第十八話 表 久遠の別れ
朝日がテントを焼き、蒸し焼きにされるような感覚に目を覚ます。
昨夜はお世辞にも上等とは言えない寝袋に、山間部とは言え真夏の暑さだ。おまけにシャワーも浴びられてないとなると、己の気質を鑑みれば安眠など望むべくもなかった。
どこでもいつでも眠れる人間をこの時ばかりは心底羨ましく思った。
だるい左腕を動かし腕時計を見ると午前8時を回ったところだった。
体を起こしてテントの中を見渡すと、気持ちよさそうに寝息を立てているヒスイの尻尾に櫛を入れる燈の姿があった。
「おはよう、遼さん」
遼が起きたことに気づいた燈が櫛を動かす手を止めることなく挨拶する。
いつもの溌剌とした姿が思い出せなくなるような静かな声が胸を締め付けた。
「おはようございます。…………」
その後の言葉が出てこなかった。
彼女はつい昨日、両親と家と、故郷を失ったのだ。
遼の言葉など。いや、どんな言葉も今は救いはおろか慰めにすらならないだろう。
自分は燈の家族でも、友人でもないのだから。
――いや、これは欺瞞だ。
本当は怖いだけだ。
自分の言葉で彼女を傷つけ、壊してしまう可能性が。
だから、保留した。
父の傷を見て見ぬ振りをし、向き合わず、ただ壊してしまわないよう細心の注意を払ったように。
――いっそのこと、誰かが壊してくれたら楽になるのに。
一瞬、脳裏をよぎる度し難い思考。
これは父の傷を垣間見るたびに、心理の奥底から浮かび上がってきた澱と同じものだ。
そしてこれは、遼自身が何よりも許せず、嫌悪しているものだった。
「大丈夫ですか? 顔が真っ青」
自己嫌悪の沼に一人沈んでいた遼は、燈の声で引き上げられる。
「……大丈夫です。あまりよく眠れなかったもので」
あまつさえ、今の燈に心配させてしまうなど。
頭を振ると、こめかみの奥がズキリと痛む。
突如、外の喧騒がテントの空気を切り裂く。
「勝手に入られては困ります!」
「うるさいですねェ。お上から許可は貰ってるんですよ」
粘着質な男の声。
「そんな連絡は来ていません。安全が確認されるまで村には誰も入れるなとの命です」
「おやァ、いいんですか? 後でどうなっても知りませんよ。……あなた、所属と名前は?」
テントの入り口がやにわに開く。
慌てて目をやると、入って来たのは清光だった。
清光は年齢を感じさせない足運びで遼の元へ来て耳打ちする。
「星雲救世会の連中だ。一ノ瀬さん、ウカ様と燈を連れてお社の裏から逃げなさい」
「なぜ……」
なぜ教団に追われていることを清光が知っているのか。
「奴らはこの村に施設を建てて、ずっとウカ様のことを探っておった。その狙いは知らんが、ウカ様を渡すわけにはいかん」
遼は黙って頷く。
ヒスイの方を見ると、すでに燈に起こされて寝ぼけ眼を擦っていた。
「いいですかァ? この辺鄙な村には我々の施設があったんですよ。村人の信仰を守るためにね。でェ、そこにいた職員や信徒たちが生き埋めになってるんですよ。その安否を確かめる義務が、星雲救世会の司教たるワタシにはあるんです」
外ではまだ教団の男が自衛隊員を相手に騒いでいる。
教団の狙いは何だろうか。
少なくとも、その言葉通りに職員や信徒の身を案じてやって来たわけではないだろう。
遼たちがこの村にいることを知っていて追ってきた可能性もある。
この村は今、ネビュラの残滓に埋め尽くされている。
そこにあったミラビリスと名乗り、女神殺しを指示したオーパーツ。
もしあれが奴らの手に渡ったら、一体どうなるのだろうか?
とは言え、遼にそれを食い止める力などあろうはずもない。
自衛隊が教団の圧を跳ね除け、追い返してくれることを祈る他なかった。
「行きましょう」
荷物を背負い、二人に声をかける。
「安全な道を案内する。ついて来なさい」
清光がテントの出口に立ち先導する。
その後を追いキャンプを出て村の外縁へ向かった。
「この道はウカ様を隠匿するための連絡路だ。外からは見えず、近づくとただの山道にしか見えないよう細工してある」
清光の言葉通り、その道は遠くからは道と認識できなかった。
迷いない足取りで先を行く清光について行くと、気づけば山中の社に着いていた。
社の周囲は真夏とは思えない静けさに包まれている。
「燈」
清光が燈を呼び止める。
「必ず、お前が帰って来られる場所を作る。少しだけ、時間をくれ」
「……うん。おじいちゃん、無理しないでね」
清光は頷き、ヒスイの方を向く。
「ウカ様。今一度お会いできた事、嬉しゅうございました。――しかし今度こそこれが今生の別れになるよう、祈っておりまする。どうか、お達者で」
深く腰を折る。
「清光も、お元気で」
ヒスイの声が微かに揺らぐ。
「一ノ瀬さん、二人をお願いします」
「……はい」
その資格が、力が自分にあるのかはわからない。
それでももう、背負ってしまったのだ。
社の裏から山道を降る。
目の前に再び、登りで見たあの鳥居が姿を現した。
ここはかつて苔守村だったその場所の、終端だ。
『久遠にわたり里を守り給ひし御神徳、畏み畏みも白し奉る。
また、長き時この地に留め奉りしこと、恐れながら詫び奉る。
願はくは、宇迦之御魂の大神の道行き、安らかにして幸多からむことを』
来た時と同じように、鳥居に彫り込まれた文字をヒスイの白い指がそっと撫でた。
いつか、この鳥居をくぐり村を去るヒスイへ向けた、その言葉を。
「――さようなら」
静かに村へ別れを告げ、ヒスイはその鳥居をくぐる。




