上げる。

「この人はね、小夜子さん。お母さんの大切な……なんだろ?」

 リビングに目をやると、かなたが首を捻っている。

「お友だち、でいいんじゃない?」

「うーん。なんかしっくりこないというか、言葉にするのは難しいね」

「さよこさん」

 春華が小夜子をじっと見つめる。

 記憶に刻み込むように。

「もう覚えてくれたんだ。嬉しいなぁ」

「いちのせはるかです。よろしくおねがいします」

 そう言って頭を下げる春華に、小夜子が目を丸くする。

「……春華ちゃん何歳だっけ?」

「もうすぐにさい!」

 かなたへの問いに春華が小さな右手でVサインを作って答える。

「そう言えば、かなたも異常な早さで日本語覚えてたね……遺伝なのかしら」

 小夜子が少し呆れたように言う。

「どうだろ? でも普通の子だよ」

 かなたがそう返して頭をくしゃくしゃと撫でると、春華はくすぐったそうに笑った。


 「モンブラン、春華に一個は多いかな」

 トレイに載せた皿を三人の前に置いていく。

「たべられます。はるかはもうおねぇちゃんなので」

 モンブランを覗き込んでから、目を輝かせて自信満々に言い切る姿に思わず笑ってしまう。

 かなたと小夜子も続いて笑い、春華だけがなぜ笑われたのか分からないという風に、大人たちの顔を見回していた。


 宣言通りモンブランを平らげんと張り切っていた春華は、志半ばにしてプラスチックのフォークを握ったままうつらうつらと舟を漕ぎ始めた。


「ちょっと寝かしつけてくるね」

 かなたは小さな手からそっとフォークを取り上げると、その小さな体を抱き上げて寝室へと連れて行った。


 小夜子と二人きりになったリビングに沈黙が満ちる。

 

 「……あの子、本当に幸せそう。湊さんのお陰ですね」

「いえ、私は何も……」

「かなたが高校を卒業したら湊先生と結婚するって言い出した時、私反対しちゃったんですよ。早すぎると思ったし、年も離れてたから」

 それは知っていた。

 同時に、反対されるのも無理はないことだと思っていた。

 小夜子が反対するのは、それだけかなたのことを真剣に想っていたからこそだ、とも。

 

 「私が小夜子さんの立場だったとしても、反対してたと思います」

 そう返すと、小夜子は苦笑した。

 

「……あの子が初めてあさがお園に来た時、なんてきれいな子だろうって思った。園長に、彼女に名前を付けるよう言われた時もすごく迷った。……あの子には本当の名前があって、家族がいて、人生があったはずなのに、それを全部上書きしてしまうように思えて」

 

 小夜子の言葉を、湊は黙って聞いていた。

 それは、図らずも人一人の人生を()()()()()()()()という苦悩だ。

 同じ咎を背負う湊には小夜子の言葉が他人事だとはまるで思えなかった。

 

「それと同時にこうも思ったんです。この子はきっと、人並みの――普通の人生は歩めない。そういう運命の元に生まれた子なんだって」

 その目が遠い過去を覗き込むように細められる。

「あの子は間違いなく特別な子だった。だけど、自分自身の意思で運命じゃない人生を掴み取って見せた」

 小夜子が姿勢を正し、湊を真っ直ぐに見据える。

 

 「だからかなたは、私の――自慢の娘です。あの子に人生を与えてくれてありがとう、湊先生」


 かなたと出会ってからずっと、湊は引け目を感じていた。

 彼女の側にいる資格など、自分にはないと思っていた。

 医者の立場を利用し、その心の隙間につけ込んで自分の元に縛り付けていると。

 

 それなのに、離れられなかった。


 彼女の好意に甘えて、自らのエゴを押し付けている。

 結婚し、子供が産まれてもなおその(わだかま)りは消えなかった。


 だけど小夜子は、それはかなた自身の選択だと言う。


 それは湊にとり、どんな言葉より強い”赦し”だった。


 いや――本当はわかっていた。


 自分にはかなたを縛り付けることなどできはしないと。

 かなたは全てを失ってなお、己の人生を己の手で選び取ってきてのだから。


 なら、そうだ。

 強い願望が生まれる。


 かなたの選択を、間違いにしないこと。


 それが叶えるべき、唯一の望みだ。


 「――こちらこそありがとうございます。かなたの選択が間違いなんかじゃなかったと証明できるように善処します」

 思ったよりも力強く宣言してしまい、急に恥ずかしさが込み上げる。

 しかし、赤面する湊を小夜子は笑わなかった。

「……あの子が小さい頃から、ふとした瞬間に雪のように消えてしまうんじゃないかって思う時があるんです。全部が夢か幻だったみたいに」

 それは、かなたと出会った日から湊が抱えている漠然とした不安と同じものに思えた。

「私が彼女の側にいます。消えたりなんかしないように」

 

 言葉にするほどに、不思議と不安は大きくなっていく。

 

「そうですね。これからもあの子をよろしくお願いします」


 切り捨てたはずの運命がかなたに追いつく日まで、あと一月(ひとつき)を切っていた。

 

 

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